八重衣(やへごろも)

【解題】

 小倉百人一首には「衣」を詠み込んだ歌が五首ある。作曲者はそれらを全部とり上げ、季節の順に並べて歌詞とし、しかもその曲に「八重衣」というそっけない曲名を付けた。石川勾当の偏屈で狷介な名人気質が偲ばれる。歌詞の内容には一貫性がないが、それらを結ぶ旋律と手事は変化に富み、古曲の中でも古今の名曲と言われるが、初めは世に受け入れられなかった。後に八重崎検校の手付によって箏曲となり、広く演奏されるようになった。

【解析】


第一歌

○ 君 |      がため       春の野 に|いでて|若菜 |摘む
 
あなた|にさし上げる ために、まだ寒い早春の野原に| 出て|若菜を|摘んでいる

○わ|が|衣  手|に    雪は|降りつつ
 
私|の|衣の袖口|には、春の雪が|降りかかっています。(古今集・巻第一・春上・21・光孝天皇)

第二歌

○春 過ぎて|夏    来| に |け(る)  らし |            |白妙の|衣 ほす| てふ |
 
春が過ぎて、      |もう|
      |夏がやって来|  |た  ことが分かる。何故なら、毎年夏になると|真白な|衣を乾す|という|

○  |天の香具山
 
あの|天の香具山の麓の家々に、今日は衣が乾してあるので。 (新古今集・巻第三・夏・175・持統天皇)

第三歌

○み吉野の山  の秋風       小夜 更けて|  |ふるさと|     寒く     |
 
み吉野の山から 秋風が吹き下ろし、 夜も更けて、この| 古い都 |だった里は寒さが身に沁み、

○衣 うつ       |なり
 
衣を打つ砧の音も寒々と|聞こえてくる。  (新古今集・巻第五・秋下・483・藤原雅経)

第四歌

○秋の田の|かりほ|の|庵(いほ)|の|苫(とま)  |を|あら| み
 
秋の田の|仮小屋|の|小屋   |の|草葺き屋根の目|が|粗い|ので、

○わ|が|衣 手は|        | 露に濡れ つつ
 
私|の|衣の袖は|屋根を漏れてくる|夜露に濡れることよ。(後撰集・巻第六・秋中・302・天智天皇)

第五歌

○きりぎりす 鳴くや霜    夜の|さむしろ|に|   衣片    敷き |
 
こおろぎ が鳴く!霜の降りる夜の| 寒 い |
                 | むしろ|に、
自分の衣だけを床に敷いて|

          ┌───────────-┐
        ┌─┼─────────┐  |
○  |独り |か|も|寝 |   む|↓  ↓
 私は、独りで| | |寝る|のだろう|か|なあ。 (新古今集・巻第五・秋下・518・藤原良経)

【背景】

 第四歌

 この歌がなぜ天智天皇の御製かは不明とされる。万葉集に、次のような作者不詳の歌があり、これが口伝えで伝わるう
ちに王朝人好みの言葉に変化し、天智天皇の作とされるようになったらしい。天智天皇(626〜671年)は、舒明天皇の皇
子、中大兄皇子のこと。藤原鎌足らと蘇我氏を滅ぼし、大化改新を実現した。

○秋 田 刈る仮 庵 を作り  我が    居れば 衣 手 寒く 露そ置きにける
 秋の田を刈る仮小屋を作って、私がその中にいると、衣の袖が寒く、露が置いていることだ。(巻十・2174)

出典:小倉百人一首
作曲:石川勾当
箏手付:八重崎検校




【語注】


第一歌
 早春の雪の降る寒い野原で、あなたのために私が手づからこの若菜を摘みました。相手への好意がにじみ出ている歌。



第二歌 青葉の瑞々しい天の香具山の麓に今日は真っ白な衣が乾されて、夏が来たことを告げている。すがすがしい初夏の風に、緑と白の対照が美しい。
来にけらし 「来にけるらし」の圧縮形。「らし」は根拠を示して推定する意味を表す。

第三歌 晩秋の吉野山の寒さの中、遠くから聞こえてくる砧の音も寒々として、いっそう旅の寂しさをかき立てる。
み吉野 「み」は美称の接頭語。
小夜 「さ」は美称の接頭語。
ふるさと ここでは「旧都・古京」の意。吉野には、古く天武天皇の離宮があり、壬申の乱の兵を挙げたことで知られる。
衣うつなり 「なり」は伝聞推定。
第四歌 刈り入れ時に一人粗末な仮小屋で夜を明かし、田を守る人の、心細さが詠まれている。⇒背景
かりほの庵 仮庵(かりいほ)が圧縮されて「かりほ」になった。その後にまた「いほ」を重ねたのは、調子を付けるため。
第五歌 晩秋の寒さ・寂しさと独り寝のわびしさを重ね合わせた歌。
衣片敷き 男女が共寝するときは、二人の衣を重ねて敷いたので、一人寝の時は「片敷き」と言う。

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