◎ 超基礎古典文法…高校生・受験生のための古文講座  since 2002.08

   −−−−目次−−−−


   第一章 動詞

$1 活用表の枠組みを憶えよう
$2 四段活用は現代語とほとんど同じ
$3 「接続」という文法用語を理解しよう
$4 「飽く」「足る」「借る」「生く」は、古語では四段活用である
$5 下一段活用は「蹴る」の一語しかない
$6 動詞の活用で一番大切なのは下二段活用
$7 下二段活用を下一段活用と間違えないこと
$8 ア行に活用する語は、「得(う)」一語しかない
$9 ヤ行下二段活用をア行と間違えないこと
$10 ワ行下二段活用をア行と間違えないこと
$11 サ行変格活用の終止形は「す」
$12 複合サ変動詞の見分け方
$13 複合サ変動詞の未然形は間違いやすい
$14 「命ず」「感ず」なども「ザ変」ではなく「サ変」と呼ぶ
$15 上一段活用の連用形は、漢字で書いても平仮名で書いても一文字
$16 ワ行上一段活用をア行と間違えないこと
$17 上二段活用を上一段活用と間違えないこと
$18 ヤ行上二段活用をア行と間違えないこと
$19 まとめ ア行に間違いやすい動詞の全て
$20 語幹が同じ別の動詞「見ゆ・見る・見す」を混同しないこと
$21 語幹が同じ別の動詞「出(い)づ」と「出(いだ)す」を混同しないこと
$22 終止形が同じ「入(い)る」の自動詞・他動詞を混同しないこと
$23 終止形が同じ「伏(ふ)す」の自動詞・他動詞を混同しないこと
$24 古語の連用形は現代語と同じ
$25 ラ行変格活用の終止形は「…り」
$26 「かく」「さ」「しか」「と」の理解確認
$27 「あり」は連体詞・接続詞などの複合語の中に隠れている
$28 「あり」を含む複合語の語源理解
$29 「あり」を含む複合語の注意点
$30 「あり」は形容詞・形容動詞の活用の中に隠れている
$31 「あり」は助動詞「べし」「ず」「まじ」「まほし」「たし」などの活用の中に隠れている
$32 「あり」は、実は、ラ変動詞の語源になっている
$33 「あり」は、実は、ラ変助動詞の語源にもなっている
$34 終止形が「り」で終わる単語はラ変である
$35 ナ行変格活用は「死ぬ」「往ぬ」「ぬ」の三語
$36 カ行変格活用の終止形は「来(く)」
$37 「来たる」は四段活用の動詞であることが多い
$38 終止形が一音節の動詞のすべて
$39 余談 活用形の名称の由来
$40 活用形の用法
$41 余談 動詞の活用の学習に関する問題点

   第二章 形容詞

$42 形容詞の終止形は「し」で終わる
$43 形容詞の連体形は「き」で終わる
$44 形容詞の活用の枠組み(ク活用)
$45 形容詞の活用の枠組み(シク活用)
$46 「ク活用」と「シク活用」
$47 「いみじ」「すさまじ」「らうらうじ」「同じ」はシク活用の形容詞
$48 形容詞の単語認定を間違いやすい例
$49 形容詞の音便

   第三章 形容動詞

$50 形容動詞の活用の枠組み
$51 名詞+断定「なり」と形容動詞の区別の仕方
$52 「…げなり」は形容動詞
$53 「…かなり」は形容動詞

   第四章 助動詞

$54 体験過去の助動詞「
$55 物語の中の「けり」の意味は、伝聞過去が基本
$56 歌の中の「けり」は詠嘆が基本
$57 「なりけり」「にありけり」「にぞありける」「にこそありけれ」の「けり」は発見詠嘆
$58 「あり」の敬語体に付いた「けり」も発見詠嘆
$59 完了・強意の助動詞「
$60 完了・強意の助動詞「
$61 助動詞「つ」「ぬ」の強意用法
$62 存続・完了の助動詞「たり
$63 存続・完了の助動詞「」はサ変動詞の未然形・四段動詞の已然形に付く
$64 なぜ「)」には推量・意志・勧誘・婉曲・仮定の意味があるのか
$65 「ん」と「ぬ」と「む」を混同しないこと
$66 疑問の係助詞「や」+現在推量の助動詞「らむらん)」
$67 疑問詞+現在推量の助動詞「らむ(らん)
$68 疑問の係助詞「や」+過去推量の助動詞「けむけん)」
$69 助動詞「べし」の活用の枠組み
$70 助動詞「べし」は、なぜ「かいすぎとめて」の七つの意味があるのか
$71 打消の助動詞「ず」の活用の枠組み
$72 漢文の「不」の書き下し
$73 「ぬ」と「ぬる」と「ず」を混同しないこと
$74 「じ」は打消推量・打消意志
$75 「まじ」は「べし+打消」
$76 断定の助動詞なり」の活用の枠組み
$77 断定の助動詞「なり」の連用形「に」の認識
$78 もう一つの「たり」…断定の助動詞たり
$79 もう一つの「たり」…形容動詞タリ活用の活用語尾
$80 視覚推定の助動詞「めり」の本来の意味は「見えている」
$81 もう一つの「なり」…伝聞推定の助動詞なり
$82 「aべし」「aめり」「aなり」は、??を??すると理解できる。
$83 受身・自発・可能・尊敬の「」「らる」の見分け方。
$84 余談 「る」「らる」には、なぜ受身・自発・可能・尊敬の四つの意味があるのか
$85 意味・用法の紛らわしい「る」「らる」の見分け方
$85−2 なぜ「れ給ふ」「られ給ふ」は、二重尊敬ではないのか
$86 ラ行活用動詞など+「る」「らる」
$87 完了・存続の「り」の連体形「る」と受身・自発・可能・尊敬の「る」
$88 「せ給ふ」「させ給ふ」「せおはします」「させおはします」は二重尊敬。それ以外の「」「さす」は使役
$89 サ行活用動詞など+「せ給(たま)ふ」「させ給ふ」
$90 使役・尊敬の助動詞「しむ
$91 希望の助動詞「まほし
$92 希望の助動詞「たし
$93 比況の助動詞「ごとし
$94 終止形が「し」「じ」で終わる単語は形容詞型活用である
$95 推量「む」「らむ」「べし」「まし」の根本的な意味を考える
$96 反実仮想の助動詞「まし」は構文の中で理解する

   
第五章 助詞

       格助詞

$101 「の」と「が」は入れ替えよ
$102 同格の「の」は「で」と訳し、その後最初に出てきた連体形準体法の後に「の」の前の名詞を補う
$103 「に」「にて」の訳は「で」
$104 補う助詞は「をにのはが」
$105 主語と述語との間に主格を示す「が」を補う
$106 目的語と動詞の間に格助詞「を」を補う
$107 連体形の準体法の後に、名詞または「の」を補う

       間投助詞

$108 「…を〜み」の語法は「…が〜なので」と訳す

       接続助詞

$109 「已然形+ば」は「ので・ところ・と」
$110 「未然形+ば」は「もし…(た)ならば」
$111 「なくは・なくんば・なくば」「恋しくは・恋しくば」「ずは・ずんば・ずば」について
$112 「ずんば」が仮定を表さない唯一の例、漢文の二重否定「ずんばあらず」
$113 「ど」「ども」の訳は「けれど」「けれども」
$114 「ものの」「ものを」「ものから」も逆接
$115 「未然形+で」の訳は「…ないで・なくて」
$116 接続助詞「て」は、主語の同一性を維持する
$117 接続助詞「ば」「ど」「ども」は、主語の転換に注意

       まとめ

$118 「を」「に」「が」について…格助詞か接続助詞か
$119 「を」「に」「が」について…順接か逆接か単純接続か
$120 「とて」は引用の格助詞「と」+接続助詞「て」。訳は「と…て」

       副助詞

$121 副助詞「だに」の訳は、後を見てから考える
$122 「すら」の訳は、「さえ」
$123 「さへ」の訳は、「その上…までも」
$124 「のみ」は場所をずらして「だけ」「ばかり」と訳す

       係助詞

$125 「ぞ」は強調。連体形で結ぶ
$126 「なむ(なん)」は口語的強調。連体形で結ぶ
$127 疑問の「や」は結びの後に「(の・だろう)か」と訳す。連体形で結ぶ
$128 反語の「やは」は結びの後に「(の・だろう)か、いや、…ない」と訳す。連体形で結ぶ
$129 疑問の「か」は結びの後に「(の・だろう)か」と訳す。連体形で結ぶ
$130 反語の「かは」は結びの後に「(の・だろう)か、いや、…ない」と訳す。連体形で結ぶ
$131 逆説的強調の「こそ」は「は」と訳し、結びの後に逆接接続を加えて訳す。已然形で結ぶ
$132 「こそ」は単なる強調に訳すことも出来る
$133 「こそ」はそのまま「こそ」と訳すこともある
$134 「をば」の訳は「を」または「は」
$135 「もぞ」「もこそ」の訳は「…と困る。…と大変だ」
$136 「ぞ」「や」「か」「こそ」は文末に使われることもある
$137 
「と」+「係助詞」で文が終止・中止している時は、「言ふ+α」を補って解釈する
$138 「形容詞・形容動詞・助動詞の連用形」など+「係助詞」の後には、補助用言「あり+α」を補う
$139 補助動詞「あり」の代わりに「あり」の敬語体を補うこともある
$140 「かく・さ・しか」+「係助詞」の後には、「言ふ+α」または「あり+α」を補う

       終助詞

$141 希望・願望の終助詞「ばや」「なん」「てしがな」「もがな」
$142 禁止の終助詞「な…そ」
$143 その他の終助詞「か」「かな」「な」「は」「よ」
$144 文末の強めの終助詞「かし」
$145 間投助詞「し」、間投助詞+係助詞「しも」は強調

     
第六章 品詞補遺

$146 副詞「え」は打消を伴って可能を表す
$197 「あり」「す」「ものす」「為(な)す」は柔軟に訳す。
$198 黄色い表に、なぜ( )付きの語があるのか
$199 ク語法について


     第七章 敬語

$201 敬語は身分の違いを意識・表現した言葉
$202 尊敬語は「貴人が…する」を表す言葉
$203 謙譲語は「貴人(の前)を・に・で・から…する」を表す言葉
$204 丁寧語は聞き手や読者を貴人と捉え、丁寧に言う言葉
$205 尊敬・謙譲・丁寧のまとめ
$206 敬意の主体は、その敬語を使っている人である
$207 敬語の動詞・補助動詞・助動詞の違い
$208 尊敬・謙譲・丁寧の動詞の復習
$209 その他の注意すべき敬語
$210 二方面に対する敬意(二人の貴人に対する敬意)の表現

211 二方面に対する敬意(二人の貴人に対する敬意)のまとめ
212 「侍り」は本来は謙譲の動詞だった
$213 「候(さぶら・さうら)ふ」も本来は謙譲の動詞だった
$213−2 「侍り」「候ふ」は、なぜ丁寧語としても使われるようになったのか
$214 「聞く」「聞こゆ」「聞こえさす」「聞こす」「聞こしめす」は、混同しないよう注意

     第八章 和歌の修辞法

$301 枕詞のもとの意味
$302 序詞の表現構造
$303 掛詞・縁語の表現構造
$304 掛詞クイズ
$305 掛詞・縁語クイズ


     付録

$990 動詞を連用形で引く『岩波古語辞典』は、最高の古語辞典だ

   −−−−本文−−−−

   第一章 動詞

$1 活用表の枠組みを覚えよ

 活用する語(動詞・形容詞・形容動詞・助動詞)を勉強するには、まず活用の枠組みを覚えましょう。日本語の活用には六つの活用形があり、

 未然形は、ず(打消の助動詞)に続く形
 連用形は、たり(完了の助動詞)・けり(過去の助動詞)・て(接続助詞)に続く形
 終止形は、普通に終止する形
 連体形は、体言、つまりこと・人・時などの名詞に続く形
 已然形は、ど・ども(接続助詞)に続く形
 命令形は、命令するときに言う形

 と憶えます。

$2 四段活用は現代語とほとんど同じ

 古文の中で、出現頻度が高く、現代語とほとんど同じ活用をするのが四段活用です。

○花| |咲く。
○花|が|咲く。

の「咲く」なら、

未 花も|咲?|ず
用 花 |咲
|たり・けり・て
終 花 |咲|。
体 花の|咲|こと・時
已 花は|咲|ど・ども
命 花よ|咲|。

と考えます。すると、自然に、次の活用表が出来ます。

「咲く」(カ行四段)の活用表

     古語          現代語訳
未 花も|咲|ず       花も|咲か|ない
用 花 |咲|たり・けり・て 花が|咲い|ている・た・て
終 花 |咲|。       花が|咲く|。
体 花の|咲|こと・時    花が|咲く|こと・時
已 花は|咲|ど       花は|咲く|けれど
命 花よ|咲|。       花よ|咲け|。

 次に、

○雨| |降る
 雨|が|降る。

「降る」(ラ行四段)の活用表は、

     古語            現代語訳
未 雨は|降|ず       雨は|降ら|ない
用 雨 |降
|たり・けり・て 雨が|降っ|ている・た・て
終 雨は|降
|。       雨は|降る|。
体 雨 |降|こと・時    雨が|降る|こと・時
已 雨は|
|ど       雨は|降る|けれど
命 雨よ|降
|。       雨よ|降れ|。

 「咲く」は活用語尾が「か・き・く・く・け・け」、「降る」は「ら・り・る・る・れ・れ」となっているのが一目で分かるでしょう。前者は、カ行の四段(かきくけこ)に活用しているのでカ行四段活用、後者はラ行の四段(らりるれろ)に活用しているのでラ行四段活用と呼ぶわけです。四段活用の活用語尾は、「a・i・u・u・e・e」と憶えるとよいが、暗記しなくても、その都度、未然形なら「ず」に続く形を考える、…などすれば作ることが出来ます。

$3 「接続」という文法用語を理解しよう

未 花も|咲か|ず
用 花 |咲|たり・けり・て
終 花 ||。
体 花の|咲|こと・時
已 花は|咲|ど
命 花よ|咲|。

 動詞の未然形を知るには、「ず」を付けてみればよい。「咲きず」、「咲くず」、「咲けず」などとは言わず、「咲かず」と言います。これは、「ず」という語の前(縦書きなら上)の語は未然形でなければならないからです。これを、「『ず』の接続は未然形である」と言います。同様に、「連用形を作るには、その語の後ろ(下)に『たり・けり・て』を付けてみればよい」のだから、「たり・けり・て」の接続は連用形です。

 同様に、体言(名詞)の接続は連体形、「ど」「ども」の接続は已然形ということも出来ます。

$4 「飽く」「足る」「借る」「生く」は、古語では四段活用である

○飽くまで自己の信念を貫く。(「飽く(時)まで」という意味だから、連体形)
○平凡な生活に飽きて、(「て」に続いているから連用形)

 「飽く」「飽き」の活用は、「か・き・く・く・け・け」としなければ、九種類の活用タイプの一つに当てはまりません。故に「飽き」は四段活用で、終止形は「飽く」です。現代語では「飽き|ない」、「飽き|ます」、「飽きる|。」…となり、上一段活用ですが、古語では「飽か|ず」、「飽き|たり」、「飽く|。」、「飽く|時」、「飽け|ど」、「飽け|。」と、四段に活用します。

 「飽くまで」のように、連体形の後に意味的に体言(名詞)が省略されている用法を『準体法』と言います。

○舌足らず(「ず」に続いているから未然形)
○今の生活に飽き足らず、(同上)
足る(こと)を知ることが大切だ。(準体法だから連体形)

 古語の「足る」は四段活用です。現代語では「足り|ない」、「足り|ます」、「足りる|。」…となり、上一段活用に変わってしまいました。

○虎の威を借る

 この「借る」は、「狐」という体言に連なっているので連体形です。
 このように、連体形をその名の通り体言に連ねて言う用法を『連体法』と言います。
 現代語では「借り|ない」「借り|ます」「借りる|。」「借りる|時」…と活用し、上一段活用ですが、古語では、「借ら|ず」「借り|けり」「借る|。」「借る|時」「借れ|ど」「借れ」というように、四段活用です。「宿を借りよう。」を古語で言うと、「宿を借りむ。」ではなく、「宿を借らむ。」です。

○死せ| る | 孔明  、生け| る |仲達を走ら |す 。
 死ん|でいる|諸葛孔明が、生き|ている|仲達を退却さ|せる。

 「る」は「仲達」という体言に続いているので連体形、その終止形は、存続の「り」です。受身・自発・可能・尊敬の「る」ではありません。なぜなら、終止形ではなく、連体形だからです。この「り」の接続は已然形なので、「生け」は已然形です。ということは、この「生け」は四段活用だということになります。なぜなら、現代語のように、「生き|ない」「生き|ます」「生きる|。」「生きる|時」「生きれ|ば」「生きよ」と活用させると、已然形の「生け」はどこにもないからです。「生かまほしきは命なりけり」という用例がありますが、「生きたい」を古語で言うと、「生きまほし」ではなく、「生かまほし」です。

$5 下一段活用は「蹴る」の一語しかない

飛ばす。(「蹴り飛ばす」とは言わない)
上がり。(鉄棒の技。「蹴り上がり」とは言わない)
鞠(けまり)。(「蹴り鞠」とは言わない)
○足(あしげ)にする。(「足蹴りにする」とは言わない)
△跳び
蹴り。△石蹴り。(新しい言い方で、古くはこう言わなかった)

 昔、「蹴(け)」という連用形があったのでしょう。その他の用例から、古語の「蹴る」という動詞は次のように活用したことが分かっています。

「蹴る」(カ行下一段)の活用表
は、

未 
 |ず
用 
 |て
終 
ける|。
体 
ける|時
已 
けれ|ど
命 
けよ|。

 語尾変化は「e・e・eる・eる・eれ・eよ」となっています。はみ出した「る・る・れ・よ」を無視して、初めの一字を見ると、「け」だけなので、カ行の下の一段(かきくこ)に渡る活用、つまり『カ行下一段活用』と名づけました。
 下一段活用は「蹴る」の一語しかなく、単語としては重要ではないが、後で出てくる「下二段を下一段に間違えないように。なぜなら、下一段は『蹴る』の一語しかないからだ」と引き合いに出される点が大切です。

$6 動詞の活用で一番大切なのは下二段活用

 動詞の活用の学習で、一番大切なのは下二段活用です。なぜなら、古語で四段活用の次に出現頻度が高いのが下二段活用で、また、四段活用は、実は、勉強しなくても分かるのですが、下二段活用は現代語と活用の仕方が違うので、憶えなくてはならないからです。そこで、分かりやすい例を手がかりにして学習してみましょう。

○天は|  自ら |助くる|者|を|助く 。(福沢諭吉)
 天は|自分自身を|助ける|者|を|助ける。

 「助くる」は「者」に続いているから連体形、「助く」は丸が付いているから終止形です。
「助く」(カ行下二段)の活用表を書くと、

未 助
 |ず
用 助
 |たり
終 助
 |。
体 助
くる|者
已 助
くれ|ど
命 助
けよ|。

 語尾が「け・け・く・くる・くれ・けよ」と活用しています。「る・れ・よ」の部分がはみ出していますが、そこを無視して語尾の始めの文字だけに注目すると、「く」と「け」しかありません。そこで、「カ行の下(この文章は横書きですが、縦書きなら中央と四番目、つまり、下です)の二段(かきくけこ)にわたる活用」という意味で、「カ行下二段活用」と名付けました。
 なぜ「る・れ・よ」を無視して「下二段活用」という名前を付けたのか。高校生・受験生にはどうでもいいことですが、「る・れ・よ」まで含めて説明するような名前は、長くなりすぎるからでしょう。
 下二段活用の活用語尾は、「e・e・u・uる・uれ・eよ」と憶えると何行にでも応用できます。

$7 下二段活用を下一段活用と間違えないこと

 下二段活用は、終止形・連体形・已然形が現代語と違う活用をするので、「e・e・u・uる・uれ・eよ」を暗記しないと、必ず間違えます。その間違いの発見の仕方。現代語の感覚で、

未 助け |ず
用 助け |たり
終 助ける|。
体 助ける|時
已 助けれ|ど
命 助けよ|。

とすると、下一段活用になってしまいます。しかし、古語では下一段活用は、「蹴(け)る」の一語しかない。故にこの活用表は間違い。下二段活用は、終止形・連体形・已然形が現代語とは違うのです。

○ 日  |
出づる|処の天子、書を| 日  |没する処の天子に|致す。(聖徳太子が隋の煬帝に与えた国書・日本書紀)
 太陽が|昇る |国の     |太陽が|沈む 国の   |送る。

○  入(い)る|  |を|図って|出づる|  |を制 す 。(準体法だから連体形)
 金が入る   |こと|を|考えて|出る |こと|を制限する。

○雨に風につけても|
思ひ出づる|ふるさと(連体法だから連体形)
         |思い出す |ふるさと

○禍(わざわひ)|は|口|より|出づ。(終止形)
 禍      |は|口|から|出る。→禍は口から出る言葉が原因になることが多い。

○青   |は|藍  |より|出で |て|、藍よりも青し。(連用形)
 青の染料|は|藍の草|から|作られ|て|、藍よりも青い。

 「出づ」(ダ行下二段)の活用表は、

未 出
 |ず
用 出
 |たり
終 出
 |。
体 出
づる|処
已 出
づれ|ど
命 出
でよ|。

 「る・れ・よ」の部分を無視して、語尾の初めの文字に着目すると、「づ」と「で」しかありません。そこで、「ダ行の下の二段(だぢづでど)にわたる活用」という意味で、「ダ行下二段活用」と呼びます。

求むれ|ど |得  がたき  は、色      になんありける。(「ど」に続くから已然形)
 探し |ても|見つけにくいものは、色香のある美人で! あるなあ。

○やる気のある人求む。(終止形)
○A・B二点間の距離を求めよ。(命令形)
求めよ、さらば与へられむ。(命令形)

「求む」(マ行下二段)の活用表は、

未 求
 |ず
用 求
 |たり
終 求
 |。
体 求
むる|こと
已 求
むれ|ど
命 求
めよ|。

明くる朝 ○その明くる日(下二段活用の連体形)

 終止形は「明く」。「夜が明ける。」を古語で言うと「夜明く。」です。

○師 | |走(は)す
 先生|が|走   る。

 十二月のことをなぜ「師走(しはす)」と言うか。普段はのんびりしている先生も忙しく走り回るので、「師走(は)す。」(師が走る。)と言うのだという話があります。この「走す」は「馳す」とも書き、下二段活用の終止形です。

「馳す」(サ行下二段)の活用表は、

未 馳
 |ず
用 馳
 |たり
終 馳
 |。
体 馳
する|こと
已 馳
すれ|ど
命 馳
せよ|。

○日も暮れよ 鐘も鳴れ 月日は流れ 私は残る (アポリネール・ミラボー橋)

 パリのセーヌ川にかかる「ミラボー橋」を歌った詩のリフレインです。「暮れよ」は下二段活用の命令形で、終止形は「暮る」。「日が暮れる」は古語では「日暮る。」、「日が暮れる頃」は「日の暮るる頃」です。

「暮る」(ラ行下二段)の活用表は、

未 暮
 |ず
用 暮
 |たり
終 暮
 |。
体 暮
るる|こと
已 暮
るれ|ど
命 暮
れよ|。

です。

$8 ア行に活用する語は、「得(う)」一語しかない

○已(や)むを得(え)ず、(「ず」の前にあるから未然形)
○ノーベル賞を得(え)て、(「て」の前にあるから連用形)

○敵を撃滅する  を|
得(う)。(丸が付いているから終止形)
 敵を撃滅することが|出来る 。

○人の信用を得(う)ることなり。(体言の前にあるから連体形)

 「得(う)」(ア行下二段)の活用表は、

未 
 |ず
用 
 |たり
終 
 |。
体 
うる|こと
已 
うれ|ど
命 
えよ|。

 「え・え・う・うる・うれ・えよ」と、ア行下二段に活用しています。
ア行に活用する語は、「得(う)」一語です。これは次のヤ行活用・ワ行活用との関連で重要です。「心(こころ)得(う)」(心得る・理解する)もありますが、これはもちろん「心」と「得(う)」の複合語です。

$9 ヤ行下二段活用をア行と間違えないこと

○煙も
見えず、雲もなく、(「見え」は「ず」の前にあるので、未然形)

 「見え」の活用表を書くと、次のように間違える人が多いです。

未 見え |ず
用 見え |たり
終 見う |。
体 見うる|時
已 見うれ|ど
命 見えよ|。

 未然・連用が「え・え」なので、これを「あいうえお」の「え」と早合点すると、ア行下二段活用になってしまいます。しかし、ア行活用は「得(う)」一語しかないので、これは「やいゆえよ」の「え」です。「見え」はア行ではなく、実は、ヤ行下二段活用で、終止形は「見ゆ」です。「見ゆ」(ヤ行下二段)の活用表は、

未 見
 |ず
用 見
 |たり
終 見
 |。
体 見
ゆる|こと
已 見
ゆれ|ど
命 見
えよ|。

古語にはヤ行、つまり「やいゆえよ」「ヤイユエヨ」があるということを覚えてください。

○敵艦| |
見ゆ 。(終止形)
 敵艦|が|見える。

○遠く|
見ゆる|山(連体形)
 遠く|
見える|山

などと言います。

○刑場の露と消えたり。(連用形)(刑場の露のように消えた。)
○火と   燃えて、(連用形)
○丘を   
越えて、(連用形)
○空腹を  
覚えず。(未然形)(空腹を感じない。)

 これらの語尾の「え」も、ア行ではなくヤ行の「え」ですから、終止形は

○刑場の露と消ゆ
○火と   燃ゆ
○丘を   越ゆ
○空腹を  覚ゆ

となります。「パリ燃ゆ。(パリが燃える。)」などという言葉もあります。

$10 ワ行下二段活用をア行と間違えないこと

「木を植う。」(木を植える。)の「植う」の活用表を書いてください。

未 植え |ず
用 植え |たり
終 植う |。
体 植うる|こと
已 植うれ|ど
命 植えよ|。

 一見パーフェクトに見えるが、これは大間違い。ア行活用は「得」の一語だから。では、どうすれば正解か。
正しい「植う」(ワ行下二段)の活用表は、

未 植
 |ず
用 植
 |たり
終 植
 |。
体 植
うる|こと
已 植
うれ|ど
命 植
ゑよ|。

 古語にはワ行「わゐうゑを・ワヰウヱヲ」があるのです。「植う」はワ行下二段活用。「据う」(据える)「飢う」(飢える)などの「う」もワ行の「う」で、これらもワ行下二段活用です。

$11 サ行変格活用の終止形は「す」

 現代語の「する」という動詞は、古文では「す」と言いました。「練習する。」は「練習す。」、「会見する」は「会見す。」、「飛躍する。」は「飛躍す。」… サ変は「す」と「おはす」の二語しかありませんが、「…す」という複合動詞は沢山あります。

 「練習す」(サ行変格)の活用表
を書いてみましょう。

未 練習
 |ず
用 練習
 |たり
終 練習
 |。
体 練習
する|時
已 練習
すれ|ど
命 練習
せよ|。

 語尾が「せ・し・す・する・すれ・せよ」と活用しています。サ行下二段活用なら「せ・せ・す・する・すれ・せよ」ですが、それとは連用形が違う特殊な活用なので、サ行変格活用と呼んでいます。ここで、複合サ変動詞についてまとめておきましょう。これは古文でも漢文でもきわめて重要です。

$12 複合サ変動詞の見分け方

 複合サ変には色々の種類があるが、T.中国語との複合、U.日本語との複合、の二種類に大別されます。

T.中国語との複合

○熱心に     練習し て、
○しっかり    勉強せよ
○乃木将軍と   会見す 
○万事       休す 。
○意気に      感じ て、(ガッツに感動して、)
○函館支社に転勤を 命ず 。

 このように、漢字の音読みにサ行音(し・す・せ)・ザ行音(じ・ず・ぜ)が付いたものは複合サ変です。漢字の音読みの語は、もともとの日本語ではなく、中国語ですから、これは外国語との複合語です。そういうものは、現代でも、「トレーニングする」「アルバイトする」など、沢山あります。

U.日本語との複合

心し降りよ。(注意して降りろ。)

 上の「心す」のように、日本語の名詞と複合したサ変動詞があります。

○我が子をかなしうす。(「愛(かな)しく+す」がウ音便化したもの)(我が子をいとしく思う。)
○名誉を重んず。(「重く+す」が撥音便化したもの)(名誉を重んじる。)

 上のように、日本語の形容詞連用形と複合したサ変動詞があります。

○花 然(も)えんと|ほつ
 花が咲こ   うと|
している  。

 漢文によく使われる「欲す」も複合サ変です。これは、「望む」という意味の古い動詞「欲(ほ)る」の連用形「ほり」に「す」が複合して「ほりす」となり、さらに促音便化して「ほつす」となったものです。「不欲」は「欲せず」と書き下します。余談ですが、「欲(よく)」は音読み、「欲(ほっ)す」は訓読みです。

○汲めど |尽きせ|ぬ |泉の水。
 汲んでも|尽き |ない|泉の水。

 「尽きす」も「尽く」の連用形「尽き」に「す」が複合したもので、「欲す」と同じ構成の複合サ変です。

○為(な)す・致(いた)す・試(ため)す…四段
○伏(ふ)す(「臥す」とも書く)」…四段・下二段
○馳(は)す・失(う)す…下二段

これらは、漢字の音読みでも日本語との複合でもないので、複合サ変ではありません。

$13 複合サ変動詞の未然形は間違いやすい

○板垣死すとも自由は死せず。
○稚内支社に転勤を命ず

 「死す」「命ず」は終止形、「死せ」は「ず」に続いているので未然形。サ変の「死す」の「し」は音読み、ナ変の「死ぬ」は訓読み。「死」は音と訓がたまたま同じです。漢文で「死」を動詞に読む時は、サ変に読み、ナ変には読みません。「板垣死すとも自由は死せず」は漢文調のキリッとした表現。和文調なら「板垣死ぬとも自由は死なず」となり、女性的な柔らかい感じになります。

○今日も一日勉強せず。
○今日も一日練習せず。
○異変を感ぜず。
○疑わしきは罰せず。

 「勉強せず」「練習せず」という未然形は間違えないが、「感ぜず」「罰せず」の未然形は「感じず」「罰しず」などと間違いやすい。これらは「感じない」「罰しない」という現代語の活用で、古語ではありません。

@知らぬ。存ぜぬ。
A正直に白状せざるを得ず。

「存ぜ」「白状せ」は未然形です。@は平安時代の古典文法なら、「知らず。存ぜず。」が正しいです。

愛さずにはいられない。

 「愛す」は現代語では五段活用とサ変の二通りに使われ、「愛さない」「愛しない」などと言いますが、古語では当然サ変ですから、未然形は「愛せ」、「ず」を付けると「愛せず」です。これは可能動詞ではありません。

$14 「命ず」「感ず」なども「ザ変」ではなく「サ変」と呼ぶ

○網走支社に転勤を命ず
○計画に変更を生(しやう)じたり。
○異常を感ぜず。

 このように複合したときの活用語尾が濁音化しても、「ザ行変格活用」とは呼ばず、「サ行変格活用」と呼びます。これは本来のサ変部分の直前の音が「い」「う」「ん」などの時、単に発音の都合上濁音化しただけで、本質はサ変だからです。

$15 上一段活用の連用形は、漢字で書いても平仮名で書いても一文字

 上一段活用は現代語とほぼ同じなので簡単です。

「見る」(マ行上一段)の活用表


未 
 |ず
用 
 |たり
終 
見る|。
体 
見る|こと
已 
見れ|ど
命 
見よ|。

 語尾変化は「i・i・iる・iる・iれ・iよ」です。「る・る・れ・よ」の部分がはみ出していますが、そこを無視して始めの文字だけに注目すると、「見(み)」しかありません。そこで、「マ行の上(この文章は横書きですが、縦書きなら中央より上)の一段(まむめも)に活用する」という意味で、「マ行上一段活用」と名付けました。ちなみに、上一段活用と下一段活用は、「i」と「e」が入れ替わっています。

 上一段 る・る・れ・
 下一段 る・る・れ・

 上一段動詞には、共通の「形」があるということに注意してください。未然形と連用形を眺めてみましょう。

 「見(み)」「着(き)」「居(ゐ)」「射(い)」「率(ゐ)」「用ゐ」「顧み」

「用ゐ」「顧み」は「持ち+居」「返り+見」の複合語なので例外。それ以外は、漢字で書いても平仮名で書いても一文字という形をしています。次に終止形を眺めてみましょう。

 「見る」「着る」「居(ゐ)る」「射る」「率(ゐ)る」「用ゐる」「顧みる」

「未然形・連用形+る」という形をしています。「上一段活用は、未然形・連用形が漢字で書いても平仮名で書いても一文字で、終止形はそれに「る」をつけた形」という着眼は上二段活用を上一段活用と間違えないために役立ちます。

$16 ワ行・ヤ行上一段活用をア行と間違えないこと

○馬より|降り |居 |て、
 馬から|降りて|座っ|て、
 の「居」の活用表を平仮名で書いてください。

未 い |ず
用 い |て
終 いる|。
体 いる|時
已 いれ|ど
命 いよ|。

 これは間違い。これだとア行上一段活用になるが、ア行活用は「得」(下二段)の一語だから。正解はワ行上一段で、正しい「居る」(ワ行上一段)の活用表は、

未 
 |ず
用 
 |たり
終 
ゐる|。
体 
ゐる|時
已 
ゐれ|ど
命 
ゐよ|。

です。「率る」も平仮名にすると同じで、「ゐる」です。これは現代語では「率(ひき)いる」が使われています。

○弓を射(い)る。

 「射る」も、一見、ア行に見えますが、実は、ヤ行です。これは「弓(ユみ)」「矢(ヤ)」「遣(ヤ)る(こちらから向こうへ行かせる・投げる)」「槍(ヤり)(「遣る」の名詞形)」などと語源が同じと考えられるのです。入試や定期試験には出ません。

$17 上二段活用を上一段活用と間違えないこと

 上二段活用の活用語尾は、「i・i・u・uる・uれ・iよ」です。これは下二段活用の「e・e・u・uる・uれ・eよ」のeをiに置き換えると自動的に出来ます。

 上二段 ・u・uる・uれ・
 下二段 ・u・uる・uれ・

と並べてみると分かりやすいでしょう。ちなみに、上一段活用と下一段活用にも同じ関係があり、iとeが入れ替わっています。

 上一段 る・る・れ・
 下一段 る・る・れ・

 上二段活用も下二段活用と同じで、終止形・連体形・已然形が現代語と違う形なので、「i・i・u・uる・uれ・iよ」を憶えないと、必ず間違えます。その間違いの発見の仕方。

○蝦蟇(がま)は己(おのれ)の醜き姿を恥ぢて、タラーリ;タラリ;と油汗を;…(蝦蟇の油)

 「恥ぢ」は連用形です。この活用表を書く時、現代語の感覚で、

未 恥ぢ |ず
用 恥ぢ |たり
終 恥ぢる|。
体 恥ぢる|こと
已 恥ぢれ|ど
命 恥ぢよ|。

とすると、上一段活用になってしまいます。しかし、連用形の「恥ぢ」は、「上一段活用の未然形・連用形は、漢字で書いても平仮名で書いても一文字」という着眼点に反します。故にこの活用表は間違い。正しい活用は、

「恥づ」(ダ行上二段)の活用表

未 恥
 |ず
用 恥
 |たり
終 恥
 |。
体 恥
づる|こと
已 恥
づれ|ど
命 恥
ぢよ|。

です。下二段と同じように「る・れ・よ」の部分がはみ出していますが、そこを無視して語尾の始めの文字だけに注目すると、「ぢ」と「づ」しかありません。そこで、「ダ行の上(この文章は横書きですが、縦書きなら二番目と中央、つまり、上です)の二段(だぢづでど)にわたる活用」という意味で、「ダ行上二段活用」と名付けました。

$18 ヤ行上二段活用をア行と間違えないこと

○恩に報いて、(恩にお返しをして、)
○仇に報いて、(仇に仕返しをして、)

の「報い」は連用形です。この活用表を書いてください。

未 報い |ず
用 報い |たり
終 報う |。
体 報うる|時
已 報うれ|ど
命 報いよ|。

 これは間違い。未然・連用が「い・い」なので、うっかり「い・い・う・うる・うれ・いよ」とすると、ア行上二段活用になってしまいます。しかし、ア行活用は「得(う)」一語しかないから、間違い。「報い」はヤ行上二段活用です。正しい活用は、

「報ゆ」(ヤ行上二段)の活用表

未 報
 |ず
用 報
 |たり
終 報
 |。
体 報
ゆる|こと
已 報
ゆれ|ど
命 報
いよ|。

終止形を使うと、

○恩に報ゆ。(恩に対してお返しをする。恩返しをする。)
○仇に報ゆ。(仇に対してお返しをする。仕返しをする。)

と言います。

○罪を悔いたり。
○年 老いて、

これらの活用も、ア行ではなくヤ行上二段ですから、終止形を使うと、

○罪を悔ゆ
○年 老ゆ

となります。

$19 まとめ ア行に間違いやすい動詞の全て

 古文では、「ア行」の他に「ヤ行」「ワ行」の正確な知識が必要です。小学校で習わなかったので、この機会に覚えましょう。「ゐ・ゑ・ヰ・ヱ」などの字も書けるようにしてください。

 あお アイウエ
 やよ ヤ
 わゐゑを ワヰヱヲ

特に、次の点に気をつけてください。

「い・え」は、「ア行のい・え」と「ヤ行のい・え」がある。
「う」は、「ア行の」と「ワ行の」がある。

動詞の活用では、次のような間違いが多いです。

 見え消え燃え越え覚えの終止形 ◎見ゆ ・消ゆ ・燃ゆ ・越ゆ ・覚ゆ
                    ×見う ・消う ・燃う ・越う ・覚う (ア行だから間違い)
                    ×見える・消える・燃える・越える・覚える(現代語だから間違い)
                連体形 ◎見ゆる
消ゆる燃ゆる越ゆる覚ゆる
                    ×見うる・消うる・燃うる・越うる・覚うる(ア行だから間違い)
                    ×見える・消える・燃える・越える・覚える(現代語だから間違い)
                已然形 ◎見ゆれ消ゆれ燃ゆれ越ゆれ覚ゆれ
                    ×見うれ・消うれ・燃うれ・越うれ・覚うれ(ア行だから間違い)
                    ×見えれ・消えれ・燃えれ・越えれ・覚えれ(現代語だから間違い)

 植う・据う・飢うの未然形・連用形 ◎植ゑ ・据ゑ ・飢ゑ
                  ×植え ・据え ・飢え (ア行だから間違い)
              命令形 ◎
植ゑよ据ゑよ飢ゑよ
                  ×植えよ・据えよ・飢えよ(ア行だから間違い)

 居る・率るの読み ◎ゐる
          ×いる(ア行だから間違い)

 射るの活用の種類 ◎行上一段活用(試験には出ない)
          ×ア行上一段活用

 老い・悔い・報いの終止形 ◎老ゆ ・悔ゆ ・報ゆ
              ×老う ・悔う ・報う (ア行だから間違い)
              ×老いる・悔いる・報いる(現代語だから間違い)
          連体形 ◎老ゆる悔ゆる報ゆる
              ×老うる・悔うる・報うる(ア行だから間違い)
              ×老いる・悔いる・報いる(現代語だから間違い)
          已然形 ◎老ゆれ悔ゆれ報ゆれ
              ×老うれ・悔うれ・報うれ(ア行だから間違い)
              ×老いれ・悔いれ・報いれ(現代語だから間違い)

$20 語幹が同じ別の動詞「見ゆ・見る・見す」を混同しないこと

○煙も見えず、雲もなく、

 の「見え」の活用表を書く時、

未 見え |ず
用 見せ |て・たり
終 見る |。
  ・・・・

 というように間違える人がいます。これは「見」という語幹が同じ「見ゆ」「見る」「見す」を混同したのです。こういう人は、短文の中で動詞の活用を考えてください。

「見ゆ」(ヤ行下二段)の活用表

     古語       現代語訳
未 煙も| |ず  煙も|見え |ない
用 煙も| |たり 煙も|見え |た
終 煙 | |。  煙が|見える|。
体 煙の|ゆる|時  煙の|見える|時
已 煙も|
ゆれ|ば  煙も|見える|ので
命 煙よ|
えよ|。  煙よ|見えろ|。
    
「見る」(マ行上一段)の活用表

     古語       現代語訳
未 煙を| |ず   煙を|見 |ない
用 煙を| |たり  煙を|見 |た
終 煙を|見る|。   煙を|見る|。
体 煙を|見る|時   煙を|見る|時
已 煙を|見れ|ば   煙を|見る|ので
命 煙を|見よ|。   煙を|見ろ|。
    
「見す」(サ行下二段)の活用表

     古語       現代語訳
未 姿を| |ず  姿を|見せ |ない
用 姿を|
 |たり 姿を|見せ |た
終 姿を| |。  姿を|見せる|。
体 姿を|
する|時  姿を|見せる|時
已 姿を|すれ|ば  姿を|見せる|ので
命 姿を|せよ|。  姿を|見せろ|。
    
 「見ゆ」「見る」「見す」は、現代語の「見える」「見る」「見せる」に対応します。この三単語の違いを、「自動詞」「他動詞」「使役動詞」などと説明することもありますが、便宜的な用語と考えてください。同様の例は、他にも、聞こゆ(自動詞)⇔聞く(他動詞)、落つ(自動詞)⇔落とす(他動詞)、起く(自動詞)⇔起こす(他動詞)などがあります。

$21 語幹が同じ別の動詞「出(い)づ」と「出(いだ)す」を混同しないこと

○港をいづる船。
○港より船をいだす

 「出(い)づ」と「出(いだ)す」は両方とも古語特有語で混同しやすい上に、送り仮名も難しいです。

「出(い)づ」(ダ行下二段)の活用表

     古語         現代語訳
未 港を|
 |ず   港を|出 |ない
用 港を|
 |たり  港を|出 |た
終 港を| |。   港を|出る|。
体 港を|
づる|船   港を|出る|船
已 港を|
づれ|ども  港を|出る|けれども
命 港を|
でよ|。   港を|出ろ|。
    
