紀の路の奥 四季の段

【解題】

 
この曲は、山田検校が紀州公に招かれた時、作曲したと伝えられる。千代田区の紀尾井町という名は、紀伊徳川家、尾張徳川家、彦根藩井伊家の屋敷があったことから三家の頭文字をとって付けられたが、その紀伊家の屋敷に招かれたのだろう。曲名に「紀の路の奥」とあるように、江戸勤務の殿様を慰めるためか、紀州にゆかりのある物語や歌が多く引用されている。また、紀州公の御殿にあった「桐の間」の名も歌詞に詠み込まれている。

【解析】


○山寺の春の夕暮 |来てみれば、入相 の鐘  に    、  花 ぞ散り| ける 。   |散れば こそ、
 山寺の春の夕暮に|来てみると、夕暮れの鐘の音に誘われて、桜の花が!散る|ことだ。しかし、散るからこそ、

○いとど |桜はめでたけれ  、よしや |散ら で も   |あだし  世          と、
 いっそう|桜は素晴らしいのだ、もし 今|散らなくても、所詮|無常のこの世だからやがては滅びると、古人は

○花によそへ し|   口ずさみ。それを手本に鶯が、歌を歌へば|箏 弾く鳥も、歌に合はせて|鼓草  、
 花になぞらえた|感慨を歌った 。それを手本に鶯が|歌を歌えば、箏 弾き鳥も、
                               |箏を弾き  、歌に合わせて|鼓草は |
                                             |鼓を打ち、


○手を|つく づくし |壺すみれ、つつじ|山吹  色々の        、花もいつしか|夏山の    、
 手を|尽くし尽くして|
   |    土筆  、壺すみれ、つつじ、山吹など色々な花が囃し立てるが、花もいつしか|夏の花に変わり、
                                           |夏山の    |


○青葉を分けて     初音      |めづらし 時鳥 、 雲井 の|よそ に |恋ひ慕ふ  身は|
 青葉を分けて山に入り、初音を聞くことが|珍重される時鳥を|高い空の|かなたまで|恋い慕うわが身は、

○卯の花の|  白む   |まで、寝ずに待つ   のを|なぶり に来る か、真木の板戸を|ほとほとと、
 卯の花が|  白く浮かび、
     |夜が白む   |まで、寝ずに待っている私を|からかいに来たのか、真木の板戸を|こつこつと、


○叩くくひなの  |だましくさったか、ええ |真 ぞ |つら憎 や  。憎い、かはい| の |睦言を
                      《新 造 》
 叩く 水鶏 が私を|騙しやがっ たか、ええい、本当に |
                      |新 造め、 面 憎いことだ。憎い、可愛い|という|睦言を


○誰に漏らして| 名 は|たち 花の、薫り |ほのめく  薄衣、たもと 涼しき|秋風に  、
 誰に漏らして|評判が|立ったのか、
           |  橘  の|薫りが|ほのかに匂う薄衣のたもとが涼しい|秋風に靡き|
                                      
|秋風に  、

○   招く     |すすきは|若紫の、萩に添ふ     と て|こぼるる露の   、
 恋人を招くように靡く|すすきは|若紫の|萩に添い寝をしようとして、こぼれる露のような、

○つゆの |よすがを   |忍び  ね   、松虫、鈴虫、きりぎりす   、きりはたり|て ふ|
                                     <キリ>
 わずかな|手づるを頼りに、密かに共寝をする。
             |忍び  音になく|松虫、鈴虫、きりぎりすなどが、きりはたり|と鳴く|

○きりのまを、わけ   越え    来つる初雁の、翼にかけて送るふみ 、見よかし。見よかし、
  桐 の間 |
<キリ>
  霧 の間を|分けて山を越えてやって来た 初雁の、翼に結んで送る手紙を|見なさい。見なさい、

○もみぢ葉も、 色 の|もなか|の時雨に濡れて、竜田の河に|  |流れの身、恋じや |  |せく   まい。
 紅葉の葉も、紅葉の| 盛り |の時雨に濡れて、竜田の河に|  |流れる |
                            
|私も|流浪の身、恋だから|  |堰き止めるまい、
                                         |また|急ぐ   まい。


○浮世は車    、巡る|月日も|ふるやふる、雪も、霜も、霰もさ、消えて|たまら  |  れ|ぬ 、
 浮世は車のように|回る、
         |
巡る|月日も、経つよ経つ。
                |降るよ降る、雪も、霜も、霰もサ、消えて|溜まっては|いられ|ない、


