おちゃ乳人(めのと)

【解題】

 室町時代以降、庶民の間に小歌が流行した。小歌は貴族文学であった和歌などと違い、庶民が自分の言葉で身近な事柄
や感情を歌ったもので、形式も伝統にとらわれず、長さも自由であった。この『おちや乳人』もその一つで、古くから伝
わった歌謡が江戸時代に端唄に取り入れられたらしい。「七つになる子が」以下は狂言の中で小謡として歌われている。

【解析】

○御乳(おち)や乳人(めのと)の|癖 とし て、背なに|子 を 負ひ、寝させておいて、
 お乳をあげる 乳人     が|口癖のように、背中に|子供を背負い、寝かせておいて、

○狗(いん)の子、狗(い)の子と|@言(ゆ) |たBも  |な。目Dり|な  |掛け  |そ。
                
|A言(ゆ)う|たCもの |な 目Eに|な  |掛け  |そ。
 犬    の子、犬   の子と|言    っ|た ものだ|な。目Eに|   |とめて見|
                                   |ないで|    |ね。

○世  の|花  の踊りはなあ さて、花  の踊り は|一踊り|        。
 世の中の|花やかな踊りはねえ、さて、花やかな踊りを |一踊り|踊ってあげようね。
 
(合の手)

○ここな子は|幾つ、七つになる子が、いたいけなこと 言(い)うた。
 こ の子は|幾つ、七つになる子が、可愛らしいことを言   った。

○殿 が|欲し と|唄(うと)た。
 殿御が|欲しいと|唄っ   た。

○ ても|さっても、我御寮(わごりょ)は、たれびとの子なれば、定家葛(ていかかづら)     か。
 さても|さ ても、お前       は、誰   の子だから、定家葛みたいに私にまとわりつくのか。

○    |離れがた  やの、離れがた  やの。
 お前から|離れられないねえ、離れられないねえ。

○川舟に 乗せて 連れて行(ゆ)こ やれ、神崎へ、神崎へ。
 川舟に 乗せて 連れて行   こうよ 、神崎へ、神崎へ。

○ ても|さっても、我御寮(わごりょ)は 踊り子が見たいか。踊り子が見たく ば、
 さても|さ ても、お前       は、踊り子が見たいか。踊り子が見たければ、

○北嵯峨へござれ   の。北嵯峨の踊りは、葛(つづら)烏帽子(えぼし)をしゃんと着て、
 北嵯峨へいらっしゃいな。北嵯峨の踊りは、葛     烏帽子     をしゃんと着て、

○踊る|振りが面白 や。吉野、初瀬の花よりも、紅葉よりも、恋しき人が見たいものよ。
 踊る|所作が面白いよ。吉野や初瀬の花よりも、紅葉よりも、恋しい人が見たいものよ。

○所どころ    |御参(おんま)り やって、迅(と)う|下向(げこ)|召され。
 所どころの寺社を|御参     りになって、早く   |      |お  |
                            |帰り    |なされ。

○      | 咎(とが)をば、乳母(いちゃ)  が、  負い|参ら しょ 。
 遠くに行った|お咎め    は、乳母     の私が、引き受け|申しましょう。

【背景】

 狗の子

○めいよう(奇妙)じゃ狗の子と言やすうやすや(雑俳・軽口頓作)
 狗張子も、幼児のそばに置いて魔除けとした。

 神崎

 大阪府摂津市。神崎川の水運の要衝として奈良時代から栄えた。特に平安時代は、江口と、遊女の集う「天下第一の
歓楽地」の名を争った。その後も寺社建設の材木や瀬戸内海の物資を集める港として、また住吉神社参詣に向かう貴族
や庶民で賑わった。

 北嵯峨

 京都の北西に広がる行楽地。法輪寺(嵯峨の虚空蔵さん・西区嵐山虚空蔵山町)、清凉寺(嵯峨釈迦堂・京都府京都
市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46)、臨川寺、などは中世の歌謡にも歌われている。

○  西は|法輪 、  嵯峨の 御 寺、   |廻ら   ば廻れ   |水車の|臨川     堰の川波、
 都の西は|法輪寺、また嵯峨の清涼寺、寺々を|興味があれば廻ってご覧、水車も|
                      |廻るなら  廻れ   、   |臨川寺の前の井堰の川波、

