飛燕の曲

 【解題】

 この曲の歌詞は、唐の李白が七言絶句三首によって楊貴妃を歌った『清平調詞』によったものである。第一歌と第二歌は清平調の第一詩から、第三歌と第四歌は第二詩から、第五歌と第六歌は第三詩から作られている。歌詞は元の詩の内容を断片的に移したもので、主題も人生のはかなさ、男女の契りのもろさを嘆く、日本的なものに変えられている。

 【解析】
 
第一歌

○久 方の|雲の袖          、古り  し昔        |忍ばし  、

 高い空の|雲が袖のように棚引く風景は、過ぎ去った昔の楊貴妃のことを|想いださせ、

○   花に残る露よりも|     消えぬ |  身 ぞ|はかなき    。
 牡丹の花に残る露よりも、消えそうで消えない|わが身が |頼りなく思われる。

 
第二歌

○夜を照らす白玉の、  数  の  光  |                 |ならず  ば、

 夜を照らす白玉の、  数多くの玉の光  、
         |その群   玉  山の|頂で天女のような楊貴妃に会うことが|出来なければ、

○  |天(あま)つ乙女の|   |挿頭(かざし)して|月   に遊ぶ|       なるら  ん。
 その|楊貴妃     が|白玉を|髪に挿し    て|月光の下で遊ぶ|姿を見ることが出来るだろう。

 
第三歌

○    紅(くれなゐ)の花の上   、露の色も|つね ならぬ、   夢  は残る       横雲、

 咲き誇る紅   の牡丹の花の上に置く|露の色も|この世ならぬ|巫山の夢の後に残るのは、空に漂う横雲、

○降る  は|袖の  |涙      かな。
 降るものは|袖の上の|涙だけであることよ。

 第四歌

○なつかし   や、いにしへを忍ぶ に|匂ふ   我が袖 、濡れて    干す小簾(をす)の外(ほか)に、

 なつかしいことよ、過ぎし日を思う心に|匂ってくる我が袖は|濡れて、それを干す 簾    の外    に、

○あはれ      |   馴れし  |乙鳥女(つばくらめ)
 ああ 可憐なことよ、人里に馴れた  |  燕       を見ても、
          |成帝に寵愛された、趙飛燕のことが思われる。

 
第五歌

○    類(たぐ)ひなき|      |花の色 に、心 うつす  |此の  君  、

 世にも比類   の ない|美しい牡丹の|花の色香に、心を捕らわれた|この玄宗皇帝の、

○うつつなき         思いこそ、いとど なほも|深見草     。
 正気を失ったほどの楊貴妃への思い は 、いっそうなおも|深まったのだろう。

 第六歌

○            |散りやすき|習ひ   とは|余所(よそ)に| のみ |   聞き  し  身も、

 世の中は牡丹の花のように|散りやすい|ものであるとは、他人事   と|ばかり|思って聞いていたわが身も

○移ろふ            は| 我 が科(とが)、怨むまじや|春風 。
 寵愛が色あせてゆく、しかしそれも|自分の罪    、怨むまい!|春風を。

【背景】

 清平調詞 李白

 其一

○雲想衣裳花想容 ○ 雲に   は|        衣 裳を想ひ  |

          白雲を眺めれば|貴妃の身にまとう衣と裳を想い出し|

         
○      花に  は|        容(かたち)を想ふ
          大輪の牡丹の花を見れば、貴妃のふくよかな笑顔    を想い出す。

○春風拂檻露華濃 ○春風         | 檻 (かん)  を|  拂(はら)って|
          春風が興慶宮の沈香亭の|欄干    の塵を|吹き払    って、

         ○ 露 華(ろか)|濃まやかなり
          朝露が華のように|まばゆく光る。

○若非群玉山頭見 ○若(も)し|       |     群玉山 頭に|見る  に|非(あら)ずんば|
          も   し|その美しい人を|仙女が住む群玉山の頂で|見ることが|できなけれ  ば、

○會向瑤臺月下逢 ○會(かなら)ず|     |瑤 臺 |月  下に向かって|逢は        ん
          きっと    |この宮殿の|玉の台の|月光の下で    |逢うことができるだろう。

 其二

○一枝紅艶露凝香 ○    一枝の紅 | 艶 | 露(つゆ)香(かおり)を|凝らす

          咲き誇る一枝の紅い|牡丹|の露は芳しい香り    が|こもっている。

○雲雨巫山枉斷腸 ○     |雲   雨(うんう)               巫山(ふざん)
          楚の襄王は|雲となり雨となってあなたをお慕いしていますと契った巫山の神女と

