難波獅子(なにはじし)

【解題】

 国土の長久繁栄を寿ぐ歌三首を連ねて、仁徳天皇の治世を称えた内容となっている。三首目の歌は仁徳天皇の御製と伝えられ、難波の繁栄を称えたもの。。難波は現在の大阪。獅子は正月の獅子舞のように慶祝に用いられるので、曲名の一部につけたものであろう。

析】

○  君が  代は、千代に八千代に  、さざれ石の、   | 巌 |となりて、

 我が君の御治世は、千代に八千代に続き、小さな石が成長して|大岩|となり 、

○      | 苔 |の| むす |まで|          。
 さらにそれに|こけ|が|生える|まで、永遠に続きますように。(古今集・巻第七・賀歌・343・読人しらず)

○立ち並ぶ|八百(やつほ)の|椿  八重桜 、 ともに|八千代の    |春に 遭は|まし     。
 立ち並ぶ|沢山     の|椿も、八重桜も、皆一緒に、永遠に続く幸福な|春に出遭い|たいものだなあ。

○     高き 屋に、登りて   |見 れば|       煙 立つ     、
 難波の宮の高い御殿に|登って国土を|見渡すと、家々から炊事の煙が立ち昇っている。

○         |民のかまどは|賑はひ     |に| けり 。
 国民は豊かになって、民のかまどは|賑わうようになっ|た|のだなあ。
                             (新古今集・巻第七・賀・707・仁徳天皇)


【背景】

 八百の椿

 椿は、枝が強く葉が常緑なので、破邪長寿の木とされ、正月の厄払いの儀式などに使われた。源実朝の『金槐和歌集』にも次のような一首がある。

○ちはやふる伊豆のお山の玉椿八百よろづ代も色はかはらじ(644)

 また、『平家物語・勧進帳』にも、次のような一節がある。

○願は    く は|    |建立 成就して、
 願いがかなう事なら、神護寺の|建立が実現して、

○金闕(きんけつ) 鳳暦(ほうれき)|御願(ごぐわん)円満(ゑんまん)乃至(ないし)|都鄙(とひ)
 天子の宮殿  と御治世     が|       |円満であることを|
                  |お願いし   |        |更に     |都も田舎も、

○遠  近  、隣民 親疎(しんそ)、尭舜(げうしゆん)|無為(むゐ)の 化を|うたひ、
 遠国も近国も、隣民の親疎を問わず 、尭舜      の|無為    の教化を|称え 、

○         | 椿 葉 |再 改    |  の|咲(ゑみ)を|ひらかん。
 八千年を一春とする|大椿の葉が|再び生え変わる|ほどの|泰平の世 を|開きたい。

 高き屋に、登りて見れば


○みつぎ物|    |ゆるされ   て、国 富め   る を|御覧じ  て、
  租税 |の徴収を|免除なさったので|国が豊かになったのを|ご覧になって、お詠みになった歌

○高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり

 延喜六年(906)の「日本紀竟宴和歌」で、藤原時平が仁徳天皇を題に詠んだ「高殿に登りて見れば天の下四方に煙りて今ぞ富みぬる」が誤って伝わり、平安末期には仁徳天皇の御製とされるようになった。仁徳天皇四年、天皇が高台に登り、家々から煙が立たないのを見て、民の疲弊を救うために課役をとどめ、七年夏四月、煙の多いのを見て、后に、「朕、既に富めり」と述べた故事(日本書紀)による。『水鏡』にも、同趣旨の記事がある。

出典:古今和歌集・新古今和歌集
作曲:不詳
箏手付:継橋検校(大阪の人)


【語注】


君が代は…
 日本の国歌。原典の古今集では、「わが君は …」となっている。


立ちならぶ… 出典未詳。
八百の椿 「八(やつ)百(ほ)の椿」の意で、椿が多く立ち並んでいる様子を言ったもの。⇒背景
遭はまし 「まし」はここでは反実仮想(空想的願望)を表している。
高き屋に… 謡曲『難波』にも仁徳天皇の御製として引用されている。⇒背景
















尭舜無為の化
 中国古代の聖天子である尭と舜は、その高い人徳で知らず知らずのうちに人民を教導したと言う。
再改 原文は「再会」となっているが、誤記である。

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