「出(いだ)す」(サ行四段)の活用表

        古語            現代語訳
未 港より船を|いだ|ず   港から船を|出さ|ない
用 港より船を|
いだ|たり  港から船を|出し|た
終 港より船を|
いだ|。   港から船を|出す|。
体 港より船を|
いだ|時   港から船を|出す|時
已 港より船を|
いだ|ば   港から船を|出す|ので
命 港より船を|
いだ|。   港から船を|出せ|。
       

$22 終止形が同じ「入(い)る」の自動詞・他動詞を混同しないこと

○港にいる船。
○港に船をいる。

 「いる」は語幹も活用の行も同じなので、終止形が同じになり、これも紛らわしいです。

「入(い)る」(ラ行四段)の活用表

     古語        現代語訳
未 港に||ず   港に|入ら|ない
用 港に|
|たり  港に|入っ|た
終 港に|
|。   港に|入る|。
体 港に|
|船   港に|入る|船
已 港に|
|ども  港に|入る|けれども
命 港に|
|。   港に|入れ|。

「入(い)る」(ラ行下二段)の活用表

       古語           現代語訳
未 港に船を| |ず   港に船を|入れ |ない
用 港に船を| |たり  港に船を|入れ |た
終 港に船を| |。   港に船を|入れる|。
体 港に船を|
るる|時   港に船を|入れる|時
已 港に船を|るれ|ば   港に船を|入れた|ので
命 港に船を|れよ|。   港に船を|入れろ|。

$23 終止形が同じ「伏(ふ)す」の自動詞・他動詞を混同しないこと

○野に伏(ふ)し、木の実を食らひ、(「臥し」とも書く)

 の「伏し」の活用表を次のように書くと間違いです。なぜ間違いなのでしょう。

未 ふせ |ず
用 ふし |て・たり
終 ふす |。
体 ふする|時
已 ふすれ|ども
命 ふせよ|。
 (×サ行変格)

 「伏(ふ)す」は自動詞(四段活用:横たわる・うつぶす・寝る)と他動詞(下二段活用:横たえる・倒す・潜ませる)があります。自動詞は現代語では五段なのですが、下一段との混同が起きており、分かりにくいのです。また、「伏(ふ)す」の「ふ」は音読みではなく、訓読みなので、漢字の音読みにサ行・ザ行音が付いたものは複合サ変という規則は適用できません。

「伏(ふ)す」(サ行四段)の活用表

     古語       現代語訳
未 野に||ず  野に|横たわら|ない
用 野に|
|たり 野に|横たわっ|た
終 野に||。  野に|横たわる|。
体 野に|
|時  野に|横たわる|時
已 野に||ど  野に|横たわる|ので
命 野に||。  野に|横たわれ|。

 犬に対して、「伏せ」と命令する言葉がありますが、「伏す」(四段)の命令形ですね。

「伏(ふ)す」((サ行下二段)の活用表

       古語          現代語訳
未 見張りを| |ず  見張りを|潜ませ |ない
用 見張りを| |たり 見張りを|潜ませ |た
終 見張りを| |。  見張りを|潜ませる|。
体 見張りを|
する|時  見張りを|潜ませる|時
已 見張りを|
すれ|ば  見張りを|潜ませた|ので
命 見張りを|せよ|。  見張りを|潜ませろ|。
      
 同様の例は、立つ(他動詞・下二段)⇔立つ(自動詞・四段)、生く(他動詞・下二段)⇔生く(自動詞・四段)などがあります。

$24 古語の連用形は現代語と同じ

 古語の活用の学習の一つのコツは、全ての自立語の活用語(動詞・形容詞・形容動詞)において、連用形は現代語と同じ語感で「けり」「たり」「て」の付く形を考えればよいということです。ただし、ワ行活用、つまりワ行下二段ワ行上一段下一段活用は例外です。念のため、復習してみましょう。

動詞
   四段  ◎花|咲き|けり ◎飽き|て ◎借り|て ◎足り|て ◎生き|て
   上一段 ◎花を|見|たり
 ワ行上一段 「馬より降り|い|て」ではなく、「降り||て」が正しい。
       「兵を率(い)て」ではなく、「兵をて」が正しい。
   下一段 「蹴り|たり」ではなく、「|たり」が正しい。
   上二段 ◎岬を|過ぎ|て
   下二段 ◎助け|たり ◎求め|けり ◎夜|明け|て 月も|出で|たり ◎賞を|得|て
 ヤ行下二段 ◎見え|たり ◎消え|たり ◎越え|たり ◎覚え|たり
 ワ行下二段 「木を|植え|たり」ではなく、「植ゑ|たり」が正しい。
       「人々は|飢え|て」ではなく、「飢ゑ|て」が正しい。
       「花瓶を|据え|たり」ではなく、「据ゑ|たり」が正しい。
   カ変  ◎帰り|来|て
   サ変  ◎練習し|けり ◎感じ|たり
   ラ変  ◎男|あり|けり
   ナ変  ◎死に|たり
形容詞
   ク活用 ◎白く|なる ◎白かり|けり
  シク活用 ◎美しく|なる ◎美しかり|けり
形容動詞
  ナリ活用 ◎静かに|する ◎静かなり|けり
  タリ活用 ◎堂々と|して ◎堂々たり|けり

$25 ラ行変格活用の終止形は「…り」

@栄冠   涙 あり
 栄冠の陰に涙がある。

A異常 あり
 異常がある。

B特別昇給 あり
 特別昇給がある。

Cあいつは 問題 あり      だ。
 あいつは『問題がある。』という奴だ。

D     わけ あり  の  仲 。
 「何か深い事情がある。」という間柄。

 ラ変の活用の注意点は、終止形だけです。終止形が「ある」なら、ラ行四段活用になってしまいますが、古語の終止形は、「あり」。上のように、現代語にも沢山残っています。

$26 「かく」「さ」「しか」「と」の理解確認

 「かく」「さ」「しか」「と」は、英語の so や such のように、漠然とある状態を指し示す副詞で、『指示副詞』と言います。重要単語なので、意味を確認しておきましょう。

○講演の内容は、
かくかくしかじか|だった。
        
こう
こうそうそう

かく|し|て、ローマは|滅亡せ|り。
 
こう|し|て、ローマは|滅亡し|た。

しか|し|て、ローマは|滅亡せ|り。
 
そう|し|て、ローマは|滅亡し|た。

 |ほど寒くは|あら|ず。
 
それ     | な い。

 |に |あら|ず。
 
そう|では| な い。

 |ながら|戦場|の ごとき  |情景なり。
 その|まま |  |と言ってもよい|情景だ 。

     |かく    |この世は住みにくい。
 
ああだったり|こうだったり|

○彼を| |かく|批判する人がいる。
   |ああこう

 |に|も|かく|に|も、金がほしい。
 
ああ|で|も|こう|で|も、

 | も|かく|  |急いで行こう。
 ああ|でも|
こう|でも|

 |に| |かく|   、飯を食おう。
 ああ|で|も|こう|で|も、

○月  は漏れ       雨は溜まれ     と |
 |に|かく|に 
 月の光は漏れ入ってほしい、雨は漏れないでほしいと、|あれ| |これ|と考えて、

○賤(しづ)が 軒端   を|葺き     ぞ|わづらふ
 貧しい我が家の軒端の屋根を|張り直すかどうか|悩むことだ。

$27 「あり」は連体詞・接続詞などの複合語の中に隠れている

○古語 か か る|異常事態に直面し、わが社は…
 語源 かく|ある
    こう|いう|

○古語     さ   ら  ば |、地球よ。
 語源     さ |あら| ば |
    もし|そうで|ある|ならば|、

○古語  さ   れ   ど|我らが日々。
 語源  さ |あれ|  ど|
    そうで|ある|けれど|

○古語  さ   り げ  なく|監視せよ。
 語源  さ |
あり|げ |なく|
    そうで|ある|気配|なく|

○古語 虎       以つて|然(しか) り|と|為す 。(狐借虎威・戦国策)
 語源            |  しか|
あり
    虎は狐の言うこと を | そ う だ |と|思った。

○古語    し か る|べき |人に頼み|たし。
 語源    しか|ある|べき |
    当然|そう|ある|はずの|人に頼み|たい。

○古語 降伏か、しか   ら|ずん|  ば|死か。
 語源     しか |あら|ずん|  ば|
        そうで| な い |ならば|

○古語 と   ま れ    かく  ま れ   、とく|破(や)り| て  |む。(土佐日記・帰京)
       ┌─────┐    ┌─────┐
 語源 と |も|あれ |↓ かく|も|あれ |↓、
    ああ| |あって|も、こう| |
あって|も、
    と  も       かく        、早く|破り捨て |てしまお|う。

 「あり」はこのように指示副詞「かく」「さ」「しか」についてさまざまな複合語を作っています。これらは語源の形に戻して理解すると、意味がよく分かります。

$28 「あり」を含む複合語の語源理解

 指示副詞|あり|続く語
     |あら|しむ・ず・ずは・で・ぬ・ば・む・ん
  かく |あり|ながら・ぬべし
  さ  |あり|。・とて・とは・とも・や
  しか |ある|名詞・から・に・は・べし・まじ・まま・を
     |あれ|ど・ども・ば
     |あれ|。

 上の三種類の語、つまり「指示副詞+あり+続く語」が組み合わさって複合語を作ります。『岩波古語辞典』でその全てを引いてみると、次のようになります。赤字は大学受験程度の範囲で必要なものです。

かかり(動詞・ラ変)・かかる(連体詞)

さらず(連語)・さらずとも・さらずは・さらで(連語)・さらぬ(連体詞)・さらぬ顔(がほ)・さらぬだに・さらぬ体(てい)・さらば(接続詞)・さらんには(連語)・さり(動詞・ラ変)・さりとて(接続詞)・さりとは(副詞)・さりとも(接続詞・副詞)・さりながら(接続詞・副詞)・さりぬべし(連語)・さりや(感動詞)・さる(連体詞)・さるあひだ(連語)・さる上は(接続詞)・さるから(接続詞)・さるに(接続詞)・さるにても・さるにより・さるは(接続詞)・さるべき(連語)・さるほどに(接続詞)・さるまじ(連語)・さるまへは(接続詞)・さるままには(連語)・さるもの(名詞)・さるものにて(接続詞)・さるやう・されど(接続詞)・されども(接続詞)・されば(接続詞)

しかあれど(接続詞)・しかあれば(接続詞)・しからしむ(動詞下二段)・しからば(接続詞)・しかり(動詞・ラ変)・しかるに(接続詞)・しかるべし(形容詞ク活用)・しかるべくは・しかるを(連語・接続詞)・しかれども(接続詞)・しかれば(接続詞)

 品詞の区別にこだわる必要はありません。また、無理に暗記する必要もありません。「かかり」←「かくあり」というように語源に戻して理解すれば、意味は自然に分かるようになります。

$29 「あり」を含む複合語の注意点

T.「さらば」と「されば」

○古語 われに支点を与へよ、さ    ら   ば  地球をも動かさむ。(アルキメデス)
 語源          |さ  |あら  ば
                    |もし
             |そうで|ある|ならば(仮定条件)

○古語 腹が減った。さ    れ ば 食事の用意をせよ。
 語源       さ  あれ
          そうで|ある|ので→だから(確定条件)

 未然形に付いた「ば」は仮定条件、已然形に付いた「ば」は確定条件を表すので、「さらば」と「されば」はまったく違う意味になります。「しからば」と「しかれば」の違いも同じです。

U.「しからば」と「しかれば」

○古語 しからば(そうであるならば・それなら)、返答はいかに。
○古語 しかれば(そうであるので・だから)、返答はあらざりき(なかった)。

V.「さる」

○古語 敵も|さ   る|者 、 引っ掻く者   。
 語源   |さ |ある|者 、
      |そう|ある|者 、
    敵も|それなりの|者で、抵抗をする者だった。

 「さるもの」は、「相当なもの・たいしたもの」という意味です。「さる」と「猿」が掛詞、「猿」と「引っ掻く」が縁語になっています。

W.「さるは」

@ 同宿しながら互いに気にしていた。→

@古語 さ  る   は 、かの世と共に恋ひ泣く右近なりけり。(源氏物語・玉蔓)
 語源 さ|
ある| |は 、
    それ  |が|まあ、あの長い間玉蔓を探して泣いていた右近だった。

A 中垣こそあるけれど、一つの家のように親しかったので、隣家から望んで私の家を預かったのですよ。→

A古語  さ るは    、便り   ごとにものは絶えず得させたり。(土佐日記・二月十六日)
 語源 さ|
あるは    、
    そ う は言っても、機会があるごとにお礼は絶えずあげてあるのだ。

 「さるは」は、@「それがまあ、それが実は」(順接的)と、A「そうは言っても」(逆説的)と二つの訳し方があります。「さあるは」という語源を踏まえて、前後の文脈に合うように訳してください。

$30 「あり」は形容詞・形容動詞の活用の中に隠れている

○古語 鼻は|高 か ら|ず、|低 か ら|ず。(「高し」「低し」の未然形)
 語源   |高く|あら|  |低く|あら

○古語 良 か ら|ぬことだ。(「良し」の未然形)
 語源 良く|あら

○古語 少な か ら|ず驚いた。(「少なし」の未然形)
 語源 少なく|あら

○古語 色男金と力は|な か り|けり。(「なし」の連用形)
 語源       |なく|あり

○古語 良 か れ|あし か れ、(「良し」「あし」の命令形)
 語源 良く|あれ|あしく|あれ

○古語 良 か れ|と思ってしてあげたのに、(「良し」の命令形)
 語源 良く|あれ

○古語 汝(なんぢ)、殺すこと|な か れ。(「なし」の命令形)
               |なく|あれ

○古語 心の内、何となく|穏やか な ら|ず。(形容動詞「穏やかなり」の未然形)
 語源         |穏やかに|あら|ず。

○古語 静か な る|生活。(形容動詞「静かなり」の連体形)
 語源 静かに|ある

 「あり」は、このように形容詞や形容動詞の連用形について一体化し、『ラ変型活用』と呼ばれるものを作っています。これも、語源の形に戻して理解すると、意味がよく分かります。詳しくは、黄色い表の「形容詞の活用」、「形容動詞の活用」を見てください。

$31 「あり」は助動詞「べし」「ず」「まじ」「まほし」「たし」などの活用の中に隠れている

○古語 汝(なんぢ)、盗む|べ か ら|ず。
 語源          |べく|あら

○古語 見| ざ る|言は| ざ る|聞か| ざ る。
 語源  |ず|ある|  |ず|ある|  |ず|ある

 「あり」は、このように助動詞の連用形「べく」(終止形は「べし」)・「ず」(終止形も「ず」)などのについて一体化し、『ラ変型活用』と呼ばれるものを作っています。これも、語源の形に戻して理解すると、意味がよく分かります。

$32 「あり」は、実は、ラ変動詞の語源になっている

○古語 戸口に|   を   り。
 語源    | 居(ゐ)|あり
       |じっとして|いる。

○古語 ここに|侍(はべ)    り。
 語源    |這ひ     |あり
       |這いつくばって|いる。⇒貴人のお側に控えている

○古語  い ま す  が      り。
 語源  い ま す|処(か)| |あり
    いらっしゃる| 所  |が|ある。⇒いらっしゃる

 ラ変動詞は「あり」の他に「をり」「侍り」「いますがり」「いまそがり」などがありますが、それらは皆、語源に「あり」を含んでいます。だから当然、ラ変に活用するのです。「いまそがり」は「いますがり」の転です。

$33 「あり」は、実は、ラ変助動詞の語源にもなっている

 存続の「たり」「り」、視覚推定の「めり」、聴覚推定(伝聞・推定)の「なり」、伝聞過去の「けり」、断定の「なり」「たり」などの助動詞も、それぞれ次のように語源に「あり」を含んでいると言われます。そう考えると、これらの意味がよく理解できると同時に、活用のタイプがラ変である理由も理解できます。

T。存続の「たり」

○古語 花 咲き| た り。
○語源     |て|あり
    花が咲い|て いる。

 語源を考えると、本来の意味が完了ではなく存続であることがよく分かります。

U.存続の「り」

○古語 彼は狂せ|  り。(終止形・方丈記)
○語源   狂し| あり。
      狂っ|ている。

○古語 白く咲け|  る|花。(連体形)
○語源   咲き| ある|花。
      咲い|ている|花。

 「り」は、本来はサ変・四段の連用形「狂し」「咲き」に「あり」が付いた「狂しあり」「咲きあり」が、「狂せり」「咲けり」となったものです。「狂せ」「咲け」は、たまたまサ変の未然形・四段の已然形と同じなので、文法の教科書では、「サ変の未然形・四段の已然形に接続する」と説明しています。

V.視覚推定の「めり」

○古語 雨 降る  | め  り。
○語源       |見え|あり
    雨が降るのが|見えている。

W.聴覚推定・伝聞推定の「なり」

○古語 雨 降る| な    り。
○語源     |音(ね)|あり
    雨が降る|音がある・する。

X.伝聞過去の「けり」

○古語 昔、男 あり|け      り。
○語源       |き  |  あり
    昔、男がい |たという話がある。

Y.断定の「なり」

○古語 我は人間| な り。
○語源     |に|あり
    私は人間|で ある。

Z.断定の「たり」

○古語 男|  た   る|者。(断定)
○語源  |と |あ  る|者。
    男|として存在する|者。

$34 終止形が「り」で終わる単語はラ変である

 終止形が「り」で終わる言葉についてまとめてみましょう。

@「あり」「をり」「はべり」などのラ変動詞
A「静かなり」などの形容動詞
B「けり」「たり(存続・完了)」「り」「めり」「なり(断定)」「たり(断定)」「なり(伝聞推定)」などのラ変助動詞
C形容詞のラ変型活用も、実は、理論的には「り」で終わる終止形があるのです。現に「多かり」は形容詞なのに例外的に「り」で終わる終止形を持っています。

 これが、終止形が「り」で終わる単語のすべてです。これらはすべて「あり」を語源に持っている、だからこそラ変に活用するのです。

$35 ナ行変格活用は「死ぬ」「往ぬ」「ぬ」の三語

「死ぬ」(ナ行変格)の活用表

       古語          現代語訳
未 老兵は |死 |ず  老兵は |死な |ない
用 老兵は | |たり 老兵は |死ん |た
終 老兵も | |。  老兵も |死ぬ |。
体 老兵の |死ぬる|時  老兵が |死ぬ |時
已 老兵は |ぬれ|ば  老兵は |死んだ|ので
命 老兵よ、|
 |。  老兵よ、|死ぬ |。

 ナ変動詞は「死ぬ」「往(い)ぬ」(「去ぬ」とも書く)の二語、それに完了の助動詞「ぬ」を加えてナ変は三語と覚えてください。「死ぬ」も「ぬ」も、語源は「往ぬ」らしいですが、それより、次の点に注意してください。

○完了の助動詞「ぬ」の訳はもちろん「…てしまう・てしまった・た」。
○「死ぬ」の訳は「死ぬ」ではなく、「死んでしまう・死んでしまった」の方が多い。
○「往ぬ」の訳は「行く」ではなく、「行ってしまう・行ってしまった」の方が多い。

$36 カ行変格活用の終止形は「来(く)」

「来(く)」(カ行変格)の活用表

      古語            現代語訳
未 人は |   |ず   人は  |来 |ない
用 人  |   |たり  人が  |来 |た
終 人  |   |。   人が  |来る|。
体 人の |くる  |時   人が  |来る|時
已 人は |くれ  |ども  人は  |来た|けれども
命 こちへ|
)|。   こっちへ|来い|。


 カ変については、終止形が「来る」ではなく、「来(く)」である点だけに注意してください。「人が来る。」を古文で言うと、「人来(ひとく)。」です。その他の活用形は現代語と同じです。
 「詣で来(まうでく)」「出で来(いでく)」「訪ね来(たづねく)」などの複合動詞もカ変です。

$37 「来たる」は四段活用の動詞であることが多い

 カ変に関連して、もう一つ重要なこと。

@    来たる  |何月何日、石原慎太郎都知事| |来たる  。
 これから
やって来る|何月何日、石原新太郎都知事|が|やって来る

A春 過ぎて 夏| | 来たる |  らし   白妙の衣ほしたり天の香具山(万葉集・持統天皇)
 春が過ぎて、夏|が|
やって来る|ことが分かる。…

 この「たる」は存続・完了の助動詞ではありません。なぜなら、「今、来ている何月何日、石原新太郎都知事が、今、来ている。」と訳したのではおかしいでしょう。@Aとも、「来たる」は一語の四段活用の動詞で、「やって来る」という意味です。語源は「来至る」だと言われています。「来たる」という四段活用の動詞があることを覚えてください。ただし、まれに、カ変「来」+完了「たり」の場合がありますが、これは文脈で分かります。


$38 終止形が一音節の動詞のすべて

 「す」   …サ行変格
 「来(く)」…カ行変格
 「得(う)」…ア行下二段
 「経(ふ)」…ハ行下二段
 「寝(ぬ)」…ナ行下二段

 学問的には他にもありますが、この五つで十分。また、この五つはとても重要です。

$39 余談 活用形の名称の由来

 これは試験には出ませんが、大切な知識を含んでいます。活用形の名前は、どうして付けられたか。

@人々に月の歌を詠ます(人々に月の歌を詠ませる)→使役の助動詞「す」に連なるから、連す形・使役形。下二段などは「さす」が付くから、「連さす形」。
A死なばもろとも→「もし死ぬならば一緒に」だから→連ば形・仮定形。
B老兵は死なず→「ず」に連なるから、連ず形・打消形・不然形・未然形

 「詠ま」「死な」という形は、上のようにいろいろな使い方があるが、Bを代表に選び、「未然形」とした。「未然」は漢文で、「未(いま)だ然(しか)らず」(まだそうでない)という意味です。「不然形」だってよかったのでしょう。「不然」は「然らず」(そうでない)です。「打消形」は、助動詞の意味・用法の「打消」と混同しやすいから避けたのかも。

C練習しけり→「けり」に連なるから→連けり形。
D失敗したり→「たり」に連なるから→連たり形。
E沈みて →「て」に連なるから→連て形。
F走り、跳び、泳ぎ、投げ、… →「、」に連なるから→連点形。
G飛び回る・飛び歩く・飛び跳ねる→「回る・歩く・跳ねる」などの用言に連なるから→用言形・連用形

 CDEFのように考えると、その他にも「つ」「ぬ」など沢山の語が付き、きりがない。そこでG「連用形」にした。別にこの用法が一番多いという訳ではないが、何か名前を付けなければならないから付けたのだろう。

H我、奇襲に成功す。→文が終止するから→終止形。基本的な形だから→基本形。

 実際、「基本形」という言葉を使っている教科書もありますが、本当に基本的な形かどうかは大いに疑問だし、そもそも「基本的な形」の定義とは何かを考えるとよく分かりません。

I練習をぞする→「ぞ」の結びになっているから→「ぞ」の結び形。
J練習をするなり→断定の「なり」に連なるから→連なり形。伝聞推定の「なり」が付けば「すなり」で、紛らわしい。
K練習をすること→体言に連なるから→連体形
L勉強をする(すること)は楽し→体言の代わりをしているから→体言形・準体言形。

 K「連体形」が一番スマートなので、その名前にしたのかも。

M春来れど→「ど」は逆接だから→連ど形・逆接形。連ども形でもよい。
N春来れば→「ば」は順接確定条件を表すから→連ば形・確定条件形・確定形・順接形。
O反省こそすれ→「こそ」の結びになっているから→「こそ」の結び形。

 MNの「来れ」は、「既に来た」という意味を表し、それに逆接の語が付いてM「春が来たけれど」、順接の語が付いてN「春が来たので」となるのです。そこで、已然形(已(すで)に然り(すでにそうなっている)を表す形)と名づけた。

P勉強せよ。→命令しているから→命令形

$40 活用形の用法

 前節に述べた活用形の名称の由来そのものは、入試や定期試験には出ませんが、大切な文法の知識を含んでいます。それは、各活用形が、どのような使われ方をするか、ということです。特に次の使われ方は教科書にも書かれていて、読解に役立ちます。

Aの「死な」は、「もし死んだならば」という順接・仮定の意味で次の文節に続いていくので、「未然形+ば」は「順接・仮定条件」を表すと言う。

Fの「走り跳び泳ぎ投げ、…」のように、読点を付けていったん文を中止して次の文節に続けてゆく語法を、連用形の「中止法」と言う。

Kの「練習することは楽し」のように、連体形の後に体言を続ける用法を、連体形の「連体修飾法」または「連体法」と言う。

Lの「練習するは楽し」は連体形を「練習すること」という体言の代わりに使っているので、連体形の「準体言法」または「準体法」と呼ぶ。

 この「準体法」という用語はきわめて重要です。簡単に言うと、連体形の後に体言が省略されている用法が「準体法」です。「練習するは楽し」は、現代語では「練習することは楽しい」「練習するのは楽しい」などと言います。「連体形の後に適当な名詞または『の』を補うとうまく訳せることが多い」ということです。(青い表の11を参照)

Nの「春来れ」は、古文では、「春が来たら」という仮定の意味ではなく、「既に春が来たので」と、事実が確定した意味で順接で次の文節に続いていくので、「已然形+ば」は「順接・確定条件」を表すと言う。

 AとNは対照的な知識で、要するに、接続助詞「ば」は、未然形に付けば仮定条件を表し、已然形に付けば確定条件を表すと理解してください。(青い表の14,15を参照)


$41 余談 動詞の活用の学習に関する問題点

 動詞の活用は高校生の古文学習の最初の難関です。活用の種類は、四段活用、下二段活用など9種類あり、さらに「…行〜活用」のように分ければ100種類以上になるでしょう。そして、「傍線部の動詞の活用の種類を答えよ」というような問題は、古文の定期試験には必ず出題されます。しかもこの活用の種類の名称とその意味、語幹と語尾の区別などは、高校生には非常に理解しにくいのです。そこで、高校生向きに出来るだけ分かりやすくまとめておこうと思って書き始めたのですが、書いているうちにその範囲を越えてしまい、国語の先生方や古典文法、口語文法の教科書の著者などに対する問題提起のような文章になってしまいました。
なお、この論文では「活用語尾」と「語尾」とは同じ意味で用いられています。

 四段活用

 まず、「花咲く。」の「咲く」、「雨降る。」の「降る」という動詞の活用表を書いてみます。

「咲く」の活用表       「降る」の活用表

未 花も|咲|ず       雨は|降
|ず
用 花 |咲|たり・けり   雨 |降|たり・けり
終 花 |咲|。       雨は|降|。
体 花の|咲|こと・時    雨 |降
|こと・時
已 花は|咲|ど       雨は|降|ど
命 花よ|咲|。       雨よ|降|。

 「咲く」は語尾が「かきくくけけ」と変化しているから「カ行の四段に渡る活用」という意味で「カ行四段活用」、「降る」は語尾が「らりるるれれ」と変化しているから「ラ行の四段に渡る活用」という意味で「ラ行四段活用」と名付けました。私は「四段活用」より「あいううええ活用」の方が正確だと思うが。

 ラ行変格活用

 次に「肺に異常あり。」、「ここに幸(さち)あり。」などと言う「あり」の活用表を書いてみます。

「あり」の活用表

未 肺に異常は  |あ
|ず
用 肺に異常   |あ
|けり・て
終 肺に異常   |あ
|。
体 肺に異常の  |あ
|こと・時
已 肺に異常は  |あ
|ど
命 二人の前途に幸|あ
|。


 これは語尾が「らりりるれれ」と活用しているから「四段に渡る活用」には違いないが、終止形の語尾が「る」なら「降る」の活用と同じで「四段」になるが、「らりりるれれ」では四段活用と呼ぶ訳にいかない。それなら「第二四段活用」でも「らりりるれれ活用」でもよいはずだが、この活用は「あり・をり・はべり」などの「ラ行活用」にしか見られない。そこで「ラ行だけにある変わった活用」という意味で「ラ行変格活用」と名付けました。「変格」というのは、別に「変な活用」という意味ではなく、「その行にしかない、変わった活用」という程度の意味です。

 下二段活用・上二段活用


 次に「天は自ら助くる者を助く。(福沢諭吉が著書『学問ノススメ』で紹介した西洋の格言)」の「助く」、「罪を恥づ」の「恥づ」の活用表を書いてみます。

「助く」の活用表    「恥づ」の活用表

未 人を|助
 |ず   罪を|恥 |ず
用 人を|助
 |たり  罪を|恥 |たり
終 人を|助
 |。   罪を|恥 |。
体 人を|助
くる|者   罪を|恥づる|こと
已 人を|助
くれ|ど   罪を|恥づれ|ど
命 人を|助
けよ|。   罪を|恥ぢよ|。

 「助く」の活用語尾の縦の行を右から見て行くと、右端の連体・已然・命令の行に「る・れ・よ」がはみ出しています。このはみ出しを無視してその左の縦の行を見ると、「け・け・く・く・く・け」というように、「かきくけこ」の「く」と「け」がある。活用の種類の名前を考えた人は、この「く」と「け」に着目しました。つまり「かきくけこ」を縦書きにすると「く」が真ん中で、「け」はその下だから、「カ行の下の二段に渡る活用」という意味で「カ行下二段活用」と名付けた。余計なことだが、私は「カ行ウエ段活用」の方がより正確だと思うが。そこで次のような質問があります。

質問一 四段活用やラ行変格活用以外の活用の種類では、「る・れ・よ」とか「る・る・れ・よ」などが各活用形の右端にはみ出している。これは何なのか。

 これを説明すると学校文法の枠を遥かに超えてしまい、また、分かっていない点も多いのですが、大雑把に言うと、語尾が一つ付いてできた活用形と、二つ付いてできた活用形があるらしいのです。それは、大野晋著『日本語の文法を考える』(岩波新書)の中の『動詞活用形の起源』の章に書いてあるのですが、ごく簡単に紹介しましょう。

 1.連用形は語幹に「い」という名詞が付いて一体化し、それが語尾になった。「助く」を例に挙げると、その語幹は「助か」であったと推定される。これに「い」が付いて「助かい」(助kai)となり、「ai」が「e」という一つの母音に変化し、「助け」となった。「い」は「こと」という意味の古い日本語で、「助け」は「助けること」という意味になる。つまり連用形は名詞形である。それは「助けを求める。」という時の「助け」が名詞であることからも分かる。

 2.命令形は連用形に「あ・お・よ」などの感動詞が付いて一体化し、それが第二の語尾になった。「助く」なら、その連用形・名詞形の「助け」に「よ」が付いて「助けよ」になった。名詞に感動の「よ」を付けると命令することになる。それは、「猛勉強することよ!」「猛勉強よ!」などというと「猛勉強しろ」という意味になることからも分かる。

 3.終止形は、語幹に「う」という言葉が付いて一体化し、それが語尾になった。「助く」なら、その語幹「助か」に「う」が付いて「助kau」となり、「a」が脱落して「助く」となった。「う」は「座り続ける・その動作が続く」という意味の古い日本語である。「天は自ら助くる者を助く。」とは、「天は自ら助け続ける者を助け続ける」という意味である。しかし、もともと「存在し続ける」という意味を持つ「あり・をり・はべり」(ラ変)は、連用形がそのまま終止形として使われた。

 4.連体形は、下二段活用の場合は、終止形に「る」という助詞が付いて一体化し、それが第二の語尾になった。「助く」なら、その終止形に「る」が付いて「助くる」となった。「る」は「の」という意味の古い日本語である。外国人が、「私、あなたを助けるの人…」などと言うことがあり、これは「あなたを助ける人」という意味だが、それと似ている。

 5.未然形・已然形についても同じようなことが起きたのだろうが、具体的なことはまだ分からない。

 以上は、大野氏の説のごく一部を、非常に簡略化して紹介しただけなので、詳しく知りたい人は本を読んで下さい。断わっておくが、この本の紹介に関することは、試験には出しません。
 
 以上が質問一とそのですが、これは高校生は全部は理解する必要はありません。要するにいろいろな歴史的過程があって、「(る)・る・れ・よ」の付いた語尾が出来たらしいということさえ分かってくれればよい。

質問二 また、なぜ「る・れ・よ」を無視して活用の種類の名前を付けたのか。

 本当は「下二段+○・○・○・る・れ・よ活用」と言えば正確かも知れないが、簡潔に省略したと考えてもよいでしょう。

 「恥づ」もまったく同じ理屈で「ダ行上二段活用」と命名されました。くどいようだが、これも「ダ行イウ段活用」の方がよいと思いますが。

 サ行変格活用・カ行変格活用・ナ行変格活用

 次に「練習す。」の「す」、「人来(く)。」(人が来る。)の「来(く)」、「死ぬ」について考えてみます。

 「練習す」の活用表  「来(く)」の活用表  「死ぬ」の活用表

未 練習
 |ず    人は|  |ず     死 |ず
用 練習
 |たり   人 |  |たり    死 |たり
終 練習
 |。    人 |  |。     死 |。
体 練習
する|時    人の|く る |時     死ぬる|時
已 練習
すれ|ど    人は|く れ |ども    死ぬれ|ども
命 練習
せよ|。    海へ|()|。     死 |。

 「練習す」は、縦の行の右端に「る・れ・よ」がはみ出しているが、これを無視してその左の行を見ると、「し・す・せ」と変化しているから、「サ行中(なか)三段活用」「サ行イウエ段活用」などでもいいのだろうが、この活用の仕方は「す」「おはす」などサ行活用の語にしかないので「サ行にしかない変わった活用」という意味で「サ行変格活用」と呼ぶことにした。これは「ラ行変格活用」でもそうだった。また、同じ理由で、「来(く)」はカ行変格活用、「死ぬ」は「ナ行変格活用」と名付けられた。ここで、次のような質問がよく出ます。

質問三 「す」も「来(く)」も「語幹と活用語尾の区別がない」、あるいは「語幹と活用語尾の区別が付かない」などと古典文法の教科書に書いてあるが、その意味が分からない。「す」は活用形の一文字目が「し・す・せ」と変わっているし、「来」も「き・く・こ」と変わっている。これらの動詞は「語幹がない」つまり「語尾だけ」の動詞ではないのか。

 この質問に対しても学校文法の範囲を超えなくてはならないが、一つの答としては、これは「語幹と活用語尾の区別が、平仮名では表記できない」という説明があり得ます。平仮名は「あいうえお」(母音)・「ん」(子音)以外は「子音+母音」を一つの文字で表記するので、日本語の音素を表記することが出来ない。日本語は平仮名が作られるはるか以前から話されていたので、日本語の活用を音韻として分析するには、子音と母音を区別出来るローマ字や発音記号の方が適している場合があるのです。そこで、上の三つの動詞の活用表を、必要なところだけローマ字に直して書いてみましょう。さらに参考のため、四段活用の「咲く」の活用表も同様に書いてみましょう。

「練習す」(サ変)    「来(く)」(カ変)   「死ぬ」(ナ変)  「咲く」(カ行四段)

未 練習 |ず    人は|k  |ず    死n |ず     咲k|ず
用 練習 |て    人 |k  |て    死n |たり    咲k|たり
終 練習 |。    人 |k  |。    死n |。     咲k|。
体 練習uる|時    人の|ku る 時    死nuる|時     咲k|時
已 練習uれ|ど    人は|u れど    死nuれ|ど     咲k|ど
命 練習eよ|。    海へ|k(
)|。    死ne 。     咲k|。

 「す」の語幹は実は子音の「」で、活用語尾が「uるuれeよ」と変化していることがよく分かります。「サ行変格活用」とは、音素にまで分解して考えれば「sを語幹とする変格活用」なのです。しかし平仮名の次元で考えれば、本当の語幹の「s」は一見ないように見えるが、実は活用形の一文字目の「せ・し・す」の中に隠れている。また、語尾も、実は各活用形から語頭の子音「s」を取り除いたuるuれeよ」であり、これは「せ・し・す・する・すれ・せよ」という平仮名の中に隠れていて見えないのだ。語幹も見えない、また、どこから後ろが語尾であるかも見えない。だから、「語幹と語尾が区別できない」と説明されるのだ。「来」も同様です。

質問四 それは分かった。しかしそれなら、「死ぬ」や「咲く」についても同じなのではないか。「死ぬ」は「死n」が語幹で「a・i・u・uる・uれ・e」が語尾、「咲く」は「咲k」が語幹で「a・i・u・u・e・e」が語尾ということになる。それなら、それらだってやはり、「語幹と語尾の区別が、平仮名では表記できない」、つまり語幹と語尾の区別が付かない」と言わなければならないのではないか。このように音素にまで分解して語幹と語尾を定義するなら、すべての動詞が、平仮名では語幹と語尾が区別できないということになるのではないか。そもそも、語幹と語尾の区別は平仮名で考えるのか、ローマ字で考えるのか、どちらが原則なのか。

 その質問はもっともだと思います。こんな質問をする生徒がいたら、大声で「いい質問だ!」と言うでしょう。言語学的研究なら別ですが、学校文法では、日本語の文法は日本の文字で説明することを原則とする方がよいと私は思うし、文法の教科書も、全体としてはそうなっています。動詞の語幹と語尾の区別も、「死ぬ」は「し」が語幹で「ぬ」が語尾、「咲く」は「さ」が語幹で「く」が語尾であるというように定義すれば大部分の動詞は語幹・語尾は平仮名で明確に区別でき、また、学習上何の不便もない。しかし、それができない動詞が幾つかある。そういう場合に限って平仮名とは別の音素(ローマ字)という基準を持ち出し、「語幹と語尾の区別がない」などと説明すれば、生徒は何が何だか分からなくなる。これは二重基準を用いて生徒の頭を無用に混乱させる悪法、いや、悪文法と言わざるを得ない。いや、「音素で分析すれば区別出来るが、平仮名では区別できない」とはっきり書いてあれば、まだ良心的と言えるが、それも書いていない。しかしそれを書けば、質問三のような疑問が出て、あらゆる動詞の語幹・語尾の説明にローマ字を使わざるを得なくなるかも知れない。

 そもそも教科書の中で、どういう動詞が「語幹と語尾が区別できない」と教えられているか、全部調べてみると、次のようなものです。

 上一段の動詞のすべて(複合動詞は除く)、下一段の動詞(「蹴る」の一語)、下二段の「得(う)」「経(ふ)」「寝(ぬ)」、変格活用の「来(く)」と「す」です。説明の都合上、上一段と下一段は後回しにして、それ以外の動詞の活用表を平仮名とローマ字で書いて考えてみましょう。

  得       経              来          す

未 
      へ  f    ね      こ   k     せ  s
用 
      へ  f    ね   e      k     し  s
終 
      ふ  f    ぬ      く   k     す  s
体 
うる uる   ふる fuる   ぬる  uる  くる  kuる    する suる
已 うれ uれ   ふれ fuれ   ぬれ  uれ  くれ  kuれ    すれ suれ
命 
えよ eよ   へよ feよ   ねよ  eよ  こ() k()   せよ seよ

 これらの動詞に共通する特徴は何でしょうか。それは、どの動詞もそれらの活用形の中に一音節(平仮名一文字)の語形を持っているということです。反対に、一音節の語形を持っている動詞にはすべて「語幹と語尾が区別が付かない」という説明がされています。考えてみれば、平仮名一文字の動詞が語幹と語尾に分けることが出来ないのは当り前でしょう。例えば「寝」の終止形の「ぬ」は一文字なのだから、その
左半分(縦書きなら上半分)が語幹で右半分(縦書きなら下半分)が語尾だなどとは言えないのです。

 これに関連して、特に「得(う)」については「語幹と語尾の区別が付かない」という教科書の記述は明らかに間違いであることを指摘しておきましょう。上の活用表の「得」を、それ以外の四つの動詞と比較して下さい。「得」以外の動詞は子音の語幹を音素として持っているが、平仮名では見えないので「語幹と語尾の区別がない」と説明せざるを得ない、というか、説明することも出来る。しかし、「得」は子音の語幹がありません。「得」は、平仮名で見てももちろん、また、音素によって分析してさえも、六つの活用形に共通する要素は影も形もない。だから、これに「語幹と語尾の区別がない」という説明を付ける理由はまったくない。「得」は「語尾だけの動詞」であるとしか説明できないのです。これは「得」がア行活用で、一文字目の「う」と「え」が母音だからです。こういう動詞は古語では「得」の一語です。もちろん、「心得」は「心」が語幹、「う」が語尾と考えられます。

 さらに、音素で分析すれば子音の語幹を持つ「経」「寝」「来」「す」も、平仮名で素直に考えれば「語幹と語尾の区別がない」ではなく「語尾だけしかない」という方が分かりやすいでしょう。なぜなら、これらすべても一文字目に複数の平仮名が使われている、つまり一文字目から活用しているとしか見えないからです。

質問五 例えば「寝」の終止形の「ぬ」は語幹と語尾の区別が付かないのは一応承知したとしても、「語幹も語尾もない」のではなく「区別が付かない」だけだから、語幹と語尾の要素はどこかにあるのだろう。ところで、連体形の「ぬる」を見ると、「ぬ」の後に「る」が付いている。それなら、この「る」は語尾ではないのか。なぜなら一文字目の「ぬ」が語尾の要素を持っている以上、その後ろにある「る」が語幹の要素を持っていることはありえないからだ。そうなると、上の五つの動詞は、未然・連用・終止形は別としても、少なくとも連体・已然・命令形の「る・れ・よ」は語尾なのではないか。それとも、終止形の「ぬ」と連体形の「ぬる」の一文字目の「ぬ」とは別のものなのか。それなら、どういうふうに別のものなのか。

 ウーム;;…。教科書では、『寝』という動詞は一つの動詞としてその活用は語幹と語尾の区別がないということになっているから、そういうことは考えない方がいい;;…。
 
 なぜこんな変なことになるのか。それは多分、動詞には語幹と語尾がなければならず、語尾だけの動詞があるということは認めたくないという観念があるからではないでしょうか。

質問六 「語幹と語尾の区別が付かない」という言葉は、音素によれば区別出来るが平仮名では区別できないという意味であるなら、なぜそのことが教科書に書いてないのか。もっと別の意味があるのではないか。

答 「平仮名一文字の語形を含む動詞は、音素に関係なく、語幹と語尾の区別を考えることが出来ない。なぜなら、一つの平仮名を二つに分けて考えるということ自体が無意味なことだからだ。」という意味だと考えれば、「得」も語幹と語尾の区別が付かない動詞の部類に入れることが出来る。それは他の四つの動詞も、上一段、下一段の動詞も同じである。

