梓(あづさ)

【解題】

 普通の箏曲の歌詞と違って、確かな古典から語句を引いた文語体の歌詞ではなく、俗語で、俗謡などを随所に引いているらしく、分からない部分が多い。全体として、遊女と客の男の一夜の痴話喧嘩の場面を、能の「道成寺」の最後の場面などの、怨霊と、それに法力で対抗する僧の争いの場面に譬えたものと理解すると分かりやすい。

析】

○                   三つの車に法(のり)の道、夕顔の宿の破れ車。
 能の「葵上」の主人公の六条御息所は、「三つの車に法    の道、夕顔の宿の破れ車」と言って葵上の枕元に

○      あら はづかし   や           |我が姿。     梓の弓のうらはずに、
 現われたが、ああ、恥ずかしいことよ、あなたの前に現われた、私の姿。巫女が引く梓の弓のうらはずに、

○現われ出でし|       |面影の   、昔    忘れぬ|      |  |とりなりを。
 現われ出 た|御息所の怨霊の|面影のような、昔の恨みを忘れぬ|嫉妬に狂った|この| 姿  を。

○あれあれあれを|見  や、蝶は菜種  に、菜種  は蝶に、つがひ |離れぬ |妹背の仲      を、
 あれあれあれを|見なさい、蝶は菜種の花に、菜種の花は蝶に、つるんで|離れない|男女の仲のような光景を、

○見るに妬まし  又 羨まし 。我は磯辺の  |友無し千鳥       、わくらばに、わくらばに、
 見るも妬ましい、又、羨ましい。私は磯辺に住む|友無し千鳥のような身の上、たまたまに、たまたまに、

○      |問ふ     は嬉しや 、さり と  ては、    |問は  れ  て、
 あなたが私を|訪ねてくれるのは嬉しい!、だからといって 、あなたに|訪ねて来られると、

○  今は|はづかしの     漏りて|浮き名の|  手束   弓 、  |さい た|白羽の矢   は|
     |はづかしの      森  |    |  立つ|
 私は今は|恥ずかしい噂が世間に漏れて、浮き名が|  立つ身の上  、
                        |そのたつか  弓で、私が|射当てた|白羽の矢の標的は、

○伊達姿 、人の目につく|いたづら髪|の    、なんぼ  |  云はれし       |仲なれ ど、
 粋な姿の、人の目につく|長   髪|のあなたで、どんなにか|世に騒がれた|私たち二人の|仲だったが、

○今は|秋 田の|落とし水         、         |さつき雨ほど |恋ひ忍ばれて、サユヘ、
 今は|秋の田の|落とし水のように捨てられて、昔のあなたのことが| 五月 雨ほどに|恋い忍ばれて、サノサ|

○なほなほ|尽きぬ       |恨みぞ や。
 まだまだ|尽きない|あなたへの|恨みですよ。

○共に |奈落の苦しみ |見せ     んと、      |彼方 へ引けば|      |此方 へ引く、
 一緒に|地獄の苦しみを|味あわせてやろうと、私があなたを|向こうへ引けば、あなたは私を|こちらへ引く、

○    |行きては帰り、帰りては|       |あら、名残り惜し   や。
 あなたは、去っては帰り、帰っては|また去って行く、ああ、名残り惜しいことよ。

○恋は|  曲  者、いろいろの     花や紅葉に|     |移り気の、男はいやよ、
 恋は|ひと癖ある者、いろいろの色香で誘う花や紅葉に|乗り   |移るもの、
                          |  そんな|移り気な、男はいやよ。

○さりとては    、ほんに|  |   辛苦も厭わぬ|悪性  、底の心は|水臭い、流れ の|私が|
                                     《水》 《流れ》
   と は言っても、本当に|男は|どんな苦労も厭わぬ|浮気者で、心の底は|冷淡だ、流れ者の|私の|

○辛抱を|思ふ て|見さん せ 。あた|胴欲な、 いや と   よ|それは|そら言  よ。
 辛抱を|想像して|ごらんなさい。何て|強欲な、「いや」と言うのね、それは| 嘘 ですよ。

