秋風の曲
【解題】 作曲者の光崎検校は三味線との合奏に頼らない純粋の箏曲の復活を目指して、革新的な試みを多く行った。この曲もその一つで、段物形式の前奏に組歌形式の歌を合わせ、調弦法も第一絃と第二絃をオクターブにして、全曲の音楽的基底となる「シャン」を透明な合音とするなど、新しい形式と内容を創作した。歌詞は蒔田雲所の作詞で、白楽天の『長恨歌』に依っている。検校は竹生島に参籠し、弁財天の加護を得てこの曲を作曲したと言う。 【解析】 第一唄 ○ 求むれど 得難き は、色 |に|なん|あり|ける 。 捜し求め ても、得がたいものは、美女|で| ! |ある|ことよ。 ○さりと ては 楊家(ようか)の女(め)こそ、妙(たへ)なるもの ぞ |かし。 そう は言っても、楊家 の娘 は 、素晴らしい 美女である| よ 。 第二唄 ○ |雲の |びんづら 、花の 顔、 | 楊貴妃の|雲のような柔らかい|もみ上げの髪、花のように美しい顔、そのほろ酔いの顔は、 ○ げ に|海棠の眠り と| | や、 本当に|海棠の眠り未だ覚めずという趣と|言ったらよい|だろうか、 ○大君の |離れ も|やらで|眺め 明かし| ぬ。 天子は、楊貴妃の側から|離れることも|出来ず、 一日中| |見とれ |ていた。 第三唄 しかし、突如安史の乱が起き、玄宗は都を追われ、楊貴妃と共に蜀に逃れたが、途中、 ┌───────┐ ○翠(みどり)の華の| 行きつ 戻りつ、いかに|せ| ん |↓、 天子 の旗は、少し進んではまた戻り 、 どう |し|よう|か、いや、天子はなすすべもな楊貴妃に| |死を命じてしまった。 ○今日 九重(ここのへ)に|ひきかえて、 |旅寝の空の秋風 。 今日は宮中にいた頃とは |うって変わって、蜀の地で|旅寝の空の秋風に吹かれる身の上。 第四唄 ○ |霓 裳|羽 衣(げいしょううい)の|仙 楽|も、 宮中で楽しんだ|虹のような袴、羽のような衣 の|仙人の音楽|も|もはや聞こえず、 ○馬嵬(ばかい)の夕べ に、 馬嵬 の夕暮れに、楊貴妃が死んだ跡にたたずんだいると、 ○ |ひづめ| の塵を吹く、風の音|のみ| |残る 悲しさ 。 軍馬の| 蹄 |が立てる 塵を吹く、風の音|だけ|が|残っている、その悲しさよ。 第五唄 ○西の宮 、南の 園は|秋草の露 |しげく 、落つる木の葉の|きざはしに、 西の宮殿や、南の庭園は|秋草の露が|いっぱいに溜まり、落ちる木の葉が| 階段 に| ┌───────────┐ ○積れ | ど 誰|か| |はらは| ん|↓。 積もる|けれど、誰| |が|掃く |だろう|か、いや、掃く者もいない。 第六唄 ○鴛鴦(えんおう) の | 瓦は、霜の花 |匂ふ | らし 、 おしどりの夫婦をかたどった 宮殿の|屋根瓦は 霜の結晶が|降り積もって|いるようだ。 ┌─────────────┐ ○ 翡翠 の |ふすま 、 一人 着て、など |か| 夢を結ば| ん|↓ 。 かわせみの模様を刺繍した| 夜具 を、ただ一人で着て、どうして| |安らかな夢を結べ|よう|か、 |いや、安らかに眠ることも出来ない。 【背景】 以下、歌詞の背景となる白楽天の『長恨歌』の詩句と、その解釈を示す。 第一唄 色を好み、絶世の美女を求める玄宗皇帝のもとに、楊家の娘の天性の美貌の噂が伝わってきた。 