質問七 それならいっそ、すべての動詞に関して、語幹と語尾の区別をせず、単に語形があり、それが活用するだけだと説明すれば明快になるのではないか。

 語幹・語尾の概念がないとすると、不便なことも沢山生じるだろうし…。実際、語幹・語尾の区別は曖昧にしたまま授業をしている先生も多いと思います。「区別がない」「区別が付かない」という表現の用例を集めて検討することも考えたが、生産的な結論は出そうにもないので、やめました。いづれにしても「語幹と語尾の区別が付かない」という言葉はいろいろな意味に解釈できるように作られた逃げ腰の説明であり、教師にとっても分かりにくく、教えにくいものです。

質問八 では、どうしたら「二重基準」を使わない、分かりやすい教え方が出来るのか。

 教科書から「語幹と語尾の区別がない」という記述を追放して、「語尾だけの動詞である」に替えることです。そう記述すると、頭がなく尾だけの生物があるようでおかしいと感じるかも知れないが、これは生物学上の概念ではなく、言語の性質に関する比喩的名称なので、別に変なことはない。比喩がおかしいというなら「語幹」と「語尾」を一対にするのだっておかしい。「幹」は植物の比喩であり、「尾」は動物の比喩だからです。語尾とは動詞の変化する部分であると考えれば、語全体がある一つの規則に従って変化しているなら、変化しない部分がなくても、それは活用であると言えるでしょう。「得」は「え・え・う・うる・うれ・えよ」と変化し、「寝」は「ね・ね・ぬ・ぬる・ぬれ・ねよ」と変化し、両方とも語幹はない。それでもこれらは下二段活用の規則に従って活用していると説明できるのです。

 上一段活用

「見る」の活用表@  「見る」の活用表A  「咲く」(四段活用)の活用表

未 花を|
 |ず    花を|み |ず    花は|さ|ず
用 花を|
 |たり   花を|み |たり   花 |さ|たり
終 花を|
みる|。    花を|み|。    花 |さ|。
体 花を|
みる|こと   花を|み|こと   花の|さ|頃
已 花を|
みれ|ど    花を|み|ど    花は|さ|ども
命 花を|
みよ|。    花を|み|。    花よ|さ|。

 活用表@で、今まで名前を付けた理屈をそのまま応用し、活用語尾の縦の行を右から見て行くと、右端に「る・る・れ・よ」がはみ出している。これを無視してその左の行を見ると、「見る」は「み」しかない。「まみむめも」を縦に書くと「み」は真ん中より上だから、「マ行の上の一段に渡る活用」という意味で「マ行上一段活用」とした。また余計なことだが、私は「マ行イ段活用」の方が本当はよいと思う。ここで当然次のような質問が出ると思います。

質問九 四段活用の「咲く」では左の縦の行の「さ」が語幹で右の「か・き・く・く・け・け」」が語尾である。それなら、「見る」も「活用表A」のように「み」が語幹で「る・る・れ・よ」が語尾なのではないか。なぜ変化しない「み」が語幹ではないのか。語幹だけの活用形があってはいけないのか。いけないなら未然・連用形の語尾は○としておけばよいではないか。

 語幹とは、一つの動詞の各活用形の中で見ると、変わっていない部分を指す言葉である。カ行四段の「咲く」なら、「さ」が語幹である。しかし、他のカ行四段動詞である「聞く」「置く」「敷く」などを考えると、語幹には「き」「お」「し」など色々な音が使われてもよい。しかし、今「上一段活用」と呼ばれている「着る・見る・干る・煮る・似る…」の一文字目は「き・み・ひ・に・に…」)で、すべてイ段音に限定されている。それは、それらが活用語尾だからだ。なぜなら、活用とは、言葉がある規則をもって変化することだからだ。四段活用の語尾「か・き・く・く・け・け」や下二段活用の語尾「け・け・く・くる・くれ・けよ」が規則を持った変化なら、「み・み・みる・みる・みれ・みよ」だって規則を持った変化なのだ。

質問十 また、「二段活用」は理解できるが、「一段活用」は「一段に活用する」という意味であり、その「一段」とは「み」のことだから、「み」だけの活用ということになり、つまり活用しないものを「活用」と呼んでいることにならないか。

 「一段に活用する」とは、例えば「見る」なら、全部の活用形が「み」だという意味ではなく、「み・み・みる・みる・みれ・みよ」と変化するという意味です。既に述べたが、本当は「上一段+○・○・る・る・れ・よ活用」と言えば正確かも知れないが、省略したと考えてもよいでしょう。

質問十一 教科書には「上一段活用の動詞には語幹と語尾の区別がない」と書いてあり、意味が分からないが、これは質問九・十の問題と関係があるのか。

 これは既に説明したように、例えば「見る」は未然形、連用形が一音節の「み」なので、平仮名では語幹と語尾が区別できないという意味で、質問九・十とは別の問題です。平仮名で考えれば、
上一段活用も、語幹がない、語尾だけの活用と考える方が分かりやすいです。


質問十二 「顧(かへり)みる」、「慮(おもん)みる」などのような複合語は「かへり」「おもん」が語幹で「みる」が語尾だというが、すると「見る」は別の言葉の後に着くと語尾だということになる。これは「見る」は語幹と語尾の区別が付かないという説明と矛盾するのではないか。

 こういう疑問も、「見る」は語尾だけの動詞だと考えれば解決します。

 下一段活用

 次のような質問があるでしょう。

質問十三 たった一語しかない、カ行にしかない活用なのだから、「カ行下一段活用」ではなく「カ行第二変格活用」と呼んだ方がいいのではないか。

 「蹴る」の活用を「下一段活用」と呼ぶのは、その活用の様子が、「上一段活用」と似た構造を持っているからです。「鞠(まり)を蹴(け)る」の「蹴る」の活用表を「上一段活用」の「着る」「似る」と比較してみましょう。

「蹴る」の活用表   「着る」の活用表   「似る」の活用表

未 鞠を|
 |ず   着物を| |ず   親に| |ず
用 鞠を|
 |て   着物を| |て   親に| |て
終 鞠を|
ける|。   着物を|きる|。   親に|にる|。
体 鞠を|
ける|時   着物を|きる|時   親に|にる|こと
已 鞠を|
けれ|ど   着物を|きれ|ど   親に|にれ|ど
命 鞠を|
けよ|。   着物を|きよ|。
   親に|によ|。

 「蹴る」も「着る」も「似る」も、右にはみ出した「る・る・れ・よ」の部分は同じ。その左の縦の行は、「蹴る」は全部「け」、「着る」は全部「き」、「似る」は全部「に」です。つまり「着る」「似る」を「一段活用」と定義した以上、「蹴る」もやはり一段活用の仲間であり、変格活用(仲間はずれの、変わり者の活用)ではないのです。ただし、「着る」「似る」は「上一段活用」(イ段活用)、「蹴る」は「下一段活用」(エ段活用)です。更に分類すれば、「着る」は「カ行上一段活用」、「似る」は「ナ行上一段活用」、「蹴る」は「カ行下一段活用」です。また、「蹴る」も語尾しかない動詞であるということは、「上一段」の所で説明した論理とまったく同じです。古語では「下一段活用」は一語しかありませんが、現代語には沢山あります。この「上一段」と「下一段」の構造の類似は「上二段」と「下二段」の間にも成り立ちます。下二段活用の活用語尾「え・え・う・うる・うれ・えよ」の「え」を「い」に入れ替えると、「い・い・う・うる・うれ・いよ」となり、これは上二段活用の語尾変化です。

 最後に、現代語の「居る」(ア行上一段)と、「得る」(ア行下一段)についても触れておきましょう。「射る」、「鋳る」なども「居る」と同じです。

  「居(い)る」(現代語)  得(え)る(現代語)

未 部屋に| |ない      金賞を| |ない
用 
部屋に| |た       金賞を| |た
終 部屋に|いる|。       金賞を|える
体 部屋に|いる|時       金賞を|
える|こと
仮 部屋に|いれ|ば       金賞を|えれ|ば
命 部屋に|いろ|。       金賞を|えろ|。

 これらも語尾だけの動詞で、「居る」の「い」、「得る」の「え」は語幹ではありません。また、「心得る」は「心」が語幹、「える」が語尾です。

 終わりに

 以上、実際の授業の経験を踏まえて、動詞の活用に関する生徒の疑問に答える形式で論を展開しましたが、実はこの小論は古文の教え方についての私の持論の展開でもあります。私の問題意識は常に、現場の教師としていかに生徒に分かりやすく教えるかという点にあります。この視点から、私は既に「動詞を連用形で引く『岩波古語辞典』を、高校生に!」という小論を『成蹊論叢41号 2004.3.10』に発表し、古語辞典のあり方について、科学的、論理的に考察しました。本稿と併せて先生方に検討していただければ幸いです。なお、この小論は『山戸朋盟のホームページ』の中の『超基礎古典文法』の一部です。

 
    第二章 形容詞

$42 形容詞の終止形は「し」で終わる


○帯に    |短し|たすきに    |長し
 帯にするには|短い|たすきにするには|長い。

○出来上がりの|良し悪し|を調べる。
       |良い|悪い|

○異常 |なし
 異常が|ない。

○関門海峡 波 |高し
 関門海峡は波が|高い。

○種 |なし|    |葡萄
 種が|ない|そういう|葡萄

 形容詞の終止形は、現代語では「い」で終わるが、古語では「し」で終わる。現代語の「雪は白い。」は古語では「雪は白し。」、「火は赤い。」は「火は赤し。」、「野は広い。」は「野は広し。」、「花は美しい。」は「花は美し。」、「ふるさとはなつかしい。」は「ふるさとはなつかし。」です。

$43 形容詞の連体形は「き」で終わる

短き|夏、長き|冬。
 短い|夏、長い|冬。

良き|友、悪しき|仲間。
 良い
|友、悪い |仲間。

○異常 |なき|こと。
 異常が|ない|こと。

○波 |高き|関門海峡。
 波が|高い|関門海峡。

○家 |なき|子。
 家の|ない|子。

 形容詞の連体形は、現代語では「い」で終わるが、古語では「き」で終わる。現代語の「白い雪」は古語では「白き雪」、「赤い火」は「赤き火」、「広い野」は「広き野」、「美しい花」は「美しき花」、「なつかしいふるさと」は「なつかしきふるさと」です。

 |を挫(くじ)き、弱き |を助く 。
 強い者|を やっつけ 、弱い者|を助ける。

 上の「強き」「弱き」は、「強き者」「弱き者」という体言に準じて使われている。つまり、連体形の準体言法(準体法)です。

$44 形容詞の活用の枠組み(ク活用)

 形容詞の活用を勉強するコツは、基本型活用とラ変型活用に分けて理解することです。形容詞は、本来、連用・終止・連体・已然の四つの活用形しかありませんでした。「白し」なら、

用 白く |なる
終 白し |。
体 白き |雪
已 白けれ|ど

 こんな単純なものです。しかし、もっと複雑な表現、例えば、白いことを打消す表現をどうするか。それは、「白く|あら|ず」と三単語で言っていたのですが、それが「白から|ず」に短縮された。形が変わってしまった言葉を、語源に戻して文法的説明をするわけにはいかないので、「白から」は、「ず」に続いているから、「白し」の未然形と説明することになる。
 
 同様に、過去を表現する「白く|あり|けり」が「白かり|けり」になった。「白かり」は連用形ということになる。同様に、「白く|ある|べし」が「白かる|べし」で「白かる」は連体形。また、ものの状態に対して命令する形も出来た。花に対して、「白く|あれ」と命令する。これは短縮されて「白かれ」という一語の命令形になった。人間に対して「走れ」と命令すれば相手は走るが、花に対して「白かれ」と命令しても簡単に白くはならないので、形容詞の命令形は実際にはあまり使われません。以上を表にまとめると、

未 白く|あら|ず    →
白から|ず
  白く|あら|ない    白く |ない

用 白く|あり|けり   →白かり|けり
  白く|あっ|た     白かっ|た

終 ○

体 白く|ある| べ し →白かる| べ し
  白く|ある|に違いない 白い |に違いない

已 ○

命 白く|あれ|。    →白かれ|。
  白く|あれ|。     白かれ|。

 初めは左のように言っていたのでしょうが、やがて短縮されて右のような言葉ができた。これがラ変型活用です。考えてみると、現代語の「白かった」も、「白くあった」が短縮されたのです。「彼の若かりし日の写真」などと言いますが、これも「若くありし日」が短縮されたものです。

 余談ですが、命令形でよく使われる言葉を挙げておきましょう。

○幸(さち)
多かれ。○汝(なんぢ)、殺すことなかれ。○「命長かれ」と祈る。○「よかれ」と思ってしてあげたのに…

 基本型活用とラ変型活用を一つの表にまとめると、次のようになります。連用形と連体形がそれぞれ二つあるのが特徴です。未然形の(白く)については、後述します。

  形容詞ク活用の活用表

  基本型       ラ変型
未 (白
)|ば    白から|ず
用  白
 |なる   白かり|けり
終  白
 |。    ○  |
体  白
 |雪    白かる|べし
已  白
けれ|ど    ○  |
命  ○  |     白かれ|。

$45 形容詞の活用の枠組み(シク活用)

 前項と同じように「美し」を活用させて見ましょう。まず基本型活用、

用 美しく |なる
終 美し  |。
体 美しき |花
已 美しけれ|ど

 次にラ変型活用の生成、

未 美しく|あら|ず    →
美しから|ず
  美しく|あら|ない    美しく |ない

用 美しく|あり|けり   →美しかり|けり
  美しく|あっ|た     美しかっ|た

終 ○

体 美しく|ある| べ し →美しかる| べ し
  美しく|ある|に違いない 美しい |に違いない

已 ○

命 美しく|あれ|。    →美しかれ|。
  美しく|あれ|。     美しかれ|。

 初めは左のように言っていたのでしょうが、やがて短縮されて右のような言葉ができた。

 基本型活用とラ変型活用を一つの表にまとめると、次のようになります。連用形と連体形がそれぞれ二つあります。未然形の(美しく)については、後述します。

  形容詞シク活用の活用表

   基本型      ラ変型
未 (美
しく)|ば   美しから|ず
用  美
しく |なる  美しかり|けり
終  美
  |。   ○   |
体  美
しき |花   美しかる|べし
已  美
しけれ|ど   ○   |
命  ○   |    美
しかれ|。

$46 「ク活用」と「シク活用」

 「白し」と「美し」の基本型活用を比べてみましょう。

用 白
 |なる  美しく |なる
終 白し |。   美し  |。
体 白き |花   美しき |花
已 白けれ|ど   美しけれ|ど

 二つの語の活用のタイプは、明らかに違います。そこで、この二つを区別するため、連用形の活用語尾に着目して、「白し」の方を「ク活用」、「美し」の方を「シク活用」と呼んでいます。「ク・シク」は片仮名で書きます。

 この二つの活用タイプの区別が出来ないと、どういう間違いが起きるか。もし「美し」の活用が「白し」と同じ「ク活用」と誤解すると、終止形は「美しし」になってしまう。現代語「白い」は古語では「白し」だから、現代語「美しい」は古語では「美しし」だろう、というふうに間違える。そういう風に間違えないで下さい。

$47 「いみじ」「すさまじ」「らうらうじ」「同じ」はシク活用の形容詞

○小泉首相は|いみじく |感動して、「感動した!」と叫んだ。(朝日新聞)
      |ものすごく|

すさまじき|もの、三四月の紅梅の衣(枕草子)
 不調和な |

○夜深くうちいでたる(ほととぎすの)声の|らうらうじう|愛敬づき| たる  、(枕草子)
                    |洗練されて |魅力的 |であるのは、

○心 |は|
同じけれ|  ど、言葉は変はるなり。(俊頼髄脳)
 意味|は|同じだ |けれど、言葉は違う のだ。

 「いみじく」の終止形は「いみじし」ではなく「いみじ」、同様に、「すさまじき」の終止形は「すさまじ」、「らうらうじう」の終止形は「らうらうじ」。「同じけれ」の終止形は「同じ」。語尾が「…じし」となる形容詞は、ありません。

 「同じ」という形容詞の連体形は「同じき」だけでなく、「同じ」という形も使われますが、これは形容詞としては例外です。

 連用形が「…じく」の形になる形容詞も、「ジク活用」ではなく、「シク活用」と呼びます。前に書いたことの確認ですが、

○意気に
 感ず
○花を
 御覧ずれば、
○一計を
 案じて、

 複合サ変で、語尾が濁音化しても、「ザ行変格活用」ではなく、「サ行変格活用」と呼びます。

 ただし、誤解しないで下さい。

○花を
愛でて、(ダ行下二段活用)
○岬を
過ぎて行く船(ガ行上二段活用)
○沖を
漕ぐ舟(ガ行四段活用)

 複合サ変以外の動詞の活用では、濁音行の活用は、そのまま「ダ行」「ガ行」などなどと呼びます。

$48 形容詞の単語認定を間違いやすい例

 例えば、「白し」という形容詞とその活用形は、もとをたどれば「白」という体言に「く・し・き・けれ」という別の語が付いたものでしょう。形容詞は、もともとは、基本型活用さえも複合語なのです。ラ変型活用は、更にそれに「あり」が複合したものです。だから、形容詞は活用表をよく理解しておかないと、単語認定を間違いやすいのです。特に間違いやすい例を赤で示します。

      ク活用
未  ○   |     Aから|ず
用  白く  |なる   Bかり|けり
終  白し  |。     ○   |
体  白き  |雪    Cかる|べし
已 @けれ|ど     ○   |
命  ○   |     Dかれ|。

@こう分けると「白」は名詞ということになるが、名詞に付く助動詞「けり」なんて存在しない。だから「白けれ」は一語で、「ど」に続くから已然形である。
ABCD「から」「かり」「かる」「かれ」なんて単語は存在しない。名詞に付く助動詞は断定「なり」「たり」しかない。

      シク活用
未  ○    |    F美しから|ず
用  美しく  |なる  G美しかり|けり
終  美し   |。    ○    |
体  美しき  |花   H美しかる|べし
已 E美しけれ|ど    ○    |
命  ○    |    I美しかれ|。

Eこう分けると「美し」は形容詞の終止形ということになるが、終止形に助動詞「けり」が付くことはあり得ない。だから「美しけれ」は一語で、「ど」に続くから已然形である。「けり」を付けるなら連用形「美しかり」に付けて、「美しかりけり」でなくてはならない。
FGHI 「から」「かり」「かる」「かれ」なんて単語は存在しない。形容詞の終止形に付く単語は終助詞くらいしかない。

 一番間違いやすいのはEです。逆接の接続助詞「ど」の訳し方もからめて、正確に訳してください。

単語分け ◎美し   けれ|  
現代語訳 ◎美しい    |けれど、
現代語訳 ×美しい  けれ|  ど、
現代語訳 ×美しかっ た |けれど、
現代語訳 ×美しかったけれ|  ど、

単語分け ×
美し   |けれ|  ど 、
現代語訳 ×美しかっ |た |けれど、
現代語訳 ×美しい  |けれ|  ど、
現代語訳 ×美しかった|けれ|  ど、

 「美しけれ」は「美しい」としか訳せず、「ど」は「けれど」としか訳せない。古語の「けれど」を現代語の「けれど」に対応させるのは間違いです。

 「けれど」を誤訳しやすい例として、Gを更に複雑化した「美しかりけれど」があります。

単語分け ◎
美しかり |けれ|  ど
現代語訳 ◎美しかっ |た |けれど、
現代語訳 ×美しかった|けれ|  ど、
現代語訳 ×美しい  |けれ|  ど、

単語分け ×
美しかりけれ
現代語訳 ×美しい  |けれ|ど、
現代語訳 ×美しかった|けれ|ど、

 「美しかり」は「美しい」としか訳せず、助動詞「けれ」は「た」としか訳せず、「ど」は「けれど」としか訳せない。文法に忠実な直訳の原理を踏まえることが、古文読解の王道です。

 「けれど」という単語は、古文にはありません。そこを誤解すると、次のように間違えます。

単語分け ×
美しかり |けれど
現代語訳 ×美しかった|けれど、
現代語訳 ×美しい  |けれど、

単語分け ×
美しかりけれど
現代語訳 ×美 し い|けれど、
現代語訳 ×美しかった|けれど、

$49 形容詞の音便

○「お早うございます。」の「早う」は、何かが訛(なま)ってこうなりました。訛る前の形を答えてください。

 正解は「お早くございます。」です。「早う」は、現代仮名遣いでは「はよう」と読みますが、歴史的仮名遣い、つまり古語の世界では「はやう」です。「はやく」→「はやう」→「はよう」と発音が変化(音便化)してきたわけです。そこで、「早(はや)う」は「早し」の連用形「早く」のウ音便形である、と言います。また、「早う」の「う」は「く」のウ音便である、とも言います。

@お
早くございます。→お早うございます。(「早う」は「早く」のウ音便)

例は他にもいくらでもあります。

Aお
寒くございます。 →お寒うございます。 (「寒う」は「寒く」のウ音便)
Bお
暑くございます。 →お暑うございます。 (「暑う」は「暑く」のウ音便)
C
うれしくございます。→うれしうございます。(「うれしう」は「うれしく」のウ音便)
D
 悲しくございます。 →悲しうございます。 (「悲しう」は「悲しく」のウ音便)

 現代語では、発音も表記もさらに変化し、@は「おはようございます」「おはよー」「おっはー」、Cは「うれしゅうございます」、Dは「悲しゅうございます」となりました。

    第三章 形容動詞

$50 形容動詞の活用の枠組み

 形容動詞の活用を勉強する順序として、まず、「静かに」という言葉を考えてみましょう。これは、「静かに|せよ。」とか、「静かに|なる。」などというように使っていた。しかし、静かであることに、別の意味を付け加える表現をどうするか。その場合、「静かに」に「あり」を付け、それに更に打消・過去・推量・逆接・命令などを付けた。その「静かに」と「あり」が一体化したのがこれがラ変型活用です。

未 
静かにあら|ず    →静かなら|ず
  静かで|あら|ない    静かで |ない

用 
静かにあり|けり   →静かなり|けり
  静かで|あっ|た     静かだっ|た

終 
静かにあり|。    →静かなり|。
  静かで|ある|。     静かだ |。

体 
静かに|ある| べ し →静かなる|べ し
  静かで|ある|に違いない 静かに |違いない

已 
静かにあれ|  ど  →静かなれ|  ど
  静かで|ある|けれど   静かだ |けれど

命 
静かに|あれ|。    →静かなれ |。
  静かで|あれ|。     静かにしろ|。

 左のように使っている限り、「静かに」は活用がないから、副詞に品詞分類されるのでしょう。しかし、右のようになると、「静かに」は形容動詞「静かなり」の語源であるととも、その連用形であるということになります。形容動詞の活用を理解するコツは、語源の連用形と、それに「あり」を付けて作られたラ変型活用に分けて理解することです。まとめると、次のようになります。連用形が二つあるのが特徴です。

  形容動詞ナリ活用の活用表

  語源      ラ変型
未 ○  |    静かなら|ず
用 静かに|せよ  静かなり|けり
終 ○  |    静かなり|。
体 ○  |    静かなる|教室・べし
已 ○  |    静かなれ|ど
命 ○  |    静かなれ|。

$51 名詞+断定「なり」と形容動詞の区別の仕方

【例題51】

 次の赤線部を文法的に区別せよ。

@我は人間
なり
A我はすこやか
なり
B我は健康
なり
C大切なるものは健康
なり

 入試や定期試験の定番問題です。
 @の「人間」は名詞。なぜなら、「人間は猿が進化した。」などと、主語になります。また、「こういう人間は」、「この人間」などと、前に連体詞が付きます。だから、「なり」は名詞に付く助動詞、つまり断定の「なり」の終止形です。

 Aの「すこやか」は名詞ではありません。なぜなら、「すこやかが」とは言わないし、「こういうすこやか」、「このすこやか」とも言いません。また、「すこやか」は形容詞でも動詞でも副詞でも、その他の何でもない。品詞の中に分類できないのです。仕方がないので、文法学者が、「すこやかなり」を一単語と考えることにして、「形容動詞」という品詞名を付けました。だから、正解は、「すこやかなり」という形容動詞の語尾、または一部です。

 Bの「健康」はどうか。「健康が大切だ」とは言うが、「こういう健康」とは言うだろうか? こういうあいまいな問題は、入試には出題されませんが、この「健康なり」は「健康な状態だ」という意味なので、しいて区別すれば形容動詞です。正解は、Aと同じ、「健康なり」という形容動詞の語尾、または一部です。

 Cの「健康」は、「健康というもの」という意味で使っているので、名詞です。正解は、断定の助動詞「なり」の終止形です。

 こういう問題は終止形以外の活用形でも出題されます。また、「に」は格助詞であることもあり、「にて」という格助詞の一部であることもあります。

$52 「…げなり」は形容動詞

【例題52】

 次の赤線部を品詞分解せよ。

@
さびしげなる面持ち。
A
もの欲しげに手を差し出す。
B
うす汚きたなげなる半纏(はんてん)。

【例題52】の答

寂し(形容詞の語幹・終止形)(接尾語)なる(断定「なり」の連体形)
もの(接頭語・名詞)欲し(形容詞の語幹・終止形)(接尾語)(断定「なり」の連用形)
うす(形容詞の語幹)きたな)(形容詞の語幹)(接尾語)なる(断定「なり」の連体形)

 これは語源を捉えているよい答なのですが、「品詞分解せよ」という問題に対する答としては間違いです。接頭語・接尾語は単語の構成要素、つまり一部分に過ぎない。また、断定の助動詞「なり」は、名詞または活用語の連体形に付くという規則があるが、「寂しげ」・「もの欲しげ」・「うす汚げ」は名詞とは言えないからです。正解は、

@◎「寂しげなる」は形容動詞「寂しげなり」の連体形
A◎「もの欲しげに」は形容動詞「もの欲しげなり」の連用形
B◎「うす汚(きたな)げなる」は形容動詞「うす汚げなり」の連体形

です。「…げなり」は形容動詞と覚えてください。

$53 「…かなり」は形容動詞

【例題52】

 次の赤線部を品詞分解せよ。


かすかに微笑(ほほゑ)む。
○真偽のほどは
確かならず

 「かすか」「確か」は一単語のように見えますが、よく考えると単語になり得ず、形容動詞「かすかなり」「確かなり」の一部でしかありません。「か」で終わる言葉には、「なり」が付いて初めて一単語になる言葉が沢山あります。

 鮮やか・のどか・豊か・密(ひそ)か・密(みそ)か・はつか・なだらか・あえか・静か・ゆるやか・穏やか・賑やか・華やか・秘めやか・細やか・…

そこで、「…かなり」という形の形容動詞が多いことを気に留めてください。勿論、例外はあるが、間違えることはありません。

○ここは私の住処(すみか)なり。

 「住処」は明らかに名詞です。だから、「なり」は断定の助動詞の終止形です。

    第四章 助動詞

$54 体験過去の助動詞「き」

○ふるさとは緑なり|

 ふるさとは緑だっ|た。

 昔、自分が生活したふるさとは、自然が豊かで美しかった。実際に過去に体験しているのです。

○野菊のごとき| 君 |なり|

 野菊のような|あなた|だっ|た。

 昔、若いとき、自分が真心を交わしたあなたは、野菊のように素朴で美しかった。「き」は実際に体験した過去を回想するので、「体験過去」の助動詞と呼ばれます。この「き」は終止形です。

○     兎| |追ひ|
|かの山、小鮒| |釣り||かの川 (故郷)
 子供の頃、兎|を|追っ|た|あの山、小鮒|を|釣っ|た|あの川

 人から聞いたわけでも、本で読んだわけでもない。自分が実際に兎を追ったあの山、小鮒を釣ったあの川。この「し」は「かの山」「かの川」に続いているので連体形です。

○来
方行く末

 「来し方」つまり自分の過去は既に体験したことなので「し」が使われています。

○思ひ |
|   や。
 想像し|た|だろうか、いや、想像もしなかった。

 「や」は反語の終助詞です。

○あの失敗|  |なかり|
| ば 、
 あの失敗|が、|     |もし
        |なかっ|た|ならば、

 「せ」は未然形で、「未然形+ば」は仮定条件を表します。この「せ」は、「せば」という形以外には使われません。

 体験過去の助動詞「き」は不規則活用で、「(せ)・○・き・し・しか・○」と活用します。これを暗記するのは高校生の条件だと思ってください。

$55 物語の中の「けり」の意味は、伝聞過去が基本

 日本文学の「物語」というジャンルは、作者が読者に、過去のことを「こういうことがあったそうですよ」と物語る形式を取っています。だから「物語り」というのです。そこで、伝聞過去の「けり」で終わる文が、基本的な文体として使われます。

○今は昔、竹取の翁といふ者| |あり| 
けり 。 (竹取物語)
     竹取の翁という人|が|い |たそうだ。

 物語には「けり」が沢山出てくるので、初めに出てきた「けり」と最後の「けり」は「…たそうだ・たという話だ」と伝聞過去の意味を生かして訳し、真ん中のものは「た」と訳すと、くどくなくなります。この「けり」は丸が付いているから終止形。終止形が「り」で終わっているから、「けり」はラ変と暗記すればよいのです。「(けら)・けり・けり・ける・けれ・○」なんて暗記する必要はありません。未然形・命令形は、出てこないのだから、間違えようがないからです。


$56 歌の中の「けり」は詠嘆が基本

 歌は感動を表現するものだから、歌の中の「けり」は詠嘆の意味であることが多いです。

○八重むぐら 茂れ る   宿の寂しきに →
 八重むぐらが茂っている私の家が寂しいので

○人|こそ|見え|ね |  秋  は|   来|に| 
けり  (拾遺集・百人一首・恵慶法師)
 人|は |来 |ない|が、秋だけは|訪ねて来|た|ことだなあ

$57 「なりけり」「にありけり」「にぞありける」「にこそありけれ」の「けり」は発見詠嘆

○        大納言殿|の|参り|給へ |
る| なりけり。(枕草子・宮に初めて参りたる頃)
 関白殿ではなく、大納言殿|が|参上|なさっ|た|
のだっ 。

 関白殿のお出ましかと、作者清少納言が物陰から見ていると、中宮定子の御前に現れたのは大納言殿だった。作者がその発見に詠嘆している気持ちが「けり」に表現されています。

○これは龍(たつ)のしわざ|
|こそ|あり け れ 
 これは龍    のしわざ|
 |あったのだなあ

 考えてみると、「にありけり」が短縮されて「なりけり」になった訳だし、「にぞありける」「にこそありけれ」は「にありけり」に強めの係助詞を付け加えた形ですから、これらの「けり」が同じ意味を表すのは、当たり前です。

○今宵は十五夜|
なりけり 。(源氏物語・須磨)
 今夜は十五夜|
だったなあ

を、次のように変えても、「けり」が「発見詠嘆」を表すことは変わりません。

○今宵は十五夜|に|
ありけり 。
 今夜は十五夜|で|あっ|たなあ。

○今宵は十五夜|に|ぞ|
ありける 
 今夜は十五夜|で|!|あっ|たなあ。

○今宵は十五夜|に|こそ|
ありけれ 。
 今夜は十五夜|で|! |あっ|たなあ。

$58 「あり」の敬語体に付いた「けり」も発見詠嘆

○かかる   人こそは   世に|
おはしまし | けれ  |と、おどろかるるまでぞ、まもり参らする 。
 こんな素敵な人   がこの世に|いらっしゃっ|たのだなあ|と、驚くほどの気持ちで、見つめ申し上げる。
                                   (枕草子・宮に初めて参りたる頃)

 「おはします」は「あり」の尊敬語ですから、それに付いた「けり」ももちろん発見詠嘆です。清少納言が、中宮定子の優雅さに驚嘆して見つめている気持ちを書いています。

$59 完了・強意の助動詞「つ」

@行き|
|、戻り||、
 行っ|た|、戻っ|た|、→何度も行ったり戻ったりして、

Aほととぎす| |鳴き|
つる|かた|を|眺むれ| ば  …(千載集・藤原実定)
 ほととぎす|が|鳴い|た |方角|を|眺め
た|ところ…

Bあはれ、秋風よ こころあらば伝へ
てよ。(佐藤春夫・秋刀魚の歌)

 @の「つ」は終止形の珍しい用法です。Aは連体形、Bは命令形です。

Cこのこと かのこと 怠らず|成(じやう)じ| 
 |ん 。(徒然草)
 このこともあのことも怠らず|       |きっと|
              |
成しとげ   |   |よう。

 このように、いわゆる推量の助動詞「む」「べし」「まし」が付いて「てむ」「つべし」「てまし」の形になったときは、「つ」は「強意」(確述・確認などと教える本もある)の意味で、「確かに・今にも・きっと・既に・必ず・ぜひ」などと訳します。

$60 完了・強意の助動詞「ぬ」

@風と共に  去り| 
   。
 風と共に過ぎ去っ|てしまった。Gone with the wind.

A夏は来|

 夏は来|た。Summer has come.

B風 立ち|

 風が立っ|た。

 「ぬ」は丸が付いているから終止形。「な・に・ぬ・ぬる・ぬれ・ね」の「ぬ」です。「…てしまう・てしまった・た」と訳します。
 Aは「夏はきぬ。」と読みます。これを、「夏はこぬ。」と読むことは出来ません。「こぬ」の「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形ですから、係り結びもないのに文末に使うことは出来ないのです。「夏は来ない」は「夏は来(こ)ず。」で、連体形の「ぬ」は、「待てども来(こ)ぬ人」のように使います。
 Bの「立つ」は、「今まで隠れていたものがはっきりと目に見えるように現われる」という意味です。

C色は匂へど散りぬるを…(…散ってしまうのに…)
D已(や)んぬるかな。(「已みぬるかな」の撥音便。「終わってしまったことだなあ」つまり、「ああ、もうダメだ!」)
 助詞の「を」「かな」の接続は連体形なので、「ぬる」は連体形です。

$61 助動詞「つ」「ぬ」の強意用法

@     世を捨て|て|む 。
A     世を捨て|つ|べし。
B     世を捨て|て|まし。
C     さもあり|な|む 。
D     さもあり|ぬ|べし。
E     さもあり|な|まし。
           ↑ ↑
 いわゆる完了の助動詞┘ └いわゆる推量の助動詞

 上のように、いわゆる完了の助動詞「つ」「ぬ」に、いわゆる推量の助動詞「む」「べし」「まし」が付いたときは、「つ」「ぬ」は「強意」(確述・確認などと教える本もある)の意味で、「確かに・今にも・きっと・既に・必ず・ぜひ」などと副詞に訳します。

@ 世|を|捨て| | 。
 俗世|を|  |ぜひ|
     |捨て|  |よう。

A 世|を|捨て |
 | べし 。
 俗世|を|   |必ず|
     |捨てる|  |つもりだ。

B 世|を|捨て| 
 | まし   。
 俗世|を|  |今すぐ|
     |捨て|   |たいものだが。

Cさ     |も|あり| 
 |  。
 そういうこと|も|  |きっと|
         |ある|   |だろう。

Dさ     |も|あり| 
 | べし  。
 そういうこと|も|  |確かに|
         |ある|   |に違いない。

Eさ     |も|あり| 
 | まし 。
 そういうこと|も|  |必ずや|
         |ある|   |だろうが


 ただし、次のような場合は例外です。

T.「む」が連体形で、連体法や準体法である、つまり文法的意味が婉曲・仮定である場合

○名利を長く|捨て果て|  な  |
|後には、さ   にこそ|はべる  |べけれ。
      |捨て去っ|てしまった| |後には、そのようで  |ございます|べきだ。
                           (財産は捨てるべきです)

$62 存続・完了の助動詞「たり」

 「たり」は、「てあり」(…てある・てあった・ている・ていた)という語源の形で理解すると、たいがい訳せますが、

○してやっ
たり。(うまくやった。)
○商売上がっ
たり。(商売はだめになった。)

 のように、「…た」と訳すこともあります。

$63 存続・完了の助動詞「り」は・サ変動詞の未然形・四段動詞の已然形に付く

 「練習し|あり」(練習し|ている。)という古い言い方がありましたが、練習siari が 練習seri と変化して「練習せ|り」となりました。この「せ」は、本当は連用形がなまったものなのですが、たまたま未然形と同じです。また、「咲き|あり。」が同様になまって「咲け|り」になりました。この「咲け」は、たまたま四段活用の未然形と同じです。そこで、高校文法では、「『り』はサ変動詞の未然形・四段動詞の已然形に付く」と教えています。語呂合わせが好きな人は、「サミシイ接続」)と覚えるとよいでしょう。

○死せ|  
|孔明| 、生け|  |仲達|を|走ら す 。
 死ん|でいる|孔明|が、生き|ている|仲達|を|退却させる。

○我| |奇襲に|成功せ|
 私|は|奇襲に|成功し|た。

○生け|  
|屍
 生き|ている|屍→死んだも同然の人間

○ 事| |成れ |

 仕事|は|成功し|た。

○我| |戦へ|

 私|は|戦っ|た。

 「り」は、「たり」と同じで、「…てある・てあった・ている・ていた・た」と訳します。四段活用とサ変以外には付きません。

$64 なぜ「む(ん)」には推量・意志・勧誘・婉曲・仮定の意味があるのか

 「む(ん)」は、通称は「推量」と言っていますが、用法によって、推量・意志・勧誘・婉曲・仮定などさまざまに使われます。その原義は「推量」で、使い方によっていろいろな意味に使われるようになったと考えると分かりやすいです。つまり、

@雨| |降ら| 
 。
 雨|が|降る|だろう。

Aさ     |も|あら| 
 。
 そういうこと|も|ある|だろう。

 というように、第三者(三人称)の動作に付くと、「推量」の意味になります。

 Aの「む」の前に、「な」を入れると、完了・強意の助動詞「ぬ」の解説で述べたように、推量に強意が加わり、

Bさ     |も|あり| 
 |  。
 そういうこと|も|  |きっと|
         |ある|   |だろう。

 となります。

B志を果たして、いつの日にか帰ら|
)。
              帰ろ|う   。

C今|こそ|別れ| 
。いざ、さらば。
 今|は |別れ|よう。

 というように、自分の動作について述べると、「意志」を表すことになる。時代劇などで、「そなたを許すであろう」などと言うと、「そなたを許すつもりだぞ」というように、自分の意志を表すことになりますが、それと同じです。@は終止形、Aは「こそ」の結びで已然形。

 意志を表す「む」は、美しく分かりやすい例文がたくさんあります。

○麗しき桜貝一つ、去り行ける君にささげ
)。(桜貝の歌)
○桜、桜、弥生の空に…いざや、見に行か
)。(桜)
○いざ、讃へ
)、オー、ヘー、我らの何とか高校!(君の学校の校歌)
○われに支点を与へよ、さらば地球をも動かさ
。(アルキメデス)

 二人称の動作について「む」を使うと、「勧誘」の意味になります。特に疑問といっしょに使われることが多く、

D帰り|給ひ | て | 
 ||。
       |きっと|
   |お  |
 帰り|になる|   |だろう|?|。→帰って下さいよ。

 現代語でも、相手に面と向かって「俺と付き合うだろう?」と言うと、「いいから俺と付き合えよ。」と勧誘する意味になるのと同じです。なお、「て(完了「つ」の未然形)」を「きっと」、「給ひ」を「お…になる」と訳しています。
 英語でも、will という助動詞は、主語が三人称だと「…だろう」、一人称だと「…するつもりだ」、二人称で疑問文 Will you …? だと「…しませんか」と勧誘する意味を表しますが、それとよく似ています。

 「婉曲・仮定」の説明は少し長くなります。
 ここに西郷隆盛という人がいる。彼はかつて陸軍大臣だったが、今は引退して、故郷の鹿児島で、毎日畑を耕している。ある人が尋ねた。「あなたは毎日畑を耕しているが、いったいいつ本を読むのですか。」西郷は答えた。「そのうちに雨が降る日があるだろう。そういう時は本を読むつもりです。」晴耕雨読の生活というわけですが、この西郷のセリフを古語で表現すると、「雨の降らむ(ん)日には、書を読まむ(ん)。」となります。この初めの「む」は「日」という体言を修飾しているので、連体形で、用法は連体法です。これを訳すと、

○雨の降ら|
) |日には、書を読ま|む(ん)。
雨が降る|だろう  |日には、本を読む|つもりだ。(推量に訳した)
雨が降る|ような  |日には、本を読む|つもりだ。(婉曲に訳した)
雨が降る|     |日には、本を読む|つもりだ。(あえて訳出しなかった)
    |もし   |
 雨が降っ|たら、その|日には、本を読む|つもりだ。(仮定に訳した)

となります。

は、意味は通じるが、現代語としては少し不自然なので、原則的には、やめよう。
は、まあよい。
は、いっそ、すっきりしてよい。
は、現代的・論理的でよい。

 というわけで、このような「む」の文法的意味を「婉曲・仮定」と言い、普通は、文脈に即してのどれかに訳しています。

 上の例文の「日」を省略して、

○雨の降ら|) | |には、書を読ま|む(ん)。
雨が降る|だろう  |日|には、本を読む|つもりだ。(推量に訳した)
雨が降る|ような  |日|には、本を読む|つもりだ。(婉曲に訳した)
雨が降る|     |日|には、本を読む|つもりだ。(あえて訳出しなかった)
    |もし   |
 雨が降っ|たら、その|日|には、本を読む|つもりだ。(仮定に訳した)

 という言い方もあります。その場合、「
)」の用法は準体法ですが、訳し方は同じです。

$65 「ん」と「ぬ」と「む」を混同しないこと

@俺は飯は|食は|
 。
A俺は飯は|食は|
 。
     |食わ|ない。

@お前の命令は|聞か|
 。
A
お前の命令は|聞か| 。
 
      |聞か|ない

@そんな話は|信じ|
 。
A
そんな話は|信じ| 。
 
     |信じ|ない

 上の@は、せいぜい江戸時代以降の新しい言い方で、Aの「ぬ」が撥音便化して「ん」になったものです。こういう風に「ん」が打消の意味で使われることは、高校の古文ではまずないと思ってください。また、漢文では絶対にありません。

