時鳥(ほととぎす)(山田流)

【解題】

 
夏の夜、五月雨の中で鋭く一声鳴いて暗闇の空に飛び去る時鳥の声を聞くことは、古来から人々の憧れだった。その心を歌に詠むことは、万葉集以来の伝統になっている。この歌詞も、それらの古歌を踏まえ、また、隅田川流域の地名を掛詞で織り込みながら、時鳥を待つ心を、恋人を待つ心と対照させて詠んでいる。

【解析】


○夏の夜の|明くる   |ま  |早  み 、かりそめに|見るほどもなき|          |月 影を
 夏の夜の|明けるまでの|間|が|短いので、ほんの一寸|見る時間もなく|すぐ西に沈んでしまう|月の光を

○  惜しむ    とすれ  ど|寝ね |がて  |  の、枕に    |かこつ  ほどをさへ、
 名残惜しく眺めようとするけれど、   |なかなか|
                |寝就か|れない |ことを|枕に向かって|愚痴を言う時間 まで、

@耐へて忍べと              |訪れ  ぬ 、憂しやつらさの 人 |     ならば、
 耐え 忍べと言うかのように、思わせぶりに|訪ねて来ない|恨み 辛 みの相手、恋人だったならば、

A耐へて忍べど   |    訪れ  ぬ 、憂しやつらさの 人 |     ならば、
 耐え 忍んでいるが、さっぱり訪ねて来ない|恨み 辛 みの相手、恋人だったならば、

○恨み  も|果て  |   |む   、
      |思い切り|
 恨むことも|    |出来る|だろうが、時鳥にはいくら焦(じ)らされても、思い切ることができない。

○かに かくに 、雲 井   に|遠き   |   まつち山    、
 とにもかくにも|高い空の彼方に|遠く見える|   待 乳山を眺めて|
                      |時鳥を待ち      |焦がれ、待ち遠しさに、

○心 | 関 屋の|さ と |吹く風に、雨もつ 空の五月闇、  闇は   | 綾       瀬 の|
   
|急き  |                           |あや(なし)     |
 心も|急く  、
   | 関 屋の| 里 を|
        |さっと |吹く風に、雨模様の空の五月闇、その闇のように|分別もなく憧れて   、
                                    | 綾       瀬川の|

○川舟に   、浮き  寝し|つつ  も|   |聞か|まほし  、
 川舟に乗って、舟の中で寝 |ながらでも|一声を|聞き|たいものだ。ほととぎすよ、

○かくばかり   待つ   とは|なれも| 白       鬚  の、森の下露 |くさぐさ       に、
                    |知ら(ず)       |

 これ ほど までに待っているとは、お前も|知らないだろうが    、
                    | 白       鬚明神の|森の下露が| 様 々 の草に置くように、
                                       | 様 々 の心で、また  |
                                       | 様 々 の場所で    |

○世の| 雅び 男の|あこがれて、君  待つ夜半に|変はらぬ       は、
 世の|風流人士が| 憧 れて、恋人を待つ夜半と|同じように待っているのは、

○ただ一声の|ほととぎす      。
○ただ一声の|ほととぎすの声であるよ。

【背景】

 加藤千蔭(ちかげ)

 享保20(1735)年3月9日〜文化5(1808)年9月2日。号は芳宜園(はぎぞの)。幕府与力で、父は加藤枝直(えなお)。父の代に江戸に出たが、本来は松坂の人。枝直は賀茂真淵の有力な庇護者。その影響で千蔭も真淵に入門し研鑽する。職を退いてからは和歌や狂歌で活躍した。謎の浮世絵師「写楽」が千蔭であるという説もあるほどに、画にも優れており、『桜画賛』などの作品が有名である。国学の業績としては、特に『万葉集略解』は後世に大きな影響を及ぼした。同書執筆に際し、寛政4年(1792)、宣長に協力を要請。以後宣長と親密な手紙のやり取りが行われた。現在確認されている両者の書簡は、宣長宛千蔭書簡8通・宣長書簡12通である。『万葉集略解』全巻が完成したのは宣長没後3年目の文化元年。同年9月に将軍に献進され、下賜された銀10枚の一部を千蔭は宣長の霊前に供えた。