         
○   枉(むな)しく |斷腸
          その後逢うことが出来ず、断腸の思いだった。しかし、今漢宮にいる美人は現実の存在である。

                            ┌────────────────────┐
○借問漢宮誰得似 ○借問す   |漢 宮    |誰 |か|    似る     を|得たる   ↓
          訊いてみよう、漢の宮殿の中で、誰が| |楊貴妃に似るほどの美貌を|持っている|か|と。

○可憐飛燕倚新粧 ○           可憐の| 飛燕 |新   粧に|倚(よ)る
          漢の成帝の寵妃であった可憐な|趙飛燕が|新たな化粧を|誇   る姿でも及ばないだろう。

 
其三

○名花経國兩相歡 ○    |名  花 |経  國  |兩(ふた)つながら    相ひ|歡ぶ

          咲き誇る|美しい花と|絶世の美女が|共に       |帝の御代を|称えている。

○長得君王帯笑看 ○         長(つね)に|君王の笑ひを帯び て     |看るを得たり
          その御治世のごとく長久   に、陛下は笑みを浮かべてその二つを|眺めていらっしゃる。

○解釋春風無限恨 ○春風 |   無限の恨みを|解 釈 して
          春風が|惜春の無限の恨みを|解きほぐして、

○沈香亭北倚闌干 ○沈香亭 |北 |闌干に|倚る
          沈香亭の|北の|欄干に|もたれているいる美人の頬を吹き過ぎる。

 
雲雨巫山

 「巫山の夢」(巫山雲雨・巫山の雨・巫山の雲・朝雲暮雨)の故事による。男女の情交を表す言葉として使われる。

○昔、先  王 |嘗(かつ)て高唐に遊び、怠り  て昼寝 す 。  夢  に|一  婦人を見る 。
 昔、先代の王が|ある時  高唐に旅し、一休みして昼寝をした。その夢の中で、一人の婦人に会った。

○     |曰(いわ)く、「妾(しょう)は巫山(ふざん)の女なり。  高唐の|客と 為(な)る 。
 その婦人が|言うには 、「私    は巫山    の女です。今は高唐に|旅して来ています。


○君  が高唐に遊ぶと  聞く   、願わくは|枕席(ちんせき)に薦(すす)めん」と   。
 あなたが高唐に来ていると聞きました。どうか |私と枕を共にして下さい   」と言った。

○王 因(よ)りて|之   を幸 す 。     |去りて辞  する時 |曰く  、「妾は巫山の陽(みなみ)、
 王はそこで  |この婦人を寵愛した。この婦人が|帰る 挨拶をする時に|言うには、「私は巫山の南    、

○高丘の|阻(そ)   に|在り    。旦(あした)に 朝 雲と為り、 暮れに |行 雨と為(な)り 、
 高丘の|嶮しい山の中に|住んでいます。夜明け  には朝の雲となり、夕暮れには|通り雨とな   って、

○朝 朝  暮 暮 、陽台の下(もと)           」と   。
 朝な朝な、夕な夕な、陽台の麓であなたをお慕いしております」と言った。〈文選・宋玉(そうぎょく)・高唐の賦〉

 趙飛燕(ちょう ひえん、? - 紀元前1年)

 前漢の11代皇帝成帝(前51年生・前7年没。在位前33年〜前7年)の皇后。

 中国史上、楊貴妃と並んで美貌の皇后として有名で、優れた容姿を表現する「環肥燕痩」の「環」は楊貴妃(幼名の「玉環」による)、「燕」が趙飛燕のことである。

 その出生は卑賤であり、幼少時に長安にたどり着き、号を飛燕とし歌舞の研鑽を積み、その美貌が成帝の目にとまり後宮に迎えられた。後宮では成帝の寵愛を受け、妹の趙合徳を後宮に入れることも実現させた。成帝は趙飛燕を皇后とすることを計画する。太后の強い反対を受けるが前18年12月に許皇后を廃立し、前16年に遂に皇后に即位した。

 前7年、成帝が崩御すると、その死因に疑問の声が上がり、妹の趙合徳が自殺に追い込まれている。こうした危機を迎えた趙飛燕であるが、自ら子がなかったため哀帝(12代)の即位を支持、これにより哀帝が即位すると皇太后の地位が与えられた。しかし前1年に哀帝が崩御し平帝(13代)が即位すると後ろ盾を失った趙飛燕は、王莽により宗室を乱したと断罪され皇太后から孝成皇后へ降格され、更に庶人に落とされ、間もなく自殺した。

