新娘道成寺(鐘が岬)

【解題】

 謡曲『道成寺』の章句が長唄『京鹿子娘道成寺』に移され、それが更に箏曲に移されたもの。道成寺の安珍・清姫の伝説を踏まえて、男女の恋心を歌い、さらに廓尽くしの手まり唄などを加えた。

【解析】


○                             |鐘に恨みは|数々|ござる  。
                              |金    |

 
昔、修行僧の安珍に道成寺の鐘の中に逃げられた|清姫  は、|鐘に恨みが|  |ございましたでしょうが、
                       |遊女の私も、|金に恨みは|数々|ございます。

○      初夜  の鐘を撞く時は、| 諸  | 行  |無常   |と      響くなり、
 鐘と言えば、午後八時の鐘を撞く時は、|あらゆる|現象は|無常である|と教えるように響きます。

○後夜  の鐘を撞く時は、| 是  |生滅  法    |と      響くなり。晨朝(しんぜう)の響きは、
 午前四時の鐘を撞く時は、|これが|生滅の原理である|と教えるように響きます。夜明け     の響きは、

○生  |滅          | 滅  | 已 、入相(いりあひ)は、寂滅    |為   楽 |と
 生まれ、滅び、その移り変わりも|消滅する|だけ、夕暮      は、寂滅をもって|  |愉楽と|
                                         |為せ|   |と

○      |響け|  ども、聞いて      |驚く |人も|なし    。
 教えるように|響く|けれども、聞いて、仏の教えに|気付く|人も|いやしません。私は遊女、でも、そんな

○我 も      五障の| 雲 |  晴れ て、真如   の     月を眺め明かさ| ん |   。
 
私でも、本当は女の五障の|束縛|から放されて、悟りの世界の澄み切った月を眺め明かし|たい|のです。

○言はず語らず   わが心、      |乱れし髪の   |乱るる |も 、    |つれないは
 言わず語らずでも、私の心はあなたの為に|乱れた髪のように|乱れてる|のに、こんなに|薄情にするなんて、

○    ただ|移り気な 、どうでも男は|悪性者    。
 あなたは何て|浮気っぽい、ほんとに男は|たちが悪いのね。

○桜 、桜 と|うたは  |れ|て、   |言うて |袂(たもと)に         |分け 二つ   、
 蝶よ、花よと|もてはやさ|れ|て、そうは|言っても|ふところ  に入るものは、主人と|分け前半々の  |
                                           |分けの   女郎、

○ 勤め| さへ |ただ|うかうかと、
どうでも女子は|悪性な  、@ 都 A 東 |育ちは 蓮 葉な者ぢゃえ。
    |その上|
 お勤め| も |ただ|いい加減で、
ほんとに女 は|たちが悪い、@京都A江戸|育ちは、蓮っ葉な者ですね。

○恋の|わけ里 |数へ数へりゃ、武士も道具を|  伏せ |編笠で、張りと意気地    の|   吉原
 恋の| 色 里を|数え数えれば、武士も大小を|  隠し 、
                      |顔も伏せ  編笠で|
                      |  隠して、   |張りと意気地で勝負する|お江戸吉原。

○花の都  は|歌でやはらぐ|敷島  原に、 勤めする  身は|   誰と |伏    見の|墨染
       《歌》    《敷島》   |
              | 島  原 |

 花の都京都は、歌で 和 らぐ|日本の   |
              | 島  原で、
お勤めするわが身は、どこの誰とは|明かせない身の|
                                      |伏    見の|墨染。

○   |煩悩 菩提    の|     撞木町|より、浪花 |四筋   に|通ひ |   木辻の、
 衆生に|煩悩即菩提を教える |     撞木 、
               |その伏見の撞木町|から、浪花の|四筋の色里に|通って|   来て 、
                                          |奈良の木辻で|

禿(かむろ)立ち から、   | (むろ)の|   |早 |咲き  |      。
 禿のお勤めについてから、播磨の| 室津で   |
                |温室    の|   |早 |咲き  |の梅のように|
                        |色里の|幼な|デビュー|      。


○それが|ほんの   | 色 |ぢゃ。
 それが|本当の遊女の|魅力| よ。

○ひいふうみいよ、 夜露   雪の日 、しもの    関|路も     、 共 にこの身は馴染み 重ねて、
      <ヨ><ヨ>

  一 二 三 四、 夜露の晩も雪の日も、 霜 の夜の恋の関|路も     、
                   | 下      関| も越えて九州、お互いにこの身は馴染みを重ねて、

○   仲は   |丸山    、ただ|丸かれと、思ひ染めた が             |縁ぢゃ へ。
 二人の仲は長崎の|丸山のように|
         |円満に   、ただ|円満にと、思い染めたのが、二人がこうして結びついた|縁ですのよ。

【背景】

 初夜・後夜・晨朝・入相

 江戸時代は、庶民は普通は寺院の打ち出す「時の鐘」、いわゆる「お寺の鐘」で時刻を知った。「時の鐘」は、本来、寺僧の修行の区切りのための合図で、現代とは比較にならない大まかなものだった。鐘はおよそ六つの時刻に打たれ、それぞれ、次のように呼んだ。

