◎ フランツ・カフカ作『掟の門』(定めの門)原文・訳・書き換え・解説 平成三十年十月  山戸朋盟

 「定めの門」の朗読・書き換え・解説は、YouTube で聞くことが出来ます。

 Vor dem Gesetz Franz Kafka


Vor dem Gesetz steht ein Türhüter. Zu diesem Türhüter kommt ein Mann vom Lande und bittet um Eintritt in das Gesetz. Aber der Türhüter sagt, daß er ihm jetzt den Eintritt nicht gewähren könne. Der Mann überlegt und fragt dann, ob er also später werde eintreten dürfen.
«Es ist möglich», sagt der Türhüter, «jetzt aber nicht.»


Da das Tor zum Gesetz offensteht wie immer und der Türhüter beiseite tritt, bückt sich der Mann, um durch das Tor in das Innere zu sehn. Als der Türhüter das merkt, lacht er und sagt:
«Wenn es dich so lockt, versuche es doch, trotz meines Verbotes hineinzugehn. Merke aber: Ich bin mächtig. Und ich bin nur der unterste Türhüter. Von Saal zu Saal stehn aber Türhüter, einer mächtiger als der andere. Schon den Anblick des dritten kam nicht einmal ich mehr ertragen.»


Solche Schwierigkeiten hat der Mann vom Lande nicht erwartet; das Gesetz soll doch jedem und immer zugänglich sein, denkt er, aber als er jetzt den Türhüter in seinem Pelzmantel genauer ansieht, seine große Spitznase, den langen, dünnen, schwarzen tatarischen Bart, entschließt er sich, doch lieber zu warten, bis er die Erlaubnis zum Eintritt bekommt. Der Türhüter gibt ihm einen Schemel und läßt ihn seitwärts von der Tür sich niedersetzen.
Dort sitzt er Tage und Jahre.


Er macht viele Versuche, eingelassen zu werden, und ermüdet den Türhüter durch seine Bitten. Der Türhüter stellt öfters kleine Verhöre mit ihm an, fragt ihn über seine Heimat aus und nach vielem andern, es sind aber teilnahmslose Fragen, wie sie große Herren stellen, und zum Schlusse sagt er ihm immer wieder, daß er ihn noch nicht einlassen könne.


Der Mann, der sich für seine Reise mit vielem ausgerüstet hat, verwendet alles, und sei es noch so wertvoll, um den Türhüter zu bestechen. Dieser nimmt zwar alles an, aber sagt dabei:
«Ich nehme es nur an, damit du nicht glaubst, etwas versäumt zu haben.»


Während der vielen Jahre beobachtet der Mann den Türhüter fast ununterbrochen. Er vergißt die andern Türhüter, und dieser erste scheint ihm das einzige Hindernis für den Eintritt in das Gesetz.


Er verflucht den unglücklichen Zufall, in den ersten Jahren rücksichtslos und laut, später, als er alt wird, brummt er nur noch vor sich hin.


Er wird kindisch, und, da er in dem jahrelangen Studium des Türhüters auch die Flöhe in seinem Pelzkragen erkannt hat, bittet er auch die Flöhe, ihm zu helfen und den Türhüter umzustimmen.


Schließlich wird sein Augenlicht schwach, und er weiß nicht, ob es um ihn wirklich dunkler wird, oder ob ihn nur seine Augen täuschen. Wohl aber erkennt er jetzt im Dunkel einen Glanz, der unverlöschlich aus der Türe des Gesetzes bricht. Nun lebt er nicht mehr lange.


Vor seinem Tode sammeln sich in seinem Kopfe alle Erfahrungen der ganzen Zeit zu einer Frage, die er bisher an den Türhüter noch nicht gestellt hat. Er winkt ihm zu, da er seinen erstarrenden Körper nicht mehr aufrichten kann. Der Türhüter muß sich tief zu ihm hinunterneigen, denn der Größenunterschied hat sich sehr zuungunsten des Mannes verändert.


«Was willst du denn jetzt noch wissen?» fragt der Türhüter, «du bist unersättlich. »


«Alle streben doch nach dem Gesetz», sagt der Mann, «wieso kommt es, daß in den vielen Jahren niemand außer mir Einlaß verlangt hat?»


