尾上の松

【解題】

 
播磨の尾の上の松に事寄せて、夫婦の相生と寿命長久を祝った曲。この曲は、本来は九州で演奏された三味線の地歌だったが、昭和になって宮城道雄が華麗な箏の手を付け、尺八の名手の演奏も加わって、三曲合奏の名曲となった。

【解析】


○やら やら|芽出た   や、芽出た   やと、謡ひ   |うち連れ   |尉(じやう)と姥(うば)
 さて、さて、芽出たいことよ、芽出たいことよと、謡いながら|  連れ立って、尉    と姥が、登場。

○その名も今に    |高砂の尾上の松も|     年 古りて、老いの波   も|寄り来る  や、
 その名も今に至るまで|高い      、
           |高砂の尾上の松も|二人と共に年をとって、老いの波   も|
                               |渚 の波のように|寄せ来るのに!|

                                       ┌─────────┐
○木(こ)の下陰の落葉 |かく   |なるまで、 命 永らへて、なほいつまで|か|生き の|松| |
 木   の下陰の落葉を|掻きながら|                              ↓
            |こんなに |なるまで|長寿を保っ て、更にいつまで| |生きるの|だろうか。
                                           この|松|のように、

○千  枝(ちえ)に栄え て   色 深み 、琴の音 通ふ  松の風 、   太平楽の調べ    かな。
 沢山の枝    を茂らせて、緑の色が深まり、琴の音に通い合う松の風は、まるで太平楽の調べのようだなあ。

○   豊かにすめ  る|日  の 本  |の     恵みは|四方に照り渡る。神の教への|   跡垂れて、
 人々が豊かに住んでいる|日    本  |の国の善政の恵みは|
    豊かに澄んでいる|日の光のように|         |四方に照り渡る。神の教えが|地上に実現して、

○   尽きじ    |尽きせぬ|    君が御代 、万歳      祝ふ|かみ 神楽。みしみんの前に|
           |尽きせぬ|    君の御代は|
 永遠に尽きないだろう。    |そのわが君の御代が|永遠に続くことを祝う| 神 の歌舞。御 神 の前に|

○八  乙女の袖、|振る   |鈴や振り鼓  |太鼓の音も笛の音も、手拍子 揃へて|いさぎよ  や。
 八人の乙女が袖を|振って舞い、
         |振る   |鈴や振り鼓の音、太鼓の音も笛の音も、手拍子を揃えて、爽やかなことよ。

○あら 面白   や|面白   や、    閉ざさぬ    御代に|  相生の、松の緑も|春 来れば、
 ああ、面白いことよ、面白いことよ、関の扉を閉ざさない平和な御代に|出 会い  、
                                 |夫婦共生の|松の緑も、春が来ると、

○ 今 一しほに|色 まさり 、       |深く契り   て|千歳 経る、松の 齢を今日よりは、
                                     
《松》
 なお一 層  |色が増さって、       |深くなり    、
              |その色のように|深く契りを結んで、千年を経た|松の長寿を今日からは、

○  君に|引かれて|万代   を、春   に    |栄え     ん|    君が 代は、
     
《引か》
 わが君に|導かれて|永遠の未来を、春のように華やかに|栄え続けるだろう。そのわが君の御代は|

○万々歳      と   |舞ひ唄ふ  。
 万々歳も続くようにと祝って|舞い唄うのだ。

【背景】

 常磐樹の松

 松を常磐木とし、長寿の象徴として崇める風習は古来からあり、既に万葉集にも見える。

○石  室 戸(いはやと)に立て  る|松の樹 | 汝(な)を見れば|昔の人を  |相見るごとし
 石の墓室の戸口     に立っている|松の樹よ、お前   を見ると、昔の人を今も| 見るようである。

                             博通(はくつう)法師(巻三・309)

○茂岡に神さび |立ちて栄えたる |千代     松の樹の        歳 の知 ら|な | く
 茂岡に神々しく|立って栄えている|千年も年を経た松の樹が、うっそうとして年齢も分から|ない|ことだ。

                                       紀朝臣鹿人(巻六・990)

 高砂の松・住吉の松

 高砂の松と住吉の松に関する伝説は『古今和歌集仮名序』の次の記述を元にして生まれたらしい。

○…富士の煙に寄そへて|人を恋ひ、松虫の音に友を偲び、高砂・住吉(すみのえ)の松も|相  生      の|
  富士の煙に喩え て|人を恋い、松虫の音に友を偲び、高砂・住吉      の松も|一緒に生まれ育った友の|