                        ┌─────────────────┐
○   |諸行無常の|ことわりを、告げ て  |や|   鐘も響く|     らむ|
 そんな、諸行無常の| 道理 を|知らせながら| |山寺の鐘も響い|ているのだろう|か。

【背景】

 山寺の春の夕暮

 「山寺の春の夕暮れ…花ぞ散りける」の部分は、古来からの歌本に載せられているが、実際の演奏では歌われない。こういう部分を「隠れ歌」「隠し歌」と言う。「那須野」や「熊野」の冒頭にも、同様の歌詞がある。それはともかく、新古今集に、

○山里の春の夕暮来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける (巻二・春下・116・能因法師)

 とあり、また、能『道成寺』では、前ジテの白拍子(後ジテの鬼女・清姫)が登場する時、この歌を歌うが、初句が「山寺の」となっている。この『四季の段』の歌詞は、能から引用したのだろう。道成寺は、和歌山県日高郡矢田村字鐘巻にある古刹で、現在は紀勢本線『道成寺』駅下車。紀州の寺として非常に有名であると共に、紀州の物語として有名な能『道成寺』の舞台でもある。また、『道成寺縁起』によれば、紀大臣(きのおとど)道成という人が文武天皇の勅願を奉じて道成寺の伽藍を創建したという。能では橘道成となっており、また、紀道成、橘道成という大臣は、学者の調査によれば実在しない。しかし伝説は何らかの真実を反映しているもので、道成寺は、紀州の寺であると共に、紀氏とも深いつながりがある。また、紀の国は、古代においては紀氏の国であり、紀氏は平安時代初期までは、藤原氏と肩を並べるほどの大豪族であった。それが藤原氏に決定的に差を付けられたきっかけが、次項にある惟喬親王の出家という出来事だった。

 散ればこそ

伊勢物語第八十二段に、次のようにある。

 山崎の(京から見て)向こうの水無瀬に離宮を持つ
惟喬(これたか)親王は桜の盛りに狩に来ては宴を催していた。交野(かたの)の渚の院の桜が特に趣深いので、馬から降り、桜の下に座り、枝を冠にさして皆で歌を詠んだ。馬頭(うまのかみ)だった人(在原業平)が詠んだ。


○  世の中に   |たえて|桜のなかりせ     ば|春の   心は|のどけから|まし
 この世の中にもしも| 全く |桜が無かったとしたならば、春の人々の心は|のどかだっ|たであろうがなあ。

別の人が、それに答えて詠んだ。

                                  ┌──────────────┐
○散れば こそ|いとど 桜はめでたけれ  |  うき世  に|何 |か|久しかる    | べき |
 散るからこそ、いっそう桜は素晴らしいのだ。この辛い世の中に、何が| |久しく変わらない|だろう|か、
                                いや、変わらないものは何もないのだから。

 鶯が、歌を歌へば

 古今和歌集の仮名序に、次のようにある。仮名序の著者は紀貫之、やはり紀氏である。

                                    ┌─────────────┐
○花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれ |か|歌を詠ま|ざり |ける|
 花に鳴く鶯、水に住む 蛙 の声を聞くと、生きとし生けるもの、どれ が| |歌を詠ま|なかっ| た |か。
                  |いや、この世に生きているものは皆、歌を詠んで来たことに気付くのだ。

 つづみ草

 蒲公英(たんぽぽ)のこと。1695年に幕府が監修した薬草の辞典『本草食鑑』に、「蒲公英、俗に藤菜(ふじな)と称す。或いは鼓草と称す。」とある。「たんぽぽ」という名が、鼓を打つ時の「タン・ポッポ」という音を連想させるので、その異称が付いたのだろう。

 初音めづらし時鳥

 ほととぎすの初音を聞くことは、古来から珍重された。『枕草子』(四一段・鳥は)にも、次のようにある。

○五月雨の  短き夜に|  寝 覚めをして、いかで  人より先に   聞かむと|待たれて       、
 五月雨の降る短い夜に|ふと目を覚まし て、ぜひ 他の人より先に初音を聞こうと|待ち遠しく思っていると、

○      夜深く|うち出でたる声の、らうらうじう|愛敬づきたる|     、
 明け方のまだ暗い頃|鳴き出した 声が、垢抜けして |可愛らしい |のを聞くと、

○いみじう|心 あくがれ  、せむ  かた なし。
  もう |心もうっとりして、どうにもたまらない。

 まきの板戸を

○月の  |射す     |真木の板戸と知り  ながら|たれ |開けよと  て|叩く|くひな|   ぞ

     
|鎖す     |
 月の光が|射し込んでくる|
     |戸を鎖している|真木の板戸と知っていながら、 誰 に|開けろと言って|叩く|くいな|だろうか。

                                    (続古今集・第三・夏・中務命婦)