Der Türhüter erkennt, daß der Mann schon an seinem Ende ist, und, um sein vergehendes Gehör noch zu erreichen, brüllt er ihn an:


«Hier konnte niemand sonst Einlaß erhalten, denn dieser Eingang war nur für dich bestimmt. Ich gehe jetzt und schließe ihn.»

 フランツ・カフカ作 『定めの門』 山戸朋盟訳


定めの門の前に門番が立っていた。その門番の所に田舎から一人の男がやってきて、定めの中に入れてくれと頼んだ。しかし門番は、今はだめだと言った。男は思案して、では後でなら入れてもらえるのかと尋ねた。「かも知れないな」と門番は言った。「ともかく、今はだめだ」


定めの中に入る門はいつも開いているようだし、門番は脇へ寄ったので、男は門の中を覗こうと身をかがめた。門番はそれを見て、笑って云った。「そんなに知りたいなら、おれを押しのけて入って見ろ。しかし言っておくが、おれはこんなに強そうだが、番人たちの中では一番下っ端なのだ。この中の広間ごとに番人がいて、次々と前より強くなる。三番目の番人さえ、この俺でも恐ろしくて、まともに見ることが出来ないほどだ」


こんなに面倒だとは思わなかった。定めというものは、誰にでも、いつでも開かれているはずだと男は思った。しかし今、毛皮のマントを身に付けたその門番の、大きな尖り鼻と長く細く黒い蒙古髭を見ていると、入る許可が出るまで待っている方がよさそうだと考えた。門番は彼に腰掛を貸してくれた。そして、戸口の脇に座らせてくれた。かれはそこに腰を下ろし、何年も待ち続けた。


男は中に入れてもらうためにいろいろなことを試みた。そして、門番に懇願してうるさがられた。門番は時々男に故郷のことなどについて、少しばかり尋ねてくれた。しかしそれは、お偉方がよくするような気のない質問で、最後にはいつも、まだ許可は出来ないと言うのだった。


男は旅行するために多くのものを携えてきたが、どんな高価なものも、門番を買収するための贈り物にした。門番はそれらを当然のごとく受け取ったが、その時こう言うのだった。「おれはこれをもらっておく。お前が何かしのこしたことがあると後悔しないようにな」


長い年月の間、男は門番をほとんどずっと見つめていた。彼は他の番人のことは忘れてしまった。そして、この最初の門番だけが、定めの門に入るための唯一の邪魔者のように思えた。


彼はわが身の不運を呪った。初めの数年はあたりかまわず大声で、後に年を取ってからは、ぶつぶつと独り言を言うように。


彼は子供っぽくなった。長年門番を観察しているうちに門番の毛皮の襟に止まったノミさえ見つけて、そのノミにまで、彼を助けて門番の気持ちを変えてくれと頼んだりした。


そのうち、視力が弱って来た。本当にあたりが暗くなったのか、目のせいなのかわからなかった。しかし、今や男は暗闇の中に一筋の光が定めの戸口の中から煌々と射して来るのを見た。もう、彼の命は尽きようとしていた。


死を前にして、彼の頭の中で、これまでのすべての経験が一つの質問に凝縮された。これまで一度も門番にしたことのない質問だった。からだが硬直してもう起き上がれないので、門番に目で合図した。男はすっかり体が縮んででしまったので、はるかに体の大きな門番は深く身を屈めなければならなかった。