 Aの「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形が終止形のように使われたものです。連体形ですから、「犬も食は
不味い飯」「誰も聞か命令」「人の信じ話」のように名詞の前に使うのが正しい使い方で、Aのように終止に使うのは、平安朝の古典文法では間違いです。@とAは、意味はまったく同じです。

Bいざ、飯を|食は|

Cいざ、飯を|食は|

 さあ、飯を|食お|う。

B話を|聞か||と|す 。
C
話を|聞か||と|す 。
 
  |聞こ||と|する。

Bそれを|信ぜ| 。
C
それを|信ぜ| 。
 
   |信じ|
よう

 上のBとCは、正しい古文で、BはCの「む」が撥音便化したものです。意味はまったく同じです。

$66 疑問の係助詞「や」+現在推量の助動詞「らむ(らん)」

○風吹けば沖つ白波立田山→

     ┌────────────────────┐
○夜半に|や| 君 が一人 | 越 ゆ |らむ  ||(伊勢物語)
                    |今頃  |↓
      |あなたが一人で|越えてゆく|
のだろう|か

 通称は「現在推量」ですが、「らむ」は、現在、目の前に見えない世界を想像することを表し、「今(頃)…だろう」と訳します。この歌は、夜の山道を一人で歩いている夫を想像している気持ちを表現しています。
 また、この「らむ」は係助詞の「や」の結びで連体形です。
 疑問の係助詞「や」は、文末に「(だろう)か」と訳出します。

$67 疑問詞+現在推量の助動詞「らむ(らん)

○五月雨にもの思ひをればほととぎす→

        ┌───────────┐
○夜深く鳴きて|いづち|行く|らむ  ||(古今集・紀友則)
              |   |↓
       |どこへ|行く|のだろう|か

 これは、目の前の闇夜の中を飛んでいくほととぎすの姿を想像している気持ちを表現しています。係助詞は使われていないが、「いづち」に含まれている疑問の意味を、文末に「か」と訳出しています。また、この「らむ」は「いづち」という疑問詞を受けているので連体形です。係り結びと似た現象です。。

$68 疑問の係助詞「や」+過去推量の助動詞「けむ(けん)」

               ┌───────────┐
○遊び| |せ| ん|と  |
|生まれ| け ん |↓(梁塵秘抄)
 遊び|を|し|よう|として| |生まれ|たのだろう|か

 「けむ(けん)」は過去のことを推量する意味です。
 この「けん」も係助詞の「や」の結びで連体形です。

$69 助動詞「べし」の活用の枠組み

 「べし」は、終止形が「し」で終わっているので、その語源は形容詞だと言われています。だから、その活用は形容詞と同じです。

用 解決す|べく |努力する
終 解決す|べし |。
体 解決す|べき |こと
已 解決す|べけれ|ど

こんな単純なものです。この連用形の「べく」に「あり」と助動詞を付けていろいろな言い方が出来ました。表にまとめると、

未 解決す|べく|あら|ず →解決す|べから|ず
用 解決す|べく|あり|けり→解決す|べかり|けり
終    |○ |
体 解決す|べく|ある|めり→解決す|べかる|めり
已    |○ |
命    |○ |

 初めは左のように言っていたのでしょうが、やがて短縮されて右のような言葉ができた。これがラ変型活用です。

 基本型活用とラ変型活用を一つの表にまとめると、次のようになります。連用形と連体形がそれぞれ二つあるのが特徴です。

  助動詞「べし」の活用表

      基本型          ラ変型
未    |○  |     解決す|べから|ず
用 解決す|べく |努力する 解決す|べかり|けり
終 解決す|べし |。       |○  |
体 解決す|べき |こと   解決す|べかる|めり
已 解決す|べけれ|ど       |○  |
命    |○  |        |○
  

$70 助動詞「べし」は、なぜ「かいすぎとめてよ」の八つの意味があるのか

 助動詞「べし」は、八つほどの文法的意味があると言われます。しかし、むしろ、根本的な意味は一つで、それを現代語訳する時、文脈によって、可能・意志・推量・義務・当然・命令・適当・予定などの現代語訳が当てはまる、と理解すると分かりやすいです。その根本的な意味とは、

 「当然…はずだ・…べきだ・…なければならない」と、将来の事態やあるべき事態を論理的・意志的に限定する気持ち

です。そこで例題です。

【例題70−1】

 次の空欄@〜Fに入る言葉を、古語で答えてください。

@6000cc のエンジンを積んだ二人乗りのスポーツカーがある。小さい車体にそんなに大きなエンジンを積んでいるのだから、アクセル全開にすれば、すごいスピードで走ることは明らかだ。それを古語で言うと、

 「いみじきスピードで(  @  )。」となる。

A私の先祖は江戸時代は殿様の御典医(主治医)で、父親も医者。親戚にも医者が多い。私は今、東大医学部の学生で成績も優秀だ。もちろん、将来医者になることを強く希望している。そこで、元旦の日記に、格調高い古文で、

 「我は日本の医学界を支ふる医師と(  A  )。」と書いた。

B今日は一日中風が吹き、海は波が高かった。夜中になっても風の収まる気配はない。この様子だと、明日も波は高いとしか考えられない。もし平安時代に気象庁があれば、

 「明日も波は高(  B  )。」という天気予報を出すだろう。

Cどこの国の国民でも、自国の法律は守らなくては。どの法律と特定しなくても、一般論としても。アメリカ人はアメリカの法律を、日本人は日本の法律を。それが法治国家というものだ。

 「日本人たる者、日本の法律を(  C  )。」

DA君は一年生のときにクラブの副部長を務め、二年生の部長と協力してクラブを結束させた。また、実力も一年生の中では最高だ。勉強とクラブ活動もうまく両立させていて、クラブ活動の為に勉強を犠牲にするという心配も無い。人柄も皆に信頼されている。さて、次期部長には誰に就任してもらおうか。皆、

 「A君こそ、次期部長に就任(  D  )人なれ。」と思っている。

E昼休みに弁当を食べていたら、急に牛乳が飲みたくなった。自分で買いに行くのは面倒なので、日頃勉強を教えたり、金を貸してやったり、乱暴な奴から守ってやっている友人を使いぱしりにしようと思った。そこで、その友人に、

 「汝、牛乳を買いに(  E  )。」と言った。


F昔は冷房がなかった。冬は家の中を暖める手段はいくらもあるが、夏は風の通らない家は住みにくい。だから、徒然草にも、

 「家の作りやうは、夏をむねと(  F  )。」と書いてある。

G十二月二十一日、…住む館から出て、船に乗ることになっている所へ移動する。(土佐日記)

 「…、船に乗る(  G  )所へ渡る。」

【例題70−1】の答

@現代なら「すごいスピードで走ることが出来る・走行が可能だ・走れる」などの言い方があるが、平安時代は、そんな言葉はなかった。そこで、古語で言うと、「べし」を使って、

 「いみじきスピードで|走る|べし |。」となる。
              |当然 |
           |走る|
はずだ|。

A現代なら「…医師になるつもり(名詞)です・決意(名詞)です・希望(名詞)を持っ(動詞)ています・…」その他いろいろな言い方が出来るが、平安時代の人は、名詞や動詞より、使い慣れた助動詞「べし」を使って、

 「我は日本の医学界を|支ふる|医師と|なる|べし |。」と書いた。
           |支える|医師に|  |
当然 |
                   |なる|はずだ|。

B現代なら「明日も波は高いことが予想される・高いに違いない・高い確率は90パーセントです・…」その他いろいろな言い方が出来るが、平安時代の人は、助動詞を使って簡潔に表現するのが好きだったので、

 「明日も波は|高かる|べし |。」という天気予報を出した。
           |当然 |
       |高い |
はずだ|。

C説明は略。

 「日本人たる者、日本の法律を|守る|べし |。」
                  |当然 |
               |守る|はずだ|。

D現代なら「A君こそ、次期部長に最適だ・是非なって欲しい・ベストな人材だ・…」。その他いろいろな言い方が出来るが、平安時代は、「最適・是非・ベスト」などという言葉はなかった。(本当になかったかどうか知らないが、そう考えると分かりやすい。)そこで、使い慣れた「べし」を使って、

 「A君こそ、次期部長に|就任す |べき |人|なれ 。」と言った。
                 |当然 |
            |就任する|はずの|人|である。

E現代なら「…牛乳を買ってこい・買ってこないと、ひどい目にあうぞ・おれの世話になっている恩返しで、買ってくるのが人の道だよ・…」その他いろいろな言い方が出来るが、平安時代の人は、「べし」を使って、

 「汝、牛乳を   |買いに行く|べし |。」と言った。
                |
当然 |
          |買いに行く|べきだ|。

F
これも説明は略。徒然草には、

 「家の作りやうは、|夏を|むね|
|す |べし |。」と書いてある。
                     |当然 |
          |夏を|主眼|と|する|べきだ|。

Gこれも説明は略。

 「…、|船に乗る|
べき |所へ|渡る  。」
  …、|    |当然 |
    |船に乗る|はずの|所へ|移動する。

【例題70−2】

 【例題70−1】の答の@〜Fの「べし」は、全部原義どおり「当然」に訳しましたが、豊富な語彙を持っている現代人の立場で、「当然」より、もっと私達の感性にぴったりした訳し方はないでしょうか。一つ一つ答えてください。

【例題70−2】の答

@「いみじきスピードで走る|   べし     |。」
           走る|
ことができる(だろう)。       ⇒「可能・可能推量」

A「我は日本の医学界を|支ふる|医師となる|   べ し  |。」
           |支える|医師になる|決意だ・つもりだ|。 ⇒「強い意志」

B「明日も波は高かる|べし   |。」
       高い |
に違いない|。               ⇒「確信的推量」

C「日本人たる者、日本の法律を守る| べし  |。」
               守る|義務がある|。        ⇒「義務」

D「A君こそ、次期部長に|就任す |べき |人|
れ 。」
                 |当然 |
            |就任する|はずの|人|である。     ⇒「当然」

E
「汝、牛乳を買いに|行く|べし|。」
       買いに|行け|!!|。               ⇒「命令」

F「家の作りやうは、夏を|むね |と |べし 。」
          夏を|主目的|とする|とよい|。
       ⇒「適当」

G「…、|船に乗る|べき |所へ|渡る  。」
  …、|船に乗る|予定の|所へ|移動する。           ⇒「予定」

「べし」は、もともとの一つの意味が、語彙の豊富な現代語に訳すと、さまざまに訳し分けられます。一人称の動作に付くと意志、二人称は命令、三人称は確信的推量に訳すとぴったりすることが多い。また、人称に関係なく、可能推量・義務・当然・適当に訳す場合があります。頭文字をとって、「かいすぎとめてよ」と暗記するとよいでしょう。ただ、「可能」は「可能推量」、「推量」は「確信的推量」に訳せる場合が多いということも覚えておいてください。

 「べし」に多くの訳が当てはまるのは、英語の shall, should, must と似ていて、「む」が will に似ているのと似ています。興味のある人は自分で考えてください。

$71 打消の助動詞「ず」の活用の枠組み

 「ず」の活用を勉強するコツは、形容詞と同じように、基本型活用とラ変型活用に分けて理解することです。「花は咲かず。」という例文で説明すると、基本型活用は、

用 花は咲か|
|、鳥も|鳴か|、…
終 花は咲か|
|。
体   咲か|
|花
已 花は咲か|
|ど

 こんな単純なものです。分かりやすい例文を探すと、

○武士は  食は|
 |ど、 高  楊枝   。
 武士は飯を食わ|なく|ても、悠然と楊枝を使う。

○なじかは|知ら| |  ど|心| |詫びて  (ローレライ)
 なぜかは|知ら|ない|けれど|心|が|悲しくなって

しかし、もっと複雑な表現、例えば、「花は咲かない」に更に別の意味を付け加える表現をどうするか。

未 花は|咲か| |あら| む   →咲か|ざら | む
     咲か|なく|ある|だろう   咲か|ない |だろう

用 花は|咲か| |あり|けり   →咲か|ざり |けり
     咲か|なく|あっ|た     咲か|なかっ|た

終       ○

体 花は|咲か| |ある|べし   →咲か|ざる |べし
     咲か|なく|ある|に違いない 咲か|ない |に違いない

已 花は|咲か| |あれ|  ど  →咲か|ざれ |  ど
     咲か|なく|ある|けれど   咲か|ない |けれど

命 花よ|咲か| |あれ|。    →咲か|ざれ |。
     咲か|なく|あれ|。     咲く|な  |。

 初めは左のように「ず」と「あり」を組み合わせて言っていたのでしょうが、やがて短縮されて右のような言葉ができた。これがラ変型活用です。

 基本型活用とラ変型活用を一つの表にまとめると、次のようになります。暗記しなくても、ラ変型の語源を考えれば理解できます。未然形の(ず)については、後述します。

  打消の助動詞「ず」の活用表

       基本型        ラ変型
未 花 |咲か()ば 花は|咲か|ざら|む。
用 花は|咲か||、 花は|咲か|ざり|けり。
終 花は|咲か||。      | |
体   |咲か||花 花は|咲か|ざる|べし。
已 花は|咲か||ど 花は|咲か|ざれ|ど、
命      ||  花よ|咲か|ざれ| 。

@動かざること山の如し。(風林火山)
A働かざるもの食ふべからず。

 これらも、語源を知っていれば次のように理解できます。

@古語 動か|   ざ る|こと| |山|の|如し 。
 語源 動か| ず |ある|こと|
    動か|ないで|いる|こと|
    動か| な い  |こと|は|山|の|ようだ。

A古語 働か|  ざ  るもの| |食ふ| べ か  らず。
 語源 働か| ず |ある|もの| |食ふ| べく |あら|ず。
    働か|ないで|いる|もの|は|食う|べきでは| な い。
    働か|ない    |もの|は|食う|べきでは| な い。

$72 漢文の「不」の書き下し

 次の漢文の書き下し文は、「不」がわざと漢字のままになっています。これを平仮名にして正しい書き下し文にし、訳して下さい。

@子(し)我を以つて信ならと為さば、我子の為に先行せん。(狐借虎威・戦国策)
A百獣の我を見て、敢へて走(に)げらんや。(狐借虎威・戦国策)
B虎獣の己を畏れて走(に)ぐるを知らるなり。(狐借虎威・戦国策)
C桃李(とうり)言(ものいは)れども、下自づから蹊(こみち)を成す。(史記)
D一日作(な)されば、一日食らは。(百丈禅師)
E今日雨ふら、明日雨ふらんば、即ち死蚌(しばう)有らん。(漁夫之利・戦国策)
F日月星宿、当(まさ)に墜(お)つべから不る邪(か)。(列子・杞憂)

 

@「信なら」は、次の格助詞「と」で引用されている普通終止の文なので、「」は終止形。だから「ず」。ちなみに「普通終止の文」とは、係り結びなどのない文のことです。

○ 子  我   を以つて|信 なら|ず |と|為さ|  ば|、我  子 の為に先 行せ   ん。
 あなたが私のことを   |信用でき|ない|と|思う|ならば|、私はあなたの為に先に行きましょう。

A「らん」の「ん」は推量「む」の撥音便形で、その接続は未然形。だから「ら」は「ざら」

○百獣の我を見て、敢へて|走(に)げ|ざら| ん |や。
 獣達が私を見て、敢えて|逃   げ|ない|だろう|か、いや、逃げるだろう。

B「るなり」の「なり」は断定の助動詞なので、接続は連体形。だから「る」は「ざる」

○虎 獣の己 を畏れて走(に)ぐる を|知ら|ざる|なり。
 虎は獣が自分を恐れて 逃げた  のを|知ら|ない|のだ。

C「れども」の「ども」の接続は已然形。だから「れ」は「ざれ」

○桃李(とうり)  言(ものいは)|ざれ|  ども、  下  自づから蹊(こみち)を成す 。
 桃や李(すもも)は ものを言わ |ない|けれども、その下には自然に 小道    が出来る。

D「れば」の「ば」の接続は未然形または已然形。だから「れ」は已然形「ざれ」にしか読めない。文末の「」はもちろん終止形。

○一日|作(な)さ|ざれ |ば、一日  食らは    |ず 。
 一日|働  か |なけれ|ば、一日飯を食う べきでは|ない。

E「、」は連用形「ず」の中止法、「んば」は連用形「ず」の撥音便形「ずん」+接続助詞「ば」。

○今日雨 ふら|ず、明日 |雨 |ふら| ずん | 
 |、即ち死蚌(しばう) 有ら ん 。
 今日雨が降ら|ず、明日も|          |もし |
             |雨が|降ら|なかった|ならば|、すぐ死んだどぶ貝が出来るだろう。

F「邪(か)」は疑問の終助詞で、連体形に接続する。だから、「る」は「ざる」

○日  月 星宿 、当(まさ)に   墜(お)つ |べから|ざる|か。
 太陽と月と星座は、きっと   地上に落ちることは|有り得|ない|か。

 古文の「ず」の活用をきちんと覚えていれば、送り仮名に「ら・り・る・れ」が付く「不ら・不り・不る・不れ」の「不」は「ざ」、それ以外は「ず」と読み、「ずら・ずり・ずる・ずれ」などという活用形はないことが分かるはずだが。


$73 「ぬ」と「ぬる」と「ず」を混同しないこと

古語  ともしびも|消え|ぬ 
口訳 ◎        | 。
口訳 ×        |
ない

古語  力も|衰え| 。
口訳 ◎     |
 。
口訳 ×     |ない

古語  体は|老い| 。
口訳 ◎     |
 。
口訳 ×     |
ない

古語  食糧も|尽き| 。
口訳 ◎      | 。
口訳 ×      |ない

 上の「ぬ」は文末にあるので終止形、つまり完了の「ぬ」です。連体形ではない、つまり打消の「ず」ではありません。

古語  ともしびも|消え|ず 
口訳 ◎        |ない

古語  力も|衰え|ず 
口訳 ◎     |ない

古語  年|老い| 。
口訳 ◎    |ない

古語  食糧も|尽き| 。
口訳 ◎      |ない

 打消の「ず」を使うなら、上のように終止形を使うべきです。

古語  消え| |ともしび。
口訳 ◎  |ない
口訳 ×  | |

古語  衰え| |力。
口訳 ◎  |
ない
口訳 ×  |
 |

古語  老い| |体。
口訳 ◎  |ない
口訳 ×  | |

古語  尽き| |食糧。
口訳 ◎  |
ない
口訳 ×  | |

 上の「ぬ」は名詞の前にある、つまり連体法(連体修飾法)なので、打消「ず」の連体形です。終止形ではないので、完了の「ぬ」ではありません。

古語  消え|ぬる|ともしび。
口訳 ◎  |た |

古語  衰え|ぬる|力。
口訳 ◎  | |

古語  老い|ぬる|体。
口訳 ◎  | |

古語  尽き|ぬる|食糧。
口訳 ◎  | |

 完了の「ぬ」を使うなら、上のように、名詞に続ける形、つまり連体形を使うべきです。

○馬糞|の| からび|    | |は|なし|むら時雨(正岡子規・高尾紀行)
◎馬糞|で|干からび|ていない |物|は|ない|
×    |干からび|てしまった|物|は|ない|

 上の「ぬ」は連体形準体法であって、終止形ではありません。だから、完了の「ぬ」ではなく、打消「ず」の連体形です。次も同じです。

○八百万の神も|耳 振り立て   | |  |は|あらじ    と|見え |聞こゆ。(紫式部日記・若宮御誕生)
◎      |耳を振り立てて聞か|ない|もの|は|い ないだろうと|   |お
                                  |見受け|する 。
×      |耳を振り立てて聞い|た |もの|は|い ないだろうと
                                  |   |お
                                  |見受け|する 。

$74 「じ」は打消推量・打消意志

 「じ」は、「む+打消」と説明されますが、勧誘や婉曲・仮定に対応する言い回しはほとんどなく、また、終止形以外はほとんど使われません。一人称の動作に付くと、

○我は行か
。(私は行くまい・行くつもりはない・行きたくない。)

と「打消意志」を表し、三人称の動作に付くと、

○雨は降ら
。(雨は降るまい・降らないだろう。)

と「打消推量」を表します。

○埴生の宿も我が宿(土間に筵(むしろ)を敷いて寝るような貧しい家でも、やはり我が家はよいものだ)→

○ 玉の装い     |うらやま|
 (打消意志)(埴生の宿・里見義作詞)
 宝石を飾り立てた家も|うらやむ|まい 

○露をだに厭ふ大和の女郎花|降る|アメリカに     |  |袖は|濡らさ| 
 (打消意志)
                |アメリカさんの恵みの|
                | 雨 が
             |降っ|          |ても|袖は|濡らし|たくない

$75 「まじ」は「べし+打消」

○石川や浜の真砂は尽くるとも  世に盗人の種は|尽く| 
まじ(打消推量)
              この世に泥棒の種は|尽き|ないだろう

 石川五右衛門が詠んだことになっている歌。「泥棒は永遠に不滅です。」という意味です。下線部は本当は「尽くとも」が正しい。

○原爆| |  |許す| 
まじ  。(当然打消)
 原爆|を|当然|許す|べきでない。

○ 士道に背く| 
まじき  |   |事(命令+打消=禁止)(新撰組の掟)
 武士道に背い|てはいけない|という|事

$76 断定の助動詞「なり」の活用の枠組み

 断定の助動詞の活用を勉強する順序として、まず、「に」という言葉を考えてみましょう。これは、

○彼は人間|
|は|あら|ず。
 彼は人間|で|は| ない 。

○姿は人間|
|し |て、    心はけだものか。
 姿は人間|で|あっ|て、しかし、心はけだものか。

などというように使う。「人間」などの体言について、「だ・である」と断定する意味を表します。しかし、例えば、「人間である」に更に別の意味を付け加える表現をどうするか。

未 彼は|人間||あら| む   →人間|なら |む
       |で|ある|だろう     |だろ |う

用 彼は|人間|
|あり|けり   →人間|なり |けり
       |で|あっ|た       |だっ |た

終 彼は|人間|
|あり|。    →人間|なり |。
       |で|ある|。       |だ  |。

体 彼は|人間|
|ある|べし   →人間|なる |べし
       |で|ある|に違いない   |である|に違いない

已 彼は|人間|
|あれ|  ど  →人間|なれ |  ど
       |で|ある|けれど     |だ  |けれど

命 汝、|人間|
|あれ|。    →人間|なれ |。
       |で|あれ|。       |であれ|。

 初めは左のように「に」と「あり」を組み合わせて言っていたのでしょうが、やがて短縮されて右のような言葉ができた。これがラ変型活用です。基本型活用とラ変型活用を一つの表にまとめると、次のようになります。連用形が二つあります。

  断定の助動詞「なり」の活用表

       語源          ラ変型
未     |○|     彼は人間|なら|む
用 彼は人間|に|あらず  彼は人間|なり|けり
終     |○|     彼は人間|なり|。
体     |○|     彼は人間|なる|べし
已     |○|     彼は人間|なれ|ど
命     |○|     汝、人間|なれ|。

○情けは人のため|なら| |ず 。
        |で |は|ない。

 「人に情けをかけることは他人のためではない。結局は自分のためになるのだ」ということわざです。「なら」は断定「なり」の未然形。「人に情けをかけると、その人のためにならない」という意味ではありません。

○駿河| な る|富士の高嶺
 駿河|に|ある|富士の高嶺

 「駿河である富士の高嶺」ではなく、「駿河にある富士の高嶺」、「駿河の富士の高嶺」です。連体形の「なる」は、このように「存在」を表す意味で使われることがあります。「にある→なる」という語源を考えればすぐ理解できるでしょう。

$77 断定の助動詞「なり」の連用形「に」の認識

 次の順序で出現した「に」は断定の助動詞「なり」の連用形です。

  体言| |  係助詞  |   あり   |
  or |に|   or   |   or    |
 連体形| |接続助詞「て」|「あり」の敬語体|

 具体例は、

      ┌───────┐
@花 |
|や |あら|む|↓。
 花 |で|  |あろ|う|か。

A花 |
|ぞ |ある。
 花 |で|! |ある。

B花 |
|こそ|あれ。
 花 |で|! |ある。

      ┌───────────┐
C誰 |
|か |おはします   |↓。
 誰 |で|  |いらっしゃいます|か。

Dまろ||て | はべり 。
 私 | で  |ございます。

 「に」「にて」を「で」と訳している点に注意してください。「に」「にて」の訳は「で」です。

 また、疑問の係助詞「や」「か」は文末に「(だろう)か」と訳す規則も大事です。

 ABの「!」は、「ぞ」「こそ」が現代語には訳せないが、強調であることを認識する印です。

$78 もう一つの「たり」…断定の助動詞「たり」

@咲き| た る|花
   |て|ある|
 咲い|て いる|花

A学生| 
た    る|者、勉強するのが当たり前。
   |と(して)ある|
 学生| で   ある|者、

 @は存続・完了の「たり」。動詞の連用形に接続しています。「て|ある」が語源なので「ている」と訳しています。
 Aは断定の「たり」。名詞に接続しています。「と(して)ある」が語源なので「である」と訳しています。

○天帝| |我|をして |百獣|に   |長|
たら |しむ  。(晏子春秋)
 天帝|が|私|に命じて|百獣|に対して|王|であら|せ(た)。

 「虎の威を借る狐」が、虎に対してついた嘘ですが、この「たら」も断定の「たり」です。

$79 もう一つの「たり」…形容動詞タリ活用の活用語尾

@学生たる者、遊ぶのも当たり前。

A轟々(ごうごう)
たる非難の声

 @の「たる」は断定の助動詞。ところが、Aの「たる」は断定の助動詞とは言えません。なぜなら、「轟々」は名詞ではないから。名詞でないだけでなく、動詞でも形容詞でも何でもない。そこで、「轟々たる」で一単語ということにして、形容動詞という名前を付けた。終止形はもちろん「轟々たり」。「静かなり」「かすかなり」なども形容動詞なので、「轟々たり」などは形容動詞タリ活用、「静かなり」などは形容動詞ナリ活用と呼んで区別しています。

$80 視覚推定の助動詞「めり」の本来の意味は「見えている」

 のび太が、子供部屋の窓からふと外を見ると、いつの間にか空は低い雲に覆われて、木々が不安げに枝を揺らしている。隣の家の屋根瓦にポツ、ポツと染みがつき始めた。染みは見る見るうちに増えてゆく。雨が降り始めたのだなあ…

 こういう時、のび太は外の景色を目で見て、雨が降り始めたということを推定しています。「雨が降るのが見える・雨が降るようだ」これを古語で表現すると、

○雨降る
めり

と言います。「めり」は「見えあり」が短縮されたものと言われ、「雨降るめり」は「雨が降るのが見えている」が元々の意味です。そこで、この「めり」を視覚推定の助動詞と呼びます。「ようだ」という訳が当たる時は、「婉曲」の意味で使われていると説明しています。

$81 もう一つの「なり」…伝聞推定の助動詞「なり」

 のび太が、夜、子供部屋で『ドラゑもん』を読んでいると、窓ガラスにポツ、ポツと何かが当たる音がする。耳を澄ますと、木がザワザワと枝を揺らす音が聞こえる。しばらくすると、ポツポツという音はどんどん頻度を増してザアザアという音になり、窓も軒先も屋根も鳴らすようになった。雨が降り始めたのだなあ…

 こういう時、のび太は外からの音を耳で聞いて、雨が降り始めたということを推定しています。「雨が降る音がする」・「雨が降るようだ」これを古語で表現すると、

○雨降る
なり

と言います。「なり」は「音(ね)あり」が短縮されたものと言われ、「雨降るなり」は「雨が降る音が聞こえる」が元々の意味です。そこで、この「なり」を伝聞推定の助動詞と呼びます。視覚推定の「めり」と同じで、「ようだ」という訳が当たる時は、「婉曲」の意味で使われていると説明しています。

○男も|す |  
なる  |日記といふものを、女も|し |て|見|む |と  て|する|なり。
 男も|書く|と聞いている|日記というものを、女も|書い|て|見|よう|と思って|書く|のだ。

 有名な紀貫之の『土佐日記』の冒頭の文です。初めの「なる」は伝聞推定の助動詞です。このような意味で使われている時は、文法的意味は「伝聞」と説明しています。後の「なり」は断定の助動詞です。前の「なり」は「す」という終止形に接続しているのに対して、後の「なり」は「する」という連体形に接続していることに注意してください。

$82 「aべし」「aめり」「aなり」は、??を??すると理解できる。

【例題82−1】

 次の@〜Gの赤字部分は、そのままでは文法的に説明できませんが、ある共通の処理をすると説明できるようになります。どういう処理をしたらよいでしょう。

@人
べし。             →「あ」を文法的に説明できる?
Aみやつこまろの家は、山もと
近かなり。→「近か」は形容詞だろうが、形容詞の活用表にはないですね。
B
べき人々。            →「さ」は副詞、「べき」は助動詞。でも、「さべき」とはどういう意味?
C花咲き
めり。           →「た」なんて単語が古文にあるのか。
D麗しき人
なり。          →「な」って、な、何?
E子となり給ふべき人
めり。     →中学のとき読まされた人もいるかも。
F下には思ひくだく
べかめれど、    →「めれ」が視覚推定の助動詞「めり」の已然形であることは確かです。
G忍びがたく思(おぼ)すべかめり。  →「めり」が視覚推定の助動詞「めり」の終止形であることは確かです。

【例題82−1】の答

 次のように「る」を補うと理解できます。

@            人| |べし。
Aみやつこまろの家は、山もと|近か|なり。  (竹取物語)
B               |べき人々。(源氏物語・行幸)
C          花咲き| |めり。
D         麗しき人| |なり。
E    子となり給ふべき人| |めり。  (竹取物語) 
F     下には思ひくだく|べか|めれど、 (源氏物語・須磨)
G  忍びがたく思(おぼ)す|べか|めり。  (源氏物語)

【例題82−2】

 では、上の@〜Gの単語を文法的に説明し、現代語訳してください。

【例題82−2】の答

@人| |
 べし  。(ラ変「あり」の連体形+推量「べし」)
 人|が|いる|に違いない。

Aみやつこまろの家は、山もと| |近か|なり 。(形容詞ラ変型活用の連体形+伝聞「なり」)
           山の麓|に|近い |と聞く

B古語   る|べき |人々。(ラ変連語「さり」の連体形+推量「べし」の連体形)
 語源 さ ある
    そうあるはずの|人々。

C花 咲きた |  めり 。(完了・存続「たり」の連体形+視覚推定「めり」)
 花が咲い|ているのが
見える

D麗しき|人|る |なり 。(断定「なり」の連体形+伝聞推定「なり」)
 麗しい|人|であるそうだ

E  子と なり 給ふべき 人
なる |めり 。(断定「なり」の連体形+視覚推定「めり」)
 わが子とおなりになるはずの人|であるようだ

F  下には 思ひくだく |べか|めれ |  ど、(推量「べし」の連体形+視覚推定「めり」)
 心の中では思い悩んでいる|ように|見える|けれど、

G忍びがたく思(おぼ)すべか
めり (推量「べし」の連体形+視覚推定「めり」)
 耐えがたくお思いになる|ように見える

 なぜ、こういうことになるのか。Gの「べかめり」を一例にして、簡単に説明します。古代には「べかるめり」と言っていたらしいが、平安期になって撥音便化し、「べかんめり」となった。ところが、当時「ん」という仮名はなかったので、「べかめり」と書いていた。「ん」という仮名が出来てからの文献では、「べかんめり」という表記もある。実はよく分からない点もあるが、ともかく高校古文では、「べかるめり」に戻すと文法的に理解でき、現代語訳できる。@〜Fについても同様です。

 こういう現象が起きた「べし」「めり」「なり(伝聞推定)」に、何か共通点があるか。助動詞一覧表の「接続」の欄を見ると、「終止形に接続する。ただし、ラ変の場合は連体形に接続する」というような記述があり、それが共通点です。理由は難しいので省略します。

 もう一つ大切なこと。「なり」は断定の助動詞と伝聞推定の助動詞の二つがありますが、この場合の「なり」は、伝聞推定であって、断定ではないということです。これも理由は難しいので省略しますが、とにかく覚えて下さい。

Hこの人 、国 に必ずしも   言ひ   使ふ   者にも|あら|ざ〈る〉|
なり 。(土佐日記)
◎この人は、役所で必ずしも仕事を言いつけて使っている人でも| な  い  |そうだ。
×                                    |のだ 。

上の「なり」は伝聞で、断定ではありません。誤訳しやすいので気を付けてください。

 蛇足ですが、

I…静かなり。…かすかなり。…密かなり。

 これらは「aなり」となっていても、もちろん例外で、形容動詞ですね。

$83 受身・自発・可能・尊敬の「る」「らる」の見分け方

T. 「〜に…る・らる」という形になっていれば、「受身」。

○もの |
|襲は|るる|心地(源氏物語・夕顔)
 何物か|に|襲わ|れる|感じ

 ただし、下のように「に」がない場合もあり、その場合は文脈で判断します。

○夕焼け小焼けの赤とんぼ| |、    | 負は|
|て見たのはいつの日     か(三木露風)
            |を|、ねえやに|背負わ|れ|て見たのはいつの日だったろうか

○求めよ、 さら ば|与へ|
られ | む 。(新約聖書)
 求めよ、そうすれば|与え|られる|だろう。

U.「偲ぶ」「おどろく」その他、心の動きを表す動詞(心情動詞)についた「る」「らる」は「自発」。

○昔のこと| |ぞ|   |
偲ば  |るる(浜辺の歌)
 昔のこと|が|!|自然に|思いださ|れる

○風の音に|ぞ|
おどろか |ぬる  (古今集・藤原敏行)
 風の音に|!|    |つい|
       |はっとし|  |てしまう

V.「ず」など、打消の意味を含む語を伴うときは「可能」。

かくすれば、かくなるものと知りながら、已(や)む|に|已ま |  
  | |大和魂
 こうすると、こうなるものと知りながら、 やめる |に|やめる|ことができ|ない|大和魂

○居 |て|も|立っ|て|も|ゐ | 
られ  | 。
 座っ|て|も|立っ|て|も|いる|ことができ|ない。

 これも、打消を伴って「可能」を表す例。「居(居る)」は古語で、「座る」です。

 ただし、鎌倉時代以降は、下のように単独で「可能」を表すこともあります。

○あづまうど|こそ、言ひつることは|頼ま|
るれ 。(徒然草)
 東国の人 |こそ、言った ことは|信用|できる。

W.貴人が主語として明記されているときは「尊敬」

大臣おとど)聞きもあへず、はらはらと|ぞ|泣か|  |ける。(平家物語)
               はらはらと|!|  |お  |
                      |泣き|になっ|た 。

 「る」「らる」が単独で尊敬の意味に使われるのは平安後期以降ですが、その場合も、上のように貴人が主語であることが明記されていることが多いです。

X.判断に迷う例

○海 見やら|るる|廊 に|出で|給ひ |て、(源氏物語・須磨)
 海が見渡さ|れる|廊下に|  |お  |
             |出 |になっ|て、

○ほのか に、ただ 小さき鳥の浮かべ る  と 見やら|るる| |も、(源氏物語・須磨)
 ほんのりと、まるで小さい鳥が浮かんでいるように見やら|れる|の|も、

 上の二つの「るる」は、判断に迷う例の代表です。「尊敬」でないことは明らか。「可能」の「る」は、平安時代は打消を伴う以外はほとんど用いられなかった。また、古くは、人間や動物以外の生命のないものが「受身」の対象になることは非常に少なかった。そこで、多くの参考書は消去法で「自発」としています。

$84 余談 「る」「らる」には、なぜ受身・自発・可能・尊敬の四つの意味があるのか

 試験には出ないが、参考のため。「る」「らる」の本来の意味は、自発「わざとそうしたわけではないのに、そういう状態・動作が自然に生じる・そういう状態・動作に自然になる」で、そこから他の用法が派生したと考えると分かりやすいです。

○もの |に   |   |襲は|     
るる     |心地
 何物か|において|自分を|襲う|という動作が自然に生じた|感じ(受身)

 上の「るる」は、何物かが自分を襲うという事態が、自分の知らないうちに自然に生じた感じがする、いつの間にか何物かが自分を襲っている、ということを表している。それは、何物かに「襲われる」状況です。

 現代語でも、「女房に逃げられた」などと言います。自分がわざと追放したわけではないのに、女房に関して、いつのまにか逃げるという事態が自然に生まれていた。「女房が逃げるという事態が生じた」ということは、困った(助かる場合もあるが)事態で、その影響を受けることになるので、「女房に逃げられた」、つまり受身を表すのです。

○女房|に   |    |逃げ |     らる     。
 女房|において|自分から|逃げる|という動作が自然に生じた。→困った!(受身)

○雨|に   |降ら|     
     |たり。
 雨|において|降る|という動作が自然に生じ|た 。→私はその被害を受けた(受身)

 日本語の受身表現は自発から派生した。こういうのを『迷惑の受身』と言います。

 最近の参考書で、「古文では、非情物は受身の主語になることは少ない」という説がよく紹介されていますが、これも上の説明から理解されるでしょう。「非情物」とは、「心のない物」のことです。

  ┌───────────────────────────────-┐
○なぞ、かう  暑き に、この格子は|降ろさ|  |たる |   | 。(源氏物語)
◎なぜ、こんなに暑いのに、この格子は|   |お          ↓
◎                 |降ろし|になっ|た  |のですか。(尊敬)
×                 |降ろさ|れ  |ている|のですか。(受身)

 「格子」は心のないものなので、格子の立場から、「何者かにおいて、自分を降ろすという動作が自然に生じ、自分はその影響を受けて降ろされた」という表現はなかなかあり得ないと考えられます。格子が擬人化されて、物語の主人公になっていたり、詩的に表現されていれば別でしょうが。実例は省略しますが、桜の木・屏風・船など、立っていて擬人化されやすいものが受身の主語になっている例がいくつかあります。

○昔のこと| |ぞ|偲ば  |    
るる
 昔のこと|を|!|思いだす|という心理状態に自然になる(自発)

○風の音に|ぞ|おどろか |      
 れ     |ぬる
 風の音に|!|はっとする|という心理状態に自然になっ|てしまう(自発)

 これは本来の「自発」です。

○   君はとけて  も|寝       |
られ   |給は |ず 。
 源氏の君は落ち着いて |寝るという動作が|自然に生じ|なさら|ない。
            |寝       |られ   |なさら|ない。
            |寝ることが   |     |お  |
                     |出来   |になら|ない。(可能)

 源氏の君は、普段なら、寝床に入って二十も数えれば自然に寝てしまうのに、今日は、そうならない。つまり、自然にそうならないということは、不可能ということです。日本語では、自発+打消=不可能。そこで、「られず(不可能)」から「ず(打消)」を除いた「られ」は、可能ということになるのです。

○ 已(や)むに |已ま |     
     |ぬ |大和魂、
 やめようとしても|やめる|という動作が自然に生じ|ない|大和魂(可能)

 已(や)めようと思えば已むと思っていたことが、そうならない。ということは、つまり不可能ということで、打消を伴う場合は可能を表すと考えられます。次も同じです。

○ゐ ても立っても|い    
られ   |ず 。
 座っても立っても|その動作が自然に生じ|ない。→座っても立ってもいられない。(可能)

 日本語の可能表現は、自発から派生したと言われます。「る・らる」と並ぶもう一つの可能表現として、「出来る」がありますが、

○現代語 この田は、良い米が|   
出 来る
 意味           |自然に出て来る。

 特別な努力をしなくても、普通に田を耕していれば、自然に良い米が生まれてくるという意味でしょう。これも「自発」と言えます。ちなみに、英語の可能の助動詞 can は ken(知る)という動詞から出来たそうです。We can go to the moon. などと言いますが、その方法を知っているということが即ち可能であるという発想なのでしょう。日本人は、自然の営みに従って自然に従順に生きていれば望むことが可能になると考えたが、欧米人は自然を人間と対立するものと捉え、自然を変える知識を得ることを「可能」と考えたのかも知れません。

○大臣(おとど)聞きもあへず、はらはらと|ぞ|泣か|   
    |ける。
               はらはらと|!|泣く|状態に自然になっ|た 。恐れ多くも、私がそうさせたわけではありません。(尊敬)

 貴人の動作を、自然にそうなったという言い方をすることによって、それが自分には手出しの出来ない恐れ多いものであることを表現しているのです。考えてみると、例えば「お話になる」などの現代語の尊敬表現も、自発に近いものがあります。
 「お話」は「先生のお話」などというように「貴人が話すこと」です。だから、「お話になる」は、「貴人が話すという状態に、自然になる」ということでしょう。やはり、自発的表現が尊敬を表すのに使われていると考えられます。
 なお、この項の記述は、大野晋著『日本語の文法を考える』(岩波新書)の『8.判断の様式』を参考にしました。この本は日本語に興味のある人にはお勧めします。

$85 意味・用法の紛らわしい「る」「らる」の見分け方

○(中宮定子が)歌 ども  |の| 本 |を|仰せられ|て、
         いろいろな|
        歌     |の|上の句|を|
おっしゃっ|て、

○「これ が|末  | 、いか に。」と問は|せ|給ふ| に、(枕草子・第二十段)
 「この歌の|下の句|は、どうなの。」と質問|なさる |時に

 「仰せらる」は、尊敬動詞「仰す」+尊敬の助動詞「らる」の二単語で、二重尊敬です。また、一語の尊敬動詞で、「仰す」より強い敬意を表す、二重尊敬と同じと考えることも出来ます。どちらにしても意味は同じです。

○その、   |うちとけて   、    |     |かたはらいたしと→
 その、女性が|気を許して書いて、あなたが|読まれたら| 恥ずかしい と

○ 思さ|  | む |  |こそ|ゆかしけれ。(源氏物語・帚木)
 お思い|になる|ような|手紙|こそ| 見たい 。

○(中宮様は、私の言葉を)→

○ことわりと| 思しめさ|  | な |  まし 。(枕草子・一二九段)
                |きっと|
 道理だ と|お思い  |になっ|   |ただろうに。

 「おぼさる」は尊敬動詞「おぼす」と尊敬の「る」の二単語、「おぼしめさ」は「おぼしめす」と尊敬の「る」の二単語と考えるのが一般的です。

○「…れ給ふ」「…られ給ふ」の「れ」「られ」は、自発か受身ですが、

○   君は、とけ ても|寝 | られ  |たまは|ず 。(源氏物語・帚木)
 源氏の君は、安心して |        | お |
            |休み|     |になる|
               |ことができ|   |ない。

