松風(まつかぜ)

【解題】

 
この曲の由来については、次の伝えがある。幕末の頃、伊達家の姫君が松平家へ輿入れしたが、夫と死別した。そこで、松風という箏を新調し、夫君をしのんだ箏唄を作った。その唄の中の和歌「松風のしらべそへたるつま琴は千代のためしにひくべかりしを」を特に象牙の箏柱十三弦に分けて刻み、金蒔絵にしたというのである。

【解析】

○久方の|月        の桂  の      |かげ  高く  、風 吹き送り |真砂路(まさごぢ)を、
    |月に生えているという桂の木の紅葉に映える| 光 が空高く輝き、風が吹き送って|海岸の砂浜   を、

○磨きなしたる     光をば昼かとばかり   |見渡せば、  |花も紅葉もなかり         けり。
 磨き上げた ような月の光を!昼かとばかり思って|見渡すと、実は|花も紅葉もない 寂しい海辺なのであった。

○浦 のとまやに秋 ふけて、|    |うちも寝     られず 海人(あまびと)は、しほ 馴れ   衣 |
 海辺のとまやに秋が更けて、|寂しさに|   寝入ることもできず、海人     は、海水の染みついた衣は|

○袖 さむ  み 、砧の音も|恨み  なり  。
 袖が 寒 いので、砧の音も|恨めしく聞こえる。

○十編(とふ)の菅(すが)ごも |           |三編(みふ)に  寝し、       昔 偲べば|
 十編   の菅    薦 の|七編にあなたを寝かせて、三編   に私が寝た、仲よく暮らした昔を偲ぶと、

                              ┌──────────────┐
○ 割り爪の、わり  なき  仲も|なかなかに|     、何 |            
 <ワリ> <ワリ>    <ナカ><ナカナカ>        
             ↓
       断ち切れない深い仲も|かえって |仇となって、なぜ|こんな悲しい目に遭うの|か|と|

○ うらずりの|恨みごと   、袖は涙の   |波   返 し 、帰る|    たもとを|引きれんに、
 <ウラ>  <ウラ>      <ナミ>  <ナミ> <ガヘシ><カヘル>

                       《波》      《返る》    ≪袂≫ ≪引き≫

       |恨みごとを言い、袖は涙で濡れて、        |帰る|あなたの 袂 を|引き留めて、

○秋の夜 長し  |   長かれ    と、なごりは尽きぬ |つくし琴、 と呼ぶ名に|ゆかり ある、
                         
<ツキ> <ツク> 
 秋の夜は長いから、もっと長く居て下さいと、なごりは尽きない     。 海と呼ぶ名に| 縁 がある、
     
部の松を|吹く風も、おのづからなる    調べには、雲 井の雁も|琴柱(ことぢ) して、
 磯辺の松を|吹く風も、自然に音楽を奏でるその調べには、高い空の雁も|琴柱のように列を作り、

                                     ┌─────────┐
○ 落つる まにまに|声 そへて、心を澄ます波の音       、秋風楽|や |これ|ならむ|↓。
 急降下する間に間に|声を上げて、心を澄ます波の音が聞こえてくる、秋風楽| は|これ|だろう|か。

○おもしろ |  や、松風の調べ    添へたる|玉琴は、  千代       の|ためしに  |
                         
《琴》
 風情がある|ことよ、松風の調べを伴奏に付けた |玉琴は、皆が千代も永く続くものの| 例え として|

○  引く   |絃(いと)の   、永き 代 かけて|尽きせじ   と、八百万代(やほよろづよ)も|
  
《弾く》  《絃》
   引くもので、
 琴を弾く   |絃   のように、永い時代をかけて|尽きないようにと、八百万代       も|

○   |みかさ山    、 君が恵み や|あふぐ     らむ。
 大君の|み傘  となって|
    |見守り申し   、大君の恵みを!| 仰 ぎ頂くことだろう。

【背景】

 月の桂

 中国に、月には桂の木が生えているという伝説があった。

○俗伝。月中仙人桂樹。
(初学記・月・虞喜安天論)

○久方の月        の|桂  も|秋は なほ |
 久方の月に生えているという|桂の葉も、秋はやはり|

              ┌─────────────────────┐
○紅葉(もみぢ)すれ| ば |や|  |照り  まさる |らむ     |
 紅葉     する|ので、 |月が|   一層明るく|        ↓
                  |照っ      |ているのだろう|か。

                              (古今集・巻第四・秋上・194・壬生忠岑)

 花も紅葉もなかりけり

○見渡せば|花も紅葉も|なかり  けり|浦 の|とまやの         |秋の夕暮
 見渡すと、花も紅葉も|ないことだなあ、海辺に|とまやが建っているあたりの|秋の夕暮れであることよ。