「まだ何が知りたいのだ」と門番が尋ねた。「欲の深いやつだなあ」


「誰もが定めを知りたいと思っているのに」と、男は言った。「長い年月の間、私以外には誰一人、中に入れてくれと言って来なかったのは、なぜなんですか」


門番は男がいまわの際にいることを知り、男の消えて行く聴覚に届くように大声でどなった。


「ほかの誰一人、ここに入ることは出来ない。この入口はお前一人のためのものなのだ。おれはもう行く。そして、ここを閉鎖するぞ」

 フランツ・カフカ作 『定めの門』 書き換え(rewrite) 山戸朋盟


ある男がこの世に生まれ、物心が付いて、死後の定めについて考えるようになった。男は初めて都会にやってきた田舎者のように、死後の定めについては何も知らなかったので、知りたいと思ったのだ。死後の定めは、死の世界への門を通って中に入れば知る事が出来そうだったが、それは、今は難しいように思われた。男は思案して、では後でなら知る事が出来るのかと自問した。「かも知れないな」と彼は考えた。大人になれば入れるのか、年を取れば入れるのか、それとも、死んだ後に入れるのか。とにかく、今はだめだろうと彼は思った。


しかし、死後の世界を見ることはいつでも出来そうだし、邪魔する人がいるようには思えなかったので、男は先ず、試しに死んでみたらどうだろうかと想像した。しかし彼は苦笑した。死を認識する主体が消えてしまって、死を認識することが出来るのか。いや、仮に認識出来たとしても、死後の世界はそれで終わりになるのだろうか。もしかすると、第二、第三の死後の世界が控えているかも知れない。第一の死後の謎を解いたとしても、今度は第二の謎、第三の謎、…。謎は次々と続いていて、しかも、後へ行けば行くほど難しくなるように思えた。しかも、謎は無限に続くかも知れない。


こんなに面倒だとは思わなかった。男は、幼いときは、死後の定めは、誰にでも、いつでも開かれていると思っていた。「人は死んだらどうなるの」と大人に聞けば、簡単に教えてもらえると思っていた。しかし、大人は、もちろん優しく答えてくれたが、その答えは男にとって、頑固な門番がよそ者を拒否するような、取りつきようのないものだった。それを考えると、問題がもう少し易しくなるまで、おとなしく待っていた方がよさそうだと男は考えた。時間はまだある。彼は平凡な社会生活という腰掛に腰を下ろし、何年も待ち続けた、学校に通い、職に就き、結婚し、子供を育てながら。そして、死への戸口が自分を待っていることを時々思い出しながら。


男は、その難問を解くためにいろいろなことを試みた。親や先生にしつこく質問してうるさがられることもあった。親切な人が、生死の定めについて男に話しかけて来ることもあった。しかしそれは、宗教を信じる人がいつもする決まった質問だった。―あなたは神を信じますか。永遠の命が欲しくはありませんか。心の平安が得たいと思いませんか。真理を知りたいと思いませんか。―しかし、結論はいつも、信じれば救われるということだけだった。


男は、自分の財産や、自分の持つ時間を、哲学書や宗教書を読み、教会や寺社に寄付し、宗教の聖地を訪ねるために使った。「しかしこれは、この問題を解く努力をし残したことがあると後悔しないためだ。ただそれだけのことだが。」と男は思った。


長い歳月の間、男はこの問題を生活のかたわらに置いて考え続けた。第一の問題を考えているうちに、第二、第三と続くはずの問題のことは忘れてしまった。そして、目の前の問題だけが、生死の定めを知るための唯一の邪魔者のように思えた。


彼はわが身の不運を呪った、「なぜ私はこんなに迷い、苦しまなければならないのか」。若いころは、『巌頭之感』を残して華厳の滝に身を投げた青年のことを考えたり、キリストに殉じた使徒たちの後を追うことを夢想したりさえした。後に年を取ってからは、情熱も衰え、ぶつぶつと独り言を言うようにこの問題を反芻した。


彼はこの問題に倦んで、子供っぽくなった。道を歩いている時など、ふとこのことが頭を過(よぎ)ると、その答えをもらうためなら、道端の乞食にさえ教えを乞うてもいいという気にもなった。


そのうち、視力が衰えて来た。本当にあたりが暗くなったのか、それとも、自分の目のせいなのか分からなかった。しかし、今や男は暗闇の中に一筋の光が定めの戸口の中から煌々と射してくるのを見た。何かが分かるかも知れないと、彼は思った。しかし、もう彼の命は尽きようとしていた。