 「くひな(水鶏)」は秋、北方から渡来し、水辺に住む渡り鳥。戸を叩くように鳴くのは、「ひくいな」で、夏鳥。夜行性の種類が多い。

 きりはたり

 普通は「きりはたりちやう」。機(はた)を織る音の擬音。また、虫の音について言う。きりぎりすを「機織虫」とも言うのは「きりはたりちやう」と機織のような鳴き音を出すからと言う。

○千草にすだく虫の音の、機織る音はきりはたりちやう(謡曲『松虫』)

 翼にかけて送るふみ

 ここは中国の蘇武(そぶ)の故事を踏まえたもの。この話は日本にも伝えられ、平家物語でも紹介されている。その大筋を紹介する。

 漢の武帝の頃(紀元前100年頃)、漢が北方の遊牧民族、匈奴を攻めた時、蘇武が大将軍を拝命して遠征したが、戦いに敗れて捕虜になってしまった。彼は寝返りをすすめられたが断ったため、北の地に流され、食うや食わずの生活を送った。長い年月が経ったある日、蘇武は田に降りた雁を捕らえ、手紙を付けて放した。雁は渡り鳥なので、冬になると南に飛んで行き、祖国に自分の生存を伝えることが出来た。武帝は感激して蘇武救出のための大部隊を編成し、今度は匈奴を攻め落とすことに成功し、蘇武も助け出された(漢書)。この話から、手紙のことを「雁書」「雁信」などと言う。

古今和歌集にも、この故事を踏まえた、次のような歌がある。これも作者は紀氏で、紀貫之の従兄弟。

                       ┌─────────────────────────┐
○秋風  に初雁が音(ね) ぞ|聞こゆ|なる|誰が玉章を|かけて    |   来|つ|  らむ|
 秋風の中に初雁の声   が |聞こえてくる。誰の手紙を|付けて北国から|やって来|た|のだろう|か。

                                (古今集・巻第四・秋上・207・紀友則)

 竜田の河

○竜田河 |紅葉    乱れて流る   |   め り
 竜田河は|紅葉が一面に乱れ 流れている|ように見える。

                      ┌────────────────┐
○渡ら| ば |     |   錦  中 |や|絶え   |な   |  む|
   |もし|                                ↓
 渡っ|たら、その美しい|紅葉の錦が途中で| |断ち切られ|てしまう|だろう|か。

                           (古今集・巻第五・秋下・283・詠み人知らず)

作詞:不詳
作曲:山田検校
 宝暦7(1757)年〜文化14(1817)年。 



【語注】


山寺の春の夕暮⇒背景
散ればこそ⇒背景




鶯が、歌を歌へば⇒背景
箏弾く鳥⇒不詳。一説に、鶯のことと言う。
つづみ草⇒背景

つつじ山吹 桜に始まって春が深まり、「つつじ・山吹」は晩春の花。季節の進行に従って景物が取り上げられている。

初音めづらし時鳥⇒背景


真木の板戸を⇒背景



しんぞ 真ぞ(本当に)と新造(遊里で「おいらん」と呼ばれる姉女郎に付属する若い遊女)を掛けている。






すすき 動物の尾が垂れているように見えるので、尾花とも言う。萩や露と取り合わせて歌われることが多い。
松虫 「チンチロリン」と鳴く。
鈴虫 「リンリン」と鳴く。
きりはたり⇒背景
きりのま
 紀州公の邸宅には「桐の間」という部屋があったので、ここに織り込んだ。
翼にかけて送るふみ⇒背景

竜田の河⇒背景




たまられぬ 「れ」は可能。
































惟喬親王 文徳天皇の第一皇子。承和11(844)年誕生。母は紀名虎の娘で紀有常の妹、静子。藤原良房らの圧力により、第一皇子でありながら皇嗣たりえず、貞寛14(872)年、出家し、洛北小野に隠棲した。寛平9(897)年没、54歳。
在原業平 業平の妻は紀有常の娘。










詠まざりける 「aりけり」の「けり」は発見詠嘆。



待たれて 「れ」は自発。








真木 杉・檜などの総称。























聞こゆなる
 「なる」は伝聞推定の「なり」の連体形





流るめり 「めり」は「見えあり」が助動詞化した語と言われ、視覚推定を表す。

目次へ