のように、打消を伴う場合は可能を表します。要するに、「れ給ふ」「られ給ふ」は、二重尊敬ではありません。

$85−2 なぜ「れ給ふ」「られ給ふ」は、二重尊敬ではないのか

 ここで日本語の敬語表現について、語源的に考察してみます。

○聖徳太子 、褒美を|賜ふ給ふ)。
 聖徳太子が、褒美を|下さる   。

 この「賜ふ」は、上から下に「お下げ渡しになる」という「下賜」の意味の動詞です。これが補助動詞として使われるようになった。

○聖徳太子 、法隆寺を|建立し| 給ひ |けり。
 聖徳太子が、法隆寺を|建立し|て下さっ|た 。

 法隆寺を建立するという動作を、人々のために「して下さった」と表現することによって、太子の動作に敬意を表しているのでしょう。これが尊敬の補助動詞「給ふ」の成立した事情です。しかし、子供の謎々にもあるように、実際に法隆寺を建てたのは聖徳太子自身ではなく、その臣下や、大工たちでしょう。貴人は、何かをする時、それを自分自身でやらず、目下の者を使役して、そう「させる」ことが多いのです。そこで、太子に対するより高い敬意を表現するのに、使役の「す・さす」を使って、

○古語 聖徳太子 、       法隆寺を|建立せ|させ給ひ  |けり。
 語源 聖徳太子が、下の者に命じて法隆寺を|建立さ|せ |て下さっ|た 。
    聖徳太子が、       法隆寺を|建立 | なさっ   |た 。


という言い方をするようになった。また、こういう文を読んだ人は、それが非常に高貴な方の動作であると受け取った。これが二重尊敬の成立です。「す・さす・しむ」はもともと使役の意味しか持たなかったが、「給ふ」などと併用されることによって、尊敬の意味を持つようになったのです。ただし、二重尊敬は、それに当たる現代語の表現がないので、一重尊敬と同じように訳すのが普通です。

 「せ給ふ・させ給ふ・しめ給ふ」は、このように「使役・下賜」の意味から生じた尊敬表現です。これは、貴人が臣下を親しく使役し、臣下に親しく下賜するということでしょう。が、「る・らる」は、それとは別の、「自発」から生じたものです。「自発」は貴人を、臣下が近づくことを遠慮すべき、遠い存在と捉えた表現であることは$84に既に書きました。

○聖徳太子 、      法隆寺を|建立せ |られ       |けり。
 聖徳太子が、畏れ多くも、法隆寺を|建立する|ことにおなりになっ|た 。私はそれに関与する立場ではありません。

 貴人を近くに捉える「使役・下賜」と、遠くに捉える「自発」は、一緒に使うことはできないのでしょう。現代語でも、

○聖徳太子が、法隆寺を建立されて下さった。

とは言いません。「れ給ふ」「られ給ふ」が二重尊敬ではないということは、このように理解されると思います。

$86 ラ行活用動詞など+「る」「らる」


 次の赤い部分を単語に分け、動詞の終止形・活用の種類(…行〜活用)・活用形と、助動詞の終止形・活用形を答えてください。

@雨に
降られて、
A狡兎(こうと)死して走狗(そうく)
らる
 (すばしこい兎がいなくなると、大切にされていた猟犬は不要となり、煮て食べられてしまう。)
B大臣の君に重く
用ゐられたまはば、(森鴎外・舞姫)
C人々に
恐れらるれども、
D
忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな(拾遺集・右近)

 

@降ら|れ  |て  (降る ・ラ行 四段・未|る ・用)
A烹 |らる |。  (烹る ・ナ行上一段・未|らる・終)
B用ゐ|られ |たまは(用ゐる・ワ行上一段・未|らる・用)
C恐れ|らるれ|ども (恐る ・ラ行下二段・未|らる・已)
D忘ら|るる |身  (忘る ・ラ行 四段・未|る ・体)

 「る」「らる」の接続は未然形なので、当然、その前にある動詞は未然形です。Dの動詞「忘る」は四段と下二段の二つがあり、これは四段活用の「忘る」です。下二段なら「忘れ|らるる|身|を」となります。

$87 完了・存続の「り」の連体形「る」と受身・自発・可能・尊敬の「る」

@住め|  
|方|は人に譲り、(奥の細道)
 住ん|でいる|所|は人に譲り、

 上の「る」は「方」を修飾しているので連体形。その終止形は完了・存続の「り」です。四段活用の已然形に付いています。

A死せ|  
|孔明| |、生け|  |仲達を|走ら |しむ。
 死ん|でいる|孔明|が|、生き|ている|仲達を|退却さ|せる。

 上の「る」も「り」の連体形。サ変の未然形・四段の已然形に付いています。

Bかささぎの|渡せ|
|橋
 かささぎが|渡し|た|橋

 上の「渡せ」は四段動詞「渡す」の已然形で、「る」は完了「り」の連体形です。

C冬はいかなる所にも|住ま|   
  。(徒然草)
 冬はどんな 所にも|住   め   る。
 冬はどんな 所にも|住む|ことが出来る。

 上の「る」は文末にあるので終止形。受身・自発・可能・尊敬の「る」で、この場合は可能です。未然形に接続しています。
「住める」は現代語の可能動詞の終止形です。古語には可能動詞はありません。

$88 「せ給ふ」「させ給ふ」「せおはします」「させおはします」は二重尊敬。それ以外の「す」「さす」は使役

T.「す」「さす」が尊敬の補助動詞「給(たま)ふ」「おはします」と結びついて、「せ給ふ」「させ給ふ」「せおはします」「させおはします」の形になっているとき、ほとんどの場合が尊敬で、二重尊敬になります。
         ┌──────────────┐
○殿|は|何|に|か| |なら|
給ひ|たる||。(枕草子・除目に司得ぬ人の家)
 殿|は|何|に| |    | お  |   ↓
            |なり|になっ |た |か。

 しかし、まれに例外があります。それは、使役に訳さないとどうしても意味が通らない時だけは、使役と考えてください。

○夜ごとに|人を据ゑて守らせければ、行けども|      |   え |逢は| で |帰りけり。
 毎夜  |人を置いて守らせたので、行っても|業平は高子に|     |会う|
                             |ことが出来|  |ないで|帰った 。

○……せうと達の|守ら|
給ひ |ける|と|ぞ|     。
    兄 達が|守ら|せ|なさっ|た |と|!|いうことだ。(伊勢物語・五段)

U.尊敬動詞「のたまふ」に「す」が付いて「のたまはす」となった時、「す」は尊敬で、「のたまはす」は二重尊敬です。

V.
上のT・U以外、つまり、「す」「さす」が他の尊敬語と併用されていない時は、「す」「さす」は使役を表します。

○死せ|  る|  孔明 、生け|  る|仲達を|走ら |
 。(「走らしむ」とも言う)
 死ん|でいる|諸葛孔明が、生き|ている|仲達を|退却さ|せる。

 奈良時代には、これとは別の尊敬の「す」がありましたが、高校生の古文では奈良時代特有の語は入試などでも重視されないので、気にしないで下さい。

$89 サ行活用動詞など+「せ給(たま)ふ」「させ給ふ」

 次の例文を単語に分け、動詞の終止形と活用の種類(…行〜活用)を答えてください。また、各例文を現代語訳してください。

01 伏(ふ)せさせ給ふ 11 伏せ給ふ      21 失(う)せ給ふ
02 痩せさせ給ふ    12 過ぎさせ給ふ    22 失せさせ給ふ
03 起こさせ給ふ    13 伏させ給ふ     23 乗らせ給ふ
04 乗せ給ふ      14 合はせさせ給ふ   24 任せ給ふ
05 練習せさせ給ふ   15 紛らはさせ給ふ   25 過ぐさせ給ふ
06 見させ給ふ     16 乗せさせ給ふ    26 示させ給ふ
07 許させ給ふ     17 起きさせ給ふ    27 見せ給ふ
08 落とさせ給ふ    18 合はせ給ふ
09 任せさせ給ふ    19 見せさせ給ふ
10 痩せ給ふ      20 落ちさせ給ふ

 

01   伏せ|させ|給ふ(伏す・サ行下二段・他動詞)(お伏せ  になる)
02   痩せ|させ|給ふ(痩す・サ行下二段)    (お痩せ  になる)
03  起こさ|せ |給ふ(起こす・サ行四段)    (お起こし になる)
04   乗せ|  |給ふ(乗す・サ行下二段)    (お乗せ  になる)
05  練習せ|させ|給ふ(練習す・サ変)      ( 練習  なさる)
06    見|させ|給ふ(見る・マ行上一段)    (御覧   になる)
07   許さ|せ |給ふ(許す・サ行四段)     (お許し  になる)
08  落とさ|せ |給ふ(落とす・サ行四段)    (お落とし になる)
09   任せ|させ|給ふ(任す・サ行下二段)    (お任せ  になる)
10   痩せ|  |給ふ(痩す・サ行下二段)    (お痩せ  になる)

11   伏せ|  |給ふ(伏す・サ行下二段・他動詞)(お伏せ  になる)
12   過ぎ|させ|給ふ(過ぐ・ガ行上二段)    (お通り過ぎになる)
13   伏さ|せ |給ふ(伏す・サ行四段・自動詞) (お横たわりになる)
14  合はせ|させ|給ふ(合はす・サ行下二段)   (お合わせ になる)
15 紛らはさ|せ |給ふ(紛らはす・サ行四段)   (お紛らわしになる)
16   乗せ|させ|給ふ(乗す・サ行下二段)    (お乗せ  になる)
17   起き|させ|給ふ(起く・カ行上二段)    (お起き  になる)
18@ 合はせ|  |給ふ(合はす・サ行下二段)   (お合わせ になる)
18A  合は|せ |給ふ(合ふ・ハ行四段)     (お合い  になる)
19   見せ|させ|給ふ(見す・サ行下二段)    (お見せ  になる)
20   落ち|させ|給ふ(落つ・タ行上二段)    (お落ち  になる)

21   失せ|  |給ふ(失す・サ行下二段)    (お亡くなりになる)
22   失せ|させ|給ふ(失す・サ行下二段)    (お亡くなりになる)
23   乗ら|せ |給ふ(乗る・ラ行四段)     (お乗り  になる)
24   任せ|  |給ふ(任す・サ行下二段)    (お任せ  になる)
25  過ぐさ|せ |給ふ(過ぐす・サ行四段)    (お過ごし になる)
26   示さ|せ |給ふ(示す・サ行四段)     (お示し  になる)
27   見せ|  |給ふ(見す・サ行下二段)    (お見せ  になる)

 18 は二通りの分け方が出来ます。赤字以外はサ行です。

 01は「お盆をお伏せになる」などと言います。
 06は「見る」の尊敬表現ですが、実際の古語では「ご覧ず・ご覧ぜらる」などを使います。
 14・18@は「お二人のスケジュールをお合わせになる」、
 18Aは「お二人は御性格がお合いになる」、
 25は「楽しい毎日をお過ごしになる」などと言います。

これを、助動詞・補助動詞をキーにして並べ替えると、

03  起こさ|せ |給ふ(起こす・サ行四段)
07   許さ|せ |給ふ(許す・サ行四段)
08  落とさ|せ |給ふ(落とす・サ行四段)
13   伏さ|せ |給ふ(伏す・サ行四段・自動詞)
15 紛らはさ|せ |給ふ(紛らはす・サ行四段)
18A  合は|せ |給ふ(合ふ・ハ行四段)
23   乗ら|せ |給ふ(乗る・ラ行四段)
25  過ぐさ|せ |給ふ(過ぐす・サ行四段)
26   示さ|せ |給ふ(示す・サ行四段)

01   伏せ|させ|給ふ(伏す・サ行下二段・他動詞)
02   痩せ|させ|給ふ(痩す・サ行下二段)
09   任せ|させ|給ふ(任す・サ行下二段)
14  合はせ|させ|給ふ(合はす・サ行下二段)
16   乗せ|させ|給ふ(乗す・サ行下二段)
19   見せ|させ|給ふ(見す・サ行下二段)
22   失せ|させ|給ふ(失す・サ行下二段)
12   過ぎ|させ|給ふ(過ぐ・ガ行上二段)
17   起き|させ|給ふ(起く・カ行上二段)
20   落ち|させ|給ふ(落つ・タ行上二段)
06    見|させ|給ふ(見る・マ行上一段)
05  練習せ|させ|給ふ(練習す・サ変)

04   乗せ|  |給ふ(乗す・サ行下二段)
10   痩せ|  |給ふ(痩す・サ行下二段)
11   伏せ|  |給ふ(伏す・サ行下二段・他動詞)
18@ 合はせ|  |給ふ(合はす・サ行下二段)
21   失せ|  |給ふ(失す・サ行下二段)
24   任せ|  |給ふ(任す・サ行下二段)
27   見せ|  |給ふ(見す・サ行下二段)

となります。四段(・ラ変・ナ変)には「せ給ふ」が付き、下二段・上二段・上一段・サ変(・下一段・カ変)には「させ給ふ」が付いていることが分かります。また、四段の「伏す」は自動詞、下二段の「伏す」は他動詞です。

 ところで、サ行活用でない動詞(赤で表記)がなぜ混ぜられているか分かりますか。動詞をキーにして並べ替えると、

03  起こさ|せ |給ふ(起こす・サ行四段) (傍らの人を・お起こしになる)
17  
起き |させ|給ふ(起く・カ行上二段) (朝早く・お起きになる)

08  落とさ|せ |給ふ(落とす・サ行四段) (財布を・お落としになる)
20  
落ち |させ|給ふ(落つ・タ行上二段) (ベッドから・お落ちになる)

14  合はせ|させ|給ふ(合はす・サ行下二段)(スケジュールを・お合わせになる)
18A 
合は |せ |給ふ(合ふ・ハ行四段)  (性格が・お合いになる)

25  過ぐさ|せ |給ふ(過ぐす・サ行四段) (毎日を・お過ごしになる)
12  
過ぎ |させ|給ふ(過ぐ・ガ行上二段) (校門の前を・お通り過ぎになる)

16   乗せ|させ|給ふ(乗す・サ行下二段) (人を車に・お乗せになる)
23   
乗ら|せ |給ふ(乗る・ラ行四段)  (自分が車に・お乗りになる)

19   見せ|させ|給ふ(見す・サ行下二段) (絵をご学友に・お見せになる)
06   
 |させ|給ふ(見る・マ行上一段) (ご自分が絵を・ご覧になる)

 語幹が同じだが、語尾が違うために間違いやすい動詞が並べられています。

$90 使役・尊敬の助動詞「しむ」

○ 万 人|をし て|先ず水を背にして| 陣せ|
しむ。(十八史略)
 一万の兵|に命じて|        |布陣さ|せる。

○天帝| |我|を して|百獣|に   |長|た ら|
しむ  。(晏子春秋)
 天帝|が|私|に命じて|百獣|に対して|王|であら|せ(た)。

「しむ」は漢文で多く使われます。単独の場合は使役を表します。また、使役の語法の「をして」は、まず「に命じて」と訳し、それで意味が通らない場合は、仕方なく「に」と訳します。

○鐘の声を| 聞しめして 、|作ら|
しめ|給ふ    |詩|ぞ|かし。(大鏡・時平)
◎鐘の音を|お聞きになって、|  |お        |
              |作り|になっ(た)   |詩|だ|ぞ 。
×鐘の音を|お聞きになって、|     |     |
              |作ら|せ |
になっ(た)|詩|だ|ぞ 。

 上のように、尊敬の補助動詞「給ふ」「おはします」と併用の時は尊敬で、二重尊敬となります。漢文には尊敬の補助動詞などはないので、こういう形は出てきません。

$91 希望の助動詞「まほし」

○我|も|もろともに|行か|
まほしき|を 。(森鴎外・舞姫)
 私|も|いっしょに|行き|たい  |のに。

 この「まほしき」の終止形は「まほし」で、希望を表します。
「まほし」は、上代には「まくほし」の形でも使われ、語源は、「む|あく|ほし」で、「行かまほし」は、

○行か| む |あく| |ほし
 行く|ような|こと|が|ほしい→行きたい

と理解すると分かりやすいです。(「ク語法について」参照)

$92 希望の助動詞「たし」

○河豚は|食ひ|
たし。命は惜しし。(正しくは、『命は惜し。』)
    |食い|たい。命は惜しい。

 この「たし」が希望を表すことは分かりやすいですね。これを活用させて見ましょう。基本型の活用は、

用 河豚が食ひ|
たく |なる
終 河豚は食ひ|
たし |。
体 河豚の食ひ|
たき |季節
已 河豚は食ひ|
たけれ|ど

こんな単純なものです。これにラ変型活用が加わった。

未 河豚は|食ひ|
たく|あら|ず     →食ひ|たから|ず
     |食い|たく| な い      食い|たく |ない

用 河豚が|食ひ|
たく|あり|けり    →食ひ|たかり|けり
     |食い|たく|あっ|た      食い|たかっ|た

終        ○

体 河豚が|食ひ|
たく|ある|べ し   →食ひ|たかる| べ し
     |食ひ|たく|ある|に違いない  食い|たい |に違いない

 初めは左のように言っていたのでしょうが、やがて短縮されて右のような言葉ができた。これがラ変型活用です。

 基本型活用とラ変型活用を一つの表にまとめると、次のようになります。連用形と連体形がそれぞれ二つあるのが特徴です。

  希望の助動詞「たし」の活用表

         基本型             ラ変型
未       | ○ |     河豚は|食ひ|たから|ず
用 河豚が|食ひ|たく |なる   河豚が|食ひ|たかり|けり
終 河豚は|食ひ|たし |。          | ○ |
体 河豚が|食ひ|たき |季節   河豚が|食ひ|たかる|べし
已 河豚は|食ひ|たけれ|ど          | ○ |
命       | ○ |           | ○ |

$93 比況の助動詞「ごとし」

@都に雨の降る|
ごとく|我が心にも涙降る(ヴェルレーヌ・鈴木信太郎訳)
       |ように|

A光陰如矢。(光陰矢の
ごとし。)

B野菊の|
ごとき| 君 |なり|き。
    |ような|あなた|だっ|た。

 @は連用形、Aは終止形、Bは連体形の連体法です。漢文の書き下し文では、日本語の助詞・助動詞は平仮名で書く約束になっているので、「如し」ではなく、「ごとし」と書いてください。

$94 終止形が「し」「じ」で終わる単語は形容詞型活用である

 終止形が「し」「じ」で終わる単語を集めてみましょう。

@形容詞
A「べし」「らし」「まし」「じ」「まじ」「まほし」「たし」「ごとし」などの助動詞

これが、終止形が「し」「じ」で終わる単語のすべてです。この中で、「まし」だけは例外ですが、それ以外はすべて形容詞型の活用をすると覚えて差し支えありません。中には活用が未発達のものもありますが、存在しない活用形は文章中に表れないので、間違いようがありません。

$95 推量「む」「らむ」「べし」「まし」の根本的な意味を考える

 古典文法には「推量の助動詞」と呼ばれるものが沢山あります。活用表を見ると、「む」「むず」「らむ」「けむ」「べし」「らし」「まし」「じ」「まじ」などが、何らかの形で、「推量」という名前が付いています。なぜ推量は沢山あるのか。また、それらはどう違うのか。それは、人間が物事を推量する、つまり頭に思い浮かべるとき、その思い浮かべ方に沢山の種類があるからです。過去推量や打消推量などは説明の必要はないでしょうから、微妙に違う四つの助動詞について説明しましょう。

○雨降ら


 漠然と、雨が降る様子を思い浮かべる。雨が降ると思う。雨が降るだろう。It will rain.

○ハイキングに行か


 自分のことについて想像する。ハイキングに行く自分を漠然と思い浮かべる。ハイキングに行くことを考え中。ハイキングに行こうと思う。I will go hiking. I think I will go hiking.

○雨降る
らむ

 目の前に見えない、例えば遠い山奥で「今頃は雨が降っているだろう」と、その様子を思い浮かべる。また、目の前に雨が降っているのを見て、その背後にあって目に見えない、雨の降る理由や原因を、「なぜ雨が降るのだろう」と想像する。I suppose that it is raining in the deep mountain.

 自分のことについては、「らむ」はあまり使わない。

○雨降る
べし

 こういう天気図や空模様なら、当然雨が降るはずだとか、これから降るに違いないとか、降っているに違いないとか、論理的に考えて確信に近い推量をする。It must rain. I am sure it rains.

○ハイキングに行く
べし

 自分のことについて考える。受験勉強も順調に進んでいるので、こんな天気のよい日にはハイキングに行って、気分をリフレッシュし、運動不足を補うのは当然よいことだと論理的に考える。ハイキングにぜひ行くぞ。I shall go hiking. I should go hiking.

○雨止ま
まし

 目の前には雨がザアザア降り続け、自分は部屋に閉じこもっている。ふと、「もし今、雨が降っていなかったら…」などと、現実からかけ離れたことを想像する。すると、今の現実と反対に、太陽の輝く野原が頭の中に広がり、ハイキングを楽しんでいる自分の姿が思い浮かぶ。何の論理的根拠も現実的根拠もなく、雨が止むことを思い浮かべる。これを文法用語で、「反実仮想」(現実に反したことを空想する)と言います。I wish it would stop raining,… If it were not rainy, I might …

○ハイキングに行か
まし

 自分のことについて考える。受験勉強も進んでいないし、遊ぶ金もなく、雨も降ってむしゃくしゃしている時、空が晴れて、ハイキングにでも行けたらどんなに楽しいだろうかと、ふと夢想する。どこに行く、何を持って行く、誰と一緒に行くと具体的、現実的に考えたわけではない。だから、行かないで家で勉強しようかなという気持ちも一方にある。そういう不確かな、迷いを含んだ意志。ハイキングにでも行きたいのに。ハイキングにでも行けたらなあ。
   If I were to go hiking, I would be very happy and …
   If I could go hiking, I would be very happy and …
   I wish I could go hiking.

$96 反実仮想の助動詞「まし」は構文の中で理解する

 「まし」は、特殊型の活用をしますが、活用表を覚えるのではなく、構文の中で理解してください。

○世の中に|たえて |桜|の|なかり|
|  |   |春の心は|のどけから| まし
     |まったく|桜|が|なかっ|た|ならば|人々の|春の心は|のどかだっ|ただろうに
                                    (古今集・紀友則)

 普通は上のように常識的に訳します。「せ」は体験過去の「き」の未然形、それに「ば」が付くと、過去のことを仮定するという論理的に矛盾した表現になり、強い仮定を表します。現代語でも、「ないならば」より「なかったならば」の方が仮定を強調することになるのと同じです。これについては、ここでは深入りしません。ところで、「『まし』は現実と反対のことを空想する」という点にこだわって、下の句を理屈っぽく訳すと、下のようになります。

○世の中に|たえて |桜|の|なかり|          せ |  
     |まったく|桜|が|なかっ|たと現実と反対に空想する|ならば

○   |春の心は|のどけから|       |    まし
 人々の|春の心は|のどかだっ|たということが|現実と反対に空想される

 世の中に、まったく桜が存在しないという状態を空想する。すると、その条件のもとでは、どういうことが起きるか。桜前線の新聞記事や、テレビの各地の桜のニュースに心を奪われることもないだろう。いつ、どこの公園に桜を見に行こうか、あれこれと悩む必要もない。せっかくの桜が雨にあって萎(しお)れてしまうのではと心配する必要もない。人々は春をのどかにすごすだろう。このように、現実とは反対のことを思い浮かべる。桜あるがゆえに、こんなに落ち着かない心で春を過ごすのだと、桜に対する深い愛着を、逆説的に表現しているのです。

○鏡に色・形| |  |あら|
ましか|  、   |映ら|ざら| まし 。(徒然草)
 鏡に色・形|が|もし|あっ| た |ならば、映像は|映ら|ない|だろうに。

 鏡にはそれ自体の色・形がないから、物が映るのだ。つまり、鏡に色・形があるという反実仮想のもとで、鏡に映像が映らないというもう一つの反実を仮想しているのです。これも理屈っぽく訳すと、

○鏡に色・形| |あら|      |   ましか    |  
、→
 鏡に色・形|が|ある|ということを|現実と反対に空想する|ならば、

    |映ら|ざら|      |    
まし     。
 映像は|映ら|ない|ということが|現実と反対に空想される。

 現実には鏡には色・形がない、だから、映像が映るのです。

    第五章 助詞

$101 「の」と「が」は入れ替えよ

○花|
|散る| |を|見る。
 花|が|散る|の|を|見る。

○吾|
|子
 私|の|子

 「の」を「が」と訳したり、「が」を「の」と訳したりすることは頻繁に行われるので、意識してください。

$102 同格の「の」は「で」と訳し、その後最初に出てきた連体形準体法の後に「の」の前の名詞を補う

        ┌───────────────────┐
@その時見たる|人|
|、近くまで|   侍り  |し|↓|が、語りしことなり。
 その時見た |人|で|、最近まで|生きておりまし|た|人|が、語ったことだ 。

 上の「し」は、体験過去「き」の連体形で、その後に体言が省略されている、つまり準体法です。そこで、「の」の前の名詞「人」を補います。「の」の前後のが同じものなので、同格の「の」と呼びます。

 その時見たる人近くまで侍りし|人|が、語りしことなり。
             

 漢文でも似た語法があります。

A書き下し 馬|
|  千里     |な る|者|は|…
 現代語  |で|一日千里を走る名馬|である|馬|は|…→ 一日千里を走る名馬は…
                

 「千里」は名詞なので「なる」は断定の助動詞「なり」の連体形ですが、@と違い、連体法(連体修飾法)です。が同じもの、つまり同格です。

 現代語でも似た語法があります。

 現代語 箱|
|大きい |の|が|必要だ 。
 意味  箱|で|大きい |箱|が|必要だ 。→大きい箱が必要だ。
○古語  
大きなる| |が|必要なり。
          

 「大きい」は形容詞の連体形・連体法で、「大きいの」の「の」は「箱」の代わりです。「の」の前後のが同じものです。古語だと、二回目の「箱」が省略されるのです。

$103 「に」「にて」の訳は「で」

○花|
|は|あら|ず。(断定「なり」の連用形)
 花|で|は| な い。

○京に思ふ 人 | なき|  |
|し|も|あら|ず。(断定「なり」の連用形)(伊勢物語)
 京に恋しい人が|いない|わけ|で|!|も| な い。

 「なき」は形容詞の連体形・準体法なので「わけ」という体言(名詞)を補っています。「し」は強めの副助詞なので、「!」と理解し、あえて訳しません。

○静か
|は|あら|ず。(形容動詞連用形の語尾)
 静かで|は| な い。

○太郎冠者(かじゃ)|
|さうらふ 。(断定「なり」の連用形+接続助詞)
 太郎冠者     | で |ございます。

○中等室の卓のほとりは いと |静か
|、(形容動詞連用形の語尾+接続助詞)(森鴎外・舞姫)
 中等室の机のほとりはたいそう|静か で |、

○棒|
にて|殴る。(手段を表す一語の格助詞)
 棒|で |殴る。

○奥山|
にて|行ふ    。(場所を表す一語の格助詞)
 奥山|で |仏道修行する。

$104 補う助詞は「をにのはが」

○兎| |追ひ|し|かの山、小鮒| |釣り|し|かの川
 兎|を|追っ|た|あの山、小鮒|を|釣っ|た|あの川

○敵艦| |見ゆ 。
 敵艦|が|見える。

○花|の|散る| |を|見る。
 花|が|散る|の|を|見る。

○竹取|の|翁|の|言は|く |   |、「我、朝ごと夕ごとに…」
 竹取|の|翁|が|言う|こと|に|は|、「我、朝ごと夕ごとに…」

 「補う助詞は『をにのはが』」という知識は、随所で使われるものなので、助詞を補うときは常に意識してください。次に、どういう場合に何を補うのか。

$105 主語と述語との間に主格を示す「が」を補う

○花| |咲く。
 花|が|咲く。

○鳥| |鳴く。
 鳥|
|鳴く。

○風| |吹く。
 風||吹く。

○花| |咲き、鳥| |鳴き、風| |吹く。
 花|が|咲き、鳥|が|鳴き、風|が|吹く。


 主語と述語の間に格助詞「が」を補うのは、ほとんど無意識にやっていることです。しかし、無意識にやっていることを意識し、それを規則と認識することが、どんな学問においても大切なことなのです。

$106 目的語と動詞の間に格助詞「を」を補う

○兎| |追ひ|し|か|の|山
 兎|を|追っ|た|あ の|山

○花| |見る|人
 花||見る|人

 これも常識ですね。現代語でも、「飯食いたい。」「酒飲みたい。」などと、「を」を省略して言うこともあります。古典文法では「かの山」の「か」は代名詞、「の」は格助詞に分類しています。

$107 連体形の準体法の後に、名詞または「の」を補う

○歌| |詠む|  |を好む。
  |を|  |こと|
  |を|  |の |

○日の落つる| |に、京に入る。
      |
      |


○花を見る|  |は、
     |わけ
     |人 

 「詠む」「落つる」「見る」は連体形の準体法です。連体形の後に名詞がないと現代語にならないので、そこに意味的に潜在している名詞を補っているのです。現代語では準体法という用法が使われなくなったからです。また、格助詞「の」が名詞の代わりをするということも大切です。

$108 「…を〜み」の語法は「…が〜なので」と訳す

 頭の体操

○惜し(惜しい)○懐かし(懐かしい)○悼(いた)し(痛切に悲しい)○速し(速い)○あらし(粗い)

 これは形容詞の終止形ですが、「惜し」「懐かし」はシク活用なので、終止形であるとともに語幹でもあります。そこで、上の六つの形容詞の語幹を並べると、

○惜し ○懐かし ○悼(いた) ○速 ○粗(あら)

 これに「む」を付けると、

○惜しむ(惜しいと思う) ○懐かしむ(懐かしいと思う)
○悼む(強く悲しむ) ○?速む(?速いと思う) ○?粗む(?粗いと思う)

 「惜しむ」「懐かしむ」「悼む」という動詞はありますが、「速む」「粗む」という動詞は、ありません。しかし、これを連用形にすると、

○別れ   |を|惜し   み (別れ |を|惜しん  で)
○野    |を|懐かし  み (野  |を|懐かしん で)
○友の死  |を|悼    み (友の死|を|悲しん  で)
○瀬    |を|速    み (川瀬 |を|速いと思って)
○苫(とま)|を|粗    み (苫  |を|粗いと思って)

という言い方はあります。また、

○別れ   |を|惜し   み (別れ |が|惜しい ので)
○野    |を|懐かし  み (野  |が|懐かしいので)
○友の死  |を|悼(いた)み (友の死|が|悲しい ので)
○瀬    |を|速    み (川瀬 |が|速い  ので)
○苫    |を|粗    み (苫  |が|粗い  ので)

という現代語訳も出来ます。

○ 瀬   |を|速 |み |岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ(崇徳院・百人一首)
 川瀬の流れ|が|速い|ので|

○秋の田のかりほの庵の|  苫  |を|粗 |み |わが衣手は露にぬれつつ(天智天皇・百人一首)
           |草葺き屋根|が|粗い|ので|

 文語文法では、上の「悲しみ」「惜しみ」「懐かしみ」「痛み」「悼み」は動詞四段活用の連用形、「を速み」「を粗み」は「を(間投助詞)+速・粗(形容詞ク活用の語幹)+み(接尾語)」と説明しています。

$109 「已然形+ば」は「ので・ところ・と」

○花| |咲け |ば
 花|が|咲く |ので・と
    |咲いた|ので

○行きて|見れ|ば
 行って|見る|と
    |見た|ので・ところ

○懐かしけれ |ば
 懐かしい  |ので
 懐かしかった|ので

T.已然形に付いた「ば」は、「ので・ところ・と」と訳す。どれを使うかは、文脈を見て選べばよい。

U.已然形の語は、「咲いた」「見た」「懐かしかった」と、「た」を付けて訳すことがある。「懐かしけれ」の「けれ」は過去の助動詞ではなく、単なる活用語尾だから、「懐かしかった」と訳しているのは、「懐かしけれ」が已然形だからだ。「已然」とは「已(すで)に然り」(既にそうなっている)という意味で、完了・確定の意味が含まれている。だから、「た」を付けて訳すことが多いのだ。

V.已然形の語は「確定」の意味を含み、「ば」は、後の文節に順接で接続していく条件句を作るので、「『已然形+ば』は順接確定条件を表す」という。


$110 「未然形+ば」は「もし…(た)ならば」

○花| |咲か|   
 花|が|  | もし |
    |咲く| ならば|
 花|が|  | もし |
    |咲い|たならば|

○行きて|見 |   
       | もし |
 行って|見る| ならば
       | もし |
 行って|見 |
たならば

○ 懐かしから|   
       | もし |
  懐かしい |
 ならば
       | 
もし |
  懐かしかっ|
ならば

T.未然形に付いた「ば」は、仮定を表すということを知っていれば、訳は常識で出来る。

U.「…たならば」の「た」は、過去というより仮定を表している。

V.用例の大部分は次のようにア段音から接続して、現代人にも耳慣れています。

○花
咲か、(四段)
○スキ
あらばと狙っている。(ラ変)
死なばもろとも(ナ変)
○吹けば飛ぶような将棋の駒に懸けた命を
笑はば笑へ。(四段)(王将・西条八十)

しかし、古語には、次のような耳慣れない用例があるので注意。

ば(上一段)
○その山は、ここに
例へば(下二段)(伊勢物語)
○皐月(さつき)
)ば鳴きも古りなむほととぎす(カ変)(古今集)
○演奏を
ば(サ変)

$111 「なくは・なくんば・なくば」「恋しくは・恋しくば」「ずは・ずんば・ずば」について

 参考書や先生によって違う説明がされている点を整理します。「なく」はク活用の形容詞の一例、「恋しく」はシク活用の形容詞の一例として取り上げました。「恋しくんば」は実際には用例がありませんが、説明の便宜のため、あると仮定します。「ず」は打消の助動詞です。

@古語  花| |なく  |   

A古語  花| |なく  |   

B古語  花| |なくん |   

 現代訳         | もし
     花|が|なかっ |たならば

@古語  我を |恋しく |   
A古語  我を |恋しく |   ば
B古語  我を |恋しくん|   ば
 現代訳         | もし
     私を |恋しい | ならば

@古語     知ら|ず |   
A古語     知ら|ず |   
B古語     知ら|ずん|   
 現代訳         | もし
        知ら|ない| ならば

 Bの「なくん・恋しくん・ずん」は、Aの「なく・恋しく・ず」が、「ば」に続くために撥音便化したものです。単に発音が変わっただけなので、文法的性質はAと同じです。これらを現代語訳するのに、代表的なものとして次のTUの二つの説明のしかたがあります。

T.「なく・恋しく・ず」はもちろん連用形。@の「は」は係助詞でABの「ば」はその濁音化。「形容詞の連用形・『ず』の連用形」+係助詞「は」は仮定条件を表す。

U.「なく・恋しく・ず」は実は未然形。ABの「ば」は接続助詞で@の「は」はその清音表記。「未然形+接続助詞『ば』」は、もちろん仮定条件を表す。

上のTUの意図は、

T.古く、連用形+係助詞「は」で仮定を表す言い方があった。@ABは、それで説明できる。

U.「なく・恋しく・ず」は本来は連用形だが、これらが「ば」に続いている場合は未然形であると定義しよう。そうすれば、「未然形+ば=仮定条件」という一般的な規則が適用できる。その方が分かりやすい。分かりやすいほうがいいではないか。文法の教科書の、形容詞と「ず」の活用表の未然形の欄に、( )付きでこれらが書き込まれているのは、そういう事情である。

 上のTUは説明の仕方が違うだけで、現代語訳は同じなので、どちらを採ってもよいです。

 むしろ、一番大切なことは、上の@ABの文型が、すべて仮定条件を表すということです。この文型は、正しい現代語訳さえ出来れば私の試験は満点です。たぶん、他の先生の試験や入試も同じだと思います。

○恋しく |
 |とぶらひ| 来ませ (古今集・雑)
     |もし|
 恋しかっ|たら|訪ねて |いらっしゃい

○名残|惜しく|  (心中天の網島)
       |
もし |
 名残|惜しい|ならば

○鳥も|鳴か| ず |   |撃た|れ| まい  |に。
 鳥も|      | もし
 |
   |鳴か|なかっ|たならば
|撃た|れ|ないだろう|に。→要らぬ事をするから殺されたのだ。

○平氏|に|あら|ずん|  |人に |あらず。
           |もし |
 平氏|で| な い |ならば|人では|ない 。

○虎 穴に|入(い)ら|ずん|  
|虎 子を得         |ず 。
 虎の穴に|        |もし |
     |入   ら|ない|ならば|虎の子を手に入れることができ|ない。

○降伏か、|然(しか)ら|ずん|  
|死か。
 降伏か、|         |もし |
     |そうで   |ない|ならば|死か。

○ 民| |    信 | |無くん|   
|立た   |ず 。(論語)
 人民|は|お互いの信頼|が|   | もし |
              |なかっ|たならば|生きてゆけ|ない。

$112 「ずんば」が仮定を表さない唯一の例、漢文の二重否定「ずんばあらず」

 この項は漢文だけの話です。前項の唯一の例外として、次のような語法があります。

○弟子(ていし)必ずしも師 に|如(し)か|
ずん|     |あら。(弟子不必不如師。)
 弟子(生徒)が必ずしも先生に| かなわ |ない|ということ|は|な い 。

 →弟子が先生より優れていることもあり得る。

○未だ|嘗(かつ)て|君|を|懐(おも)は| 
ずん |  |あら。(未嘗不懐君。)
 まだ|今まで   |君|を|想 わ   |なかった|こと|は|な い 。

 →いつも君のことを想っていた。

 上の書き下し文は、「ずんば」が仮定ではない意味で使われています。これは漢文が主として江戸時代に作られた特殊な擬古文で、本物の古文とは少し違うからです。普通の古文の感覚で書き下し文にすれば、

△弟子(ていし)必ずしも師 に|如(し)か|
ざる|     |あら
 弟子(生徒)が必ずしも先生に| かなわ |ない|ということ|は|な い 。

△未だ|嘗(かつ)て|君|を|懐(おも)は|
ざる  |  |あら
 まだ|今まで   |君|を|想    わ|なかった|こと|は|な い 。

のようなものになるでしょう。この「ば」だけは例外で、現代語の「は」と同じ意味で使われています。いづれにしても、漢文の「…ずんばあらず」は二重否定で、「…ない(なかった)ことはない」という意味だと暗記したほうが早いです。

$113 「ど」「ども」の訳は「けれど」「けれども」

○花| |咲け |  

 花|が|咲く |けれど
    |咲いた|けれど

○行きて|見れ|  ども
 行って|見る|けれども
    |
見た
けれども

○懐かしけれ |  
 懐かしい  |
けれど
 懐かしかっけれど

T.「ど」は「けれど」、「ども」は「けれども」と訳す。厳密に訳し分けると、自己満足が味わえる。

U.「ど」「ども」の接続は已然形。已然形には「既にそうなっている」という意味があるので、「咲いた」「見た」「懐かしかった」と、「た」を付けて訳すことが多い。

V.已然形の語は「確定」の意味を含み、「ど」「ども」は、後の文節に逆接で接続していく条件句を作るので、「『已然形+ど・ども』は逆接確定条件を表す」という。

$114 「ものの」「ものを」「ものから」も逆接

○夜は|更くる|ものの・ものを・ものから
   |更ける|が・けれど・けれども
   |更けた|が
けれどけれども

○故郷は| 懐かしき |もののものをものから
    | 懐かしい |
けれどけれども
    |懐かしかった|
けれどけれども

T.「ものの」「ものを」「ものから」は、語源に名詞の「もの」があるので、連体形に付きます。

U.「ものの」「ものを」「ものから」の前の語も、文脈によって「た」を付けて訳すことがあります。

$115 「未然形+で」の訳は「…ないで・なくて」

接続助詞「で」は「ずて」または「ずして」が短縮されたものと考えると、未然形に付くことと「ないで・なくて」と訳すことが理解しやすいです。

○難波潟短き葦のふしの間も→

                         ┌──────────┐
○    逢は| 
  |この 世を過ぐしてよと|や〈  言  ふ  〉|(百人一首・伊勢)
       (ず |て)                       ↓
 あなたと逢わ|ない|で|この人生を過ごせ  と| |おっしゃるのです|か

○   人に知られ|  
   |     |来る|よし| |   もがな  (百人一首・藤原定方)
         (ず |し|て)
 世間の人に知られ|ない| で |私が逢いに|来る|方法|が|あってほしいものだ

                     ┌───────┐
○ 君 |なら|  
   | 誰 |に|か|見せ| む||| 梅の花  (古今集・紀友則)
       (ず |し|て)              ↓
 あなた|で |なく| て |他の誰|に| |見せ|よう|か|この梅の花を

$116 接続助詞「て」は、主語の同一性を維持する

○朝起き
、顔を洗っ、ご飯を食べ、学校へ行った。

 これは現代語ですが、注意すべきことは、「朝起き」「顔を洗い」「ご飯を食べ」「学校へ行った」という四つの動作の主語が、同一のものだということです。同じ人物が、朝起き、顔を洗い、ご飯を食べ、学校へ行ったのであって、それ以外ではありません。

○私は朝起き
、顔を洗っ、兄はご飯を食べ、学校へ行った。

 という風に、新しい主語が明記されていれば話は別ですが、主語が明記されていないとき、「て」は主語の同一性を維持するという機能を持っています。古語でも「て」の機能は同じで、

○ある人、あがたの四年(よとせ)五年(いつとせ)果て
、例のことども皆し終へ、解由(げゆ)など取り、住む館(たち)より出で、船に乗るべき所へ渡る。(土佐日記・紀貫之)

 「て」で続けられているので、主語は、最後まで「ある人」です。これは一見当たり前のようですが、他の接続助詞と違う、「て」の大きな特徴なのです。

$117 接続助詞「ば」「ど」「ども」は、主語の転換に注意

@呼べ
答ふる山のこだま。
Aああ言へ、かう言ふ。
B押さ引け、引か押せ。(柔道の極意)
C呼べ
、答へず。
D汲め尽きせぬ泉の水

などの表現について、「ば」「ど」がどういう機能を果たしているか、考えて見ましょう。

@              |呼べ|
|              |答ふる山のこだま。
 私が山に向かって「おーい」と|呼ぶ|
|山が私に向かって「おーい」と|答える山のこだま。