死を前にして、彼の頭の中で、これまでのすべての経験が一つの疑問に凝縮された。これまで一度も考えたことのない疑問だった。からだが硬直してもう起き上がれないので、見守る人たちに目で合図した。男はすっかり体が縮んでしまったので、周囲の人たちは深く身を屈めなければならなかった。しかし、男は自分の頭の中で考えるだけで、周囲の人に話すことも出来なかった。


「私はまだ何一つ分かっていない」と男は考えた。「それなのに、今また、新しい疑問が目の前に現れた」


「誰もが生死の定めを知りたいと思っているのに」と、男は自問した。「長い年月の間、私が私以外の死後について考えたことがなかったのは、なぜだろうか」


いまわの際にいる男の消えて行く聴覚に届くように、闇の奥から、大声がどなるように響いた。


「お前以外の誰一人、この戸口を通って、お前の死後の世界に入ることは出来ないのだ。この世も、あの世も、天国も、地獄も、ただお前一人だけのために存在するものだったのだ。今、お前も世界も消える。この戸口は永遠に閉鎖されるのだ」


 『定めの門』のわたしの解釈による「書き換え(rewrite)」は以上です。

フランツ・カフカ作 『定めの門』 解説 山戸朋盟

 では、簡単に解説をしておきましょう。

 私がこの寓話に出会ったのは、昭和40(1965)年でした。高校を卒業して、大学が始まるまで、一か月間くらい、春休みのような期間がありますね。私はちょうどその頃上映されていたカフカ原作の『審判』(The Trial)という映画を見たのです。今調べてみると、監督はオーソン・ウェルズ、主演はアンソニー・パーキンスでした。その映画の冒頭に、この『定めの門』が紙芝居のような形で朗読されていたのです。その時私は、この寓話を特に難しいとは思わず、ごく自然に理解しました。しかしそれを言葉で表現することは難しかったので、長い間、どうしたらよいか考え続けました。そしてようやく、今回のように、具体的な話に書き換えるという方法を思いついたのです。この書き換えは、皆さんに理解して頂けたでしょうか。

 この小説の原題はドイツ語で、「Vor dem Gesetz」となっています。これは、直訳すると、「Gesetz の前で」となりますが、この Gesetz という単語が何を意味するかが問題です。普通は「掟」と訳しています。私はこの寓話の意味を考えると、どうしても「定め」と訳したいと考えました。Gesetz は、setzen という動詞の過去分詞 gesetzt の名詞形です。setzen は辞書で引くと、「定める・決める・設定する」という意味です。これは英語で言えば set にあたります。ですから Gesetz はもともと、「定められたもの・定め」という意味なのです。ですから「掟・決まり・規則・法律」などにも訳されますが、この小説の場合は、「定め」が一番ピッタリすると私は考えます。だから、直訳すると「定めの前で」ですが、内容を生かして「定めの門」と訳しました。

 次にこの小説の中の「門番」とは何でしょうか。人間は、自分がどこから生まれたのか、なぜ生まれたのか、なぜ生きているのか、そして、なぜ死ぬのか、死んでどこへ行くのかとか、生死についていろいろと疑問を抱きます。そして、他人に質問することもあります。例えば親や学校の先生や友達、あるいは牧師さんや神父さんやお坊さんなど。実際は、年がら年中そんな質問を他人にする人は少なく、むしろ自問する、つまり心の中で、神、超越者、運命とか、何か目に見えないものに質問することが多いでしょう。門番は、男が質問する相手です。しかし門番は、男の質問に対して、何一つ確かな答えを返してくれません。これは何故かと言うと、門番は、何か意図や目的があって答えないわけではない。門番は、ただ生死の質問には答えないという存在であるにすぎません。つまり門番は、人間が生死の定めを知ることが困難であることを、あるいは、もしかしたら不可能であるかもしれないことを、形象化した存在に過ぎないと言えるでしょう。だからこの寓話を解く時に大切なことは、「門番は何者か」ということより、「生死の定めとは何か」ということを考えることなのです。

 次に、カフカはどういう宗教観をもとにしてこの寓話を書いたのでしょうか。ここに書かれた死生観は、キリスト教でも、ユダヤ教でもないようです。ではカフカは宗教を否定するニヒリストか。いや、カフカは初めから宗教を否定しているわけではない。むしろ、宗教を自らの直観に基づいて、自分一人で作ろうとしているのではないか。そしてここには、東洋思想の影響があるのではないか。

