嵯峨の春

【解題】

 京都の嵐山と、その麓を流れる大堰川(現在の桂川)の花見で見初めた女性への忘れられぬ思慕の情を歌い、恋の悩みからの解脱を求めて、仏道帰依を願い、嵯峨の寺々の春景色を見て回る。謡曲『放下僧』の中の小唄をうたい込んでいる。

【解析】

○去年(こぞ)|見 に |し、弥生半ばの嵯峨の春 、嵐の山の山桜、色香 |妙(たへ)なる|   花 の宴  。

 去年   | 確かに|
      |見   |た、弥生半ばの嵯峨の春の、嵐 山の山桜の色香も|美しい   |   花     。
                                          |その 花 のように|
                                   |美しい   |  女性との  |
                                          |   花 の宴  。

○  散りても残る|心  の|     花に、思ひ乱るる|憂き  身にも又繰(く)り返す|こ の春も、
 花は散っても残る|心の中の|その美しい人に、思い乱れる|辛いわが身にも又再び訪れる  |今年の春も、

○汲むや|泉の  |大堰川(おほゐがは) 、浮 ぶ筏(いかだ)の|行 末|            は、
    |泉の水を|
 汲んで|    |大堰川      に|浮かぶ筏    の|行く先|を眺めると、目に浮かぶのは、

○  |人の手活(てい)けと|なる   |  花   を、恨むや|自(おの)が迷ひをば、払ふ     は、
 今は|人  妻    と|なっている|あの人の面影 、
                   |その人   を|恨む!|私の心 の迷いを!|払ってくれるのは、

○         |法(のり)の御誓(おんちか)ひ    。
 衆生を救おうという|仏   の御誓     いであろう。

○嵯峨の寺々 |廻らば   |廻れ       。水車(みづぐるま)の輪  の|りせん    堰の川波。
 嵯峨の寺々を|機会があれば|廻ってごらんなさい。水車      の輪が廻る|臨 川 寺の前の堰の川波。

○川柳(かはやなぎ)は|水に揉(も)まるる。  ふ くら  雀は|竹に揉まるる。都の牛は|車に揉まるる。
 川柳      は|水に揉  まれる。羽のふっくらした雀は|竹に揉まれる。都の牛は|車に揉まれる。

○茶臼は挽木(ひきぎ)に揉まるる。我は  色香に揉まれ揉まれて|玉の緒も、絶え ぬ  |ばかりに|
 茶臼は挽木    に揉まれる。私は女の色香に揉まれ揉まれて|  命も|絶えてしまう|ほど に|

○  思ひ 川 、床に淵 |なす        |夜半の|きぬぎぬ|      。
   悩む   、
 恋の悩みの涙が|床に淵を|作るほど水かさを増す|夜半の|別れ  |の辛さである。

【背景】

 嵯峨の寺々廻らば廻れ

 ここから「茶臼は挽木(ひきぎ)に揉まるる」まで、謡曲『放下僧』の中の小唄を歌いこんでいる。謡曲の歌詞は、

○面白の花の都や、筆で書くとも及ばじ。東には祇園・清水、落ち来る滝の音羽の嵐に、地主の桜は散り散り、西は法輪・嵯峨の御寺、廻らば廻れ水車の輪の臨川堰の川波、川柳は水に揉まるる、脹ら雀は竹に揉まるる、都の牛は車に揉まるる、茶臼は挽木に揉まるる、げにまこと忘れたりとよ。小切子(こきりこ)は放下に揉まるる。小切り子の二つの竹の、世々を重ねて、うち治めたる御代かな。

作詞:不詳
作曲:松浦検校
箏手付:浦崎検校  



【語注】

嵐の山 嵐山。大堰川(桂川)の右岸(西側)にある山。春の桜・秋の紅葉の名所。







汲むや泉の大堰川 大堰川の畔で酒を飲むことを比喩的に表現したもの。

手活け 手ずから花を花瓶に挿す。芸娼妓などを身請けして妻妾にすること。




嵯峨の寺々廻らば廻れ⇒背景
りせん堰 臨川寺の前に堰があった。臨川寺は、夢窓国師開基と伝えられる禅寺。京福電鉄嵐山線「嵐山」駅下車東へ徒歩5分。
茶臼 抹茶を作る石臼。
挽木 臼を廻す木製の取っ手。

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