羽衣

【解題】

 春夏秋冬に序と賀を加えて六歌とした組歌である。それぞれの歌が、はっきりした古典の引き歌を持っている。

析】

 
第一歌(序)

○ 君の|   恵みは|久方の、天の羽衣      | 稀 に      来て、撫でし 巌(いはほ)は
 大君の|民への恵みは、久方の、天の羽衣を着た天人が|たまに地上に降りて来て、撫でた大岩     が

○     |そのままに     、動かぬ御 世の|ためし|      かな。
 いつまでも|そのままであることが|動かぬご治世の| 喩え |であることだなあ。

 
第二歌(春)

○          | 星  を唱ふる 皇(すめらぎ)の、   雲の上    まで|のどかなる、
            《星》                 《雲》

 元旦の四方拝で自身の|属星の名を唱える天皇のいらっしゃる|   宮 中    まで、
                             |また、雲の上の高い空まで|のどかな、

○朝(あした)の景色 |   あらたま の|春 日   |くもらぬ    |天が下      。
                       《日》

 朝     の景色が|新年に 改 まった|
           |   あらたま の|春の日差しが|曇りないように |
                            |曇りなく治まった|天 下であることよ。
 
第三歌(夏)

○      楢の小川の夕風に、白木綿(しらゆふ)|かかる     | 波の音          、
 上賀茂神社の楢の小川の夕風に、白木綿が     |掛った幣で囲んで、川波の音の聞こえる中行われる、

○神の 心を|清(すず)しめの|     御禊(みそぎ)ぞ|  夏の  |しるし| な る   。
 神のみ心を|清めるため  の|六月祓えの御禊     は|今が夏である| 証拠 |であることよ。

 
第四歌(秋)

○ 齢(よはひ)久しき   |山人の折る    袖 匂ふ菊の露、   |うち払ひ|うち払ひ        、
 年齢    を久しく重ねた|仙人が折ると、その袖が匂う菊の露、それを|うち払い、うち払いする一瞬の間にも、

                   ┌────────────┐
○           |千歳の秋 |や|送る|     らん|
 仙人は人間界からみると|千年の時を| |送っ|ているのだろう|か。

 
第五歌(冬)

○鳰(にほ)の海  面(うみづら)|見渡せば、たぐひ|なみ   |間に|有明の、月 影 冴えて
 鳰    の海の水面     を|見渡すと、 類 |なく美しい|
                          | 波    |間に|有明の、月の光が冴えて、

○白妙の 、雪を|かけ  たる|勢田の 橋。
        《架け》       《橋》

 真っ白な|雪を|積もらせた |瀬田の長橋が優美なことよ。

 
第六歌(賀)

○万代(よろづよ)かけて|相生(あひおひ)の、松と竹との深みどり、
 万代     に渡って|共に生き続ける  |松と竹との深みどり、

○  変はらぬ 色は|諸 共に、老い    せぬ|    契り    |なる|べし 。
 その変わらない色は、二人とも|老いることのない|目出度い夫婦仲の象徴| で |あろう。

【背景】

 第一歌

○  君が 世 は|天の羽衣   |   | 稀 に|      来て|     撫づとも|  尽きぬ |
 わが君の寿命は、天の羽衣を着た|天人が|たまに|地上に降りて来て、その羽衣で撫でても|擦り減らない|

○巌             |なら  |なむ
 大岩の寿命ほどの限りない長さ|であって|ほしいものだ。(拾遺集・巻第五・賀・299・読人知らず)

 第二歌

○すめらぎの|       |  星  を|唱ふる|  雲の上(へ)に
  天皇 が|元日の四方拝で|破軍星の名を|唱える|この宮 中   に、

○  光 |のどけき|春は|   来|に|けり
 日の光も|のどかな|春は|やって来|た|ことだなあ(年中行事歌合)