求むれど 「長恨歌」の冒頭に、次のようにある。 ○漢皇重色思傾国 漢 皇(こう) 色を重んじて| 傾 国 |を 思ふ 漢の時代のある皇帝は |女性の容色を重んじて、絶世の美女|を得たいと思っていた。 ○御宇多年求不得 御 宇 |多年|求むれ ども|得 ず その御治世の間、長年|探していたが 、得られなかった。 第二唄 初めて玄宗の宮廷に伺候した若い楊貴妃の媚態と、それに魅入られてとりこになる玄宗を歌う。 雲のびんづら、花の顔 ○ 雲(うん) 鬢(びん)花(か) 顔(がん) 金(きん)|歩揺(ほよう) 楊貴妃の雲のようにふさふさしたもみあげの髪、 花のように美しい顔 、黄金 の|かんざし | |という姿、 ○芙蓉 の |帳(とばり) |暖かにして 春 宵を|度(わた)る ハスの花の縫い取りをした|カーテンに包まれた|暖かい寝室で、春の宵を|過ごしている。 離れもやらで ○驪 宮 |高き処 |青 雲に|入り 驪山の麓の離宮は、高い所にあって、青空の雲に|隠れるほどで、 ○仙 楽 風に|飄(ひるが)へりて|処 処 に|聞こゆ 仙人の奏でるような美しい音楽が、風に|乗って |あちこちに|流れている。 ○緩 歌(かんか)|謾 舞(まんぶ)|糸 竹(しちく)を|凝(こ)らし 緩やかな歌声、 |ゆったりした舞のために |弦楽器、管楽器の 粋を|凝 らし、 ○尽日(じんじつ)|君王(くんのう) |看(み)れども| 足ら| ず 一日中 、天子は 楊貴妃をいくら|見ても |見飽き|なかった。(長恨歌) げに海棠の眠りとや 玄宗皇帝が楊貴妃のほろ酔い姿を見て「妃はまだ酔っているか」と問うたところ、ほんのり紅をさした顔を嫣然(えんぜん)とほころばせて「海棠の眠りいまださめず」と答えたという。海棠はリンゴ科の樹木で、観賞用を花海棠と言う。美しい薄桃色の花を咲かせる。 第三唄 安史の乱の勃発と、玄宗の蜀への避難、楊貴妃の死、玄宗の流浪の地での悲嘆の生活。 翠の華の行きつ戻りつ ○ 漁陽(ぎよよう)の|ヘイ 鼓 |地を動かして |来たり そんな時、突如、漁陽から |戦いの太鼓の音が|地を揺るがして押し寄せて|来て 、 ○驚破す |霓(げい)| 裳(しょう) |羽(う) |衣(い)|の曲| |虹のような|はかま |羽のような|衣 |の曲|を楽しんでいた宮廷の人々を 驚かせたのだ。 ○九重(きゆうちよう)の|城闕(じようけつ) |煙 塵(えんじん)|生じ 奥深い |宮殿にも、 戦いの|煙と塵 が|立ち昇り、 ○千 乗 万 騎 西南 に|行く 千台の兵車、一万の騎兵から成る天子の軍勢は、西南の蜀に|逃げようとした。 ○ 翠華(すいか)|揺揺(ようよう)として |行きて |復た|止(とど)まる しかし、天子の旗 は|ふらふら と揺れて、|進んでは|また|止まり、 ○西のかた |都 門を|出(い)づること|百余里 |都(長安)の城門を|出て 西のほうに| | |百里余り行った所で ○六 軍(りくぐん)|発せず、 |奈何(いかん)とも|する無く 天子の軍勢 は|動かなくなり、天子も|どう することも|出来ず 、 ○宛転(えんてん)たる|蛾(が) |眉(び) 、 馬 前に死す すんなり とした|蛾のヒゲのような細い|眉の美女は、兵士や軍馬の前で死んだ。 