 私が初めに思い付く言葉は「唯識」です。「唯識」とは、存在するものは意識だけであるという思想らしい。この寓話の最後の場面で、男が消えてしまえば、定めの門も門番も意味を失ってしまうと書いてありますね。これは唯識という事なのではないか。実は私もはっきりとは分からないんです。分かれば、こんな「書き換え」なんて姑息なことをしないで、きちんと論理的に書きますよ。カフカだって、分からないから小説にしたのではないでしょうか。ところで、1930年に、アインシュタインとインドの詩人タゴールが非常に印象的な対話を交わしています。それをご紹介します。

タゴール:「この世界は人間の世界です。世界についての科学理論も、所詮は科学者の観方にすぎません。」
アインシュタイン:「しかし、真理は人間と無関係に存在するものではないでしょうか?例えば、私が見ていなくても月は確かにあるのです。」
タゴール:「それはその通りです。しかし月は、あなたの意識になくても、他人の意識にはあるのです。人間の意識の中にしか月は存在しない事に変わりません。」
アインシュタイン:「私は人間を越えた客観性が存在すると信じています。ピタゴラスの定理は、人間の存在とは関係なく存在する真実です。」
タゴール:「しかし、科学は月も無数の原子がえがく現象であることを証明したではありませんか。あの天体に光と闇の神秘を見るのか、それとも無数の原子を見るのか。もし人間の意識が月だと感じなくなれば、それは月ではなくなるのです。」
※ラビントナート・タゴール〔1861-1941〕インドの詩人・思想家。インドの近代化を促し、東西文化の融合に努めた。アジア人初のノーベル文学賞を受賞。ハイゼンベルクに東洋哲学を教えた。
※国家革命P.193抜粋

 この会話はカフカの死の6年後に交わされたものですが、タゴールのような世界観は、東洋には昔からあったのです。

 もう一つ考えられることは、この主人公の男は、キルケゴール、ニーチェ、カミュ、サルトルなど、いわゆる実存主義の思想家とされる人達が模索した人間存在の具現化ではないかということです。ニーチェは「神は死んだ」と言って、キリスト教の一神教を否定しました。この言葉が、西洋近代思想の、世界と人間の関係に関する観念を変えたということは確かでしょう。私も詳しくは分かりませんが、何となく分かるのは、もし旧約聖書に書いてあるように神が人間を作ったのなら、人間は皆兄弟姉妹であるということになる。兄弟姉妹だから、同じ血を分けた者同士であり、その存在を理解し合えるものということになるでしょう。しかし、人間は神が作ったのではなく、たまたま生物学的にここに生まれただけのものであると考えると、兄弟でもなんでもない、お互いに他人のように無関係な存在ということになると思います。この主人公の男が、自分以外には誰一人、定めの門の前に訪ねて来なかったということに気付いたのは、人間が他者とは切り離された存在だという意味ではないでしょうか。もし神がただ一つしか存在せず、ただ一つの世界を作り、そしてそのただ一つの世界の中に人間も作ったのなら、この門の前には、大勢の人が中に入れてくれと言って訪ねてきたのではないでしょうか。

 この話の初めの方に、定めの門の中には広間がいくつもあるということが書いてありますね。これは死後の世界が一つだけあるのではなく、霊魂は輪廻転生を繰り返すという東洋思想の影響かも知れません。輪廻転生の思想はカフカよりずっと前に、ニーチェの思想に取り入れられていますから、カフカがその影響を受けたことは十分考えられます。

 最後になりますが、グスタフ・ヤノーホという人の書いた『カフカとの対話』(筑摩叢書101)という本を読むと、カフカが古代中国の思想に興味を持っていて、沢山の本を読んでいることが分かります。その本の228ページから233ページに書いてあります。カフカが孔子・老子・荘子・列子などを非常に熱心に読んでいることが書かれていますが、その内容をどう受容したかは分かるようには書かれていません。