○川柳は        |水に揉まるる、腸(ふく)ら雀は|竹に揉まるる、都の牛は|車   に揉まるる、
 川柳は川面に枝を浸して|水に揉まれる、ふっくらした雀は|竹に揉まれる、都の牛は|車の混雑に揉まれる、

○野辺の薄は風に揉まるる 茶臼は挽木(ひきぎ)に揉まるる。げに |まこと |      |忘れたりとよ、
 野辺の薄は風に揉まれる、茶臼は挽木     に揉まれる。本当に、そうそう、肝心のものを|忘れていたよ、

○小切子(こきりこ)は放下(ほうか)に揉まるる 小切子の二つの竹の|  |世々|を重ねて
                                    
|よよ|
 小切子      は放下僧    に揉まれる、小切子の二つの竹の   |節々、
                                 |その|世々|を重ねて

○うち治めたる|御 代かな 。(閑吟集)
 平和の続く |ご時世だなあ。

 臨川堰

 臨川寺の前の桂川の水車が当時名物だったらしい。臨川寺は、建武2年(1335) 夢想国師が開山としてつくられた禅宗
寺院。国師は晩年この寺で過ごし77歳で入寂している。開山堂には国師の木像が安置されている。足利義満の筆による
『三会院』の額(中門の上)をはじめ書院中の間にある狩野永徳による襖絵「水墨花鳥図」および枯山水(龍華三会の庭)の
庭園など往時を偲ぶものが多く残る。京都市右京区嵯峨天竜寺造路(つくりみち)町。京福嵐山線嵐山駅から東に150
メートルほどの所にある。

 茶臼・挽木

 葉茶をひいて抹茶にするために使う石臼。上臼と下臼の間の隙間に茶を入れ、上臼を回して磨りつぶす。挽木は上臼
を回すための取っ手。

 こきりこ

 25センチほどに切った2本のすす竹を、手首を回転させ指先で回しながら軽やかな音に打ち鳴らす楽器。放下(ほう
か)師(芸をして歩く田楽法師・大道芸人の元祖)が用いた。

 吉野

 奈良県吉野郡吉野町。吉野山一帯は桜の名所として名高い。

○み吉野の山べに咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける(古今集・春・上・60・紀友則)

 初瀬

 奈良県桜井市初瀬(はせ)。古くは「はつせ」と呼んだ。長谷寺のある渓谷一帯は紅葉の名所である。

作詞:不祥
作曲:不祥
初出文献:宝暦七年(1757)
     『新曲糸の節』


【語注】

御乳や乳人 「御乳(おち)」
は「御乳の人」の略で、乳人の
こと。同義語を重ねて、「おち
や乳人」と言う。曲名はなまっ
て「おちゃ乳人」と言う。
狗の子 小児がおびえた時に、
撫でて唱える呪文。⇒背景
な…そ 柔らかな禁止。
ゆたもな 「A言(ゆ)うたも
」のウ音便の無表記。
Bも 「Cもの」の撥音便の
無表記。「
もの」→「もん
→「
」。
目にな掛けそ 「目をつむって
、寝ん寝しな」の意か。「
Dり
」は「
Eに」の誤りか。
殿が欲し お嫁に行きたい。結
婚したい。






神崎
⇒背景





北嵯峨⇒背景
葛烏帽子 葛帽子。葛笠のこと
。籐(とう)で編んだ笠。
吉野⇒背景
初瀬⇒背景


























法輪 法輪寺。渡月橋の南詰か
ら130メートルほど南にある。
嵯峨の御寺 清涼寺(嵯峨釈迦
堂)。JR嵯峨野線「嵯峨嵐山
駅」から北西約800m。
臨川堰⇒背景
水に揉まるる 以下、揉まれる
もの尽し。
竹に揉まるる 雀の群れが、竹
藪の中を飛び回るさまを表現し
たもの。
茶臼挽木⇒背景
こきりこ⇒背景
(竹の節と節の間の空
洞)が掛け言葉。





























目次へ