shall と should 〜まっすぐ行けば当然こうなる〜


「今回は shall と should のお話をしようね。」

「なんかさぁ、 should は『〜すべきだ』ってことでなんとなくわかるんだけど、 shall ってなるといろいろややこしくて、雲をつかむようなんだよね。」
「たとえば?」
「shall は will と同じように未来を表すこともあるし、『私が〜しましょうか。』という申し出をあらわすときもある。それに Shall we 〜?で『〜しましょうよ。』という風に、 let's と同じ使い方をするときもあるしね。第一、 shall の表す未来と will の表す未来の違いがわからないよ。どちらも未来ってさ、なんか違いってあるの?」
「 will が表す未来と shall の表す未来にはもちろん大きな違いがあるんだ。そして、 君がshall よりも簡単、と思い込んでる should のほうが実はいろんな使い方があって、学習者をなやませてるんだよ。」
「うへぇ、やだなぁ。」
「まあまあ、これもね、根っこはたったひとつなんだよ。shall と should の根っこは『まっすぐ』のイメージなんだ。まっすぐ行けば当然こうなる、絶対こうなるというのが根本にあるイメージです。で、 should はもともと shall の過去形として出来た言葉なので、 shall の意味が弱まったものが should と考えればいいんだよ。」
「『いつもそうなんだよ』ということをあらわす形なのが現在形で、そこから離れていくのが過去形、だったっけ?」
「そう。『今はそうじゃないよ』っていうのが過去形だから、現実、事実から遠ざかるのが過去形。事実から遠いっていうことは遠回しな言い方。つまり意味が弱まるってことね。」
「なるほど、 shall の弱まったものが should ね。じゃあ shall から説明してよ。」
「OK、じゃあいってみましょう。」

●shall ・・・・まっすぐ行けば絶対こうなる
「まずさ、 will のあらわす未来と shall のあらわす未来の違いから説明してよ。」
「 will というのは辞書を開けば名詞として『意志』という意味が載ってるように、本来、『意志、思い込み、予測』といった本人の心の働きが根っこで、 will があらわす未来は『そうしよう』っていう決心が作りだす予定や(意志未来)、『そうなるだろうな』という思い込みや予測がつくりだす未来(単純未来)なんだよね。学校では『未来』と教えてるから便宜上『未来』とは言っておくけど、本来の意味は『意志』と『予想』です。」
「うん、うん、 will のところでやったよね。」
「これに対して shall は『まっすぐ行けば絶対こうなる』ってことで、これはどういうことなのかというと、『自分の意志を超えた、運命的な力によって、必ずこうなる。』ってニュアンスをだすんだよ。『絶対変わらない未来宣言』てな感じで、すごく強い未来の予告、ということになるんだ。」
「なるほど、なんか、 will よりは shall のほうが強そうなイメージはもってたんだけど、そういうことだったのか。」
「実際に例文をみてみよう。」

I will never forgive you.
I shall never forgive you.

「どちらも『ぼくは決して君を許さないよ。』という日本語訳になるだろうけど、言葉にこめられてる雰囲気は違うんだよ。 will のほうは『決して許すつもりはない。』という今の『気持ち=つもり』を言ってるに対して、 shall のほうは『決して許すことにはならないだろう。』という、未来から運命を見返しているみたいな、『許さない』ってことは運命的にもう決まってしまっていることを宣言していることになるんだよ。 『will =意志』っていうのは状況次第では気持ちというのは変わることもありえるだろうけど、 shall は運命だから決して変わらない、っていう強さがでてるよね。つぎによく文法問題とかで出てくる形式。」

*ほぼ同じ意味になるようにカッコ内に適語をいれよ。

I will give you this coin. → You ( ) have this coin.

