長良の春

【解題】

 近江(滋賀県)は京の都から山一つ隔てた近隣の地で、景勝に優れ、特にその春景色は都の人々に愛された。特に琵琶湖の周辺は、『近江八景』が選ばれるほど、山水の眺めに富んでいる。長良山は湖水の西岸、大津市の三井寺のあるあたりで、北に暮雪で知られる比良の山並みが連なり、麓に湖水が広がり、対岸には近江富士と呼ばれる三上山が遠望される。大宮人はうららかな春の一日、この地で桜狩を楽しみ、行く春を惜しんだ。

析】

○賑はふ  や、春の朝 |立つ   |霞 晴れ、志賀の都は荒れ| に  し|を、
 ながらの|山の山桜 、
 賑わうことよ、春の朝に|なると  |
            |立っていた|霞も晴れ、大津の都は荒れ|てしまった|が、昔ながらの|
                                       |  長 良 |山の山桜は、

○昔   を今ぞ|思ふ なる、花の盛り   も|一様に   、四方の眺めも|尽きせ| じ   |と   、
 昔の様子を今!|偲ぶという、花 盛りの景色も|一面に広がり、四方の眺めも|見飽き|ないだろう|と見える、

○高観音の庭桜    、向かふ遥かに|三上山 、    隔つる|鳰(にほ)の海|の 面、その浦々を漕ぎ渡る、
 高観音の庭桜も美しい。対岸 遥かに|三上山が、
                  |見渡され、こちらと隔てる|琵琶   湖|の湖面、その浦々を漕ぎ渡る、

○往きかふ船の楫 音も、風の|便りに |聞こゆ|なり 。遊び戯れ 春の|暮れ  、
 行き交う船の楫の音も、風に|運ばれて|聞こえ|てくる。遊び戯れて春の|終わりに、

○名残りを惜しむ諸人の|    、入相  |告ぐる 三井寺の、 鐘の声さえ 吹き返す、  風に|
 名残りを惜しむ人々の|耳に入る|夕暮れを|知らせる三井寺の 晩鐘の音までも吹き返す、強い風に|

○連れ立ち 散る桜、桜 々に| 送られて、唄うて|  帰る|桜  人々。
 連れ立って散る桜、桜、桜に|見送られて、唄って|都に帰る|花見の人々。

【背景】

 志賀の都

○さざなみや|志賀の都は|荒れ  | に  |し|を 
      |大津 京は|荒れ果て|てしまっ|た|が、

○昔|ながら | の         |山桜   かな
 昔|そのまま| の美しさで咲いている|
  |長 良 |山の         |山桜であるなあ。(千載集・巻第一・春上・66・読人知らず

 三井寺

 天台寺門宗の総本山。壬申の乱で敗れた大友皇子の霊を弔うために創建された。東海道線大津駅の北西約1km。琵琶
湖を見下ろす長等山の中腹に広大な敷地を持っている。三井寺の晩鐘は近江八景の一つ。


作詞:雅無舎・消南舎
作曲:菊岡検校
箏手付:八重崎検校




【語注】


志賀の都 天智天皇によって琵琶湖畔に造営された大津京のこと。天皇の死後、壬申の乱(672)で、天皇の子大友皇子が大海人皇子(天武天皇)に破れ、わずか五年間で廃都となった。⇒背景
長良の山 大津市の三井寺の背後の山。
高観音 園城寺別所の近松寺。本尊は十一面千手観音。大津市逢坂 2-11-8 
三上山 近江富士といわれる名山。琵琶湖東岸の野洲市にある。
鳰の海 琵琶湖の古名。鳰はカイツブリのこと。
聞こゆなり 「なり」は伝聞推定の助動詞。
三井寺⇒背景





さざなみや 琵琶湖のさざ波の意から、琵琶湖周辺の「大津」「志賀」「比良山」「長等山」などに掛かる枕詞。

読人知らず 平家物語によると、実際は平忠度(たいらのただのり)作だが、平家が敗れて朝敵となったので、名が伏せられた。

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