 深見草

 牡丹の異称。

○人知れず|    |思ふ心は|  深み草   |      |花 咲きてこそ|
 人知れず あなたを|思う心は|  深まるばかり、その深み草の|花が咲いて ! |

○         | 色に出でけれ
 恋の思いがとうとう|顔色に出てしまったことだ。(千載和歌集・巻第十一・恋一・684・賀茂重保)

 李白(701〜762)

 盛唐の詩人。字(あざな)は太白(たいはく)。中国詩歌史上において、同時代の杜甫と並び称される。後世、杜甫は「詩聖」、李白は「詩仙」と称される。蜀(しょく)の人で青蓮居士(せいれんこじ)と号した。また、その豪放、放埓な性格から、世に「謫仙人」とも呼ばれた。幼にして俊才、剣術を習い任侠の徒と交わり、山野に隠棲して鳥を飼育し、山中の野鳥も李白を恐れず、手から餌を啄ばんだ。長じて中国各地を遍歴し、四十二歳より四十四歳まで玄宗皇帝の側近にあり、楊貴妃の美しさを牡丹の花にたとえた「清平調詞」三首などの作品を作るなど、宮廷文人として活躍した。しかし、その才能と放埒な言動が宮廷人との摩擦を生んだ。『清平調詞』で楊貴妃を罪を得て最後には自殺した趙飛燕と比較したのも中傷の標的となった。744年、宦官高力士らの讒言を受けて長安を離れることとなった。後再び各地を転転とし多くの詩をのこす。安禄山(あんろくざん)の乱に遭遇して、罪を得たがのち赦される。六十二歳、病のために没した。有名な伝説では、酒に酔って長江の水面に映る月を捉えようとして船から落ち、溺死したと言われる。玄宗は685〜762で、没年は李白と同じである。ちなみに、同じく楊貴妃を歌った詩として有名な『長恨歌』を書いた白楽天は、772年生まれ、846年没で、その時代は中唐と言われる。逸話の多い李白だが、杜甫が三十四、五歳ごろ、李白の酒仙ぶりを歌った詩を次に紹介しておこう。

○李白一斗詩百篇 ○李白 |  一斗    |詩 |百篇
          李白は|酒を一斗飲む間に|詩を|百篇作る人である。

○長安市上酒家眠 ○   |長安 市上 |酒家に|   眠る
          いつも|長安の町中の|酒屋で、酔って眠っている。

○天子呼来不上船 ○天子    |呼び 来たれども|     船に上ら     ず
          天子の使いが|呼びに来て  も、酔っていて船に乗ることが出来ない。

○自称臣是酒中仙 ○    自ら       |称す    |臣は是れ|酒 中の仙     と
          そして、自分のことをいつも|言っている、「私は  |酒の中の仙人なのだ」と。



作詞:不詳
作曲:安村検校(京都)




【語注】



久方の 「雲・日・天」などに掛る枕詞。






白玉 真珠や白い玉(美しい石)などを言う。















小簾 すだれ。「小」は接頭語。










深見草⇒背景
















衣裳 「衣」は上半身の着衣。「裳」は下半身の着衣。




興慶宮沈香亭 唐の長安城の中にあった宮殿。宮殿内には楼閣がそびえ立ち、木や花々が植えられ、湖には船影が映り、唐の時代長安から最も近い皇帝の大庭園だった。玄宗と楊貴妃は長きに渡りここで享楽にふけり、文人李白を呼んで歌を詠ませ、梨園長の李亀年に芝居をさせた。日本の遣唐使藤原清河と留学生阿倍仲麻呂(698〜770)もここへ来ている。園内には玄宗と楊貴妃が遊んだ沈香亭、花萼相輝楼、長慶軒、縛竜堂、南薫殿、竹翠亭など多くの名所がある。
群玉山 西王母が住んでいる仙山。西王母は、中国で古くから信仰された女仙、女神。
瑤臺 殷の紂王のつくった台の名から、美しい高殿を言う。美女の住まう台で月の異称でもある。「瑤」は美しい玉。
雲雨巫山⇒背景









































































謫仙人 たくせんにん。謫仙。天上の世界から、罪によって地上に流された仙人。

高力士 後に楊貴妃を扼殺した人物。

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