「なんじゃこりゃ?カッコのなかには shall が入るっていうの?」
「そうだよ。まず前半の文では『私は君にコインをあげよう。』という主語 I の意志を表す文だね。」
「うん。 will を使ってるしね。」
「『私は君にコインをあげよう。』って言ってるんだから、もらう『君= you 』の立場は『コインを受け取ることになる』立場だね。」
「そうだね。・・・あ、そっか。『君』の立場は『コインを受け取る運命にある』ってことか。だったら『このままいけば、当然こうなる』という運命の shall を使うわけか。」
「そのとおり。」
「でもさ、『私は君にコインをあげよう。』→『君はコインを受け取ることになるだろう。』なんて流れはさ、なんか魔法使いかなんかがエラそうに主人公の少年にいってる、みたいな感じのシーンを想像しちゃうんだけど。」
「実はその通りなんだよ。この You shall ・・・・ っていう言い方は目上のものから目下のものへモノを言う感じが出てるので普段の会話では、 I will give you ・・・・ っていう言い方の方が普通なんだよ。」
「ねえ、じゃあ中学でならう Shall I 〜(私が〜しましょうか。)という申し出の文はあれ、どういうことなの?」
「これも shall の持ってる『まっすぐ行けば当然こうなる』という感覚が作る表現だよ。 Shall I 〜?という表現は、『私があなたに〜してあげるのは当然のことですよ。』というへりくだりの感情がつくる申し出の表現なんだよ。」
「 shall の持つまっすぐのイメージって、要するに『曲がってない=正しい、当然』ってことなのか。」
「そう。だから、ここでも『私があなたに〜してあげるのは正しいことですよ。どうぞ、ご遠慮なく。』ってことになるんだね。例文をみてみましょう。」

Shall I carry your bag? (アナタのカバンお持ちしましょうか。)
What shall I do next? (次に何をしましょう。)

「この『次に何をしましょう。』という表現も、次への正しい流れ、つまり何をするのがいいのか、ってことを尋ねてるわけだから、 shall を使ってるんだよ。」
「なるほどねぇ。」
「 shall はどちらかというと古めかしい表現ととられることが多くて、聖書とか、規則の条文とか、そういうのに使われることも多いんだ。イギリスでは未来に shall を使うこともけっこうあるけど、アメリカでは will を使うことが多いね。」

You shall love your neighbor. (汝、隣人を愛せよ。・・・聖書より)
All members shall attend meetings regularly. (すべての会員は定期的に会合に出席すること。)

「聖書では、神の言葉は当然行われるべき、という『意志を超えたまっすぐな力』が働いてるから、 shall がふさわしいね。同様に規則を表す文でも、『まっすぐ=当然』という強制力が働く文だから shall を使ってるわけ。 shall の使い方の説明はこんなもんかな。」
「わかったよ。じゃあ、こんどは should をお願い。」

should ・・・絶対とは言い切れないけど、筋から言えばこうなるんじゃない?
「 should はね。もともとは shall の過去形なの。あるイギリス人と話をしたときに、その人も『いまでも立派に過去形として使ってるよ。』って言ってたけど、アメリカ英語の感覚では、今ではそうじゃない感じがするね。」
「たしか学校では『〜すべきだ』って意味で、過去形の意味としては習ってないけど。」
「そうだね。それが should の代表的な使い方になります。『すべきだ』っていう言い方はキツイ言い方に聞こえるかもしれないけど、その奥底には『絶対、とは僕は言わないけどさ、でも普通に考えたらこうするのは当然なんじゃない?』といった、すこし、自分の言動の責任から逃れて『世間の常識に責任を転嫁』してるような、そんな弱さがあります。」
「 should はもともとは shall の過去形で、過去形の『遠ざかる働き』というのがそういった少し遠回しなニュアンスをうみだしたってこと?」
「そうだね。次の例文を比べてみて。」

You shall do this. (君はこれをしなければいけない。)
You should do this. (君はこれをすべきだ。)

「 shall の文では、『どの道君はこれをする運命にある。』といった予言めいた言い方をすることで、『しなければいけない』という意味を表現してるんだ。何度も言うようだけど、 shall の『まっすぐ』はこうした運命的な強さを持ってる。で、 should のほうになると、『絶対とは言わないけどさ、普通(=まっすぐのイメージ)に考えたら、するのが当然なんじゃない?』という感覚から、『すべきだ。』という意味になるんだよ。」
「ふ〜ん、これが should の正体か。」
「だから、『当然〜のはずだ』という意味で should が使われることも多いよ。」

You should catch the train, if you can get up early. 
(早起きできれば、君は列車に間に合うはずだ。)