晨朝(じんでう)の鐘:卯(う)の刻。午前六時頃。
日中      の鐘:牛(うま)の刻。正午。
日没      の鐘:酉(とり)の刻。午後六時頃。入相の鐘とも言う。
初夜      の鐘:戌(いぬ)の刻。午後八時頃。
中夜      の鐘:亥(ゐ)の刻から丑(うし)の刻。深夜。
後夜      の鐘:寅(とら)の刻。午前四時頃。

 諸行無常

 諸行無常 ○諸  | 行 |は|無常にして
       
諸々の|現象|は|無常であって、

 
是生滅法 ○是れ    |生  |滅  | の | 法 |なり
       
これは万物は|生じて|滅びる|という|原理|である。

 
生滅滅已 ○生  |滅し|        | 滅する|已(のみ)
       
生まれ、滅び、その移り変わりも|消滅する|  だけ。

 
寂滅為楽 ○  寂滅       |を|    楽|と|為す。
       
煩悩を離れた静かな境地|を|究極の愉楽|と|為せ。
 
 この四句は、諸行無常の偈と言う。釈尊がまだ如来ではなく菩薩で、雪山童子という名だった時に聞いたという伝説があるため、
雪山偈とも言う。

 五障

 『法華経・提婆達多品』にある、女性は梵天王・帝釈(天)・魔王・転輪聖王・仏身(仏陀)にはなれないという教え。特に五番目の「仏身になれない」という一節は、極楽往生できない、仏の教えによって救われることが出来ないということであり、女性差別の一つの根拠になっている。


 分け

 芸娼妓が、その花代を主人と半々に分けること。転じて、そのならわしであった花代銀一匁(小判一両の六十分の一)の女郎のこと。分けの女郎と言った。


 恋のわけ里数へ数へりゃ

 以下、「ひいふうみいよ」まで、江戸の吉原を振り出しに、遊郭を訪ねて西に旅する廓(くるわ)尽くしの手鞠歌。下線部は色里の名前。
 『洞房語園』(1720)には、江戸吉原・京都島原・大阪瓢箪町(新町)・下関稲荷町・長崎丸山など、江戸時代の官許遊郭25ヶ所が挙げられている。


 煩悩菩提の撞木

 煩悩菩提は、煩悩即菩提とも言う。煩悩(悩み・迷い)と菩提(悟り)は別々のものではなく、煩悩の中に菩提があり、また、菩提の中に煩悩があり、両者は表裏一体であるという仏教の教え。生死即涅槃(生死の迷いはそのまま悟りであるという意味)とともに大乗仏教の教えを表した言葉としてしばしば引用される。

 「煩悩菩提の撞木」とは、撞木で撞かれる鐘の音が、衆生に煩悩即菩提を教えるという意味だろう。

 室の早咲き

 兵庫県揖保郡御津町室津は、江戸時代には瀬戸内海の海上交通の要所で、遊郭が栄えた。また、気候が温暖なので、早咲きの梅の名所としても有名だった。現在でも、瀬戸内海を一望できる「綾部山梅林」「世界の梅公園」などが観光名所になっている。

作詞:藤本斗文(とぶん)
作曲:不詳



【語注】






初夜
後夜晨朝入相⇒背景
初夜の鐘を撞く時は… 以下四行ほどは、謡曲『三井寺』からの引用。
諸行無常…⇒背景。
響くなり 「なり」は、鐘の音がそう教えるように響いていると、耳で聞いて判断しているので、文法的意味は伝聞推定。断定ではない。


五障⇒背景。
分け⇒背景。
@Aのテキストがある。
@都育ちは 主として山田流の歌詞。
A東育ちは 主として生田流の歌詞。
恋のわけ里数へ数へりゃ⇒背景
武士も道具を伏せ 武士は廓に入る時は、入り口の編み笠茶屋に刀を預けなければならなかった。
敷島 敷島とは、日本の国のこと。歌道のことを敷島の道というので、「敷島」は「歌」の縁語。
墨染 現在でも京阪本線の墨染駅近くに地名が残っている。
煩悩菩提⇒背景
撞木(しゅもく) 鉦(手に持って叩くかね)を打つための丁字型の仏具。また、釣鐘を打つための鐘撞き堂に吊るした横棒。
撞木町 伏見に恵美須(夷)町という町があり、丁字型をしていたので、俗に撞木町と呼ばれていた。伏見ではもっとも有名な遊郭があった。
浪花四筋 大阪の遊里として有名な所が四筋あった。通り筋瓢箪町(新町)・越後町筋佐渡島町・吉原町筋・阿波座の四筋。「筋」は、通り筋のこと。(浪花聞書)
木辻 奈良市東木辻町近辺に木辻遊郭の跡が残っている。
禿(かむろ) 上級の遊女に使われる十歳前後の見習いの少女。五年ほど務め、十四五歳で一人前の遊女になった。
室の早咲き⇒背景。
ひいふうみいよ 手鞠の拍子をとる掛け声。
しもの関 下関の稲荷町に遊郭があった。






目次へ