○やうに覚え、      男山の 昔を|思ひ出でて、女郎花   の一時   を|くねる  |    にも、
 ように感じ、自分が壮年の男だった昔を|思い出して、女性の美しさも一時のものと|愚痴を言う|ような時にも、

○      歌を言ひてぞ|  慰め ける  。
 その気持ちを歌に詠んで |心を慰めてきたのだ。

 上の文章は、人が自分の心を表出するために、自然の風物など見るもの聞くものにかこつけて歌を詠んできたのだという、紀貫之の文学観を述べているものであり、高砂・住吉の松もその一例として引き合いに出している。その高砂・住吉の松を詠んだ古今集中の歌は次のような歌である。

○我見ても久しくなりぬ住の江の岸の姫松いく世へぬらん(古今集・巻十七・雑上・905・読み人知らず)
○住吉の岸の姫松人ならば幾世か経しと問はましものを(古今集・巻十七・雑上・906・読み人知らず)
○かくしつつ世をや尽くさん高砂の尾上に立てる松ならなくに(古今集・巻十七・雑上・908・読み人知らず)
○誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに(古今集・巻十七・雑上・909・藤原興風)

 これらの歌は、見る人が、寿命の長い松の木を昔から一緒に育った友のように感じる、また、感じるはずなのにという意味合いで詠まれており、高砂の松と住吉の松が相生だと言っているのではない。「相生(あひおひ)」とは、一つの根から二つの幹が相接して生え出ること、また、二つのものが一緒に生まれ育つことで、必ずしも夫婦の意味ではない。

 高砂の尉(じょう)と姥(うば)・相生の松

 相生とは夫婦のことではないが、いつの頃からか、「相老い」に掛けて用いられるようになり、夫婦が長く一緒に暮らして共に年を重ねる意味にも通じさせて、夫婦の共生・和合・共に長寿を保つことの象徴に使われるようになった。世阿弥作の謡曲『高砂』は、本来の名称は『相生』で、古今集仮名序の俗解から生まれた伝説を元にし、「相生」を夫婦の「相老い」に結びつけた話と思われる。もちろん、世阿弥が謡曲を書く前に高砂の尉と姥の伝説と相生の松が既に存在していたことも十分考えられる。謡曲『高砂』に登場する尉は熊手を持ち、摂津(大阪府大阪市)の住吉の神、姥は杉箒を持ち、播磨の高砂の神で、この二人は松の精でもあり、また、遠く離れていても夫婦の神であるとされている。

 高砂神社と尾上神社

 高砂は本来「砂山」の意味の一般名詞だろうが、地名としては兵庫県高砂市があり、加古川の下流の西岸の浜辺に近いところに高砂神社がある。祭神は素盞鳴尊、奇稲田姫、大己貴命の三神で、境内の東北に相生の松がある。

 神社の由来記によると、

 ある時祥瑞があって神殿の傍らに一夜に一本の松が生えた。根は一つで雌雄が左右に分かれて枝葉が茂った。尉姥の二神がこの松の元に現れて、われは伊弉諾(イザナギ)・伊弉冊(イザナミ)の神であると告げて姿を隠された。この二神は夫婦の道を始められた神々で、松の様子を「相(あい)ともに生まれ、生きて老いるまで」と表したことから「相生松」と名づけられた。相生の松は、根は一つで幹が雌雄二つに分かれる珍しい松で、一つの幹は海辺に生える『黒松』、もう片方は山に生える『赤松』、種類も違うし、植生地も違うので、夫婦愛と長寿の象徴として信仰されている。現在の松は五代目である。また、高砂の尉と姥の伝説もこの神社から生まれたと言う。また、高砂市の中に高砂町相生町という地名もある。

 尾上も本来「山の峰の上」という一般名詞だが、地名として、高砂市の東隣、加古川の東岸の加古川市尾上町があり、そこに尾上神社がある。この神社は住吉大明神を祭神の一つとし、境内に霊木『尾上の松』があり、やはり一つの根から男松(黒松)・女松(赤松)が育つ相生の松である。現在の松は五代目だが、初代尾上の松は謡曲「高砂」に謡われた霊松で、太さ五尋に及び、地上一丈ばかりのところから男松・女松に分れ、女松は真っ直ぐに生えて中天にひろがり、男松は這って地につき、又上って地に這う。その上った間を華表(鳥居)として、諸人が参詣したという。天正年間(約四百年前)には、秀吉の三木城攻めに対抗した毛利方の武将が、薪を取るために切り倒してしまい、枯死したが、その株は宝物館に保存されている。その後、姫路藩主となった池田輝政や、本田忠政によって復興された。また、高砂の尉と姥の伝説も残っているという。