「そうか、なんでもかんでも should =〜べきだ、ってやってしまうと上の文は意味がわからなくなるね。」
「でしょ?だから、 should を見たり聞いたりするときも、やっぱり『まっすぐ』のイメージを常に頭に置いておくべきなんだよ。」
「should ってさ、もともとは過去形から発生したものだから、『 should の過去形』ってのはないんでしょう?『〜すべきだった』っていう意味を表す時にはどうすればいいの?」
「過去形のない助動詞、たとえば、 must なんかもそうなんだけど、こういうのを過去で表すには後ろに have +過去分詞という形をつけてあげます。ヒデヤさんはこれを『記号としての現在完了』とよんでますが、ワケあって過去形の形をとれないところ(このほかにも不定詞の部分や、動名詞の部分など)で過去の意味を出したいときにはこうやって現在完了の形を記号的に使って過去をあらわすのね。 should の場合も『すべきだった』とするときには should have +過去分詞の形をとります。」

I should have finished my homework yesterday.
(宿題を昨日のうちに終わらせとくべきだった。)

Should have! (あ〜あ!)・・やっとくべきだった、しまった、という後悔。

「そのほかにも『してしまったはず』とか、『するはずだったのに』という、『当然そうなるべき流れだった(実際にはそうならなかったけど)』という気持ちを表したりもします。」
「これもようするに should の持ってる『まっすぐな流れ』から来てるんだね。」

Mr. Owen should have arrived at Tokyo by now.
(オーウェン氏は今ごろ東京に着いてるはずなんだが。)
→実際には着いてない。着くのは当然の流れだった、ということで should を使っている。

I'm surprised to hear that. Mike should have passed the exam easily.
(私はそれを聞いて驚いた。マイクは楽に試験に受かるはずだったのに。)
→実際に受からなかった。過去においての予想ではマイクは試験に受かるのが当然という流れだった。

ええっ?という意外性。予想とのギャップがうむ感情の should
「 should は『まっすぐ進めばこういう流れになるんじゃない?』という思い込みを呼び起こす言葉だ、というのがこの項でのテーマです。」
「そこからいろんな should の正体が見えてきたね。」
「そこで疑問詞と一緒に使う should で、こんな使い方もあるわけです。」

Why should I do such a thing? (なんで僕がそんなことするんだよ。)

「上の文は要するに『そんなことするわけないだろ?』ということを言いたいときに使う反語的な表現です。」
「ここではなんで should が使われてるの?」
「 should を『当然の流れ』と考えれば、『当然のように僕がそれをする、と決めつけてるけど、なんで僕がそんなことするってのが当然なのさ?』という感情がここに入ってるんだね。」
「なるほど。『あなたが考えてる当然の流れ、というのと、現実の僕との間にはギャップがありますよ』と。」
「そうなんだよ。『当然』という考えは、それが裏切られたり、違ってたりすると、ギャップをうむ。『あれ?意外にも違ってた?』って驚きね。このギャップ=意外性というのは人間の心理を考えると、『強調の表現』にそのまま使われることになるんだ。」
「強調の表現てのは、ようするに聞き手の心に強く印象づけよう、っていう心の働きだからね。」
「そう。だから意外性というのは英語では他にも強調の表現で使われるよ。例えば even がそのいい例だね。」

Even Nobita can do it. (のび太にさえできるんだ。)

「う〜ん、ジャイアンや、スネ夫が言いそうなセリフだね。」
「 even はもともと『同点』とか『対等』を表す言葉だよ。例えば日本語でも『10対10のイーブンだ』とか、英語でも an even fight (互角の闘い)ってな感じで使われる。それがなぜこうして『〜さえ』という強調に使われるようになったと思う?」
「さぁ、なんで?」
「 even に『対等であるはずがないと思ってたのに実は対等だった』っていう驚きをあらわすことがある、とヒデヤさんは考えるんだよね。『のび太のことは自分よりずっと下だと思ってたのに、それが実は自分と同じところにいる』って気づいたときの驚きがね、『のび太でさえ』という表現につながってくるんだよ。」
「そうか、ギャップとか意外性っていうのは強調の表現につながってくるんだね。」