○  袖の|  時雨は|誠     の|血潮、     染めし|   誓ひは|偽り  なら ず 。
 私の袖の|涙の時雨は|誠の心を表す |血潮、血潮で赤く染めた|血判の誓いは|偽りではありません。

○二人 交はせし|     契りも|今は、仇 になり ゆく|  妬みの  ほど を、思ひ知らず  や|
 二人で交わした|その結婚の約束も、今は|無駄になってゆく|私の妬みはどれほどかを、思い知らないのか、

○思ひ知れと、鉄   杖 |ふり上げ |丁   丁   々、  |打つ   や|うつつの|  手にも
                                <ウツ>   <ウツ> 
 思い知れと、鉄の撞木杖を|振り上げて、ピシッ、ピシッ、ピシッと|殴りつける!、現実 の|この手にも

○取ら   れ ず 、露か蛍か       |ちらちらちらちら 、児手 |柏 手に|結び し水の|
 取ることも出来ない、露か蛍かと思えるように|ちらちらちらちらと、手先と|手の平に|すくった水が、

○笹の葉に   、   又|立ち寄る を|  |幣 |おっ取って、「謹  請   |東方南方北方西方、
 笹の葉に掛かり、怨霊が又|近 寄るのを、男は、幣を|手に取って、「謹みて請い願う、東方南方北方西方、

                                 ┌─────────────┐
○おのおの    |守りの冥部の神仏 |ましませ  ば 、怨霊 |何処に|止まる   |べき ↓
 それぞれの方角に|守りの冥界の神仏が|いらっしゃるので、怨霊は|何処に|止まることが|出来るか、

○             」と、  祈り|   祈られ 、かっぱ と|転ぶ  と|見えけるが、
 いや、止まることは出来ない」と、男は祈り、怨霊は祈られて、ばったりと|転ぶように|見えた が、

○ 今より後は|来る   まじ  と|言ふこゑばかりは|雲に  響き、
 「今から後は、来ることはないぞ」と|言う 声 だけ は|雲の中に響き、

○  云ふ声ばかりは|雲  に残って、   |姿は見えず と|なり に  けり。
 そう言う声だけ は|雲の中に残って、怨霊の|姿は見えなく |なってしまった 。

○この暁に空 吹く風、この暁に空 吹く風、     |夜は白々と|明け   にけり 。
 この暁に空を吹く風、この暁に空を吹く風、それと共に、夜は白々と|明けて行ったことだ。

【背景】

はづかしの森

○忘られて思ふなげきの茂るをや身をはづかしの森といふらむ (後撰集・巻第十・恋二・664・読人しらず)

東方南方北方西方

 奈良の東大寺二月堂の修二会で、黙唱される陰陽(おんみょう)道の祭文(さいぶん)に次のようなものがある。祭文とは、祭礼の時、心霊に告げる文章。

謹請東方甲乙青帝龍王、謹請南方丙丁赤帝龍王、謹請西方庚辛白帝龍王、謹請北方壬癸黒帝龍王、謹請中央戌己黄帝龍王、謹請天地日月五星三台玉女神、…

 内容は、東南西北の四方および中央の龍王と、天地宇宙森羅万象を掌る女神に、謹みて請願の祈りを捧げるという意。


作詞:尾州某
作曲:




【語注】

三つの車に法の道 「葵上」の歌詞参照。

うらはず 末筈。「本筈(もとはず)」の対。弓の上部のはず。「はず」は弓の両端の、弦を掛ける所。
とりなり なりふり。姿。











はづかしの森⇒背景
手束弓 手で握る弓。弓の美称。





落とし水 晩秋に稲の刈り入れ時に、田から流しだす水。
サユヘ 囃し言葉。














流れは縁語。


あた
 嫌悪の気持を含めて、程度のはなはだしいことを表す接頭語。






鉄杖 ここは怨霊が持つ鉄の撞木杖。「撞木杖」は鉦鼓(手に持つ鐘)などを突き鳴らすための丁字形の杖。



 神に祈るときに供える布・帛・紙など。
東方南方北方西方⇒背景









目次へ