園の秋

【解題】

 京の島原遊郭の遊女屋、桔梗屋の遊女や客の生態を、庭園の秋の七草の景色にこと寄せて描いたもの。遊郭の中は遊女と客の生々しい痴態や逸楽に溢れているが、その情景を、縁語・掛詞・比喩などを駆使して遠まわしに、また、文芸的に描写して、耽美的、高踏的な表現の中に、退廃的な情緒をかもし出している。作詞者三井次郎右衛門高英は京都の粋客で、「後楽園四明居」の俳号を持つ俳人でもあり、「里の暁」「芥子の花」「末の契り」なども作詞している。

【解析】


○  |たゆ ふす      は、皆|かしに出で 、    露 |ばかり |跡に      |
 風に|揺れて伏すような風情の |
   |大夫衆        は、皆|茶屋に出 て、つまらぬ女郎|ばかりが|後に残っているが、

○  |かる  かや 、桔梗  屋の、その庭面(にわもせ)も、秋 来れば、時に|尾花(をばな)や|
   |借る     |                           |遭ふ      |

 その| 刈   萱 や|桔梗でも  |
   |揚げてみるか!、桔梗  屋の|その中庭      も、秋が来ると、時を|得た
                                       |尾花     や|

女郎花(をみなへし)、   |廓(くるわ)景色と|うち連れて、しゃんと|   小褄を|とりかぶと  
 女郎花      のような|
 女郎たちが        、廓    の風習に|  従って、ちゃんと|      | 鳥  兜 柄の|
                                   |着物の小褄を|取って    、

○小野  の|  頼     |風 |寄り添ひて、咲き乱れたる|萩・薄(はぎすすき)     、
 
各    |<ヨリ>      <ヨリ>
 おのおのが|  頼 りにする|客に|寄り添って、咲き乱れた |萩(はぎ)薄(すすき)のように、
                       |  乱れた |脛(はぎ)         も|あらわな姿、

○その手に|絡む  |     朝 顔の     、東雲方(しののめかた)の|朝 嵐、
     《絡む》      《朝 顔》

 客の手に|          朝 顔のように  |
     |絡み付く|女郎たちの朝の顔に吹き付ける、夜明け近く     の|朝の嵐、
 
○空も匂ふか 、                |秋の七草           。
 空も匂うかと|思うほどの、島原の遊郭、桔梗屋の|秋の七草の遊女たちの景色である。

【背景】

 秋の七草

「秋の七草」は万葉集の山上憶良の歌によれば、

○萩の花尾花葛花なでしこの花女郎花・又藤袴朝顔の花 (万葉集・巻八・山上憶良・1537・1538)

となっている。しかし、典拠は不明だが、次のような歌も一般に流布している。

○萩尾花桔梗刈萱女郎花藤袴 秋の七草

 この曲の歌詞には「葛花」「なでしこ」「藤袴」はなく、代わりに「鳥兜」があり、合わせて【解析】に下線を付けて示した次の七草となる。

 
刈萱桔梗尾花女郎花鳥兜朝顔

作詞:三井次郎右衛門高英(後楽園四明居)
作曲:菊岡検校
箏手付け:八重崎検校



【語注】


かし 貸し席。関西方面で御茶屋、揚屋の事を指す言葉。
かるかや 刈萱に「借る」を掛ける。「借る」は茶屋に遊女を呼び寄せること。
桔梗屋 京都の島原遊郭の揚屋。「揚屋」は、遊里で、遊女屋(置屋)から遊女を呼んで遊ぶ家。
時に尾花 尾花は「オバナ」、「遭ふ」も「オオ」と発音されることから、掛詞となっている。
小褄を取る 「褄を取る」と同じ。芸者が着物の竪褄(たてづま)を持ち上げて、気取って歩くこと。「褄」は着物の裾の端の部分。
小野頼風 謡曲「女郎花」の主人公。妻が頼風の無情を怨んで川に身投げしたので、それを憐れんで、自分も後を追って身投げした人物。ここでは、女郎たちに憐れみ深いパトロンの意味で使われている。謡曲「女郎花」は、頼風の霊と旅の僧が、女郎花にまつわる様々な古歌や詩論を引用して議論する話。
寄り添いて 「頼風」と「寄り」が同音反復
 尾花の異称。

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