楓の花

【解題】

 京都嵐山あたりは大堰川が流れ、桜や紅葉の名所として知られていたが、新緑の季節も美しい。桜が散り、若葉が美しい初夏になると、楓の枝に、小さな赤い花が咲く。大堰川の井堰を若鮎が上り、河鹿が鳴く。ほととぎすの初音に憧れて川を遡って訪ねて行く。爽やかな初夏の行楽を歌ったものである。

【解析】


○  花の名残りも| 嵐  山 、   梢々の|浅緑    、松   吹く風に|はらはらと、散る は|
         
|あら じ  |
 桜の花の名残りも|ないだろう 、
         | 嵐  山の、木々の梢々の|浅緑の鮮かさ、松の枝を吹く風に|はらはらと、散るのは|

○楓の花 な らん。井堰を登る   若鮎の、さ  ばしる水の|み ごもりに、鳴くや|河鹿の声 |澄め  る、
 楓の花であろう。井堰を登って行く若鮎が|す速く 走 る水の|中に隠れて |鳴く!|河鹿の声が|澄んでいる|

○大堰 の岸  ぞ|なつかしき。川上 遠く |ほととぎす 、  しのぶ  初音に| 憧れ て、
 大堰川の岸辺が!|なつかしい。川上の遠くで、ほととぎすが、声を抑えてなく初音に|心惹かれて、

○舟  差し|登し |見に行かん、戸無瀬の奥の岩つつじ 。
 舟に棹差し|遡って|見に行こう、戸無瀬の奥の岩つつじを。

【背景】

 さばしる

○… 大日本(おほやまと) 久邇(くに)の京(みやこ)は    うちなびく 春 さりぬれば
   大日本      の 久邇    の京     は 草木がうち 靡 く 春になる  と

○山辺には 花 咲きををり 河瀬には 年魚子(あゆこ)|    |さ   走り いや  日異(ひけ)に
 山辺には 花が咲き栄え  河瀬には 若鮎     が|水の中を|すばやく走り、ますます日毎    に

○栄ゆる時に …
 栄える時に … (万葉集・巻第三・475・大伴家持)

 ほととぎす、しのぶ初音

 ほととぎすは五月雨や皐月(さつき)に取り合わせられる風物なので、卯月のうちは忍び音に鳴くという歌が、室町時代以降作られるようになった。

○ほととぎす |皐月 待つ間の  忍び   音も|あらはれ |ぬ  |べき    |村雨の空
 ほととぎすの、皐月を待つ間の声を潜めた鳴き声も|     |今にも|
                        |聞こえて来|   |そうな卯月の|村雨の空である事よ。

                                   (宇都宮泰宗・続千載和歌集・巻三)

明治時代、佐々木信綱の作詞した小学唱歌『夏は来ぬ』の歌詞も同様の発想である。

○卯の花の|  匂ふ |   垣根に ほととぎす |      早 も|   来 鳴きて
 卯の花の|白く映える|卯月の垣根に、ほととぎすが|皐月を待たず早くも|訪ねて来て鳴いて、

○忍び   |  音 洩らす|     |夏は   来ぬ
 ひっそりと|鳴き声を洩らす、そのように、
 ひっそりと|来 意を告げて、     |夏はやって来た。

 戸無瀬

 大堰川の上流、嵐山近くの地名。このあたりの大堰川を、以前は戸無瀬川と呼んだという説もある。歌枕としては、戸無瀬の滝がよく歌われるが、岩つつじとの取り合わせは古典にはない。戸無瀬の滝は、櫟(くぬぎ)谷宗像神社の近くの大堰川に落ちる小さな沢に懸かっていたと言われる。岩にせかれて三段になって流れ落ちたと言うが、平安時代後期にはすでに、下の歌のように紅葉に埋もれて見えなくなるような小さな滝になっていたのだろう。

○大井川散る紅葉(もみぢ)葉に埋もれて戸無瀬の滝は音のみぞする (金葉集・巻第三・秋・253・大中臣公長)
作詞:尾崎宍夫
作曲:松坂春栄




【語注】







井堰 水を他の場所に引くため、川を堰き止めた所。井手。普通は脇に魚道が設けられている。
さばしる⇒背景
大堰の岸 嵐山あたりの桂川を、昔は大堰川と呼んでいた。
戸無瀬 『西行桜』にもある。⇒背景




久邇の京 京都府相楽郡加茂・山城・木津町に渡る。天平12年から16年までの都。
うちなびく 「春」に掛かる枕詞。草木がうち靡く意。
























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