◎CAI関連論文2◎

国語教育とコンピュータ 山戸竹男(成蹊高校教諭)

  昭和六十(1985)年の暮れ、私はファミコンゲームからヒントを得て、古文のCAIソフトを作ろうと思い立った。当時、私はコンピュータのことはほとんど知らなかったので、理科系の友人の力を借りたり、プログラム作成に頭を悩ましたり、キーボード上に指を惑わしたりでいろいろ苦労したが、三年ほどかかって「古文解釈Highroad」を完成した。(学研「自作教育ソフト年鑑」一九九〇年版・六六ページ参照)。

  コンピュータとは縁がなかった私が、そんなことを思いついたのは、その五年ほど前から古典文法のテキストに不満を感じ、文法を教える順序についてあれこれと考えていたからだった。

  中学の英語の教科書などをみると、教材は教えやすさ、学びやすさを考えてきわめて注意深く構成されているようにみえる。やさしい単語からむずかしい単語へ、単純な構文から複雑な構文へ、必要不可欠の表現から応用的で高度な表現に…。英語教育の方法論が、英文法の学問体系とは別に考えられていることが感じられる。教科書を作る人は、aとanのどちらを先に教えるかまで考えているのではなかろうか。

  それと比較すると、古典文法のテキストは品詞論の観点から編集されており、学習の順序などほとんど考えられていない。例えば、助動詞を教える時、最近のテキストは第一類の「る・らる・す・さす・しむ」から始めるものが多いが、これは教育的にはまったく意味がない。

  なぜなら、「る・らる」には受身・自発・可能・尊敬の四つの用法があり、憶えるのも面倒だし見分け方もむずかしい。その上、せっかく苦心して憶えても、教科書の初歩の教材の中にはあまり出てこない。

  また、「す・さす」は「せ給ふ」のように二重尊敬の一部として使われることが多いのだが、敬語の学習はテキストのずっと後の方に配列されていて、結びつけにくい。「しむ」にいたっては、高校三年間の教材すべてをさがしても数えるほどしか出てこないのである。また、助詞の学習はふつうは助動詞の後に配列されているが、教科書には最初から係り助詞と係り結びがどんどん出てくる。

  古文の教科書が文学の鑑賞を第一の目的として、作品単位で編集されているのは、国語教育の一環として当然であり、そのため、文法事項の出現の順序が二義的になることは仕方ないだろう。しかし、それならばいっそう、文法の学習は、読解に必要度の高い事項から順に、いわば語学教育の体系を考えて構成されるべきである。そうすれば、文学の鑑賞と並行して文法を効率的に学習でき、ひいては国文法の体系を早く理解することにもつながる。

  このような考えから、私は、授業では文法のテキストを棚上げにし、自分なりの順序で教えることにした。このように教える順序を考えているうちに、知識というものが階層構造を持っていることに気づき、教育工学に出会うきっかけになったのである。

  私が学習の順序について考え始めたのは、昭和五十五年ごろからだったが、実はその十年も前に、すでに「プログラム学習」という学習法を研究する活動の中で、学習の順序に関する精密な理論が確立されていた。恥ずかしいことだが、私がそれを詳しく知ったのはごく最近、沼野一男著「授業の設計入門」(国土社刊)を読んでのことだった。

  この本は、一九七六年に初版が発行され、今も改版され続けている。この本で明らかにされたコースウェア理論上の諸概念は、現在でも有効であるどころか、近年のコンピュータの飛躍的普及に伴って、教育現場で応用される可能性をますます高めている。また、たとえ教育工学やコンピュータにはまったく興味がなくても、わかりやすい授業をしたいと考えている教師なら、どんな科目の教師でも、この本を授業に役立てることができると私は確信している。私が考えた古典文法の学習の順序も、この研究を十年以上も遅れて追いかけたものにすぎなかった。

  古文を読解するためには、まず直訳が大切である。それができれば、より高度な意訳や内容の理解・鑑賞につなげることができる。そこで、生徒が自分の力で直訳できるために、もっとも利用度の高い知識とは何か、が見極められなくてはならない。私は、実際に直訳の作業をしながら考えてみた。

  その結果、文節の後に「が・を・は・に」などの格助詞や副助詞を補うこと、また、連体形の準体法の後にいくつかのきまった名詞や「の」を補うことが、頻繁に要求されることがわかった。

  また、それらの補い方に、不完全ではあるが規則を見出すこともできた。また、係り助詞を単に係り結びを起こす助詞としてだけではなく、主語や連用修飾語と用言の間に投入されて、文に別の意味を付け加えるものと理解することも重要と思われる。このような古語と現代語の構文の違いは、直訳の規則として教えた方が、生徒は使うことを通じてよく理解する。

  助動詞・接続助詞・補助動詞なども、「けり」「たり」「ず」「ども」「ば」「たまふ」などのような出現頻度の高いものから教えていく方がよい。そしてこれらを正確に訳すための前提として、活用の知識を欠かすことができない。

  活用の学習は、活用形の概念・活用形の作り方・語尾変化の暗唱・活用の種類の同定などの知識が整然と階層構造をなしており、理論通りにコースウェアを構成できる。また、現代語と違う活用をするものを意識的に区別して教えると効果がある。

  情報化時代の到来がいわれ、コンピュータが教室に導入される。しかし、教科教育の地道な研究を欠いた安易な導入は、どんな教科だろうと必ず失敗に終わるだろう。「よい授業」を直感で捉えるのではなく、教育科学の立場で研究することが何より大切だと思う。


(教育新聞 平成3(1991)年7月11日(木)・7月22日(月)掲載)