夏の眺め

【解題】

 月・ほととぎすの初音・夕顔・たちばな・夏虫(蛍)・鵜飼い舟・篝火・五月雨・あやめ草など、夏の風物の代表的なものを折り込みながら、恋の諸相を歌ったもの。折り句や道行文と同じで、縁語や掛け言葉などで語を折り込むことに主眼があり、歌詞全体の意味は必ずしも一貫しないが、夏の眺めに寄せて、さまざまな恋の場面を想起させるように作られた歌詞で、いわゆる粋な歌詞である。

析】

○   |あこがれて、月に      |   名のる     か|ほととぎす 、     |宵の初音は|
 恋人を|恋い慕って、月に向かってまで|自分の名を告げているのか、ほととぎすよ、お前のその|宵の初音は、

○空に   さへ、忍びかねての|  言の葉を、よそ に|もらし て|     | 夕 |顔の、
                                       
|言ふ|
 空に向ってまで、耐えきれない|恋の言 葉を、人違いに|打ち明けて|     |言う|  |のだろう。私も|
 空に向ってまで、耐えきれない|恋の言 葉を|人違いに|打ち明けて|     |言う|  |のである。
                                  その言葉が| 夕  顔の|

○ 垣         の|   隔てとなるならば、後のうき 名の|たち ばなを、惜しむ |かひなき  |
 《垣》            《隔て》             |立ち|

  垣根のように、恋人との|逢瀬の障害となるならば、後のいやな噂が|立つ|ことを、嫌っても|無駄なことだ。

○     |夏虫の   、光を袖につつま    | れ |ず、一人|   焦がるる  |鵜飼ひ舟   、
      ≪夏虫≫                          ≪焦がるる≫

                                    
《漕がるる》 《鵜飼ひ舟》
 私の恋心は、 蛍 のように、光を袖で覆い隠すことも|でき|ず、一人|熱く|焦がれながら|
                                    |漕がれていく|鵜飼い舟のよう、

○夜の|思ひ    |は|     | 篝 火|の   、まだ|  明けぬ間に|消えはてて、
   | 火    |

   | 火のような|
 夜の|思い    |は|鵜飼い船の|かがり火|のように、まだ|夜も明けぬ間に|消えはてて、

○晴れぬ心は|さみだれの   、   |五月雨の滴(しづく)も|かをる|あやめ草       、
                                   ≪あやめ草≫

 晴れぬ心は|さみだれのように|
      |  乱 れたまま 。しかし、五月雨の滴     も|香 る|あやめ草の香は爽やかで、

○ 弾くも、弾く     も|うれしき| 君 が|玉    琴|      。
 ≪引く≫

     |弾く音を聴くのも|うれしい、あなたの|素晴らしい琴|であることよ。

【背景】

 月に名のるかほととぎす

 「のる」は古く「神が告げる・神に告げる・神聖な言葉を発する」という意味で、例えば「祝詞(のりと)」の語源は「のりごと」、神に告げる言葉である。また、「名」は古代人にとっては霊力のあるもので、タブーの対象でもあった。そこで、「名を言う」とは言わず、「名のる」と言う。「ほととぎす」のホトトギは、一説によれば鳴き声の擬音であるという。スはカラス・ウグヒスなどのスと同じで、鳥を表す。つまり、ほととぎすは月に向かって「ほととぎ」という鳴き声でわが名を名のり、夏の訪れを告げるのである。しかし、ここではほととぎすと月を擬人化し、恋愛的な行動としてとらえている。

作詞:不詳
作曲:二世山木検校





【語注】

あこがれて 「あこがる」は本来は「あくがる」で、心身が本来あるべき所からさ迷い出ること。転じて、あこがれる対象に心が引かれる、恋い慕うの意に変わって行った。
月に名のるかほととぎす⇒背景
よそに 「よそ」は無関係なもの。恋人とは関係ない空を恋人と人違いして打ち明ける、の意。
隔ては縁語。
うき名 「浮き名・憂き名」の両方の意味を掛けて、「浮気のいやな評判」の意。
夏虫焦がるるは縁語。
漕がるる鵜飼ひ舟は縁語。







あやめ草引くは縁語。小松やあやめは「引く」もの、若菜などは「摘む」もの、梅が枝などは「手折る」ものである。













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