 星を唱ふる

 平安時代初期の嵯峨天皇の頃から、宮中で「四方拝」という儀式が行われるようになった。元日の早朝、天皇が清涼殿東庭に出御して天皇の属星(ぞくしょう:誕生年によって定まるという人間の運命を司る北斗七星の中の星)の名を唱え、天地四方の神霊や父母の天皇陵などの方向を拝し、その年の国家・国民の安康、豊作などを祈った。このとき唱えた言葉は、「内裏儀式」・「江家次第」などによると、

 賊冦之中過度我身   賊冦(ぞくこう) の中、我が身を過し度せよ。
 毒魔之中過度我身   毒魔(どくま)  の中、我が身を過し度せよ。
 毒氣之中過度我身   毒氣(どくけ)  の中、我が身を過し度せよ。
 毀厄之中過度我身   毀厄(きやく)  の中、我が身を過し度せよ。
 五危六害之中過度我身 五危六害     の中、我が身を過し度せよ。
 五兵六舌之中過度我身 五兵(ひょう)六舌の中、我が身を過し度せよ。
 厭魅之中過度我身   厭魅(えんみ)  の中、我が身を過し度せよ。
 萬病除癒、所欲随心  萬病を除癒し、欲する所は心に随へ。
 急急如律令      急急如律令。

とある。「過度我身」は「わが身を通過して悟りへ至らしめん」の意で、国家国民の安泰を祈る厄払いの呪文。「急急如律令」は「急ぎ律令の如く行え」の意で、元は漢代の公文書の末尾に書かれた決まり文句が、道教の呪文として用いられるようになった。

 第三歌

○風 |そよぐ       |  ならの |小川の夕暮れは|
 風が|そよそよと音を立てる|   楢 の葉、
              |そのならの |小川の夕暮れは|秋のような涼しさだが、ただ、そこで行われている|

○御禊(みそぎ) ぞ  |  夏     の|しるし|なり |ける
 御禊の行事  だけが、今が夏であることの| 証拠 |なのだ|なあ。(新勅撰集・巻三・夏・藤原家隆)

 第四歌

○文治六年、女御入内屏風に
 
○山人の折る    袖 匂ふ菊の露|   うち払ふ|    にも 
 仙人が折ると、その袖に匂う菊の露、それをうち払う|一瞬の間にも、

○     |千代 は|へ | ぬ  |べし
 人間界では|            |きっと |
      |千年が |経っ|てしまう|のだろう。 (新古今集・巻第七・賀・719・藤原俊成)

○仙  宮 に、菊  を分けて|人の至れる|形を、詠め|る|
 仙人の宮殿に、菊の花を分けて|人が行く |姿を、詠ん|だ|歌。

○ぬれて |干す    |山路  の|菊の|露  の|まに
                  |菊の|露に  |
 濡れては|乾かして辿る|山路、その|  |わずかな|間に、

       ──────────────────────────
○いつ   |か|千年(ちとせ) を我は|経  |に   |け   む|
 いつの間に| |千年という長い時を私は|過ごし|てしまっ|たのだろう|か。

                           (古今集・巻第五・秋下・273・素性法師)

 第五歌

○さざ波や     |打ち出で   |て見れば|白妙 の|雪を|かけ  たる |瀬田の長橋
                               《架け》        《橋》

 さざ波の近江の国の|打ち出での浜に|
          |  出    |てみると、真っ白な|雪を|積もらせた  |瀬田の長橋が優美なことよ。

                               (新拾遺集・巻第十八・雑上・惟賢上人)

 第六歌

 相生


 「相生」という言葉は、万葉集には用例がなく、『古今和歌集仮名序』に高砂の松と住吉の松に関する伝説はとして、次のように書かれている。

○…富士の煙に|寄(よ)そへて人を恋ひ、松虫の音に友を偲び、高砂・住吉(すみのえ)の松も|
  富士の煙に|喩え    て人を恋い、松虫の音に友を偲び、高砂・住吉      の松も|

○相  生      の|やうに覚え、      男山の 昔を|思ひ出でて、女郎花   の一時   を|
 一緒に生まれ育った友の|ように感じ、自分が壮年の男だった昔を|思い出して、女性の美しさも一時のものと|