                           (新古今集・巻第四・秋上・363・藤原定家)

 砧の音も恨みなり

 日本文学の中で、砧の音は、しばしば女性の恋の恨みを暗示するものとして使われる。その大元は世阿弥作の謡曲『砧』にあるので、以下にその荒筋を紹介する。

 九州芦屋に領地を持つ某(なにがし)という男が、妻を領地に残し、若い侍女の夕霧を伴って、訴訟のために上京する。上京は予定外に長引き、男は妻に便りもよこさぬまま、はや三年が過ぎた。男は「この暮れには必ず下る」と伝えるため、夕霧を妻のもとに遣わす。妻は突然帰ってきた夕霧に「珍しながら恨めしや」と皮肉を言いながらも受け入れる。そこへ、里人の打つ砧の音が聞こえてくる。昔、中国で、前漢の武帝の家臣だった蘇武が胡国に流された時、古里に残された妻と子が蘇武を思い遣って、高楼に上って砧を打ったところ、遠く離れた蘇武の耳に届いたという伝説がある。妻はその話を思い出し、夕霧とともに砧を打つ。

○いざいざ砧打たんとて、馴れて臥すねの床の上、涙片敷く狭筵に思ひを述ぶる頼りぞと、夕霧立ち寄り主従ともに、恨みの砧打つとかや。衣に落つる松の声、夜寒を風や知らすらん。音づれの稀なる中の秋風に憂きを知らする夕べかな。遠里人(とおざとびと)も眺むらん、誰(た)が夜と月はよも訪はじ。面白の折からや、頃しも秋の夕つ方、牡鹿の声も心凄く、見ぬ山風を送り来て、梢はいづれひと葉散る空すさまじき月影の軒の忍(しのぶ)に映ろひて、露の玉垂れかかる身の、思ひを述ぶる夜すがらかな。

 こうして何日か過ごすうちに、今年の秋も帰れないという夫からの便りが来る。妻は絶望のあまり病の床に伏し沈み、ついに死んでしまう。その知らせを聞いた芦屋の某は急遽故里に帰り、梓の弓で妻の魂を呼び返し、法事をする。現れた妻の霊は、恋慕の深い業に迷い、因果の妄執から抜け出せない地獄の苦しみを訴えるが、法華経の功徳によって成仏を果たしたのだった。

 十編(とふ)の菅(すが)ごも

 菅薦(すがごも)は菅草(すげくさ)を乾燥して編みこんだ筵(むしろ)で、編(ふ)はその編み目。

○みちのくの|   |十編の菅薦   |  七編(ななふ)には| 君 を|寝させて
 みちのくの|粗末な|十編の菅薦の夜具、その七編     には|あなたを|寝させて、

〇われ    三編(みふ)に|寝   む

  私 は残りの三編    に|寝ましょう。(夫木和歌集)

という恋歌が広く愛唱された。下の画像は、実際に編み目が十筋ある、十編の菅薦。



作詞:不詳
作曲:中能島検校・
   三世山木検校合作



【語注】

久方の 日・月・空・光など、天体に関係あるものに掛かる枕詞。
月の桂⇒背景
花も紅葉も⇒背景
とまや 苫(とま)葺きの小屋。水辺の粗末な家を言う。「苫」は、スゲ・カヤなどの草を編んで作った薦(こも)。小屋の屋根や周囲などを覆うのに使う。
砧の音も⇒背景
十編の菅ごも⇒背景



割り爪 シャシャテンのこと。以下、下線部は箏に関連する言葉を織り込んである。

うらずり ズー、ズーのこと。
波返し サーラリンのこと。
引きれん シャッ、ツレンのこと。
返る引きは縁語。
つくし琴 八橋検校が創始した現在の俗箏の前身で、筑紫の賢順が創始した。
 箏の上面。
 箏の側面。
雲井 雲井調子。箏の調絃法の一つ。
琴柱 箏の絃を支える柱。
落つる 雁は編隊を組んで飛ぶが、沼地や湖に降りる時は、編隊を解いて急降下する性質がある。これを落雁と言う。安藤広重が浮世絵のテーマに好んで取り上げている。
秋風楽 雅楽の曲名。盤渉調で四人舞いの舞楽。
弾くは縁語。
三笠山 三笠山は御傘山とも書く。「大君の御傘の山」、「高座(たかくら)の御傘の山」と詠まれた歌が万葉集に沢山あり、「大君の」「高座の」は「三笠山」の枕詞とされている。
君が恵みや
「や」は疑問の形をとっているが、内容的には強調・詠嘆である。

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