第四唄 乱が収まり、都に帰る途中、楊貴妃が死んだ馬嵬に立ち寄り、あらためて悲嘆に暮れる玄宗。 霓裳羽衣の仙楽 「霓裳羽衣」は、天人の衣装のこと。玄宗皇帝が夢に月宮殿で天人の舞楽を見、これにかたどって「霓裳羽衣の曲」を作曲したと言う。 馬嵬の夕べに、ひづめの塵を吹く風の音のみ残る悲しさ ○ |天 |旋(めぐ)り 地 |転じ て 竜馭を| 廻らす さて、時が|経ち、 世が|変わって、天子 は|都に帰る ことになった。 ○ |此(ここ)に|至りて |躊躇して 去ること |能(あた)は ず 途中、ここ に|やってくると、心が|ためらって、立ち去ることが|出来 ない。 ○馬嵬の|坡 下(はか) 泥土(でいど)の中(うち) 馬嵬の|堤のほとり 、泥土 の中 には、 ○ |玉 顔を見 ず 空しく死せし|処| もう楊貴妃の|美しい顔も見えず、空しく死んだ|跡|だけが残っている。 第五唄 玄宗が帰ってきた都は、乱の前とはうって変わって寂れはて、昔の生活はもう戻ってこなかった。 西の宮、南の園は秋草の露しげく ○西 宮(せいきゅう)|南 苑(なんえん)|秋草(しゆうそう)|多く 西の宮殿も |南の庭園も、 |秋草が |いっぱいに生い茂り、 落葉 |階(きざはし)に|満ちて 紅(くれなゐ)|掃(はら)はず 宮殿の庭の木々の落葉が|階段 に|たまっても、紅 葉を|掃く者もいない。 鴛鴦の瓦は ○鴛鴦(えんおう) の 瓦 |冷やかにして|霜 華 | 重く おしどりの夫婦をかたどった 屋根瓦は|冷たく、 |霜の結晶|が重く凍り付き、 ┌───────────┐ ○翡翠(ひすい) の|衾(ふすま)|寒くして |誰と共に|か|せ| ん ↓ かわせみの模様を刺繍した|夜具 は|冷え冷えとして、誰と共に| |し|よう|か、 いや、天子には、共に寝る相手もいない。 |
作詞:蒔田雲所 (越前坂井郡高椋村の人) 作曲:光崎検校 【語注】 求むれど⇒背景 びんづら 頭の側面、耳の上あたりの髪。 離れもやらで⇒背景 歩揺 歩くと揺れるもの。飾り金具を沢山垂らした中国風のかんざし。画像の人物は楊貴妃ではない。 漁陽のヘイ鼓地を動かして来たり この反乱は「安史の乱」(755〜763)のこと。玄宗が寵用した側近の安禄山が乱を起こし、玄宗は蜀(四川省)に逃れた。 ヘイ鼓 「ヘイ」の漢字は、上が「鼓」、下が「卑」。 翠華揺揺として… 「翠華」は天子の旗。翡翠(かわせみ)の羽で飾ってあるのでこう言う。「行きて復た止まる」は、軍隊の中に楊貴妃を連れて逃げるのは足手まといだという不満があり、進軍が滞っていた意。 六軍発せず… 馬嵬駅で、護衛兵士たちの要求で、玄宗は、楊貴妃とその一族の楊国忠を殺さねばならなかった。 馬前に死す 実際には、高力士という男が、仏堂の前の梨の木の下で、薄絹で首をしめて殺したという。楊貴妃が死んだのは、玄宗と共に長安を出発した翌日、755年6月14日だった。この時、楊貴妃38歳、玄宗は71歳だった。 天旋り 地転じて 戦況が変わり、玄宗の子粛宗が即位し、安禄山はその子安慶緒に殺されたので、玄宗はまた都に帰れるようになった。 竜馭 天子の乗る馬。その馬を都に帰したとは、天子が都に帰った意。 鴛鴦 おしどり。鴛が雄、鴦が雌。 翡翠 かわせみ。翡が雄、翠が雌。 |