○くねる  |    にも、      歌を言ひてぞ|  慰め ける  。
 愚痴を言う|ような時にも、その気持ちを歌に詠んで |心を慰めてきたのだ。

 上の文章は、人が自分の心を表出するために、自然の風物など見るもの聞くものにかこつけて歌を詠んできたのだという、紀貫之の文学観を述べているものであり、高砂・住吉の松もその一例として引き合いに出している。その高砂・住吉の松を詠んだ古今集中の歌は次のような歌である。

○我見ても久しくなりぬ住の江の岸の姫松いく世へぬらん(古今集・巻十七・雑上・905・読み人知らず)
○住吉の岸の姫松人ならば幾世か経しと問うはましものを(古今集・巻十七・雑上・906・読み人知らず)
○かくしつつ世をや尽くさん高砂の尾上に立てる松ならなくに(古今集・巻十七・雑上・908・読み人知らず)
○誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに(古今集・巻十七・雑上・909・藤原興風)

 これらの歌は、見る人が、寿命の長い松の木を昔から一緒に育った友のように感じる、また、感じるはずなのにという意味合いで詠まれており、高砂の松と住吉の松が相生だと言っているのではない。「相生(あひおひ)」とは、一つの根から二つの幹が相接して生え出ること、また、二つのものが一緒に生まれ育つことで、必ずしも夫婦の意味ではない。しかしいつの頃からか、「相老い」に掛けて用いられるようになり、夫婦が長く一緒に暮らして共に年を重ねる意味にも通じさせて、夫婦の共生・和合・共に長寿を保つことの象徴に使われるようになった。また、普通は「相生」は「松」と結び付けられるが、ここでは「松と竹」の相生とされている。

作詞:不詳
作曲:北島検校
   一説に牧野検校

【語注】

第一歌⇒背景







第二歌⇒背景

星を唱ふる⇒背景
は縁語。



あらたまの 「春・年・月・日」などに掛る枕詞。



第三歌⇒背景

木綿
 楮(こうぞ)の木の皮を剥いで蒸した後に、水にさらして白色にした繊維で、木綿(もめん)とは異なる。木綿(もめん)が日本で一般的に栽培されるようになったのは16世紀以降とされる。神道においては木綿(ゆう)は幣帛(ぬさ)として神事に用いたが、現代では紙で代用することが多い。
第四歌⇒背景




第五歌⇒背景





架けは縁語。





相生⇒背景









撫づとも尽きぬ巌 インドで説かれた話。四十里四方の石山に、百年に一度天人が降りてきて、やわらかな絹の衣で撫でる。そのためにこの石山が磨り減って全部摩滅するまでの時間を一劫と言う。極めて長い時間の単位として、仏教で使われる。阿弥陀如来は五劫の間、思案に思案を重ねて衆生救済の道を考究したと言う。落語の『寿限無』の中にある「五劫の擦り切れ」は、この話に拠ったもの。
巌ならなむ 「なら」は断定の助動詞「なり」の未然形。「なむ」は他者への願望を表す終助詞。



















ならの小川 地名の「ならの小川」に「楢」を掛けた掛け言葉。「ならの小川」は京都市北区上賀茂神社の中を流れる御手洗(みたらし)川の別名。御手洗川は参詣の人が手・口・身を清める川のこと。
御禊 上賀茂神社で六月と十二月に行われる神事で、ここは陰暦六月三十日(夏の最終日)に行われる六月祓(むなづきばらえ)(夏(な)越しの祓)のこと。
文治六年 1190年。
女御 後鳥羽天皇の女御藤原任子。藤原の兼実の娘。
入内 天皇の妃として宮中に入ること。
屏風 屏風絵の図柄は「九月。山中、菊盛りに開けたり、仙人ありてこれを見る」と長愁詠草にある。
千代はへぬべし・いつか千年を 仙界の一瞬が人間界の千代に相当するという神仙思想に基づいた発想。







打ち出で 「打ち出での浜」は粟津の北西約3km、東海道本線の大津駅、膳所(ぜぜ)駅のあたりの琵琶湖の岸。瀬田の唐橋はその四キロほど南東にある。
架けは縁語。

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