A         |ああ|言へ|
|、         |  かう  | 言ふ 。
 私が息子に向かって|何か|言う|
|、息子は私に向かって|別のことを|言い返す。

B       |押さ| 
 |     |引け、       |引か|  |     |押せ。
 
もし相手が君を|押し|ならば|君は相手を|引け、もし相手が君を|引い|ならば|君は相手を|押せ。

C            |呼べ|
|、         |答へ| ず 。
 私がいくら過ぎ去った昔を|呼ん|
でも|、過ぎ去った昔は私に|答え|ない。

D       |汲め|
|  尽きせ  | ぬ |泉の水
 人々がどんなに|汲ん|
でも|尽きることが|ない|泉の水

 「て」と並んで頻出する接続助詞「ば」「ど」「ども」が、「て」と対照的に用いられている例です。主語が示されていないのにもかかわらず、主語(動作の主体)と目的語(動作の対象)が入れ替わっている。統計をとったわけではないが、入れ替わらないことより入れ替わることの方が多いのです。これは「て」とは大いに違う機能です。この点に注意すると、主語と目的語を明快に認識することに役立ちます。

$118 「を」「に」「が」について…格助詞か接続助詞か

○黒き雪の降る|  | 、不審に思ふ。
       |こと| 、不審に思う。…格助詞に訳している
       |の |を 、不審に思う。…格助詞に訳している

○黒き雪の降る|  | 、不審に思ふ。
       |  |ので、不審に思う。…接続助詞・順接に訳している

○黒き雪の降る|  | 、不審に思はず 。
       |  |
のに、不審に思わない。…接続助詞・逆接に訳している

○黒き雪の降る|  | 、家路を急ぐ。
       |時 |に 、家路を急ぐ。…格助詞に訳している
       |の |に 、家路を急ぐ。???…「の」は「時」の代わりには使われない。

○黒き雪の降る|  | 、家路を急ぐ。
       |  |
ので、家路を急ぐ。…接続助詞・順接に訳している
       |  |のに、家路を急ぐ。…接続助詞・逆接に訳している

○黒き雪の降る|  | 、人に気づかれず 。
       |こと| 、人に気づかれない。…格助詞に訳している
       |の | 、人に気づかれない。…格助詞に訳している

○黒き雪の降る|  | 、     人に気づかれず 。
       |  |のに、(それが)人に気づかれない。…接続助詞・逆接に訳している

 格助詞・接続助詞のどちらに訳すかは、文脈のよって判断するしかありません。どちらでもよい場合もあります。見分け方は、「を」「に」「が」の前後をよく読んで、自分の感性を信ずることです。自分の主体性で、訳を創り出すのだと考えたほうがよいかも知れません。格助詞に訳すときは、前に適当な名詞または「の」を補い、接続助詞に訳すときは、順接・逆接・単純接続などの訳し分けを文脈で判断します。

$119 「を」「に」「が」について…順接か逆接か単純接続か

○(A)運動会が中止に|なる| |、愉快なりと言ふ。
        中止に|なる|ので|、愉快だ と言う。…順接

○(B)運動会が中止に|なる| |、愉快なりと言ふ。
        中止に|なる|のに|、愉快だ と言う。…逆接

○(C)運動会が中止に|なる|に |、愉快なりと言ふ。
        中止に|なる| |、愉快だ と言う。…単純接続

 空欄ABCに入る語を、次から選べ。

 ア 運動会が苦手で、何とかさぼりたいと思っていたのび太は、
 イ 運動会をあんなに期待して待っていたはずのジャイアンが、

Aはア、Bはイ、Cはどちらも入るようですね。これも、見分け方は、「を」「に」「が」の前後をよく読んで、自分の常識を信ずることです。「順接」は物事が常識通り・予想通りに進行すること。「逆接」はその反対。運動会が苦手なたのび太が、運動会中止を喜ぶのは予想通りのことであり、運動会を期待していたジャイアンが、運動会中止を喜ぶのは、予想外のことなのです。「単純接続」などという言葉は、入学試験には出ません。ついでだが「逆接」と「逆説」(paradox)を混同しないこと。

$120 「とて」は引用の格助詞「と」+接続助詞「て」。訳は「と|…|て」
 
 現代語でも、「…と」の後に一番よく出てくる単語は、「言う」「思う」「書く」「する」でしょう。古語でも同じで「と…て」の間には、そういう動詞が省略されているのです。よく使う言葉だから省略しても意味が通じるのです。だから、それらを補うと現代語になるのです。

○山に登らん|          |
 山に登ろう|言っ・思っ・書い・し|

 上のどれを選ぶかは、文脈による判断ですが、特に難しくありません。うまくいかないときは、「…という事で」「…しようとして」と訳してください。

○童 の法師にならむとする  名残    ||   |、(徒然草)
 稚児が僧 になろうとする追い出しコンパだ|いう事


○烏の|ねどころ|へ行く || |、(枕草子)
 烏が|ねぐら |へ帰ろう|

$121 副助詞「だに」の訳は、後を見てから考える

T.後に意志・希望・願望・命令・仮定などがある場合は、「せめて…だけでも」と訳す。

○家の人どもに|もの|を|だに  |言は |む。(意志)(竹取物語)
 家の人たちに|    |せめて |
       |一言| |だけでも|言お |う。

○家の人どもに|もの|を|だに  |言は |まほし・ばや。(希望)
 家の人たちに|    |せめて |
       |一言| |だけでも|言い |  た い 。

○家の人ども |もの|を|だに  |言は | なむ 。(願望)
 家の人たちが|    |せめて |
       |一言| |
だけでも|言っ |てほしい。

○家の人どもに|もの|を|だに  |言へ。(命令)
 家の人たちに|    |
せめて |
       |一言| |だけでも|言え。

○家の人どもに|もの|を|だに  |言は | ば 、(仮定)
 家の人たちに|    |せめて |
       |一言| |だけでも|言った|ならば、

U.後に打消を伴う場合は、「さえ」と訳す。

     ┌────┐
○光| |や|ある|↓|と   見るに、蛍ばかりの光|だに|なし。(竹取物語)
 光|が| |ある|か|と思って見ると、蛍ほど の光|さえ|ない。

 なぜ「だに」には上の二通りの訳があるのか。それは、Uは、実はTを前提にしてそれを打ち消しているのです。分かるように訳を示すと、

○光 やある と   見るに、|蛍ばかりの光|だに  |             |なし
 光が あるかと思って見ると、|      |せめて |
               |蛍ほど の光|だけでも|あってほしいのに、それさえ
ない

「せめて…だけでも〜したい・してほしい・しろ・できたら・・・」という言い方は、結局それさえも実現しにくいことを予想しているので、「…さえ〜ない」という意味につながるのでしょう。

V.普通の肯定文では「さえ」と訳す。

○かかる こと|だに|あり。
 こういうこと|さえ|ある。

 平安時代頃にUの使い方が広がって、上のように、打消を伴わない普通の肯定文でさえも、「さえ」という意味で使われるようになりました。

○  憂き身 をば| 我 |だに|厭ふ
 この嫌な自分を!|私自身|さえ|嫌ってしまう。だから

○        厭へ ただ |そ  |を|だに  |      同じ 心  と思は|ん
 あなたは私を大いに嫌いなさい。     |せめて |
               |その点| |だけでも|あなたと私は同じ気持ちだと思い|たい

 上は『新古今集』の歌ですが、前の「だに」はV、後の「だに」はTにあたります。

$122 「すら」の訳は、「さえ」

○平仮名|すら|読め|ず 。
 平仮名|さえ|読め|ない。まして漢字など、「一」の字も読めない。

 余談ですが、日本漢字教育振興会会長の石井勲という人の話をラジオで聞いていたら、平仮名は抽象的であり、漢字のほうがむしろ具体的なものと直結しているので、子供にとっては覚えやすい。だから、文字はまず漢字から教えるべきなのだそうです。私はそのご意見に同感しました。そうなると、上の例文は内容的には間違っていることになります。石井さんの説に興味ある人はインターネットで調べてください。

○ 死馬 |すら|且(か)つ|之 |を|  買ふ 。→
 死んだ馬|さえ|一方では |それ|を|高く買った。まして、もう一方では

○況(いは)|     |ん|や|生け る 者|   |を|や。
                |生きている馬|のこと|を|
 言う   |必要があろ|う|か|            |?、いや、ない。

  →まして、生きている馬なら、高く買うのはもちろんだ。

 「すら」は、「類推」ですが、古文にはほとんど出てきません。むしろ漢文の『抑揚の句法』で使われるので大切です。「況んや…をや」は反語で、正確に直訳すると上のようになります。「況んや」は、古文の表記なら「言はんや」で、「言う必要があろうか、いや、ない」→「言う必要はない」→「もちろんだ」という意味です。本来は「まして」という意味ではないのですが、だんだんその意味で使われるようになりました。つまり、

況んや、生け る 者を       や。
 まして、生きている馬を安く買うだろうか、いや、高く買うはずだ。

と考えて、「況んや」の意味は「まして」ということになったと考えてもよいでしょう。

況んや、生け る 者     |     。
 まして、生きている馬高く買うの|はもちろんだ

 上のように、「況んや…をや。」は、「まして、…はもちろんだ。」と訳すと考えることもできます。

$123 「さへ」の訳は、「その上…までも」

 「さへ」は「Aが…だけでなく、その上Bまでも…だ」という意味で、文法的意味は「添加」です。百人一首で、「さへ」が使われている歌は三首あります。

@住の江の岸による波→

              ┌──────────────────────────────┐
@       夜|さへ |や|       夢の通ひ路  人目| |避(よ)く| らむ ↓(藤原敏行)
 だけでなく|までも| |どうして私は、夢の恋路の中で人目|を| 避ける |のだろうか
       

上は、「昼も人目を避ける」ことに「夜も人目を避ける」ことを付け加えています。

A夜もすがら 物思ふころは    明けやら で →
  一晩中 恋に悩むころは夜がなかなか明けないで

A              |閨 の  ひま|さへ |つれなかりけり (俊恵法師)
 あなたが無情であるのに加えて|寝室の戸の隙間までも|無情に感じられることよ
                  

上は、「あなたが無情だ」ということに「寝室の戸の隙間も無情だ」ということを付け加えている。

B                     | 君 が為      |惜しから|ざり |し|命|さへ →
      が長くあってほしかったが、その上|あなたの為なら捨てても|惜しく |なかっ|た|命までも
                                

B長く|もがな   |と思ひ       けるかな (藤原義孝)
 長く|あってほしい|と思うようになりました !

 では、上は、にどういう事柄が入るのでしょうか。
 答は「あなたに出会う前の私の命」です。「あなたに出会う前は、私は命長くと願っていた。それが、あなたに出合って、私はあなたのためなら命も惜しくなくなりました。しかし、あなたと深い仲になって帰ってきた今、その惜しくないと思っていた命までも、長くあってほしいと思うようになりました。」この歌は『後拾遺集』に「女の許より帰りて遣はしける」とあり、後朝(きぬぎぬ)の歌です。恋する心の変化が、「さへ」によって巧みに表現されていますね。

$124 「のみ」は順序を変えて「だけ」「ばかり」と訳す

○酒を|のみ |飲み |つつ、(伊勢物語))
 酒を|   |飲んで|
   |ばかり|   |いて、

○御胸| |のみ |つと |ふたがり   |て、(源氏物語)
 お心|が|   |ぐっと|ふさがっている|
     |ばかり|           |で、

○思ひ明石の浦千鳥|音(ね)を|のみ |一人泣き明かす|(謡曲・黒塚)
         |声を上げて|   |一人泣き明かす|
               |ばかり
|       |…

○花は盛り   に、月は   くま なき |を|のみ|見るものかは  。     (徒然草)
 花は満開のときに、月は一点の曇りもないの| |だけ
                     |を|  |見るものだろうか、いや、そうではない。

 「のみ」は、上のように場所をずらして訳すところがコツです。どこにずらすかは、常識で分かります。

$125 「ぞ」は強調。連体形で結ぶ

@人| |あり。
 人||いる。

A宿|を|出(い)づ。
 家|を|出る   。

 この二つは単純な文ですが、これにいろいろな係助詞をつけて見ましょう。

@古語   人| ||ある。
 意味   人|が|!
|いる。
 現代語訳 人|が| |いる。

A古語   宿|を||出(い)づる。
 意味   家|を|!|出る    。
 現代語訳 家|を| |出る    。

 文中に「ぞ」が投入されると、文末が連体形になる(連体形で結ぶ)のは勿論ですが、大切なことは、単語の意味を正確にとらえて訳すことです。「!」は、強調であることを示します。私以外の先生は、そんな約束は知らないので、実際の答案には、「人がいる。」「家を出る。」と訳すしかありません。しかし、「ぞ」は格助詞とは別の働きをしていると認識することが大切なのです。次のような考え方は間違っています。

@古語   人||ある。
×現代語訳 人||いる。

 余談ですが、古語の「ぞ」に似た現代語として、口語の「さあ」や、方言の「さ」があります。

○口語 君|が|さあ|、こう言ったじゃないか。
 意味 君|が| |、こう言ったじゃないか。

○方言 山| ||行く。
 意味 山|へ|
|行く。

○方言 夜| ||来い。
 意味 夜|に||来い。

○方言 酒| ||飲むか。
 意味 酒|を||飲むか。

 こういう例を見ると、「さあ」や「さ」が、「が」「へ」「に」「を」などの格助詞とは違う、呼びかけや強調の働きをしていることが分かるでしょう。

$126 「なむ(なん)」は口語的強調。連体形で結ぶ

@古語   人| |なむ|ある| 。
 意味   人|が|ネ、|いる|
 現代語訳 人|が|  |いる| 。

A古語   宿|を|なむ|出づる| 。
 意味   家|を|
ネ、|出る |
 現代語訳 家|を|  |出る | 。

 「人あり。」に「なむ」を投入すると、「人がネ、いるョ。」と、話し相手に向かって念を押す語調になります。特に会話文によく使われ、歌にはほとんど使われません。物語の地の文にも「なむ」がよく使われるのは、作者が読者に「物語る」文体だからです。ただし、試験の答案に「ネ、…ョ」と訳すと、ふざけていると誤解されると困るので、結局「人がいる。」「家を出る。」と訳すことになります。次のような考え方は間違いです。

@古語   人|なむ|ある。
×現代語訳 人| |いる。

$127 疑問の「や」は結びの後に「(の・だろう)か」と訳す。連体形で結ぶ

     ┌───────────┐ 
@人| ||ある|       ↓。
 人|が| |いる|(の・だろう


     ┌────────────┐
A宿|を||出づる|       ↓。
 家|を| |出る |(
だろう

 「や」は、用例の多くが疑問で、反語のこともあります。反語の場合の訳は次項の「やは」と同じです。

 「結び」とは文末のことです。ただし、「結び」が流れている場合と、「結び」が省略されている場合は別です。

○元の樹は生ひや茂れる。枝はなほ、陰をや成せる。(椰子の実・島崎藤村)

 有名な歌ですが、正確に理解している人は少ないでしょう。

                             ┌───────────┐
○            元の樹は         生ひ||茂れ| る |   ↓。
 この椰子の実が実っていた元の樹は今でも遠い南の島で生い| |茂っ|ている|だろうか

                  ┌───────────┐
○    枝は   なほ、  陰を||成せ| る |   ↓。
 その樹の枝は今でもまだ、濃い陰を| |作っ|ている|だろうか

$128 反語の「やは」は結びの後に「(の・だろう)か、いや、…ない」と訳す。連体形で結ぶ

     ┌─┬───────────┐
@人| ||ある|       ↓。
 人|が|   |いる|(だろうか、いや、いない

     ┌─┬────────────┐
A宿|を||出づる|       ↓。
 家|を|   |出る |(
・だろうか、いや、出ない。


 「やは」は、本来疑問の係助詞「や」に強調の「は」を加えたもので、多くの用例が反語です。疑問のこともあるが、その場合の訳は前項の「や」と同じです。

$129 疑問の「か」は結びの後に「(の・だろう)か」と訳す。連体形で結ぶ

      ┌───────────┐
○たれ| ||ある|       ↓。
 誰 |が| |いる|(の・だろう)か。

          ┌────────────┐
○誰(た)が宿|を||出づる|       ↓。
 誰   の家|を| |出る |(の・だろう)か。

 「か」は、「や」と違って、疑問詞を含む文の中で使われます。

○山ほととぎす| |いつ||来 |鳴か| む
×山ほととぎす|が|いつ||来て|鳴く|だろう

上の訳は、とんでもない間違いです。下が正しい。

             ┌───────────┐
○山ほととぎす| |いつ||来 |鳴か| む |↓
◎山ほととぎす|が|いつ| |来て|鳴く|だろう|

 「か」は、用例の多くが疑問ですが、次のように反語のこともあります。反語の場合の訳は次項の「かは」と同じです。

     ┌─────────────┐
○誰| ||故郷を想は|ざる|   ↓。
 誰|が| |故郷を想わ|ない|だろうか、いや、誰でも故郷を想うものだ

$130 反語の「かは」は結びの後に「(の・だろう)か、いや、…ない」と訳す。連体形で結ぶ

         ┌─┬───────────┐
○誰(たれ)| ||ある|       ↓。
 誰    |が|   |いる|(の・だろう)か、いや、いない。


          ┌─┬────────────┐
○誰(た)が宿|を||出づる|       ↓。
 誰   の家|を|   |出る |(の・だろう)か、いや、誰の家も出ない。

 「かは」も「やは」と同じで「疑問+強調」で、用例の多くが反語です。疑問を強調すると反語になるというのは、言語一般の法則のようなものでしょう。疑問のこともありますが、その場合の訳は前項の「か」と同じです。

$131 逆説的強調の「こそ」は「は」と訳し、結びの後に逆接接続を加えて訳す。已然形で結ぶ

○花|こそ|咲け    |           、
 花| |咲く・咲いた|けれど・けれども・|、

○花|を|こそ|見れ   |           、
 花| | |見る・見た|けれど
けれども・が|、

 これは、次のように、結びの後に「ど・ども」を補うと考えることも出来ます。

○花|こそ|  咲け  〈    ども  〉、
 花|は
 |咲く・咲いた|けれど・けれども・が|、

○花|を|こそ|見れ   〈  
  ども  〉、
 花| |は |見る・見た|けれど・けれども・が|、

 特に結びの後が「、」になっている時、この訳は有効です。古語の「こそ」は係助詞なので、現代語の格助詞に置き換えることはできません。しかし、現代語の「は」は副助詞で、名前は変わっても、取り立てて強調するという機能は係助詞と同じなので、置き換えることが出来るのです。已然形は「已(すで)に然(しか)りの形」つまり、「既にそうなっていることを表す形」なので、「…た」と訳すこともあります。

$132 「こそ」は単なる強調に訳すことも出来る

○花| |こそ|咲け    |。
 花| | |咲く・咲いた|。
 花|が|
 |咲く・咲いた|。

○花|を|こそ|見れ   |。
 花|を| |見る・見た|。

 「こそ」は逆接的に次の文節にかからない、単なる強調の意味で使われることもあります。その場合、「は」に置き換える。置き換えられない場合は、強調と理解するだけで、特に訳出しない。

$133 「こそ」はそのまま「こそ」と訳すこともある

○身を捨てて|こそ |浮かぶ瀬   もあれ  。
 身を捨てて|こそ!|助かるチャンスもあるのだ。

○我 |こそ|山だちよ。(徒然草)
 おれ|こそ|山賊 だ。

 「こそ」は古語では係り助詞ですが、現代語でも強調の副助詞として使われるので、そのまま「こそ」と訳すこともあります。

$134 「をば」の訳は「を」または「は」

○山||見る。
 山||見る。

○山||見|ず 。
 山| ||見|ない。

「をば」の「ば」は、係助詞「は」が濁音化したものです。「をは」と言うと、発音しにくい、また、聞き取りにくいためでしょう。従って、訳し方は上の二通りになります。理由は、現代語では「山をは見る。」「山をは見ない。」とは言わず、「を」と「は」のどちらかをば省略するからです。

$135 「もぞ」「もこそ」の訳は「…と困る。…と大変だ」

     ┌─┬─────┐
○雨| ||降る| ↓     。(徒然草)
 雨|が|   |降る|と困る・
大変だ

     ┌─-┬-─────┐
○人| |こそ|見れ  ↓     。(源氏物語)
 人|が|    |見る|と困る・大変だ

 「もぞ」は二単語で、「も」も「ぞ」も係助詞です。「ぞ」があるから連体形で結びます。「もこそ」も二単語で、「も」も「こそ」も係助詞、「こそ」があるかれ已然形で結びます。現代語でも、「雨が降ることもあるよ!」「人が見ることもあるよ!」と強く言うと、「雨が降ると困るよ!」「人が見ると大変だよ!」という意味になることが多いですね。

$136 「ぞ」「や」「か」「こそ」は文末に使われることもある

 係助詞は文節の間に投入されて、結びに一定の形を要求する、つまり結びに係ってゆくので係助詞という名前が付いたのですが、文末に使われることもあり、その場合は終助詞に分類されます。実は本質的には同じなのですが。文末に使われた場合も、「ぞ」「こそ」は強調、「や」「か」は疑問と考えれば、常識で理解できます。

@うまし|国| 、蜻蛉島(あきつしま)、大和の国は。(万葉集・舒明天皇) 
 美しい|国|
だ!

A何事|   。(強調)
 何事|
だ?

 Aは「何事」の中に疑問が含まれているので「?」「か」と訳しています。

B 北隣  |こそ。(呼びかけ)(源氏物語)
◎ 北隣さん| 。
× 北隣  |さん

 上の「こそ」は「呼びかけ」と説明しますが、強調の一種と考えてもよいです。「こそ」が「さん」に該当するわけではありません。

Cわが思ふ 人は|   あり|| なし||と(疑問)(伊勢物語)
 私が愛する人は|元気でいる||いない||と

Dあるなきの収入を合はせて(森鴎外・舞姫)(疑問)

 C「や」は終止形接続、つまり「ありや」の「あり」は終止形、D「か」は連体形接続、つまり「あるか」の「ある」は連体形です。

E命は人を|待つ|もの| 。       (反語)(徒然草)
     |待つ|もの|だろうか、いや、待たない。


 「やは」「かは」などが文末にある場合は、文中にある場合と同じに「(の・だろう)か、いや、…ない」と訳します。

$137 「と」+「係助詞」で文が終止・中止している時は、「言ふ+α」を補って解釈する

@…とぞ。…とぞ、A…となむ。…となむ、B…とこそ。…とこそ、C…とや。…とや、D…とか。…とか、

 「終止」とは、丸が付いたり引用されたりしている時、「中止」とは、点が付いている時です。文がこのような形になっているときは、「言ふ+α」を補います。αは、推量の「む」、過去の「けり」、過去推量の「けむ」などです。なぜ「言ふ+α」を補うのか。それは、「と」の後に一番多く使われる言葉は「言ふ」だからです。多く使われるからこそ、省略しても通じるのです。図式的に書くと、〈 〉を補います。

@     …
 〈言ふ     ・言ひ ける 〉
       と|! |言う(ことだ)・言ったそうだ|

A     …
なむ〈言ふ      ・言ひ ける  〉
       と|ネ、|言う(ことだ)ョ・言ったそうだョ|

B     …
こそ〈言へ     ・言ひ けれ 〉
       と|! |言う(ことだ)・言ったそうだ|

         ┌─────────────────────┐
C     …
 〈言ふ・言ひける・言はむ・言ひ けむ 〉↓
       と|  |言う・言った ・言おう・言っただろう|か

         ┌─────────────────────┐
D何・誰・何処
 〈言ふ・言ひける・言はむ・言ひ けむ 〉↓
       と|  |言う・言った ・言おう・言っただろう|か

 実例を挙げて訳します。

E飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、跳び付きたりけるぞ。(徒然草)

@の方法を適用して、

E飼ひける 犬の、暗けれど 主 を知り て、跳び付きたりける
〈言ふ   〉。
 飼っていた犬が、暗いけれど主人を分かって、飛びついた   と|!|言うことだ|。

F悲田院の暁蓮上人は、俗姓は三浦のなにがし
かや、双なき武者なり。

 「とか」「とや」ではなく、「とかや」になっているが、Cを応用して、

               ┌────────┐
F俗姓は三浦のなにがしと|か|や〈言ひ けむ 〉↓、双なき武者なり 。
 俗名は三浦の誰それ と|か| |言っただろう|か、無双の勇者である。

$138 「形容詞・形容動詞・助動詞の連用形」など+「係助詞」の後には、補助用言「あり+α」を補う

@…白き花にぞ A…悲しくなむ B…美しき花にや C…何の花にか D…静かにこそ E…赤き花にこそ

などのような形で文が終止・中止している場合は、係助詞の結びの「あり+α」が省略されています。用言の連用形の後に一番多く使われる言葉は、補助動詞「あり」だからです。図式的に書くと、

@ 白き花|
|ぞ 〈あるありける〉
  白い花|で|! |ある・あった |

A   
悲しく|なむ〈あるありける 〉
    悲しく|ネ、|ある・あった ョ|→悲しいョ・悲しかった(そうだ)ョ

        ┌─────────────────────┐
B美しき花|
|や 〈あるありける・あらむ・ありけむ 〉 ↓
 美しい花|で|  |ある・あった ・あろう・あっただろう|か

        ┌─────────────────────┐
C 何の花|
|か 〈あるありける・あらむ・ありけむ 〉 ↓
  何の花|で|  |ある・あった ・あろう・あっただろう|か

D   
静かに|こそ〈あれありけれ  ・あらめ〉
    静かで|! |ある・あったそうだ・あろう|


E 赤き花||こそ〈あれあり けれ ・あらめ〉
  赤い花|で|! |ある・あったそうだ・あろう|

 実例を挙げて訳すと、

Fいづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひ給ひける中に、

 「に」は断定「なり」の連用形なので、Cを適用して、

          ┌────────┐

Fいづれの御時|〈あり けむ 〉↓、女御・更衣 あまた さぶらひ給ひける 中に、
 どの帝の御代|で| |あっただろう|か、女御・更衣がたくさんお仕えなさっていた中に、

G一人ありかん身は、心すべきことこそと思ひける頃しも、(徒然草)

 この「に」も断定「なり」の連用形なので、Eを適用して、

G一人 ありかん身    は、心 す|べき|こと|こそあれあらめ〉と思ひける  頃 し も 、
 一人で出歩く 身にとっては、注意す|べき|こと|
 |あるあろ|と思っていたちょうどその頃、

H世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。(徒然草)

 この「に」も断定「なり」の連用形なので、Bを適用して、

                           ┌─────┐
H世に語り伝ふること、まこと|は|あいなき | |〈あらむ〉↓、多くは皆|虚言(そらごと)|なり 。
           真実 |は|つまらない|の|で| |あろう|か、多くは皆|   うそ   |である。

Iとぶらひにおはするにこそはとて、

 「こそは」となっているが、Eを応用して、

Iとぶらひ|に| おはする | |こそ|は〈あらめ〉と  て、(大鏡・太政大臣兼通)
 お見舞い|に|いらっしゃる|の|で|! |!|あろう|と思って、

上の中で、BCは特に頻出するので、「にや〈あらむ〉」、「にか〈あらむ〉」を代表として暗記して下さい。

$139 補助動詞「あり」の代わりに「あり」の敬語体を補うこともある

 前項で、結びの後に補う言葉を「あり」の敬語体にした方がよい場合もあります。代表例として、前項の@の「白き花」を「帝」に、Aを丁寧表現に変えてみましょう。

@…帝ぞ A…悲しくなむ

 @を「帝である。」と訳したのでは、帝に対する敬意を欠くことになるので、「帝でいらっしゃる。」と訳すべきです。Aも、貴人に話している場合は、「悲しい」ではなく、「悲しいです」「悲しゅうございます」と訳すべきです。そこで、次のように考えます。

@帝|に|ぞ 〈  A   ・  B   | ける   〉。
 帝|で|! |いらっしゃる・いらっしゃっ|た(そうだ)|。

A悲しく|なむ〈  C   ・  D  |ける 〉。
 悲しく|ネ、|ございますョ・ございまし|た ョ|。

 理屈としては、Aには「あり」の尊敬語の「おはす」「おはします」の連体形、Bにはその連用形「おはし」「おはしまし」、Cには「あり」の丁寧語の「侍り」「候ふ」の連体形、Dにはその連用形「侍り」「候ひ」を補うことになります。

@帝||ぞ 〈おはすおはしますおはしおはしまし| ける   〉。
 帝|
|! | いらっしゃる  ・ いらっしゃっ  |た(そうだ)|。

A悲しく|なむ〈侍る候ふ侍り候ひ |ける 〉。
 悲しく|ネ、|ございますョ・ございまし|た ョ|。

 実際の読解では、現代語訳がきちっと出来れば十分ですが、試験には補う単語を答えさせる問題も出ます。「ぞ」と「なむ」だけを例に挙げましたが、「や」「か」「こそ」などが使われた場合も同じです。

$140 「かく・さ・しか」+「係助詞」の後には、「言ふ+α」または「あり+α」を補う


 「かく・さ・しか」は、「このように(で)・そのように(で)」などという意味なので、「そのように『言う』」のか、「そのようで『ある』」のか、形からは判別できません。だから、文脈で判断します。

@隣の男のもとよりかくなん。(伊勢物語)

 文脈で「かく」(このように)「言ってきた(歌を贈ってきた)」と判断して、

@隣の男のもとより|かく   |なん〈言ひける 〉。
 隣の男の所 から|このように|ネ、|言ってきた|。

Aもやと思ふ心遣ひせらる。(蜻蛉日記)

 文脈で判断し、「あらむ」を補って、

         ┌──────┐
Aさ    |も|や〈あら|む〉↓|と思ふ心遣ひ せらる。
 そのようで|も| |あろ|う|か|と思う気遣いがされる。

B上もしかなむ。(源氏物語・桐壺)

 天皇の使者の靱負(ゆげひ)の命婦が桐壺の更衣の母君に、「帝もあなたと同じように悲しみに暮れていらっしゃいます」と言っている文脈なので、

B上|も| し か |なむ〈おはします 〉。
 帝|も|そのようで|ネ、|いらっしゃるョ。

$141 希望・願望の終助詞「ばや」「なむ(なん)」「てしがな」「もがな」


○  別当入道の|包丁   を|  |見|   ば や 。(徒然草)(自分の希望)
 原義            |もし|見|たならば|なあ。
 現代訳    |包丁さばきを|  |見|たいものだ  。

 自分がこうしたいという希望を表す「ばや」は「動詞の未然形+ば+や」が語源なので、未然形に接続します。

@今日よりは|  | つぎて |降ら| なん (古今集・詠み人知らず)(他に対する願望)
 今日からは(雪が)毎日続いて|降っ|てほしい

 上の「なん(なむ)」は一単語の終助詞で、接続は未然形です。他に対して、こうあってほしいと願望する意味を持っています。

A今日よりは|  | つぎて |降り|  |  (強意の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」)
 今日からは(雪が)毎日続いて|  |きっと|
               |降る|   |だろう

 上の「なん」は二単語で、強意の助動詞「ぬ」+推量の助動詞「む(ん)」です。「ぬ」の接続は連用形なので、動詞「降る」が連用形で使われています。

○ いかで |このかぐや姫を|得(え)| てしが な |、|見(み)| てしが な |と、(自分の希望)
 何とかして|このかぐや姫を|手に入れ|たいものだなあ|、|妻と し|たいものだなあ|と、(竹取物語)

 「てしがな」の「て」は、語源は完了の助動詞「つ」の連用形なので、接続は連用形、つまり、「得」「見」は連用形です。

○ いかで |とく|京|へ|  | もがな 。(土佐日記)(願望)
 何とかして|早く|京|へ|帰り|たいものだ。

 現代語でも、「あの一言は、なくもがなだった。(なくあってほしかった・ない方がよかった)」などと言います。

$142 禁止の終助詞「な…そ」

○ 東風(こち)| |  |吹か |  ば|匂ひ    おこせよ|梅の花 |あるじ なし  と  て→
        |が|もし|吹いた|ならば|匂いを送ってよこせ |梅の花よ|主人がいないからといって

@春を忘る(拾遺集(平安中期))
A春忘れ(宝物集(平安末期)・┼訓抄(鎌倉期))

 有名な菅原道真の歌ですが、@とAはどう違うのか。Aの方が優しい言い方だといわれますが、あまり気にせず、要するに禁止だと思ってください。原理的に説明すると、

@春|を|忘る |
 春|を|忘れる|な

A春| |    |忘れ |
 春|を|     |忘れ |
    |てはいかん|   |ぞ

     ┌─────┐
A春| ||忘れ |||
 春|を| |忘れる|↓
          |な
|!



 「な」は禁止、「そ」は係助詞「ぞ」の古い形と言われ、強意を表します。普通は「な+動詞の連用形+そ」の形をとりますが、カ変・サ変に限って動詞は未然形になり、「な来(こ)そ」(来るな)、「なせそ」(するな)となります。「な」は副詞・終助詞など、諸説ありますが、気にする必要はありません。

 福島県に勿来(なこそ)の関という関所があります。ここは、桜の美しさと、勿来(なこそ)という名前の面白さで古来からの歌枕(和歌に詠まれる名所)になっているところです。平安後期、源義家が奥羽征伐の途中に立ち寄って詠んだのが次の歌です。

      ┌────┐
○吹く風を|
|こ |↓|| の |関 |と思へ|  ども|道も狭(せ)に   散る山桜  かな
 吹く風を| |来る|な|!|という|関所|と思う|けれども|道も狭くなるほど沢山散る山桜であることよ

 ちなみに、「勿来」を漢文として書き下すと、「来る勿(なか)れ」・「来ること勿(なか)れ」となり、「来てはいけない」という意味になります。

$143 その他の終助詞「か」「かな」「な」「は」「よ」

 これらは詠嘆・感動・呼びかけなどで、文脈でそれらしく訳してください。

$144 文末の強めの終助詞「かし」

○夏の蝉|の|春秋を知ら|ぬ | |も|ある|ぞ|
かし
 夏の蝉|で|春秋を知ら|ない|蝉|も|ある|ぞ|! 。

$145 間投助詞「し」、間投助詞+係助詞「しも」は強調

○馴れ   |に |し|妻| ||あれ|ば (伊勢物語)
 慣れ親しん|でき|た|妻|が|!
|いる|ので

○京に思ふ 人 |なき |  |に|
|も|あら|ず。(伊勢物語)
 京に愛する人が|いない|わけ|で|!|も| ない 。 

○今日| 
| 端|に|おはし   |ける|かな 。(源氏物語)
 今日|に限って|縁先|に|いらっしゃっ|た |ことよ。

 「し」「しも」は強調であることを覚えて、文脈により訳出できるものはして下さい。「間投助詞」とは、「どこにでも投げ込まれる助詞」くらいの意味です。

    第六章 品詞補遺

$146 副詞「え」は打消を伴って可能を表す

 「え」は関西弁の「よう」にあたります。

     ┌────────┐
○古語   |言は|   | | 。(可能+打消=不可能)
 関西弁 よう|言わ|   ↓ |ん
(わ)。
 標準語   |言う|ことができ|ない


     ┌────────┐
○古語   |言は|   | |    。(可能+打消推量=不可能推量)
○古語   |言ふ|   | |まじ   。
 関西弁 よう|言わ|   ↓ |ん やろ 。
 標準語   |言う|ことができないだろう

     ┌────────┐
○古語   |言は|   | |  、(可能+打消順接=不可能順接)
 関西弁 よう|言わ|   ↓ |なんで
 標準語   |言う|ことができないで

$197 「あり」「す」「ものす」「為(な)す」は柔軟に訳す。

「あり(ラ変)」「す(サ変)」は代動詞として使われることが多いので、文脈やその文自体の意味を考えて、自分の判断で柔軟に訳してください。

○ 帝 力  |何ぞ  |我|に|   
有ら|ん|や。
 皇帝の力など|どうして|私|に|関係があろ|う|か、いや、ない。

○    思ひ出でて偲ぶ人 あらむほどこそ| 
あら | め  、そ  もまた程 なく失せて、(徒然草)
 亡き人を思い出して偲ぶ人がいる うちは |まだよい|だろうが、その人もまた間もなく死んで、

○男も|
 | なる|日記といふものを女  も| |て見 むと|  |て|する|なり。
 男も|書く|と聞く|        女の私も|書い|て見ようと|思っ|て|書く|のだ。 

○百里を行く者は九十 を|半ば と|
     。
 百里を行く者は九十里を|真ん中と|考えるとよい。

 「ものす(複合サ変)」はもともと「ものをする・何かをする」という意味の代動詞です。これも自分の判断で適切に訳してください。

○あやしき  所に|
ものす  。
 むさくるしい所に|行く・来る。

○ものも|ものし|たまは|  で、
 食事も|   |お  |
    |とり |になら|ないで、

○ふみを|ものし|て、
 手紙を|書い |て、

 漢文でよく使われる「為(な)す」も、「言う」「呼ぶ」「思う」など、柔軟に訳すことが多いです。

○虎       以つて|然り |と|
為す 。(狐借虎威・戦国策)
 虎は狐の言うこと を |そうだ|と|思った。

○北海の帝を忽と|
為す。(荘子)
 北海の帝を忽と|呼ぶ。

$198 黄色い表に、なぜ( )付きの語があるのか

 まず黄色い表について、( )の付いている理由を説明します。

@(せ):体験過去「き」の未然形。「せば」という形でしか使われず、サ変動詞「す」の未然形だという説もあるから。

A(けら):伝聞過去「けり」の未然形。奈良時代しか使われていないから。

B(ま):推量「む」の未然形。奈良時代しか使われていないから。

C(ませ):推量・反実仮想「まし」の未然形。奈良時代しか使われていないから。

D(ず):打消「ず」の未然形。「ずば」という形でしか使われず、未然形ではなく連用形だという説があるから。(「ずは」の「ず」は連用形と考えられる。)

E(白く・美しく)(一例):形容詞基本型活用の未然形。上の(ず)と同じで、「白くば」「美しくば」などの形でしか使われず、未然形ではなく連用形だという説があるから。(「白くは」「美しくは」の「白く・美しく」は連用形と考えられる。)

F(じ):打消推量「じ」の已然形。確かな用例がないから。

 一般の参考書・教科書についても説明します。

G(ん・んず・んずる・んずれ・けん・らん):「む・むず・むずる・むずれ・けむ・らむ」の撥音便形で、こういう語形で出てくることも沢山あるから。私は( )は消した方がよいと思う。

H(らしき):確かな根拠からの推定「らし」の連体形:奈良時代に已然形の代わりに使われただけだから。

 実戦に必要なのは、@DEGだけです。

$199 ク語法について

T.接尾語「く」の接続は未然形か

@竹取の翁|の|言は|
 |  |、「…」(竹取物語)
     |が|言う|こと|には|、「…」

A   願は|
 |は、大王、急ぎ渡れ。  (史記・項羽本記)
 私が|願う|こと|は、大王、急ぎ渡れ(ということです)。

B   須(す|べか)ら|く |   |礼 義を重んず |べし 。(須重礼義。)(「須」は漢文の再読文字)
 当然|する | べき |こと|として|礼と義を重んじる|べきだ。
      当然 ・ ぜひとも    |礼と義を重んじる|べきだ。

C          いわ|
 |のありそうな古い屋敷(怪人二十面相)
 世間の人があれこれと言う|こと|のありそうな古い屋敷

D彼には思惑(思わ|
 |)がありそうだ。
       思う|こと|

E乱れ初め| に  |し|我|なら|な |く |  に(伊勢物語)
 乱れ初め|てしまっ|た|私|で |ない|こと|なのに

 「な」は打消の助動詞「ず」の未然形と説明せざるを得ない。

F以為(おもへ)| ら |
 |  、「…」と。(漢文特有の語法。以為、…。)
   思っ   |ている|こと|は|、「…」ということだ。

G何とまあ、あきれた|てい|たら |
 |だ!
          |様子|である|こと|だ!

H  |恐ら |く |は、明日は雨だろう。
 私が|恐れる|こと|は、明日は雨だろう(ということです)。

 「恐ら」は、「恐る」の何形だろう??

I老いら
|の|来 |  む|と|  |知り| せ | ば |門 鎖して→
 老年  |が|来る|だろう|と|もし|知っ|ていた|ならば|門を閉めて

I  なし  と答へて会は|ざら |まし  |を(古今集)
 「留守です」と答えて会わ|なかっ|ただろう|に

 「老い」は「老ゆ」(ヤ行下二段活用)の未然形?連用形? 「ら」は完了・存続「り」の未然形??

 これらの用例の中の「く」は、従来、「名詞を作る接尾語」と説明されてきましたが、説明に無理な点がありました。「く」の前にどんな活用形が使われるのか調べると、@〜Dでは未然形が使われているが、E〜Iなどは何形か説明が付きにくいです。また、「く」の前の語がなぜ未然形でなくてはならないのか、理由が分かりません。

U.接尾語「く」の語源

 そこで、最近の研究では、むしろ、「あく」という名詞があったと考えるほうがよいということが分かってきました。つまり、

@古語 竹取の翁|の|言は| く|  |、「…」
○語源 竹取の翁|の|言ふ|
あく|  |、「…」
        |が|言う|こと|には|、「…」

A漢文  |願は| |は、大王、急ぎ渡れ。
○語源  |願ふ|あく|は、大王、急ぎ渡れ。
   私が|願う|こと|は、大王、急ぎ渡れ(ということです)。

B漢文  |す |べから|    |礼義 を重んず |べし 。
○語源  |す |べかる|あく   |礼義 を重んず |べし 。
   当然|する|べき |こととして|礼と義を重んじる|べきだ。
      当然 ・ ぜひとも   |礼と義を重んじる|べきだ。

C現代語          言わ| |のありそうな古い屋敷
○語源           言ふ|あく|のありそうな古い屋敷
    世間の人があれこれと言う|こと|のありそうな古い屋敷

D現代語 彼には|思わ| |がありそうだ。
○語源     |思ふ|あく|がありそうだ。
        |思う|こと

E古語 乱れ初め| に  |し|我|なら|な | |  に
○語源 乱れ初め| に  |し|我|なら|ぬ |あく|  に
    乱れ初め|てしまっ|た|私|で |ない|こと|なのに

F漢文 思へ|  ら| | |、「…」と。
○語源 思へ|  る|あく| |、「…」と。
    思っ|ている|こと|は|、「…」ということだ。

G何とまあ、あきれた|てい|たら | く|だ!
          |態 |たる |あく|だ!
          |様子|である|こと|だ!