 闇はあやせの

○春の夜の闇    は|あやなし          |梅の花 |   色|こそ|見え|ね |
 春の夜の闇という奴は|筋の通らないことをするものだ。梅の花の|美しい色| は |見え|ない|が、

      ┌───────-┐
○香(か)やは|隠るる   ↓
 香り   は|隠れるだろうか、いや、隠れない。香りに引かれて花を捜そうとしても、見つけられないなんて、
                    |ひどいではないか。(古今集・巻第一・春上・41・凡河内躬恒)

 かくばかり待つ

○かく  ばかり  |待つ   と知ら  |   ば|                 |や
 これほどまでに私が|待っていると知ってい|たならば、もう少し近くで鳴いてもよいではない|か。

○ほととぎす |梢     高くも|鳴き |わたる  |   かな
 ほととぎすは、梢より遥かに高く |鳴いて|飛んでゆく|ことだなあ。(拾遺集・巻第十六・1075・清原元輔)

 白鬚の森

 白鬚神社の森。白鬚神社は隅田川の東岸、白鬚橋の下流約400mあたりの堤の脇にあり、向島では最も古い由緒ある神社の一つ。社伝によると、天暦5年(951)に、慈恵(じけい)大師が関東に下った際、近江国志賀郡打下(うちおろし)の白鬚大明神の分霊を、ここに祭ったと言う。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で、国土の神・道案内の守神であり、隅田川沿いの道祖神の役割もあった。社殿で授与される勾玉型をした災難よけの土鈴は、人気がある。住所 〒131-0032 東京都墨田区東向島3-5-2 。最寄駅 東武伊勢崎線東向島駅下車、東に約500m。

 近江の本社は琵琶湖西岸の湖畔(現滋賀県高島町)にあり、湖中に朱塗りの大鳥居がある。創建1900年、近江最古と言われる歴史を持ち、全国に300近くの分社を持つ大社である。

 参考 隅田川に架かる橋

 隅田川に掛かる橋の中から鉄道・高速道路などの橋を除く人道橋の名を列挙すると、「勝鬨橋、佃大橋、中央大橋、永代橋、清洲橋、新大橋、両国橋、蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋、桜橋、白髭橋、水神大橋、千住汐入大橋、千住大橋、…」となる。

作詞:加藤千蔭
作曲:山田検校




【語注】


明くるま早み 「明くるまを早み」と同じ。「…を〜み」は、「…があまりに〜なので」という語法。



耐へて忍べと 中能島欣一著・邦楽社発行のテキスト。

耐へて忍べど 伊藤松超・高尾松蓉著・博信堂発行のテキスト。




待乳山 東京都台東区浅草7丁目。隅田川の西岸、言問橋の上流あたり。ほととぎすの名所だった。「大根祭り」で有名な待乳山聖天(しょうてん)がある。
関屋 足立区千住関屋町。京成関屋駅の近く。隅田川の北岸、千住大橋の下流600mあたり。太田道灌が作り、徳川家康が受け継いだ庭園があったと言う。
闇はあやせの⇒背景
綾瀬 綾瀬川のこと。綾瀬川は、埼玉県桶川市を上流端とする一級河川で、草加市で古綾瀬川を、東京都と埼玉県の県境で伝右川、毛長川を合わせ、葛飾区の総武本線新小岩駅の北で中川と合流している。
かくばかり待つ⇒背景
白鬚の森⇒背景

















闇はあやなし 色々な寓意を読み取ることも出来るが、一首の主題は、芳しい香りを漂わせながら、どこにあるかその所在を知らせない梅の花に対する愛着と、そんないたずらをする春の闇夜に対するもどかしさである



知らばや 「ばや」はここでは自己の希望を表す終助詞ではなく、ここは終助詞として熟する前の「接続助詞+疑問の係助詞」として使われている。








目次へ