 琴の音通ふ松の風

                       ┌─────────────────────────┐
○琴の音に峰の松風 | 通ふ   | らし |いづれの|尾 |より|     |調べ初め|け   ん|
                          
|緒 |  |                 ↓
 
琴の音に峰の松風が| 訪れてくる|ようだ。 ど の|尾根|から|松風の音が|響き初め|たのだろう|か。
          |似通っている|ようだ。 ど の|糸 |から| 琴 の音が|鳴り初め|たのだろう|か。

                                 (拾遺集・巻八・雑上・451・斎宮女御)

○夏の夜、深養父が琴弾くを聞きて

○短か夜の更けゆくままに高砂の峰の松風吹くかとぞ聞く(後撰集・巻第四・夏・167・藤原兼輔)

 琴の音を松風に譬えるのは中国文学の影響である。

○月影臨秋扇 月 影 |       秋の扇に|臨み
       月の光が|もう使われない秋の扇に|映り、

○松声入夜琴 松  声 |夜の琴  に|入る
       松風の声が|夜の琴の音に|重なって聞こえる。
李きょう百詠・風)

 閉ざさぬ御代

 関所の扉や家々の門扉を閉ざさなくてもよいような平和で安全な世の中のこと。江戸時代の元旦の行事として、諸大名が将軍家へ挨拶に行く時、三河万歳が大名たちの先頭に立って、江戸城の門番に「鍵いらず 閉ざさぬ御世の 明けの朝」と呼びかけると、門番が、「思わず 腰をのばす海老蔵」と答えて門を開け、三河万歳が大名たちを引き連れて江戸城内に入り、将軍から杯を拝したという面白い言い伝えがある。

 一しほ

○ときはなる|松の緑も 春 来れ ば | 今 |ひとしほの  色 |   まさり| けり
 常に不変の|松の緑も、春が来たので、さらに| 一 層 の緑の色が|深さを増し |たことよ。

                                  (古今集・巻第一・春・24・源宗干)

作詞:不詳
作曲:不詳
箏手付け:宮城道雄


【語注】


尉と姥 老翁と老婆。老人の夫婦。実は松の精でもある。⇒背景
老いの波 年が寄ることを波に例えた言葉。寄る年波。
尾上の松⇒背景
生きの松 福岡市姪浜(めいのはま)の西から博多湾岸に沿って延びる海岸の松原を「生きの松原」と言う。神功皇后が新羅遠征の折、松の枝を挿した地とされ、歌枕になっている。
琴の音通ふ松の風⇒背景
太平楽 雅楽の曲名。唐楽に属する太食調の舞楽曲。甲冑姿で鉾、続いて太刀を手にして四人の兵士が太平を祝って舞う。舞楽の中でもっとも豪華な衣装や持ち物を使い、即位礼の祝賀には必ず演じる。
跡垂れて 「垂迹(すいじやく)」の訓読語。菩薩が衆生を救うために神の姿を借りてわが国に現れること。
尽きじ尽きせぬ君が御代 尽きないということを強調するためと、歌詞にリズム感を与えるために倒置表現を使った。
みしみん 御神(みしん)の誤伝だろうとされる。
八乙女 やをとめ。神に奉仕し、神楽などを舞う少女。
閉ざさぬ御代⇒背景
相生⇒背景
一しほ 一入。原義は、布などを染め汁に一度入れて浸すこと。⇒背景
引かは縁語。正月初子の日に野に出て、小松を引き、千代を祝う子の日の遊びに由来する。









石室戸 いしむろ。いはむろ。石で作った墓室。



茂岡 地名か一般名詞か不詳。











男山の昔 今こそあれ我も昔は男山さかゆく時もありこしものを(889)
女郎花の一時をくねる 秋の野になまめき立てる女郎花あなかしがまし花も一時(1016)






















高砂神社 TEL:079-443-6001
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尾上神社 兵庫県加古川市尾上町長田字尾上林518
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/~onoe-jinja






















李きょう 唐の詩人。「きょう」は山篇に喬。

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