H現代語  |恐ら | |は、明日は雨だろう。
○語源   |恐るる|
あく|は、明日は雨だろう。
    私が|恐れる|こと|は、明日は雨だろう(ということです)。

I古語・現代語 老いら| 
|の…
 本当の古語  老ゆら| 
|の…
○語源     老ゆる|
あく|の…
        老いる|こと|の…

 「あく」は名詞なので、その前の語は例外なく連体形です。それが短縮されて、古語の形になったと考えられます。

V.助動詞「まほし」、形容詞「あらまほし」などの語源

 希望の助動詞「まほし」は「むあくほし」→「まくほし」→「まほし」というように成立しました。この「む」の接続は未然形なので、「まほし」の接続も未然形です。

○古語  我ももろともに|行か|  
ま      ほしき|を 、(森鴎外・舞姫)
○語源         |行か|  
| | |ほしき|を 、
○超語源        |行か| 
 |あく| |ほしき|を 、
 意味         |行く|だろう|こと|が|ほしい|のに、 
 現代訳        |行き|   た    い   |のに、

○古語  家居の、つきづきしく、|
あ  ら  ま  ほ  し  き | |こそ、(徒然草)
○語源             |
あ  ら| ま  ほ  し  き | |こそ、
○語源             |あ  ら ま | く| |ほしき| |こそ、
○超語源            |あ  ら む あく| |ほしき| |こそ、
 意味             |そうあるだろうことほしい|の|こそ、
 現代訳            |  理   想   的   な  |の|こそ、

 上の「あらまほしき」も同じように成立しました。「あらまほし」は一単語の意識で使われているので、動詞「あら」+助動詞「まほし」ではなく、一語の形容詞と認定されています。

W.「…なくに」というイディオムは「…ないのに」
    
 
                   ┌───────────────────┐
○古語             誰を|か|も|知る人に|  せ   | む |↓→
     年老いた私は、これから誰を| | |友として|生きたらよい|だろう|か。

○古語  高砂の松も昔の友|ならな  く に |(百人一首・藤原興風)
○語源          |ならぬ あく に 
 意味          |
ではないことなのに| 
 現代訳         |ではない|  | のに

 「寿命が長いことで有名な、あの高砂の松も、私の昔からの友ではないのに。」「ならなくに」は、断定「なり」の未然形+「なくに」だから、「ではないのに」と訳せばよいのです。

○古語  みちのくの信夫もじずり      誰  ゆゑに→
                あなた以外の誰かのために

○古語    乱れ初めにし|我|なら | |  |(百人一首・源融)
○語源            |ならぬ あく|  に
 意味            |ではないことなのに
 現代訳 心が初めて乱れた|私|ではない|  | のに

 「あなた以外の誰かのために、心が初めて乱れた私ではない」とは、「あなたのために、心が初めて乱れた私です」という意味です。

        ┌────┐
○春雨はいたく|
|降り|↓||桜花→
 春雨はひどく| |降る|な|!
|桜花

○古語  いまだ|  |見 |  |  に|散ら|  | | |惜し も(万葉集1864)
○語源        |見 |  |あく| |散ら|  |あく
 現代訳  まだ|よく|見て|いない|  |のに|散る|だろう|こと|が|惜しいよ

○古語  蒔か|
 || |何を種とて浮き草の波のうねうね生ひ茂るらむ
     蒔か|ない| |のに|

 この項の記述も、『岩波 古語辞典』の中の大野晋先生の解説を参考にしました。

    
第七章 敬語

$201 敬語は身分の違いを意識・表現した言葉


 授業で、「仕ふまつる」の訳を「お仕えする」と教えて、試験に出した所、「お仕いする」「お使いする」という答案が沢山ありました。「お仕えする」などという言葉は、普通の高校生は使ったことがないのでしょう。「お仕え」という言葉さえ知らない人もいるらしい。また、「お仕えする」と「お仕えになる」の違いが分からない人も沢山いると思います。敬語がうまく使えないということは、高校生に限らず、現代人全体に言えることです。普通、「…語を訳す」といえば、それは、知らない言葉を知っている言葉に訳すことです。ところが、「古語の敬語を訳す」時は、その訳す帰着点の現代語の敬語も、現代人にとっては難しいものなのです。これは、ドイツ語もフランス語もよく知らない人に、ドイツ語をフランス語に訳せと言うようなものです。現代人にとって古語の敬語の勉強が難しい理由の一つは、ここにあります。だから、古語の敬語の勉強をするときは、現代語の敬語も一緒に勉強するという気構えが必要です。

 また、敬語とは、昔、日本が身分制社会だった頃、その身分の違いを意識したり表現したりするために使われた言葉です。敬語は敬意を表す言葉だという言い方は、必ずしも正しい説明ではありません。昔の人は、相手に敬意など感じなくても、敬語を使わなくてはならない相手には敬語を使ったのです。身分制社会を理解する超基礎知識は、官職に関する知識ですから、黄色い表の「9.主要官職位階表」はぜひ覚えて下さい。

 敬語には、言うまでもなく「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三種類があります。これからそれらを一つ一つ説明します。

$202 尊敬語は「貴人が…する」を表す言葉

T.尊敬の動詞

 尊敬語とは、その言葉を使う人が、その動作を貴人の動作と認めて使う言葉で、「動作の為手(して)尊敬」と説明している教科書もあります。

○尊敬語 「我、  物 握りたり。今は 下してよ。 翁  し 得たり」と|
のたまふ 。
     「私は何か物を握った 。今すぐ下ろせ 。じいさん、やったぜ」と|おっしゃる。
                                (竹取・大納言の言葉)

○常体語 「我、  物 握りたり。今は 下してよ。 翁  し 得たり」と|言ふ   。
     「私は何か物を握った 。今すぐ下ろせ 。じいさん、やったぜ」と|
言う   

 「のたまふ」は「言ふ」の尊敬語。逆に言うと、「言ふ」は「のたまふ」の常体語(普通語とも言う・動作が同じだが、敬意を含まない言葉)です。これは辞書を引けば分かります。教科書や参考書にも必ず敬語の一覧表が付いているので、それを見ても分かります。

のたまふ⇒「言ふ」の尊敬語⇒貴人が言う」⇒おっしゃる

 この化学変化式のようなものをよく覚えて下さい。すべての敬語がこの方式で理解できます。「のたまふ」は、貴人が「言う」のだから、主語はもちろん大納言です。誰が誰に敬意を表しているのか。もちろん、その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、この話を物語っている作者が大納言に対して敬意を表しているのです。原文は敬語ですが、敬意を表さない表現、つまり常体語に置き換えると、動作はかえって分かりやすくなります。

U.尊敬の補助動詞

○尊敬語 かぐや姫  いと いたく|泣き|
たま
     かぐや姫はたいそうひどく|  |お     |
                 |泣き|になる   。

○常体語 かぐや姫  いと いたく|
泣く|      
     かぐや姫はたいそうひどく|
泣く      。

 「給ふ」は「泣く」が貴人の動作であることを表します。「泣く」が動作を表し、「給ふ」はそれに尊敬の意味を付け加えるだけなので、補助動詞です。

◎泣き|給ふ⇒「泣く」+尊敬⇒貴人が「泣く」⇒お|泣き|になる

「泣き給ふ」は、貴人が「泣く」のだから、主語はもちろん「かぐや姫」です。ここでは、作者がかぐや姫を貴人として扱っています。かぐや姫は人間とは別の、天上界の存在だからです。誰が誰に敬意を表しているのか。もちろん、その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、この文を書いている作者がかぐや姫に対して敬意を表しているのです。敬語表現と敬語でない(常体語の)表現の違いを理解してください。

$203 謙譲語は「貴人(の前)を・に・で・から…する」を表す言葉

V.謙譲の動詞

○謙譲語                | 君 達|に、よく思ひ定めて    仕ふまつれ
     お前(かぐや姫)に求婚している|貴公子達|に、よく心を決めて妻として|
お仕えせよ
                                     (竹取の翁の言葉)

○常体語                | 君 達|に、よく思ひ定めて    | 仕へよ 。
     お前(かぐや姫)に求婚している|貴公子達|に、よく 考え て妻として| 仕えろ 。

 謙譲語とは、その言葉を使う人が、その動作を受ける側を貴人と認めて使う言葉で、「動作の受け手尊敬」とも説明されます。
 「仕ふまつる」を辞書や一覧表で調べると、「仕ふ」の謙譲語と出ています。つまり、「仕ふまつる」の常体語は「仕ふ」です。

◎仕ふまつる⇒「仕ふ」の謙譲語⇒貴人に「仕える」⇒お仕えする

 「仕ふまつる」は、貴人に「仕える」のだから、主語はもちろん貴人ではない側、この場合はかぐや姫です。誰が誰に敬意を表しているのか。もちろん、その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、竹取の翁が君達(貴公子達)に対して敬意を表しているのです。なお、現代語でも「お+動詞連用形+する」は、「主君にお仕えする・お諌めする・お育てする」などと言い、謙譲表現です。一方、「お+動詞連用形+になる」は「お話になる・お泣きになる・お笑いになる」などと言い、尊敬表現です。

W.謙譲の補助動詞


○謙譲語 わが丈たち並ぶまで|養ひ|
たてまつり)|たる|我が子を、なに人か迎へきこえん。
     私の背丈と並ぶまで|養い|  申し上げ  |た |我が子を、誰が迎えに来ても許さん。
                                      (竹取の翁の言葉)

○常体語 わが丈たち並ぶまで|養ひ|        |たる|我が子を、なに人か迎へきこえん。
     私の背丈と並ぶまで|養っ|     
   |た |我が子を、誰が迎えに来ても許さん。

養ひ奉る「養ふ」謙譲貴人を「養う」養い
申し上げる養ってさしあげる・お|養い|する

 「養ひ奉る」は、かぐや姫を貴人として、「養う」のだから、主語はもちろんその貴人を養う側、竹取の翁です。誰が誰に敬意を表しているのか。もちろん、その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、竹取の翁がかぐや姫に対して敬意を表しているのです。現代語でも、「お養いする」は、「若君をお養いする」などと言い、謙譲語です。「お養いになる」は、「偉大なる首領様は、たくさんの喜び組をお養いになっている」などと言い、尊敬語です。

$204 丁寧語は聞き手や読者を貴人と捉え、丁寧に言う言葉

X.丁寧の動詞

 丁寧語は「話の聞き手尊敬」と説明する教科書もあります。丁寧語は、「侍(はべ)り」「候(さぶら・さうら)ふ」の二語しかありません。ともかく「です・ます・ございます・あります・おります」と訳すことを覚えて下さい。

○丁寧語               「波の下にも都の|
さぶらふ |ぞ」        (平家物語)
     安徳天皇の乳母の二位の尼は、「波の下にも都が|ございます|よ」と慰め申し上げて、

○常体語               「波の下にも都の|
ある   |ぞ」
     安徳天皇の乳母の二位の尼は、「波の下にも都が|
ある   |よ」と慰め申し上げて、

◎さぶらふ⇒「あり」の丁寧語⇒「ある」を貴人に丁寧に言う⇒ございます

 「さぶらふ」の主語は、話し手の話題の中にあるのですから、この場合はもちろん「都」です。誰が誰に敬意を表しているのか。もちろん、その言葉を使っている人が、会話の相手の貴人に対して敬意を表しているのですから、二位の尼が安徳天皇に敬意を表しているのです。

Y.丁寧の補助動詞

○丁寧語           「駿河の国にあるなる 山      なん、…天も|近く|はべ。」
  ある人が天皇に申し上げた
、「駿河の国にあるという山(富士山)がネ 、…天も|近い|です    。」
                                    …天も|近う|
ございます 。
                                             (竹取物語)

○常体語           「駿河の国にあるなる 山      なん、…天も|近き|      。」
  ある人が天皇に申し上げた
、「駿河の国にあるという山(富士山)がネ 、…天も|近い|      。」

 「侍る」は「なん」の結びで連体形ですが、ラ変動詞なので終止形は「侍り」です。「侍り」は「近し」ということを聞き手である貴人に丁寧に言う気持ちを表します。この「侍り」は動作や状態を表すというより、「近し」という用言(この場合は形容詞)にただ丁寧の意味を付け加えるだけなので、補助用言、つまり補助動詞です。

◎近く|侍り⇒「近し」+丁寧⇒「近い」を貴人に丁寧に言う⇒近い|です・近う|ございます

 「近く侍る」の主語は、話し手の話題の中にあるので、この場合はもちろん「富士山」です。誰が誰に敬意を表しているのか。もちろん、その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、「ある人」が天皇に敬意を表しているのです。敬語を取り除くと常体語の文になります。丁寧語(丁寧の動詞・補助動詞)は、「侍り」「候ふ」の二語で、訳は「です・ます・ございます・あります・おります」と暗記してください。

$205 尊敬・謙譲・丁寧のまとめ

   誰から            誰への敬意か
主語 誰の敬意か(敬意の主体) 誰に対する敬意か(敬意の対象)
尊敬(動作の為手尊敬) 貴人
その言葉を使っている人 そこで貴人と扱われている人
謙譲(動作の受け手尊敬) 貴人でない側
丁寧(話の聞き手尊敬) 話題の中にある

 敬語は複雑だと思っていたら、こんなに簡単にまとまってしまう。それは当たり前です。尊敬語は「貴人が…する」を表す言葉だから、主語はそれをしている貴人、今、貴人として扱われている人です。主語が書かれていなくても、その場面の貴人を探せばよい。謙譲語は「貴人(の前)を・に・で・から…する」を表す言葉だから、主語は貴人ではない側です。丁寧語の主語はいろいろですが、常識で読めば分かります。
 また、敬語は敬意を表すものだとすれば、「誰の敬意か」の答は「その言葉を使っている人」に決まっているではないか。また、敬語は貴人に敬意を表す言葉なので、「誰に対する敬意か」の答は、「そこで貴人と扱われている人」に決まっているではないか。

206 敬意の主体は、その敬語を使っている人である

 敬意の主体(誰の敬意か)を間違いやすい例を挙げます。ある物語か随筆か日記か、何でもよいが、次のような文があったとします。

○下人 、「帝にもの 申す   」と申し  て、…
 下人は、「帝にものを申し上げる」と申し上げて、…

 上の文の「申す」・「申し」は誰の誰に対する敬意を表しているか。「申す」は下人の帝に対する敬意、「申し」は、作者の帝に対する敬意を表している。当たり前ですね。「申す」を使っているのは下人、「申し」を使っているのは作者だからです。敬語は、その敬語を使っている人の敬意を表す。当たり前ですね。ところが、「申し」の敬意の主体を下人だと錯覚する人がいるのです。

○「…雪のいたく降り侍りつれば、おぼつかなさになむ      。」と申し  給ふ 。
  …雪がひどく降りましたので、気がかりなのでネ 参上しました。」と申し上げなさる。
 (枕草子・宮に初めて参りたるころ・大納言藤原伊周が、中宮定子に言った言葉)

 上の「申し」の敬意の主体は作者で、藤原伊周ではありません。伊周が中宮定子に敬意を抱いているし、また、敬意をこめた言葉を使っていることは事実です。しかし、それはカギ括弧内の、伊周の言葉に表現されているだけです。伊周が定子に話したことを、「…と申し給ふ」と書いたのは作者ですから、ここには、それを書いた作者の敬意が表れているのです。

207 敬語の動詞・補助動詞・助動詞の違い

 T.尊敬の動詞   ◎のたまふ ⇒「言ふ
尊敬貴人が「言う      ⇒おっしゃる
 V.謙譲の動詞   ◎仕ふまつる⇒「仕ふ」の
謙譲語貴人に「仕える     ⇒お仕えする
 X.丁寧の動詞   ◎さぶらふ ⇒「あり」の
丁寧語⇒「ある」を貴人に丁寧に言うございます

 U.尊敬の補助動詞 ◎泣き給ふ⇒「泣く」+尊敬 ⇒貴人が「泣く」      ⇒泣き|になる
 W.謙譲の補助動詞 ◎養ひ奉る養ふ」+謙譲 ⇒貴人を養う」      ⇒  養い申し上げる
 Y.丁寧の補助動詞 ◎近く|侍り⇒「
近し」+丁寧 ⇒「近い」を貴人に丁寧に言う⇒  近い|です

 違いは明らかですね。敬語の動詞は、一つの単語が動作と身分関係(敬意)の二つを表している。それに対して敬語の補助動詞は、常体語の動詞・形容詞・形容動詞が動作・状態を表し、それについた敬語の補助動詞が身分関係(敬意)を表す。では、補助動詞は助動詞とどう違うのか。

 U.尊敬の補助動詞 ◎泣き|給ふ|     ⇒「泣く」+尊敬⇒貴人が「泣く」⇒お|泣き|になる
   尊敬の助動詞  ◎詠ま|れ |たりける歌⇒「詠む」+尊敬⇒貴人が「詠む」⇒お|詠み|になっ|たという歌

 補助動詞は、機能的には助動詞とまったく同じ働きしかしていないことが分かります。働きが同じなのに、なぜ名前が違うのか。それは、「給ふ」「奉る」「侍り」などは本来の動詞としても使われるからです。それが、この場合は助動詞のように使われている。つまり、本当は『動詞が補助用言として用いられている、つまり、動詞の補助用法』なのですが、短く『補助動詞』と呼ばれているのです。品詞の九分類の中に、補助動詞という品詞はないことを思い出してください。補助動詞とは、品詞名ではなく、動詞の使い方に付けられた名前に過ぎないのです。

 もう一つ大切なこと。敬語の補助動詞や助動詞は、動作の意味は持たず、ただ敬意を表しているだけなので、敬意を含まない表現に変えると、消えてしまいます。

@尊敬の補助動詞   かぐや姫  いと いたく|泣き|たま
           かぐや姫はたいそうひどく|  |
     |
                       |泣き|
になる   。

@敬意を含まない表現 かぐや姫  いと いたく|泣く|      。
           かぐや姫はたいそうひどく|泣く|      。

A尊敬の助動詞     |詠ま| れ |たり|ける |歌
               |  |
            |詠み|になっ|た |という|歌

A敬意を含まない表現  |詠み|   |たり|ける |歌
            |詠ん|   |だ |という|歌

以上報告終わりと言いたいが、もう一回復習してみましょう。

$208 尊敬・謙譲・丁寧の動詞の復習

T.申す・おはす

○謙譲語・尊敬語 また異 所に、かぐや姫と   |
申す   |人 ぞ|おはす   | らむ  。
         また別の所に、かぐや姫と世人が|申し上げる|人が!|いらっしゃる|のでしょう。

○常体語     また異 所に、かぐや姫と   |言ふ   |人 ぞ|ある    | らむ  。
         また別の所に、かぐや姫と世人が|言う   |人が!|いる    |のでしょう。

 かぐや姫を迎えに来た天人たちに対して、竹取の翁がうそをついてごまかそうとしている言葉です。ここでは、竹取の翁がかぐや姫を貴人として扱っています。「申(まう)す」は「言ふ」の謙譲語、「おはす」は「あり」の尊敬語です。そうそう、「おはす」はサ変でしたね。サ変は「す」と「おはす」の二語でした。

申す⇒「言ふ」の謙譲語⇒貴人のことを
言う」⇒申し上げる・お呼びする
 
 「申す」は、貴人のことを「言う」のだから、主語は貴人ではない側、この場合は世間の人です。誰が誰に敬意を表しているのか。その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、竹取の翁がかぐや姫に対して敬意を表しているのです。

 ついでに大切なこと。「世人(世間の人)が、誰それのことを…と申す」という文脈の「申す」は、「
申し上げるお呼びする」と、現代語でも正確に謙譲語に訳してください。次の訳は間違いです。

○古語の謙譲語  かぐや姫と|申す   |人
×現代語の尊敬語 かぐや姫と|おっしゃる|人

 「かぐや姫とおっしゃる人」という敬語は、現代語には存在しますが、古語にはありません。

おはす⇒「あり」の尊敬語⇒貴人がいる」⇒いらっしゃる

 「おはす」は、貴人が「いる」のだから、主語は貴人、この場合はかぐや姫。誰が誰に敬意を表しているのか。その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、竹取の翁がかぐや姫に対して敬意を表しているのです。

U.奉る・賜はす

○謙譲語・尊敬語  かの        |奉る   |不死の薬に、又、壷 具して、御使いに|賜はす   
       帝は、あの天人がかぐや姫に|さし上げた|不死の薬に、又、壷を添えて、御使者に|お与えになる

○常体語      かの        |与ふる  |不死の薬に、又、壷 具して、御使いに|与ふ    。
       帝は、あの天人がかぐや姫に|
与えた  |不死の薬に、又、壷を添えて、御使者に|与える   。

たてまつる⇒「与ふ」の謙譲語⇒貴人に与える」⇒さし上げる

 「奉る」は、かぐや姫を貴人と扱っています。貴人に「与える」のだから、主語は天人。誰が誰に敬意を表しているのか。その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、作者がかぐや姫に敬意を表しているのです。なお、「貴人に『与える』」は現代語では「さし上げる」という動詞があるので、「お与え申し上げる」「与えてさし上げる」「お与えする」などとは言いません。

賜はす⇒「与ふ」の尊敬語⇒貴人が
与える」⇒お与えになる

 「賜はす」は、天皇を貴人と扱っています。貴人が「与える」のだから、主語は天皇。誰が誰に敬意を表しているのか。その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、作者が天皇に敬意を表しているのです。

○尊敬語      白き綾のなよよかなる   、紫苑色   など |
奉り    |て、…
     源氏の君は白い綾の 柔らかな 下着に、紫苑色の指貫などを|お召しになっ|て、…

○常体語      白き綾のなよよかなる   、紫苑色   など |着     |て、…
     源氏の君は白い綾の 柔らかな 下着に、紫苑色の指貫などを|着     |て、…

たてまつる⇒「着る」の尊敬語⇒貴人が着る」⇒お召しになる

 謙譲動詞のはずだった「たてまつる」が、ここでは尊敬動詞として使われています。これは、

○御つきのものが貴人に衣服を奉る(さし上げる・着せてさし上げる)。

 という動作を、貴人を動作の主体として考えると、

○貴人が衣服を奉る(お召しになる)。

 ということになるので、ここでの「奉る」は「着る」の尊敬語ということになるのです。同様の理屈で、「奉る」は、「食ふ」「飲む」「乗る」などの尊敬語としても使われます。くどいかも知れませんが、古文の語感を覚えるため、例を挙げましょう。

○御つきのものが貴人に食事を奉るさし上げる)=貴人が食事を奉る召しあがる

○御つきのものが貴人にお酒を奉る(さし上げる)=貴人がお酒を奉る(召しあがる・お飲みになる)

○御つきのものが貴人にお車を奉る(さし上げる・用意してさし上げる)=貴人がお車に奉る(お乗りになる)

V.きこしめす

○尊敬語      穢き所    の物 |
きこしめし|たれ|ば 、御心地 悪しからむものぞ。
     かぐや姫は汚い所(地上)の物を|召し上がっ|た |ので、ご気分が悪いでしょうよ 。
                                   (竹取・天人の言葉)

○常体語      穢き所    の物 |食ひ   |たれ|ば 、御心地 悪しからむものぞ。
     かぐや姫は汚い所(地上)の物を|食べ   |た |ので、ご気分が悪いでしょうよ 。

きこしめす⇒「食ふ」の尊敬語⇒貴人が食べる」⇒召し上がる

 ここでは、天人がかぐや姫を貴人と扱っています。「きこしめす」は貴人が「食べる」のだから、主語はかぐや姫。誰が誰に敬意を表しているのか。その言葉を使っている天人が、貴人と扱われているかぐや姫に敬意を表しているのです。

W.つかまつる・さうらふ

○謙譲語・丁寧語 過ちは、やすき所になりて、必ず|
つかまつる|こと|に |さうらふ 。(徒然草)
         失敗は、安全な所になって、必ず|いたします|こと|で |ございます。

○常体語     過ちは、やすき所になりて、必ず|する   |こと|なり|     。
         失敗は、安全な所になって、必ず|する   |こと|だ |     。

 木登りの名人が、兼好法師に話したことです。人間は安全な所になると注意が緩んで、かえって失敗しやすいという話。

つかまつる⇒「」の謙譲語⇒貴人の前で何かをする」⇒いたします

◎…に|さうらふ⇒「…なり」+丁寧⇒「…だ・である」と貴人に丁寧に言う⇒ …で|ございます

 「に」は断定の助動詞「なり」の連用形、「つかまつる」は「す」の謙譲語、「さうらふ」は丁寧の補助動詞です。

X.承(うけたまは)る

○謙譲語 お客様のご苦情は、店主の私が| うけたまはり |ます。(スーパーPM)
                   |お聞きし・拝聴し|ます。

○常体語 お客様のご苦情は、店主の私が|   聞き   |ます。
                   |   聞き   |ます。

うけたまはる⇒「聞く」の謙譲語⇒貴人の言葉を
聞く」⇒お聞きする拝聴する

Y.召(め)す

○尊敬語 惟光を|  召す  。
        |お呼びになる

○常体語 惟光を|  呼ぶ  。
        |  呼ぶ  。

召す⇒「呼ぶ」の尊敬語⇒貴人が呼ぶ」⇒お呼びになる

○古文 (兼通公は、参内しようとして)御冠(かぶり)| | 召し寄せ   |て、(大鏡・太政大臣兼通)
×硬直訳                      |を|お呼び寄せになっ|て、
◎適切訳                      |を|お取り寄せになっ|て、

 こういう場合の「召し寄す」という動作は、冠を呼び寄せたのではなく、従者に命じて冠を持ってこさせたのです。

○春の野に抜ける|茅花 |  ぞ|めし   |て肥え|ませ 。
 春の野で抜いた|つばな|ですよ|
召し上がっ|て  |お  |
                        肥り|なさい。

◎召す⇒「着る食ふ飲む乗る」の尊敬語⇒貴人が
着る食う飲む乗る
                        ⇒お召しになる召し上がるお乗りになる


$209 その他の注意すべき敬語

T.参る・奏す

○謙譲語 中将 、…    帰り|参り|て、かぐや姫をえ戦ひ止めずなりぬる事、こまごまと|奏 す 。
     中将は、…宮中に 帰  し|て、かぐや姫を留められなくなった事を、こまごまと|
奏上する

○常体語 中将 、…   帰り |行き|て、かぐや姫をえ戦ひ止めずなりぬる事、こまごまと|  言ふ 。
     中将は、…宮中に帰って|
行っ|て、かぐや姫を留められなくなった事を、こまごまと|帝に言う

参る⇒「行く」の謙譲語⇒貴人の前に行く」⇒参上する
 
 「参る」は、貴人の前に「行く」のだから、主語はその貴人ではない側、この場合は中将です。誰が誰に敬意を表しているのか。その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、作者が宮中にいる帝に対して敬意を表しているのです。

 もしあなたが、遅刻が多いために校長室に呼ばれたとします。「3年B組の野比のび太です。校長先生に呼ばれたので、来ました」では、良い言葉使いとは言えません。「呼ばれたので、参りました」または、「参上しました」と言うと、格好いいですよ。

奏す⇒「言ふ」の謙譲語⇒天皇に
言う」⇒天皇に申し上げる・奏上する

 「奏す」は、「言ふ」の謙譲語ですが、対象が天皇と決まっています。主語はその貴人ではない側、この場合は中将。誰が誰に敬意を表しているのか。その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、作者が帝に対して敬意を表しているのです。

U.…れたてまつる

○謙譲語・丁寧語 ある人に|誘は|
たてまつり|て、  明くるまで月 見ありく事 |はべり  |し|に、
             |誘わ|れ|申し上げ |て、夜が明けるまで月を見て回る事が|ございまし|た|が、
                                                (徒然草)

○常体語     ある人に|誘は|れ|     |て、  明くるまで月 見ありく事 |あり   |し|に、
             |誘わ|れ|     |て、夜が明けるまで月を見て回る事が|あっ   |た|が、

 「れ」はもちろん受身の助動詞「る」の連用形です。筆者の兼好法師が、普通の友人に誘われて月見に行ったなら、「ある人に誘われて」となるはずです。ところが、この夜、筆者を誘ったのは、身分の高い、おそらくお公家さんだったのでしょう。その場合、「ある人に誘われて」では、「ある人」が貴人であることを表現できず、失礼にあたります。そこで、謙譲の「たてまつる」を付けた。逆に言うと、私達は、「たてまつる」という謙譲語に着目すれば、筆者が誘われた対象、つまり筆者を誘った人は貴人であることが判断できるのです。「たてまつり」は筆者が「ある人」に対して、「はべり」は筆者が読者に対して敬意を表しています。

 この「…れたてまつる」という表現に慣れるため、くどいようですが、もう一例挙げましょう。

@謙譲語 友人に|殴ら|れ |たてまつる
        |殴ら|れ |申し上げる

A常体語 友人に|殴ら|る |。
        |殴ら|れる|。

 @の「友人」は身分の高い人、Aの「友人」は普通の身分の人です。もし皇太子殿下があなたの友人で、あなたを殴ったら、あなたは「殴られた」のではなく、「殴られたてまつった」のです。弁当を盗まれたら、「盗まれた」のではなく、「盗まれたてまつった」のです。逆に言うと、「俺は弁当を盗まれたてまつったよ」と言うだけで、犯人は皇太子殿下であることを表現しているのです。

$210 二方面に対する敬意(二人の貴人に対する敬意)の表現

○謙譲語・尊敬語 かぐや姫 、…いみじく静かに、公 に御文  |
たてまつり給ふ 。
         かぐや姫は、…とても 静かに、天皇にお手紙を|さし上げる|なさる。

○常体語     かぐや姫 、…いみじく静かに、公 に御文  |与ふ   
         かぐや姫は、…とても 静かに、天皇にお手紙を|出す(書く)。

◎たてまつる⇒「与ふ」の謙譲語⇒貴人に「与える」⇒さし上げる

 「たてまつる」は貴人に「与える」のだから、主語はもちろん天皇ではない側、この場合はかぐや姫です。誰が誰に敬意を表しているのか。その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、作者が天皇に敬意を表しているのです。なお、「貴人に『与える』」は現代語では「さし上げる」という動詞があるので、「お与え申し上げる」「与えてさし上げる」「お与えする」などとは言いません。

たてまつり給ふ「たてまつる尊敬⇒貴人がたてまつるたてまつり|なさる⇒さし上げ|なさる

 「給ふ」は「たてまつる」が貴人の動作であることを表します。かぐや姫が天皇に手紙を「たてまつる」のだから、主語はかぐや姫です。誰が誰に敬意を表しているのか。その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、作者がかぐや姫に敬意を表しているのです。作者から見ると、かぐや姫も天皇も貴人なので、「たてまつる」で天皇に敬意を表し、「給ふ」でかぐや姫に敬意を表しているのです。

211 二方面に対する敬意(二人の貴人に対する敬意)のまとめ

  ------例題1-----

 ある作者が、物語を書いたとします。登場人物は、

  下人・下人・少納言・天皇

の四人です。その物語の中に、次の記述があるとする。ABCDにはその中の誰が当てはまるでしょうか。

@AがBを|殴る。           ⇒AがBを |殴る。
AAがCを|殴り|たてまつる。     ⇒AがCを |殴り|申し上げる。
BCがBを|殴り|     | |給ふ。⇒CがBをお|殴り|     |になる。
CCがDを|殴り|たてまつり| |給ふ。⇒CがDを |殴り|申し上げ |なさる。
DDがAを|殴ら|     |せ|給ふ。⇒DがAをお|殴り|     |になる。
EDがCを|殴り|たてまつら|せ|給ふ。⇒DがCを |殴り|申し上げ |なさる。

  -----------

@A・Bは貴人ではないので、下人。

A「殴りたてまつる」は「貴人を殴る」のだから、Cは少納言または天皇、Aは下人。作者の、Cに対する敬意が表されている。別の言い方をすれば、敬意の主体は作者、敬意の対象はC。

B「殴り給ふ」は「貴人が殴る」、しかも二重尊敬が使われていないから、Cは少納言、Bは下人。作者の、少納言に対する敬意が表されている。(敬意の主体は作者。敬意の対象は少納言。)

C「CがDを殴りたてまつり給ふ」は「貴人Dを殴る」ことを「貴人Cがなさる」、しかも二重尊敬が使われていないから、Cは少納言、Dは天皇。「たてまつり」には、作者の天皇に対する敬意が表されている(敬意の主体は作者。敬意の対象は天皇)。また、「給ふ」には、作者の少納言に対する敬意が表されている(敬意の主体は作者。敬意の対象は少納言)。つまり、作者は「たてまつり給ふ」によって天皇と少納言の二人の貴人に敬意を表している。

D「せ給ふ」は「尊敬の助動詞+尊敬の補助動詞」つまり二重尊敬なので、Dは天皇。Aは下人。作者の天皇に対する敬意が表されている。(敬意の主体は作者。敬意の対象は天皇)尊敬の助動詞「す」の接続は未然形なので、動詞は「殴ら」となります。

E「DがCを殴りたてまつらせ給ふ」は「貴人Cを殴る」ことを「貴人Dがなさる」、しかも二重尊敬が使われているので、Cは少納言、Dは天皇。
 「たてまつり」には、作者の少納言に対する敬意が表されている(敬意の主体は作者。敬意の対象は少納言)。また、「せ給ふ」には、作者の天皇に対する敬意が表されている(敬意の主体は作者。敬意の対象は天皇)。つまり、作者は「たてまつらせ給ふ」によって少納言と天皇の二人の貴人に敬意を表している。

質問1:天皇は少納言より上位だから、天皇が少納言を殴る行為に、謙譲の「奉る」を付けるのはおかしいのではないか。

答:
私の謙譲語の定義「『貴人(の前)を・に・で・から…する』を表す言葉」を思い出してください。少納言は貴人ですから、誰が殴ろうと、少納言を殴る表現には謙譲語が使われます。

T.下人 が少納言を殴る。→○殴り|奉る。
U.大納言が少納言を殴る。→○殴り|奉り|給ふ。
V.天皇 が少納言を殴る。→○殴り|奉ら|せ|給ふ。

となります。Vの例文から、天皇が恐縮しながら少納言を殴っている様子を思い浮かべる読者もいるかも知れないが、そうではなく、天皇が少納言を遠慮なく殴っている様子を、作者が少納言に恐縮しながら描写している、その作者の恐縮の気持ちが「奉る」に表現されていると考えるとよいのではないか。$206でも述べたが、敬意の主体はその言葉を使っている人、地の文なら作者です。

質問2: 二重尊敬表現の対象になるのはどういう人たちでしょうか。

答:
天皇・皇后・関白や、それに近い身分の人と言ってよいでしょう。これには話し手や書き手の、話題の人物に対する感情が込められるので、例外もあります。

質問3:普通の尊敬(一重尊敬)の対象はどういう人たちでしょうか。

答:
上と同じで、例外はありますが、貴族階級、つまり皇族、公卿(三位以上)、殿上人(四位・五位)だと思ってください。上の問題の少納言は五位です。

質問4:この参考書で「貴人」という語がよく使われるが、「貴人」の定義は?

答:前項の質問の答と同じで、貴族階級、つまり皇族、公卿(三位以上)、殿上人(四位・五位)だと思ってください。例外はありますが、五位以上の貴族階級が、敬語表現の対象だったと考えると分かりやすいです。

質問5:作者が貴族階級に敬意を表するということは、作者は貴族階級より下なのか。

答:
作者は貴族階級の最下位に視点を置いて敬語表現をしていると考えてよいと思います。

質問6:極端な話、天皇が随筆や物語を書いたら、登場人物は全部天皇より下位だから、敬語は一切使わないのか。

答:
天皇だろうと誰だろうと、他人に読んでもらう文章を書くときは、自分を貴族階級の最下位に置いて敬語表現をすると考えてよい。

質問7:
二重尊敬があるなら、二重謙譲というのはないのか。例えば、下人が天皇を殴るなら、「殴り奉り聞こゆ」、天皇が皇后を殴るなら、「殴り奉り聞こえさせ給ふ」または「殴り聞こえ奉らせ給ふ」なんて。

答:「…奉り聞こゆ」や「…聞こえ奉る」はありませんが、『大鏡』などに、次のような例があります。

○この大将殿(藤原の兼家)は、天皇に自分を関白にしてくれと頼もうと思って、→

○   |参り |て|申し  |奉る     |ほど|に、…
 宮中に|参上し|て|申し上げ|申し上げている|時 |に、…

 この「申し奉る」は二重謙譲ですが、敬語がもっとも発達した平安後期の特殊な言い方なので、特に意識して勉強する必要はありません。

  ------例題2-----

 では、例題1の逆をやってみましょう。英作文ならぬ古作文です。上の@〜Eから選ぶより、「殴る」の活用語尾と助動詞・補助動詞を自分で書くと勉強になります。

例 下人が下人を殴る。 ⇒(殴る      )。
ア 下人が天皇を殴る。 ⇒(殴       )。
イ 少納言が下人を殴る。⇒(殴       )。
ウ 天皇が少納言を殴る。⇒(殴       )。
エ 少納言が天皇を殴る。⇒(殴       )。
オ 天皇が下人を殴る。 ⇒(殴       )。
カ 下人が少納言を殴る。⇒(殴       )。

  -----------

 ア 殴り奉る イ 殴り給ふ ウ 殴り奉らせ給ふ エ 殴り奉り給ふ オ 殴らせ給ふ カ 殴り奉る

  ------例題3-----

 もう一つ問題です。ある作者が書いた物語の次の場面を読んで、
の部分の敬語は誰の誰に対する敬意を表すか、考えて下さい。

@少納言 、「帝 は下人を 殴ら|せ給ふべし 」とのたまひ  て、
 少納言は、「天皇は下人をお殴り|になるだろう」と|おっしゃっ て、

A少納言 、 帝 は下人を 殴ら|給ふべし  とのたまひ  て、

B少納言 、 帝 は下人を 殴ら|給ふべし  と|おぼて、

C少納言 、「帝 は下人を 殴ら|
せ給ふべし」 と|思(おぼ)して、

D少納言 、 帝 は下人を 殴ら|給ふべし  と|      て

E少納言 、「帝 は下人を 殴ら|
せ給ふべし」 と|      て、

  -----------

@ 「せ給ふ」は、その言葉を使っている人が、貴人に対して敬意を表しているのですから、少納言が天皇に敬意を表している。「のたまひ」は、作者が少納言に敬意を表している。つまり、敬意の主体は、物語などの地の文では作者、会話文では話し手です。これは間違いない。

A カギ括弧がないだけで、@と同じです。

BC 「思し」の敬意の主体はもちろん作者です。しかし、「せ給ふ」の敬意の主体は作者か、少納言か。一般化して言うと、心内文(心の中に思っていることを表す言葉)の中の敬語の敬意の主体は作者か、それを思っている登場人物か。答は作者です。理由は、読者諸君が考えてください。

Cは引用のカギ括弧が付いているが、教科書や試験問題では、会話文にはカギ括弧を付け、心内文にはカギ括弧を付けないことになっている。もともと、古文の原文には、カギ括弧などないのだが。

DE 「とて」は「とのたまひて」か「と思して」か。公式論だが、Dはカギ括弧が付いていないのだから「と思して」、Eはカギ括弧が付いているから「とのたまひて」だろう。だから、Dの「せ給ふ」の敬意の主体は作者、Eは少納言。

BCDは試験には出ないと思うが、@AEは、出るかもしれません。

212 「侍り」は本来は謙譲の動詞だった

○   雨のいたう降りければ、夕さりまで|      侍り |て、(古今集397・詞書)
◎謙譲 雨がひどく降ったので、夕方 まで|
帝の御前にお仕えし|て、
×丁寧                 |  おりまし   |て、

侍り⇒「あり」「をり」の謙譲語貴人の前にいる」⇒貴人のお側にいる伺候する

 上の「侍り」は動詞であることは明らかですが、丁寧ではなく謙譲の意味で使われています。丁寧とすると、聞き手や読者に丁寧に言う意味になりますが、この場合はそうではなく、「貴人の前にお仕えする・伺候する」という意味です。

○古語  貴人に|   は   べ    り 。
○語源     |   這  ひ | あ り 。
 意味     |御前に這いつくばってい る 。
 現代訳    |お仕えしている・伺候している。

 「侍り」の語源は「這ひあり」で、「貴人の御前に這いつくばっている」という意味でした。奈良時代まではその意味で、つまり謙譲の動詞として使われました。それが平安時代には多く丁寧の動詞・補助動詞として使われるようになったのです。

213 「候(さぶら・さうら)ふ」も本来は謙譲の動詞だった

○   物語など  して   集まり |  さぶらふ  |   に、(枕草子)
◎謙譲 世間話などをして私達が集まって|中宮様にお仕えし|ていると、
×丁寧            集まって|おります    |   と、

候(さぶら)ふ⇒「ありをり」の謙譲語貴人の前にいる」⇒貴人のお側にいる伺候する

○古語  貴人に| さ  ぶ   ら   ふ  
○語源     |
 さ |守(も)ら  ふ  
 意味     |接頭語| 警護し |続けている。
 現代訳    | 
お仕えする ・  伺候する 

 「子守(こもり)」「燈台守(とうだいもり)」などという言葉が今でもありますが、現代語の「守る」は古語では「もる」でした。「さぶらふ」の語源は「さもらふ」で、「さ」は接頭語、「もら」は「守(も)る」の未然形、「ふ」は継続・反復を表す接尾語で、「さもらふ」は「貴人を警護している」という意味です。つまりこの語は本来は謙譲の動詞でした。この連用形「さもらひ」は、「侍(さむらい)」の語源です。「侍(さむらい)」は本来、「貴人の警護をする者」という意味でした。「侍り」と同じように、「候ふ」も、本来謙譲動詞だったものが、後に、丁寧の動詞、補助動詞としても使われるようになったのです。

