祝ひ歌(いはひうた)
【解題】 婚礼の祝い歌に事寄せて、五月の自然の盛んな様子と、男女の和合と末永く続く夫婦愛の目出度さを歌ったもの。 【解析】 ○見渡せば、四方(よも)の| 梢(こずゑ)も|若葉 し て、みどり色 |濃き |皐月 そら 、 見渡すと、あちらこちらの|木々の梢 も|若葉になって、新緑の色が|濃くなった|五月の 空 に、 ○時鳥のこゑ |冴え て、賤(しづ)が軒端 の|卯の花も、雪かと見えて 涼しさに、 時鳥の 声 が|冴えわたって、貧しい家 の軒端に花咲く|卯の花も、雪かと見えるほど白く、その涼しさに、 ○池 の|蓮(はちす)の|風 香る 、ここに |ゆかしき その 主は、いかなる 人 か、 池に咲く|蓮の花に吹く |風も香るよう、ここに住む|由緒が知りたいその宿主は、どのような人であろうか、 ○ みやびにて、今はうき世を|離れいほ 、庭の千草の花園に 、姿やさしき姫百合の、 この宿主は高雅な人で、今はうき世を|離れて 、 | 別 邸 住まい、庭の千草の花園に咲く、姿やさしい姫百合が、 ○ 露に|色香も|深みぐさ 、なれ て|胡蝶のたはむれ は、かはゆらしいぢやないかいな、 花に置く露に|色香も|深め 、 |牡丹 に|慣れ親しんで|胡蝶がたわむれるのは、可愛らしいではありませんか、 ○ 尽きぬ眺めの|その中に、夕顔棚の下涼み 、背なはててらに妻(め)はふたの、心豊かに|富ぐさの 面白さの尽きぬ眺めの|その中に、夕顔棚の下涼みがある。 夫 は 下帯 に妻 は 腰巻 、心豊かに|稲作 の ○栄えを祝ふ|手(た)づくり を、酌みかはしたる 睦まじさ 、同じ世界にあり ながら、深き思ひは 豊作を祝う|手 作 りの地酒を、酌みかわしている睦まじさは、同じ世界に生きていながら、深い愛情は ○ |みち のくの、忍ぶ捩摺(もぢず)り誰ゆゑに、乱れ し|髪 の | 二人の間に|満ちて 、 |陸 奥 の、忍ぶ捩摺 り誰ゆゑに、乱れ初めにし|という古歌があるが | |乱れ た|髪 のような| ○やるせなき、思ひを文(ふみ)にかきつばた、 ゆかりの 色の濃紫、 心 | あふ|ひ の| やるせない|思いを手紙 に書きつけて、恋にゆかりのある色の濃紫、二人の心が|出会う| | 葵 祭りの日の| | 葵 の| ○もろかづら。二葉の松の 幾千代も|末つむ花の| 末 |かけ て、変はらぬ仲と| 岩つつじ 、 | 言は(ばや) もろかずら。二葉の松のように幾千代も|末つむ花の| 末 、 |その将来を|約束して、変わらぬ仲と| 言いたい 、 |その岩つつじの、 ○ほのめく 色 に|あらはれて、あだに 浮き名も| たちばなや、袖の香 深く|なれそめて、 ほのかに見える色つやに|現 れて、訳もなく浮き名も| 立ち 、 |そのたちばなの|袖の香のように深く|愛し合い初めて ○なほ 色 ますと|岩 藤の 、しがらみ かけ し |恋のふち 、 言は(まし) さらに恋心の色を増すと|言い たいほど、 |岩 藤が 、しがらみを掛け渡したように見える|恋の深みに嵌まってしまい、 ○ちぎる 言葉の花がつみ、 えにしを結ぶ 。奈良坂や、 約束を交わす言葉の花かつみ、夫婦の 縁 を結ぶことになった。奈良坂の、 ○このてがしはの二(ふた)流れ 、守ら|せ|たまふ |神垣や 、 児 手 柏 の二 面のように夫婦共に| |お| |守り| |になって下さる|神社にいらっしゃる| ○久成如来は女体と |現じ 、弁財天と |あまざかる、ひなも都も|おしなべて、 久成如来は女体となって|本地垂迹し、弁財天として| |田舎も都も|一様に | ○天の下 |知る |御恵み 、ことに| 和合の道 広く、民をあはれみ、威徳をへうし、 天下 を|治める|お恵みは| 特 に|万民和合の道を広く|民を 憐 れみ、威徳を 表 し、 ○絃(いと)の調べ の 祝ひ歌、めでたく奏で|奉る 、めでたく奏で奉る。 糸 の調べに移したこの祝い歌、めでたく奏で|申し上げます。 【背景】 皐月 日本の伝統的な夏の景物は、明治の国文学者であり、歌人でもあった佐々木信綱が作詞した小学唱歌『夏は来ぬ』の歌詞に表われている。そこには古今集以来の和歌的な季節の景物と、明治時代の山里の風景がよくまとめられている。参考までにその歌詞を載せる。 1 卯の花の 匂(にほ)ふ垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ 2 五月雨の そそぐ山田に 早乙女(さをとめ)が 裳裾ぬらして 玉苗植うる 夏は来ぬ 3 橘の かおる軒ばの 窓ちかく 蛍とびかい おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ 4 楝(おうち)散る 川辺の宿の 門遠く 水鶏(くいな)声して 夕月涼しき 夏は来ぬ 5 五月闇 蛍とびかい 水鶏(くいな)鳴き 卯の花さきて 早苗植えわたす 夏は来ぬ ふたの 「ふたの(二布・二幅)」は女の腰巻。布二幅で作るのでこう言う。 ○夕顔の棚の下なる夕涼み男はててら妻(め)はふたのして (醒酔笑) みちのくの忍ぶ捩摺 ○みちのくの|信夫 |もぢ(捩)摺り | 《忍ぶ もぢ 摺り》 奥州 の|信夫地方特産の| |忍ぶ草の |捩 り 摺りのように| ○ 誰 ゆゑに|乱れ 初 め| に |し|我|なら|な |く | に 《乱れ》 《染 め》 あなた以外の誰のせいで|乱れ はじめ|てしまっ|た|私|では|ない|こと|なのに。 (古今集・巻第十四・恋四・724・河原左大臣) もろかづら 諸蔓・諸葛。桂と葵を付けたかずら(髪飾り)。賀茂の祭りの時、簾(すだれ)に付けたり頭にかざしたりした。葵だけをかざしにするのを片かずらと言う。 ┌────────────────────┐ ○もろ |かづら| | 落葉 を|何 に| |拾ひ| け む|| 二つの|髪飾り、 桂 と 葵 のうち、 ↓ 二人の|姉妹 |女二宮と女三宮のうち、つまらぬ落葉の方を|どうして|私は|拾っ|てしまったのだろう|か。 ○ | 名| は|睦まじき| かざし |なれ ども 桂のかづらも|葵のかづらも、その名|だけは|似通った|同じ髪飾り |ではあるけれども。 女二宮 も| 女三宮 も、その名|だけは|似通った|同じ皇女の身分|ではあるけれども。 (源氏・若菜・下・女三宮に恋した柏木が、母親の身分が低い女二宮を正妻にしたことを後悔して詠んだ歌) ○諸鬘のたりのたりと牛車かな 北舟 たちばなや ○皐月(さつき)待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今集・巻第三・夏・139・読人知らず) 花がつみ 水辺の草の名。秋、ヨシに似た穂が出る。一説に真菰のことと言う。また、菖蒲のこととも言う。 ○ |陸奥の安積(あさか)の沼の花かつみ |かつ |見る | <カツミ> <カツ ミ> |一方では|逢っていながら| 逢っていない時は|陸奥の安積 の沼の花かつみのように| | ┌───────────────┐ ○ 人に恋ひ|や|わたら む|↓ 遠く離れているように感じるあの人に恋い| |続けることになるのでしょう|か。 (古今集・巻第十四・恋四・677・読人しらず) 歌意は、時々は逢い見るのだが、逢っていない時は遠く離れているように切なく恋しく感じるこの恋が、このままの形でいつまでも続くのだろうかというもので、激しく苦しい恋の行方を悩む心を歌っている。 奈良坂やこのてがしは 児手柏は、ヒノキ科の常緑針葉小高木。中国原産。渡来は古く、庭園などに栽植する。枝は平らに分枝して手のひらを立てたように並び、裏表の区別がない鱗片葉を互生。先のとがった鱗片数対から成る球果をつける。漢方で葉と種子を薬に用いる。葉は表裏の区別がなく、うまく見極められないことから「児の手柏の二面(ふたおもて)」つまり、物事がどちらとも決めにくいこと、また、両面あることの例えに使われる。 ○佞人(ねぢけひと)を謗(そし)る歌一首 ○奈良山の児手柏(このてかしは)の |両面(ふたおも)に 奈良山の児手柏 のように|表裏 に違いがあるように口先と腹の中が違う ○かにもかくにも| |侫人(ねぢけひと)の|伴(とも) とにもかくにも|心の|ねじけた |奴らであるよ。(万葉集・巻第十六・博士消奈行文・3836) 久成如来 きうしやうによらい。くじやうによらい。どういう仏か不明。この名前は、古典文学大系などの本文には、謡曲『竹生島』にしか出てこない。一説に「九生」は九品浄土のことで、極楽浄土の九つの階級で、九生如来はその極楽浄土を司る阿弥陀如来のことだという。 ○漁翁「それは |知ら|ぬ |人の申すことなり。かたじけなくも|この島 は、 「それはこの島の由緒を|知ら|ない|人が申すことです。勿体 なくも|この島の本尊の弁財天は、 ○九生如来の|御 再 誕 |なれ| ば 、まことに女人こそ|参る |べけれ 。」 九生如来の|御生まれ変わり|な |ので、本当は 女人こそ|参詣す|べきなのだ。」 (竹生島) |
作詞:不詳 作曲:二世山登松逸(明治九年没) 【語注】 皐月 旧暦の五月。現在の六月におおよそ該当する。 時鳥 旧暦五月の代表的景物。 卯の花 旧暦四月を「卯月」というが、これは「卯の花月」が変化したというのが通説である。卯の花は新暦の四月から六月にかけて花を咲かせる。 蓮 ここはハスの花。夏の景物で、古今集でも蓮の歌は夏の終わり近くに配置されている。 深みぐさ 牡丹の異称。 ててら 褌。下帯。 ふたの⇒背景。 富ぐさ 稲の異称と言う。幸福をもたらす草の意。 みちのくの忍ぶ捩摺⇒背景。 もろかづら⇒背景 たちばなや⇒背景 岩藤 いわふぢ。「庭藤」の別名という。マメ科の落葉小低木。川岸などに生え、高さ30〜60センチ。葉は狭卵形の小葉からなる羽状複葉。夏、紅色か白色の花を総状につける。庭園によく植えられる。 花がつみ⇒背景 このてがしわ⇒背景 九生如来⇒背景 あまざかる 空遠く離れているの意から、夷(ひな)にかかる枕詞。 早乙女 田植えをする女。サは神稲の意。 おこたり諌むる 蛍の光、窓の雪を灯の代わりにして勉強したという蛍雪の故事の引用。 信夫もぢ摺り もぢ摺りは布に花を巻きつけて捻じり、乱れ模様を染めだしたものなので、乱れ・染めと縁語。 |