213−2 「侍り」「候ふ」は、なぜ丁寧語としても使われるようになったのか

 「侍り」は女性がよく使い、「候ふ」は男性がよく使うことばなので、その区別もしながら考えて見ましょう。まだ「侍り」が丁寧語でなかった大昔、天皇が「どこかに女官はいるか。」と尋ねたとします。すると、女官が次のように答える。

○はい、ここに|
侍り                           |。
       |這いつくばっております・控えております・お仕えしております|。

これは、貴人に対する動作を表す謙譲動詞です。

 では、天皇が「どこかに菊の花は咲いているか。」と尋ねたとします。すると、女官は、

○はい、菊の花は、ここに|   |あり。
○はい、菊の花は、ここに|咲きて|あり。

などと答えたいところだが、これでは天皇に対する自分の敬意が表現できません。まだ「です・ます・ございます・あります・おります」などの丁寧語がない大昔のこと。そこで、女官は、

○はい、菊の花は、ここに|   |
侍り                           |。(動詞)
            |   |這いつくばっております・控えております・お仕えしております|。

○はい、菊の花は、ここに|咲きて|
侍り                           |。(補助動詞)
            |咲いて|這いつくばっております・控えております・お仕えしております|。

などと答えた。菊の花は天皇の存在を意識して這いつくばっているわけではなく、普通に咲いているだけなのだが、話者である女官の意識が、菊の花の動作を謙譲の動作と表現させたと言えるでしょう。この場合の「侍り」は、菊の花が天皇を貴人と意識して何かするということを表していないし、ただ話し手(女官)が聞き手(天皇)に対して丁寧に言おうという意識を表現しているだけなので、丁寧語と呼ばれることになったのです。

 「候ふ」についても、事情は全く同じです。まだ「候ふ」が丁寧語でなかった平安時代初期、天皇が「どこかに中将はいるか。」と尋ねた。すると、中将が次のように答える。

○はい、ここに|
候ふ                             |。
       |あなたを警護しております・伺候しております・お仕えしております|。

これは、貴人に対する動作を表す謙譲動詞です。

 では、天皇が「どこかに菊の花は咲いているか。」と尋ねたとします。すると、中将は、

○はい、菊の花は、ここに|   |あり。
○はい、菊の花は、ここに|咲きて|あり。

などと答えたいところだが、これでは天皇に対する自分の敬意が表現できません。まだ「です・ます・ございます・あります・おります」などの丁寧語がない時代のこと。そこで、中将は、

○はい、菊の花は、ここに|   |
候ふ                             |。(動詞)
            |   |あなたを護衛しております・伺候しております・お仕えしております|。

○はい、菊の花は、ここに|咲きて|候ふ                             |。(補助動詞)
            |咲いて|あなたを護衛しております・伺候しております・お仕えしております|。

などと答えた。菊の花は天皇の護衛をしているわけではなく、普通に咲いているだけなのだが、話者である中将の意識が、菊の花の動作を謙譲の動作と表現させたと言えるでしょう。この場合の「候ふ」は、菊の花が天皇を貴人と意識して何かするということを表していないし、ただ話し手(中将)が聞き手(天皇)に対して丁寧に言おうという意識を表現しているだけなので、丁寧語と呼ばれることになったのです。

214 「聞く」「聞こゆ」「聞こえさす」「聞こす」「聞こしめす」は、混同しないよう注意

T.
「聞く」は四段活用の一般動詞

○人の話を… 聞か・ず。聞き・たり。聞く。聞く・時。聞け・ど。聞け。

 「聞く」は四段活用なので、「聞こ」という活用形はない。だから、「聞こゆ」「聞こえさす」「聞こしめす」は「聞く」とは別の動詞です。

U.一般動詞としての「聞こゆ」

@声 |
聞こゆ 。(近代能楽集・三島由紀夫)
 声が|
聞こえる

A   
聞こゆる    |木曾の鬼葦毛(おにあしげ)といふ馬(平家物語・木曾の最期)
 
評判が聞こえる有名な
                    ┌─────┐
B この頃は、かやうの  こと  | |や|は|
聞こゆる    ↓
  最近 は、こういう風情のある話|が|   |
耳に入る|だろうか、いや、耳にしない。
                            (枕草子・清涼殿の丑寅の隅の)

V.謙譲動詞としての「聞こゆ」

聞こえ |まほし|げ |なる|こと|は|あり| |なれ|  ど(源氏物語・桐壺)
 
申し上げ|た  |そう|な |こと|は|あり|そう|だ |けれど

 「聞こゆ」は、本来はUの「聞こえる」という意味の動詞でした。それが、「貴人に面と向かってはっきり口に出すのは恐れ多いので、聞こえるようにする・お耳に入れる」のように使われるようになり、「貴人に申し上げる」という意味の謙譲動詞になりました。

W.謙譲の複合動詞を作る「聞こゆ」

○いかが
聞こえ返さむ。(源氏物語・末摘花)

 上の「聞こえ」は「聞こえ…」という複合動詞を作るもので、この場合は「聞こえ返す」という謙譲語になります。

聞こゆ  ⇒「言ふ」  の謙譲貴人に言う」  ⇒   申し上げる
聞こえ返す⇒「言ひ返す」の謙譲貴人に
言い返す」⇒ご返事申し上げる

      ┌──────────
○謙譲語 いかが|
聞こえ返さ  |む |↓。
     どう |
ご返事申し上げ|よう|か。(相手は貴人)

      ┌─────────┐
○常体語 いかが|
言ひ返さ   |む |↓。
     どう |
返事し    |よう|か。

 同類の複合動詞として、次のようなものがあります。簡単に、訳し方の原理を示します。

聞こえ合はす⇒「言ひ合はす」の謙譲語⇒貴人に・貴人と相談する」⇒ご相談申し上げる

聞こえ出だす⇒「言ひ出だす」の謙譲語⇒外にいる貴人に向かって
話しかける」⇒話しかけ申し上げる

聞こえ入る ⇒「言ひ入る」 の謙譲語⇒中にいる貴人に向かって話しかける」⇒話しかけ申しあげる

聞こえ出づ ⇒「言ひ出づ」 の謙譲語⇒
貴人に向かって話し出す」⇒話し出し申し上げる

聞こえ交はす⇒「言ひ交はす」の謙譲語⇒貴人と言葉を交わす」⇒言葉を交わし申し上げる

X.謙譲の補助動詞としての「聞こゆ」

○               人々| |もてわづらひ|聞こゆ  。(源氏物語・桐壺)
 帝が桐壺の更衣を溺愛するので、人々|は|頭を悩まし |申し上げる

 貴人である帝をどう処遇するか、頭を悩ます、手を焼くので、「聞こゆ」を付けた。これは普通の謙譲の補助動詞として使われています。

Y.謙譲動詞としての「聞こえさす」

○人づて|なら| で |
聞こえさせ|む 。(源氏物語・紅葉の賀)
 人づて|で |なくて|申し上げ |よう。

 「聞こえさす」は、語源は「聞こゆ」+使役「さす」で、「人を使って聞こえるようにさせる・お耳に入れさせる」のような意味で使われ、「聞こゆ」より敬意の高い謙譲動詞になりました。しかし、「聞こえさす」は一単語と認定され、「二重謙譲」などという言い方はされません。

Z.謙譲の補助動詞としての「聞こえさす」

○推しはかり|
聞こえさする|に、(悲しみは)いと 尽きせずなむ。(源氏物語・柏木)
 推 察  |申し上げる |と、      とても尽きません。

 上のように謙譲の補助動詞としても使われますが、用例は少ないです。

[.尊敬の動詞としての「聞こす」「聞こしめす」

@このことを帝| |聞こしめし |て、竹取が家に御使  つかはさ|せ|給ふ。(竹取物語)
Aこのことを帝| |聞こし   |て、竹取が家に御使  つかはさ|せ|給ふ。
      帝|が|
お聞きになっ|て、竹取の家に御使者を派遣  |なさる 。

 本文によって、@とAがあります。「聞こす」と「聞こしめす」は、だいたい同じ意味で使われると覚えていれば、実戦には間に合います。

 「聞こし召す」は、上のように「聞く」の尊敬語としてよく使われますが、それ以外にも、「治む・飲む・食ふ」などの尊敬語としても使われます。

聞こしめせ 、さ さ | 。
 お飲みなさい、さあさあ、
       | 酒  |を。


 「酒」は「笹の露・ささ」などとも言うので、「さあさあ」の意味の「ささ」と掛詞になっています。

     第八章 和歌の修辞法

$301 枕詞のもとの意味

あかねさす 茜(あかね・赤根)は野生のつる草の一種で、根から赤色の染料を取った。
      「あかねさす」は、東の空が茜色に映える意から昇る太陽を連想し、美しく輝くのをほめて「日・昼・紫・君」に掛かる。

足引きの 足が引き攣(つ)る意と言う。「山・峰(を)」に掛かる。

あづさ弓 梓(あづさ)の木で作った弓。古くは呪力があるとされ、神降ろしに用いた。「い・いる・はる・ひく」に掛かる。

いはばしる 石の上を激しく流れる意。「滝・垂水(たるみ)・近江(あふみ・溢水と同音)」に掛かる。

ぬばたまの 黒い珠、また、黒いヒオウギの実。「夜・闇・黒・夢」に掛かる。

唐ごろも 外国(中国・朝鮮)風の着物。「着る・裁つ・返す・ひも・そで・そで・すそ・褄(つま)・褻(な)れ」に掛かる。

草枕 草を結んだ枕。「旅・結(ゆ)ふ」に掛かる。

玉の緒 玉を貫いた緒(紐)。また、魂を身体に繋ぎ止める緒の意で、命。「長き・短き・絶え・乱れ・継ぎ」に掛かる。

たらちねの 「垂らし」の語幹「垂ら」+「乳」+「ネ(女性)」。「母・親」に掛かる。

ちはやぶる 「風(ち)・速・ぶる(様子をする)」。「千(ち)・磐(いは)・破る」とも解釈された。
       勢い激しい。「神・うぢ」に掛かる。

$302 序詞の表現構造

                            ┌────────────────────┐
○風 吹けば沖つ白波 |   立 田山|   夜半 に|や|君  が|一人|越ゆ   |らむ   |
           |  
 立つ  |                             |
 風が吹くと沖の白波が|   立つ  |                             |
           |あの|立 田山|をこの夜更けに、 |あなたが|一人|     |今頃  |↓
                                     |越えて行く|のだろう|か。

 「風吹けば沖つ白波」は「立つ」と「立田山」の掛詞を介して「立田山」以下を引き出す序詞。

                                       ┌───────────-┐
                                     ┌─┼─────────┐ 

○足引きの|山鳥の尾の しだり   尾|の   長々し | 夜を|一人 |か|も|寝 | む  |↓  ↓
  枕詞 |山鳥の尾の、垂れ下がった尾|のような長々しい|今宵を|一人で|   |寝る|のだろう|か|なあ

 「足引きの山鳥の尾のしだり尾の」は「長々し」以下を引き出す序詞。

 序詞は上の二つのパターンがあります。

$303 掛詞・縁語の表現構造

 小言幸兵衛(大家):「ところで、おまいさん、ご職業は何だい?」
 家を借りに来た人 :「はい、仕立て屋を営んでおります。」
   幸兵衛    :「何、仕立て屋を営んでおりますだって? うぅーん! 仕立て屋を営むなんて、並みの教養で言える言葉じゃない。傘屋なら「張りなむ」と言うところだ。おまいさんみたいな学のある人に、ぜひうちの長屋を借りてもらいたい。…」(落語『小言幸兵衛』)

○ 仕立て屋 を営む。
 
《仕立て屋》《糸》

 「営む」と「糸」は掛詞。「仕立て屋」と「糸」は縁語です。
 上のような内容を、「仕立て屋は糸で仕事をする。」と言っても、縁語は成立しません。「仕立て屋」と「糸」は確かに縁のある言葉だが、それらが掛詞や比喩表現の裏に隠れていないからです。そういう表現には「詩的修辞」が用いられていないので「詩的表現」とは言えない、つまり、「散文的表現」でしかないのです。

○サッカーの試合…最後のシュートで|けり|を付けた。
           《シュート》《蹴り》


 「けり」(決着)と「蹴り」は掛詞。「シュート」と「蹴り」は縁語。しかし、次のような掛詞・縁語は成立しません。

 サッカー部に入り|けり。
×《サッカー》   
蹴り


 助詞・助動詞などの付属語は、それだけでは掛詞や縁語になることはありません。

 次に、実際の文学作品について見てみましょう。

 唐衣 着つつ             |   |慣れ    |に|し|妻| し|あれ|ば
 《唐衣》                    《褻れ》       《褄》
  唐衣を着ていると、だんだん|糊が取れて|   |柔らかくなる。
                     |私には|慣れ親しん |できた|妻|が!|いる|ので

○    | 遥 々  |    |き| ぬる  |旅をしぞ    思ふ
     《張る》

 こんなに| 遥 々 と|遠くまで|来|てしまった|旅を!!感慨深く思うことだ。

 「唐衣」は「着」に掛かる枕詞。「唐衣着つつ」は「褻れ」と「慣れ」の掛詞を介して「馴れにし」以下を引き出す序詞。「妻」と「褄」(着物のへり)、「遥々」と「張る」(着物を洗い張りする)は掛詞。「褻れ」・「褄」・「張る」は「唐衣」の縁語です。この歌では、更に、各句の初めの文字に「かきつはた」(杜若)が折り込まれる折句の技法も用いられています。

○   玉 の 緒よ|絶え| な  |  ば|絶え| ね         |永らへ|   ば
          《絶え》                       《長らへ》

 私の|命    よ|絶え|てしまう|ならば|絶え|てしまえ。このまま生き|永らえ|たならば、
   |
玉を貫く紐よ|切れ|てしまう|ならば|切れ|てしまえ。

○    忍ぶる|こと|の|弱り|           |もぞ   |する
 恋を耐え忍ぶ |心 |が|弱っ|てしまい、人目につくと|困ることに|なるから。

 「玉の緒」は「命」の比喩。比喩は、二重のイメージを持つ点で掛詞と同じ表現構造を持つと言えます。「絶え」も、掛詞とは言えないが、「命が絶える」「紐が切れる」の二重の意味で使われている。掛詞と言えない理由は、例えば「営む」と「糸」のように、まったく別の単語が同音なら掛詞だが、「命が絶え」と「紐が絶え」の二つの「絶え」は、別の単語とは言いにくいからです。「ながらへ」(命が永らえる・紐が長く伸びる)・「弱り」(心が弱る・紐が弱る)も同じで二重の意味。そこで、「絶え」・「長らへ」・「弱り」は「玉の緒」(玉を貫く紐)の縁語です。

○青柳の       糸 |  |より  かくる  |      |  春 |し| も |ぞ
          
《糸》   《縒り  掛くる  》
 青柳が|まるで 細い枝を|風に|靡かせて掛けてある|ように見える|この春に|!|こそ|は、

○乱れ|て     花の|ほころび  |に|ける
《乱れ》        《綻  び》
 乱れるように|柳の花が|つぼみを開い|た|ことだ

 「糸」は青柳の細い枝を比喩したもので、「柳の枝」と「糸」の二重のイメージを提起します。「縒り掛くる」(柳が風に靡く・糸を縒って掛ける)・「乱れ」(柳の花が乱れ咲く・糸がもつれて乱れる)も同じで、比喩です。「ほころび」は「花がつぼみを開く」と「糸が綻びる」の掛詞です。比喩も掛詞も、二重のイメージを提起します。そこで、「糸・縒り掛くる・乱れ・綻び」は縁語です。

     ┌───────────────────────────────────────────┐
○これ |や|この    行く も|  帰る も|別れては|知る も知らぬ も|あふ坂の関|   |
                        
《別れ》           《逢ふ》      |
 これが| |この、東国に行く人も|都に帰る人も|別れては|知る人も知らぬ人も|逢う   |   ↓
                                       |逢 坂の関|だろうか。

 「あふ坂」と「逢ふ」は掛詞。「逢ふ」は「別れ」の縁語です。
そこで、「縁語とは、掛詞や比喩表現などに絡めて、縁のある語を配する技法である。」と定義されます。

○むばたまの|わ|が|黒髪|は|しらかはの      |みず| は |   |くむ   |まで
              
 《 白 川 》      《 瑞   歯     ぐむ   》
  枕詞  |私|の|黒髪|は、しらが になって年衰え、
               | 白 川 の      | 水 |を  |自分で|汲む   |ほどに
                           |新しい 歯が|   |生え替わる|ほど

○         |なり| に  |ける|   かな
 落ちぶれた身の上に|なっ|てしまい、
 年老い         |てしまっ|た |ことだなあ

 「しらが(白髪)」と「白川」は掛詞、「水は汲む」と「瑞歯ぐむ」(老人がものすごく長生きすると、歯が抜けた後に、もう一度新しい歯(瑞歯)が生えてくる(ぐむ)という俗説があった)も掛詞。「ぐむ」は、「涙ぐむ」「芽ぐむ」などの「ぐむ」で、内部から外に向かって動きが兆す意。

$304 掛詞クイズ

 問題 次の空欄には掛詞になる言葉が入ります。それらを答え、何と何の掛詞かも説明して下さい。

○ 秋の野に人(A・昆虫の名)の声すなり我かと行きていざ訪はん

○ つれづれの(B・名詞)に増さる涙川袖のみひぢて逢ふよしもなし

○ 有明の月も(C・地名)の浦風に浪ばかりこそ寄ると見えしか

○ くずの葉の(D・名詞)はさらに尽きすまじ。

○ 萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか(E・名詞)にあはで果つべき

○ (後醍醐天皇の命で鎌倉幕府転覆を計った日野俊基が、捕らえられて死罪になり、京都から鎌倉に送られる道中を描いた文)→

○ 勢多の長橋(滋賀県大津市内) 打ち渡り、行きかふ人に(F・旧国名)路や、→

○ いつかこの(G・旧国名)(H・旧国名)なる熱田の社(熱田神宮・名古屋市内) 伏し拝み、…

○ 高砂(兵庫県の姫路より少し東の海岸)や、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で汐の、波の(I・地名)の島影や、→

○ 遠く(J・兵庫県尼崎市内の地名・甲子園のある所)の沖過ぎて、→
 
○ はや住の江(大阪府南部の地名・現在の住吉)に着きにけり。

 解答

 A 松虫・待つ B 眺め・長雨 C 明石・明かし D 恨み・裏 E 秋・飽き F 近江(あふみ)・逢ふ
 G 美濃・身の H 尾張・終はり I 淡路(あはぢ)・泡(あは) J 鳴尾・なる(動詞)

$305 掛詞・縁語クイズ

 問題 次の打ち消し線の部分は別の言葉に直して、空欄には自分の考えた言葉を入れて、
   掛詞・縁語を使った表現に直してください。

A 毒入りの饅頭(まんじゅう)を食わせて殺する。

B 高校に入学して、水泳部に入る

C 高校に入学して、締め切りぎりぎりで野球部に入った

D 将来、画家になる夢を持つ

E 風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬわが(名詞)かな

F 鈴虫の声をかぎりを尽くしても長き夜あかず(動詞)涙かな

G 昨日と言ひ今日と暮らして(地名)川流れて早き月日なりけり

 解答

A毒入りの
饅頭を食わせて|暗殺|する。
    《饅頭》    《 》

 「暗殺」と「餡(あん)」は掛詞。「饅頭」と「餡」は縁語。

B 水泳部に飛び込む。
 《水泳》《飛び込む》

 「飛び込む」は「水に飛び込む」と「思い切って入る」の掛け言葉。「水泳」と「飛び込む」は縁語。

C 野球部にすべり込む。
 《野球》《すべり込む》

 「すべり込む」は「ぎりぎりで入る」と「ジャンプしてベースにタッチする」の掛け言葉。「野球」と「すべり込む」は縁語。

D 画家になる夢を描く。
 《画家》   《描く》

 「描く」は「絵を描く」と「夢を描く」の二重の意味。「画家」と「描く」は縁語。

E 風になびく富士煙の空に消えて行方も知らぬわが|思ひ|かな
        《煙》 《消え》         《火》

 「思ひ」と「火」は掛け言葉。「煙」と「消え」と「火」は縁語。

F 鈴虫の声のかぎりを尽くしても長き夜あかず|降る|涙かな
 《鈴》                  《振る》

 「鈴虫」と「鈴」、「降る」と「振る」は掛け言葉。「鈴」と「振る」は縁語。

G 昨日と言ひ今日と暮らして|飛鳥川|流れて早き月日なりけり
 《昨日》 《今日》    《明日》

 「飛鳥川」と「明日」は掛け言葉。「昨日・今日・明日」は縁語。

    付録

$990 動詞を連用形で引く『岩波古語辞典』は、最高の古語辞典だ


 この小論は、国語の先生方に是非読んで頂きたいです。高校生でも、文法が好きな人は読んでみてください。大野晋氏が中心になって編集された『岩波古語辞典』は、動詞を終止形でなく連用形で引くという画期的な方式を採用し、出版当初から今日に至るまで、教育現場で話題になり続けています。しかし、それはいい意味で話題になっているのではないのです。先生達の大部分は、この方式に否定的で、生徒達に「岩波の古語辞典だけは買わないように」と指示されている先生も多いと思います。にもかかわらず、私は、この方式は極めて合理的かつ教育的だと思っています。大野氏自身がその理由を辞書の「序にかえて」の中で簡潔に説明されていますが、簡潔すぎて、趣旨が理解されていないのではないかと思われます。ここに私が現場の教師の経験を踏まえて、もう少し詳しく説明しましょう。

T.連用形は古語と現代語の架け橋である(表1)

 例えば、「日も暮れて、」の「暮れ」の活用表を初学の生徒に書かせると、生徒は、「暮れ」ず(未然形)、「暮れ」たり(連用形)は簡単に答えを出しますが、日「暮る」。(終止形)、日の「暮るる」頃(連体形)、日は「暮るれ」ども(已然形)の三つは、必ずと言ってよいほど間違え、また、なかなか覚えられません。命令形の「暮れよ」は、初めは間違えても、現代語の命令形語尾の「ろ」を「よ」に換えればよいというコツを覚えると、比較的早く出来るようになります。これは、古語の下二段活用の未然形・連用形は現代語と同じだが、終止形・連体形・已然形は現代語とは違うので、新しく覚える必要があるからです。また、命令形は現代語の中に少し残っているから覚えやすいと言えます。このような観点から、動詞の各「活用の種類」における各活用形の現代語との一致・不一致を一覧表にしてみると、次のようになります。

四段
上一段
下一段 × ×
上二段 × × ×
下二段 × × ×
カ行変格 ×
サ行変格 ×
ナ行変格 × ×
ラ行変格 ×

         (表1)

 多少の例外は無視して大雑把にまとめた表ですが、○は現代語と一致、×は不一致、△は「一部一致」または「現代語の中に少し残っている」です。一見して、終止形は生徒にとって一番馴染みが薄く、連用形は一番馴染みやすい活用形だということが分かります。連用形が現代語と一致しないのは、この表によれば下一段活用だけです。下一段活用の動詞は「蹴る」の一語だけで、その上、実際の古文教材の中には、ほとんど現れません。ところが、終止形は六つの活用形の中で、一番現代語と一致しない例が多い。しかも上二段活用や下二段活用は、動詞の数も多いのです。生徒に終止形で古語辞典を引かせるというのは、一番馴染みのない形で辞書を引かせるということなのです。古語が現代語に変化する歴史的過程で、連用形がほとんど変化しなかったのは、その活用形が日常の言語生活の中で使われる頻度が一番高いからなのだろうと推測されます。要するに、連用形は、古語と現代語を結ぶ架け橋なのです。

 古文の本文の中に使われる動詞は、連用形で使われる例が約六割であること、また、連用形は名詞形でもあり、連用形を見出しにすれば動詞と名詞の関連も把握しやすいことは大野氏も指摘しておられます。しかし、単に出現頻度が高いから連用形で引ければ便利だというだけではありません。連用形以外の活用形で出て来た場合も、その単語が多少耳慣れたものならば、「て」「ます」などが下に付く形を考えれば、生徒は、古典文法の動詞の活用の知識がなくても、現代語と同じ感覚で古語の連用形を作ることが出来るのです。

U.動詞の活用を習っても、生徒は終止形を作れない

 国語の辞書を終止形で引くのは昔から決まっていることであり、そのためにこそ古典文法で動詞の活用を教えているのだという意見があります。しかし、この意見には間違いが含まれていることをこれから述べます。各「活用の種類」の各活用形からその動詞の終止形・連用形を作ることが出来るか否か、詳しく考えて見ます。その前に、議論を精密にするために、まず動詞を二種類に分けなくてはなりません。

 1.古今共通語:「走る」「見る」など、古文でも現代語でも使われる動詞を、ここでは、こう呼ぶことにします。聞き覚えのある動詞と言ってもよいでしょう。「暮る」「更く」など、終止形その他一部の活用形は使われなくなったが、「日暮れて」「夜更けて」など、一部の活用形は現代でも使われる動詞も、これに含めます。また、「ののしる」などのように意味は現代では変わってしまったが、活用はあまり変わらず現代でも使われている語も、これに含めます。

 2.古語特有語:これは、古文の中では使われるが、現在は使われなくなってしまった単語群で、例えば「答(いら)ふ」「かしづく」「離(か)る」などなどがあります。これらは、耳慣れない動詞と言ってもよい。だから、生徒はその動詞がどういう風に活用するか(どの活用の種類に属するか)分からないものと仮定して考えます。

 次に、生徒が「動詞の活用を習った」場合と、「習っていない」場合に分けて考えるのですが、これも「古語の動詞の活用を習った」を、次のように定義しておきましょう。

 A.四段・サ変など、九種の「活用の種類」のそれぞれの語尾変化を暗記している。
 B.例えば、打消の「ず」が続く形を考えて未然形を作るなど、六つの活用形を作ることが出来る。
 C.文中の動詞が、例えば「て」に続いているから連用形だなど、六つの活用形のどれかが分かる。
 D.下一段活用は「蹴る」の一語であることを知っている。
 E.変格活用の代表例として、カ変「来」・サ変「す」・ラ変「あり」・ナ変「死ぬ」を暗記している。

V.古語の動詞の活用を習った生徒は、古今共通語の終止形を作ることが出来るか。(表2)

 @四段活用の古今共通語、例えば「雨降る。」の「降る」の未然・連用・連体・已然・命令の各活用形から、古語の動詞の活用を習った生徒は終止形を作ることが出来るか。現代語の五段活用の感覚で、どの活用形からも作ることが出来ます。そこで、一覧表に○を付ける。

 A上一段活用。「用ゐる」の終止形を「用う」「用ふ」などと間違えることがあるが、それは例外。一般には、出来る。○。

 B下一段活用。「蹴る」の一語しかないし、それを習っているから、終止形は出来る。○。

 C上二段活用。「過ぐ」を例とする。未然形「過ぎ」・命令形「過ぎよ」は、動詞の活用を習っていても、上一段か上二段か分からないから、終止形は「過ぎる」か「過ぐ」か分からない。また、古今共通語の場合、上二段活用の動詞のほとんどは現代語では上一段活用になっており、「過ぎる」のような形は現代語の終止形でもある。従って、終止形は、馴染みの薄い「過ぐ」より「過ぎる」だと誤認しやすい。上一段活用の十あまりの動詞を全部覚えていれば、「過ぎる」という上一段動詞はないから、「過ぎ」は上二段、従って終止形は「過ぐ」だというふうに考えることが出来るのだが。結論は×。

 D上二段活用の連用形「過ぎ」。上のCと同じで、×。さらに四段の可能性もある。未然形を作って「『過ぎ』ず」と「『過が』ず」を比べてみれば分かるが。また、どちらにしても終止形は「過ぐ」だが。要するに、×。

 E上二段活用の連体形「過ぐる」・已然形「過ぐれ」。上二段か下二段か四段か分からないから、終止形は「過ぐ」か「過ぐる」か分からない。上二段も下二段も四段も、動詞の数は多いので、全部覚えていることは不可能である。しかも、「過ぐる」という形はラ行四段の終止形として存在し得る形なので、生徒は終止形と誤認しやすい。ただし、注意深い生徒は、自分で未然形と連用形を作ってみて、「『過ぎ』ず・『過ぎ』たり」と「『過げ』ず・『過げ』たり」と「『過ぐら』ず・『過ぐり』たり」を比較し、初めの例が正しいと判断するだろう。結論は△。

 F下二段活用。「暮る」を例とする。未然形「暮れ」・連用形「暮れ」・命令形「暮れよ」は形からは下一段活用と区別できないが、下一段活用の動詞は「蹴る」の一語だということを習っているから、「『蹴る』ではないから下二段」と判断でき、従って終止形は「暮る」と分かる。辞書を引くのに文法の知識が役立つよい例で、結論は○。

 G下二段活用の連体形「暮るる」・已然形「暮るれ」。Eと同じ理屈で、それ自体は下二段か上二段か四段かは分からないが、未然形と連用形を作ってみて判断できる。結論は△。

 H変格活用の動詞の中で古今共通語は「来」「す」「死ぬ」「あり」などです。難しいものもあるが、これらの動詞の活用は暗記しているから、終止形を作れる。○。

W.古語の動詞の活用を習った生徒は、古今共通語の連用形を作ることが出来るか。(表2)

 @四段活用。Vの@と同じで、連用形は出来る。○。

 A上一段活用。例外なく、連用形は出来る。○。

 B下一段活用。「蹴る」の一語。連用形「蹴(け)」は難しいが、活用を暗記しているから、当然出来る。○。

 C上二段活用の未然形「過ぎ」・命令形「過ぎよ」。上二段か上一段か分からないが、どちらにしても連用形は「過ぎ」。「たり」「て」などが付く形を考えても出来る。実は、動詞の活用を習っていなくても、現代語の感覚で「ます」「て」などをつけても出来るくらい簡単。○。

 D上二段活用の終止形「過ぐ」。上二段か四段かわからないが、いづれにしても連用形は「過ぎ」。下二段の可能性もあるが、未然形を作ってみれば、「『過げ』ず」ではなく「『過ぎ』ず」であることは明らか。実はCと同じで、そんなことを考えなくても出来るのだが。○。

 E上二段活用の連体形「過ぐる」・已然形「過ぐれ」。上二段なら連用形は「過ぎ」、下二段なら「過げ」、四段活用なら「過ぐり」である。「過ぎ」は古今共通語、つまり聞いたことのある言葉だから、正しい連用形はすぐ分かる。○。

 F下二段活用の未然形「暮れ」・命令形「暮れよ」。形からは下二段か下一段か分からないが、下一段は「蹴る」の一語なので下二段。簡単に連用形が出来る。○。

 G下二段活用の終止形「暮る」。下二段か四段か分からないが、いづれにしても連用形は「暮れ」。上二段の可能性もあるが、Dと同じですぐ分かる。○。

 H下二段活用の連体形「暮るる」・已然形「暮るれ」。Eと同じで、出来る。○。

 I変格活用の「来」「す」「死ぬ」「あり」など。終止形と違って連用形は現代語と同じだから、動詞の活用を習っていなくても、簡単に出来る。○。

 以上をまとめると、次の表になります。

古語の動詞の活用を習った生徒は古今共通語の
終止形を作ることができるか
連用形を作ることができるか


四段
四段
上一段
上一段
下一段
下一段
上二段 × ×
× 上二段
下二段
下二段
カ行変格
カ行変格
サ行変格
サ行変格
ナ行変格
ナ行変格
ラ行変格
ラ行変格

                    (表2)

X.古語の動詞の活用を習った生徒は、古語特有語の終止形を作ることが出来るか。(表3)

 @四段活用。「毀(こぼ)つ」を例とする。未然形「毀た」・連体形「毀つ」・已然形「毀て」・命令形「毀て」は四段活用と認定できるので、終止形を作ることが出来る。○。

 A四段活用の連用形「毀(こぼ)ち」。形からは四段か、上一段か、上二段か判別できない。しかも、知らない言葉だから、未然形を自分で作って考えることが出来ない。つまり、「『毀た』ず」か「『毀ち』ず」か分からない。だから、終止形は「毀つ」か「毀ちる」のどちらか分からない。上一段の動詞を全部覚えていれば、「上一段ではないから、四段か上二段、それなら、いづれにしても終止形は『毀つ』」と判定できるのだが。結論は×。

 B上一段活用。「率(ゐ)る」を例とする。未然形「ゐ」・命令形「ゐよ」は上一段か上二段か分からないから、終止形は「ゐる」か、「う」か分からない。ワ行上二段の動詞は存在しないと覚えていれば別だが。結論は×。

 C上一段活用の連用形「率(ゐ)」。上のBと同じだが、さらに理論的には、四段の可能性もある。×。

 D上一段活用の連体形「率る」・已然形「率れ」。上一段か四段か分からないが、どちらにしても終止形は「率る」。○。

 E下一段活用。「蹴る」の一語だし、これは古語特有語ではない。

 F上二段活用。「侘(わ)ぶ」を例とする。未然形「侘び」・命令形「侘びよ」は上一段か上二段か分からないから、終止形は「侘びる」か「侘ぶ」か分からない。古語特有語なので現代語には存在しないが、それでも「侘びる」という形は、現代語の類推で古語でも終止形と誤認しやすい。上一段活用の動詞を全部覚えていれば分かるのだが。結論は×。

 G上二段活用「侘(わ)ぶ」の連用形「侘び」。上のFと同じだが、さらに四段の可能性もある。結局、終止形は「侘びる」か「侘ぶ」か分からない。×。

 H上二段活用の連体形「侘ぶる」・已然形「侘ぶれ」。形からは上二段か下二段か四段か判別できないから、終止形は「侘ぶ」か「侘ぶる」か判別できない。しかも、「侘ぶる」という形はラ行四段の終止形として存在し得る形なので、生徒は終止形と誤認しやすい。しかも、注意深い生徒が、自分で未然形と連用形を作って判断しようとしても、古語特有語、つまり知らない動詞なので、「『侘び』ず」と「『侘ば』ず」のどちらが正しいか分からないはず。結論は×。

 I下二段活用。「答(いら)ふ」を例とする。未然形「答へ」・連用形「答へ」・命令形「答へよ」。VのFと同じ理屈で、結論は○。

 J下二段活用の連体形「答ふる」・已然形「答ふれ」。XのHと同じ理屈で、下二段か上二段か四段か分からないから、結論は×。

 K変格活用の動詞の中で古語特有語は「まうで来」「おはす」・多数の複合サ変・「往ぬ」「はべり」「いまそかり」などです。動詞の活用を習ったときに、これらの単語についても習って、覚えていれば出来るはずですが、実際にはなかなか一度では覚え切れません。そう考えると、これらが古語特有語、つまり活用の様子を知らない単語であるという前提に立った方がよいでしょう。また、カ変には古語特有語がないものとしました。個々の項目について詳しく説明するのは煩わしいので、結論だけを表に書いておきました。

Y.古語の動詞の活用を習った生徒は、古語特有語の連用形を作ることが出来るか。(表3)

 @四段活用の未然形「毀た」・連体形「毀つ」・已然形「毀て」・命令形「毀て」は四段活用と認定できるので、連用形を作ることが出来る。

 A四段活用の終止形「毀つ」。形からは四段か上二段か下二段か判断できない。しかも、知らない言葉だから、未然形を自分で作って考えることが出来ない。つまり、「『毀た』ず」か「『毀ち』ず」か「『毀て』ず」か分からない。従って、連用形は「毀ち」か「毀て」のどちらか分からない。上一段の動詞を全部覚えていれば上一段でないことは分かるが、それでも四段か下二段かは分からない。結局、連用形は「毀ち」か「毀て」か分からない。結論は×。

 B上一段活用の未然形「率(ゐ)」・命令形「率(ゐ)よ」。上一段か上二段か分からないが、いづれにしても連用形は「率(ゐ)」。○。

 C上一段活用の終止形「率る」・連体形「率る」・已然形「率れ」。ワ行上一段かラ行四段か分からないから、連用形は「率」か「率り」か分からない。結論は×。
 
 D下一段活用。古語特有語はない。

 E上二段活用の未然形「侘び」・命令形「侘びよ」。上一段でも上二段でも、連用形は「侘び」と確定される。○。

 F上二段活用の終止形「侘ぶ」。四段か上二段か下二段か分からないから、連用形は「侘び」か「侘べ」か分からない。×。

 G上二段活用の連体形「侘ぶる」・已然形「侘ぶれ」。上二段か下二段かラ行四段か分からないから、連用形は「侘び」か「侘べ」か「侘ぶり」か分からない。×。

 H下二段活用の未然形「答(いら)へ」・命令形「答へよ」。下二段活用と特定され、連用形は「答へ」と特定される。○。

 I下二段活用の終止形「答(いら)ふ」。四段か上二段か下二段か分からないから、連用形は「答ひ」か「答へ」か分からない。×。

 J下二段活用の連体形「答ふる」・已然形「答ふれ」。上二段か下二段かラ行四段か分からないから、連用形は「答ひ」か「答へ」か「答ふり」か分からない。×。

 K変格活用の古語特有語「まうで来」「おはす」・多数の複合サ変・「往ぬ」「はべり」「いまそかり」など。これも個々の項目についての説明は省きますが、これらの語の連用形を作ることは、終止形を作るよりは易しいようです。

 以上をまとめると、次の表になります。

古語の動詞の活用を習った生徒は古語特有語の
終止形を作ることができるか 連用形を作ることができるか


四段
×
四段
×
上一段
× ×
× 上一段
× × ×
下一段






下一段





上二段
× ×
× × × 上二段
× × ×
下二段

× × 下二段
× × ×
カ行変格
×
× × カ行変格
× ×
サ行変格
×
× × サ行変格 ×
× × × ×
ナ行変格
×
× × ナ行変格
× ×
ラ行変格
× ×
× × × ラ行変格

              (表3)

Z.古語の動詞の活用を習っていない生徒は、古今共通語の終止形・連用形を作ることが出来るか。(表4)

 古語の動詞の活用を習っていない生徒は、現代語の活用からの連想に頼るしかないから、二段活用の終止形は出来ない。また、「来」「す」「あり」は古語特有の終止形なので出来ない。一方、連用形は、「蹴る」の連用形「蹴」以外は耳慣れているので、出来るはずである。一つ一つの場合についての検証は省略して、私なりの結論だけを表にまとめると、下のようになります。

古語の動詞の活用を習っていない生徒は古今共通語の
終止形を作ることができるか 連用形を作ることができるか


四段
四段
上一段
上一段
下一段
下一段 ×
× × × ×
上二段 × ×
× × × 上二段
下二段 × ×
× × × 下二段
カ行変格 × ×
× × × カ行変格
サ行変格 × ×
× × × サ行変格
ナ行変格
ナ行変格
ラ行変格 × ×
× × × ラ行変格

                  (表4)

[.古語の動詞の活用を習っていない生徒は、古語特有語の終止形・連用形を作ることが出来るか。

 古語の活用を習っていない生徒も、現代語の活用に関してはある種の知識・感覚を持っています。終止形は言い切りの形、連用形は「ます」「た・て」などに続く形を作れと言われれば、生徒は何らかの努力をするでしょう。いろいろの仮説を立てて思考実験をしようとしたが、あまりに多くの仮説が設定可能で、説得力のある結論が得られませんでした。そもそも、古語の動詞の活用を知らずに、まったく知らない古語を辞書で引くということは、非常に困難なことであるということは明らかで、終止形で引くことと連用形で引くことを、どちらがより困難か調べても、あまり意味がないとも考えられます。この項に関しては、現段階では結論はなしとしておくことにします。

\.結論

 この文章は、辞書の見出し語はどうあるべきかについての一種の思考実験で、それについては明確な結論が得られました。終止形で引くか連用形で引くかの優劣は明らかでしょう。現場の先生の中に、終止形で引くほうが文法の勉強になるなどの意見があるとしたら、それは本末転倒と言うべきでしょう。それは、古語辞典はきわめて引きにくく、古文の勉強では、活用などの文法事項を暗記しないと辞書さえ引くことができないということを認めていることに他なりません。文法の学習は、それ自体を自己目的にするべきではなく、読解のための手段・道具としてあるべきです。それに、動詞の活用は別に急いで覚えなくても、いづれ、助動詞の学習のところで徹底的にやる必要が生じるのです。

 上記の結論以外に、思考実験の副産物とでも言うか、副次的に明らかになったことがいくつかありました。その一つは、動詞の活用を論理的に認識するということが意外に難しいということが分かったことです。この文章では、文中に使われている動詞の活用形(未然・連用・…)は認識できるという前提で書きましたが、それだって本気で検証してみれば、そう簡単ではないはずです。さらに、その動詞の「活用の種類」を特定したり、終止形や連用形を作るということになると、初歩の生徒にとっては、極めて困難なことが多いでしょう。しかし、古語は生徒にとって知らない言葉とは言っても、やはりどこかで現代語と繋がっているので、類推が働く面がある。だから、実際の授業では、単に論理だけではなく、暗記や類推に頼って何とかうまくいっている場合が多いでしょう。それは、生徒が日本人だからです。外国人が使う古語辞典というものは考える必要はあまりないが、最近の生徒にとっては、古語は外国語並みに縁遠いものになっているという事情も考慮する必要があります。また、国語辞典の場合は、外国人でも簡単に引ける見出しのあり方というものを考える必要は大いにあります。また、そういう辞書は、日本人も簡単に引けるはずです。

 『岩波古語辞典』は、動詞は連用形、形容詞は終止形、形容動詞は語幹を見出しにしています。この文章の趣旨と教室における私の経験の両方から結論として言えることですが、形容詞も連用形で引く方が便利です。

 最近の学習現場では、電子辞書が広く使われ始めているが、これは辞書の形態と機能に根本的な変革をもたらす契機になるかもしれません。最新の電子機器の機能を以ってすれば、どんな活用形でも引ける辞書、また、付属語が付いている実際の用例のままでも、そのまま引ける辞書などの開発も、それほど難しい問題ではないでしょう。その場合、全ての用例を見出しとして作る必要はなく、用言・助動詞の活用や接続、助詞の接続などの情報を記憶させて、内蔵されたプログラムで品詞分解して目的の見出しにたどり着くなどの方式も考えられます。さらに、英文ワープロなどに採用されている方式を真似て、間違った活用形でも引ける機能なども考えられます。また、間違った『仮名ずかい』でも引けると便利です。いづれにしても、辞書の観念が根本から考え直される時期に来ているでしょう。その研究・開発に私も参加させてもらえるとうれしいです。


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