●It is +形容詞+ that 〜( should )・・・の構文での「感情の should と主観の should 」

「さあ、最後に should を使った表現の上級編、『感情の should 』と『主観の should 』と呼ばれているものを勉強してみましょう。これは It is +感情を表す形容詞+ that 〜 の文のなかで出てくるパターンです。とりあえず例文を見てください。」

It is surprising ( that ) you should know the news.
(君がそのニュースを知っているなんて、おどろきだ。)

It is surprising ( that ) you know the news.
(君がそのニュースを知っていることは驚きだ。)

「う〜ん、違いがよくわかんない。」
「上の文はね、『〜だなんて』というのがミソ。つまり、『へぇ〜』とか『え?マジ?君が知ってたの?』という驚きをこめて should を使ってるんだね。これが下の文になると、『君がそのニュースを知っている』という事実を淡々と言ってるだけなの。」
「なんでそんな違いが should で出てくるの?」
「 should を『当然の流れを表す言葉』と考えるとね、『君がそのニュースを知ってる』ってことは『当然』ということになるわけ。」
「でもそれじゃ、『〜だとは』という意外性がでてこないじゃん。」
「ところが、さっきやったように、『当然』だと思う気持ちってのは裏切られると驚きをうむんだよ。今回の場合は、『え?君がそのニュースを知ってたのは当たり前?こいつは不覚だった。僕としては夢にも知ってるとは思わなかったよ。』っていう気持ちなんだね。」
「なるほど、そういう意味で裏切ってるのね、今度は。」
「この形式は that の前に来る形容詞が感情を表す言葉、例えば驚くとか、嬉しいとか、悲しいとか、そういう言葉が来たときに起きる構文だ、ということを覚えといてくださいね。例えばこんなふうに・・。」

It is wonderful that he should live a happy life now.
(彼が現在幸せにくらしてるなんて、素晴らしい。)

「ホントだ。 wonderful っていう感情を表す形容詞が来てるね。そして感情の原因をあらわす that 以下の部分に『驚き』を込めるために should を使うんだね。」
「そういうことです。さあ、次にやるのは『主観の should 』。例文を見比べてみて。」

It is a good thing that Mary should do it by herself.
(メアリーが自分でそれをやるんなら、いいことだ。)

It is a good thing that Mary does it by herself.
(メアリーが自分でそれをやるのはいいことだ。)

「なんじゃこりゃ?上の文と下の文の違いがよくわからん。」
「たしかに。でもね、日本語にはしにくいんだけど上の文と下の文では違いがあるんだよ。まず should を使っている上の文では、『メアリーがそれをやる』ということが事実なのかどうかははっきりわかってないの。『メアリーが実際やってるかどうかは知らないよ?でも実際メアリーが自分でやるんならいいことだよね』という話し手の頭の中での想像、を述べているんだ。話し手の主観で考えたことを述べる、ということで『主観の should 』と呼ばれてるの。下の文は、『メアリーがそれを自分でやるのは事実』という前提があって、で、それに対して『いいことだ』って言ってるわけ。」
「 should の『まっすぐ行けば当然こうなる』という考え方はこの文ではどう出てるの?」
「 shall と should の違い、っていうものをもう一度思い出して欲しい。 shall は現在形、つまり『事実形』だから『当然こうなるのが筋(=まっすぐ)ってもんだ。どうあってもこうなる。』っていう運命的な流れを表す強さがあるんだけど、 should はその過去形から出発している言葉だから、[過去形=現在はそうでない→事実から離れている→遠回し=婉曲な働き]があるんだね、つまり shall にくらべて断言する力が弱いわけ。」
「で、それがどうしたの?」
「だからね、『 shall を使うように絶対そうなる、とは僕は言わないよ、でもそうする流れではあるんじゃない?』という弱さが should の感覚なわけで、上の文では『メアリーが実際にやってるかどうかは知らないけど、でも実際にやるんじゃない?あなたの話から想像するに、そういう流れと考えていいんでしょ?』という気持ちを表してる文なんだよね。だから『話者の推測=主観』っていうことになるんだよ。もう少し詳しく言うと、 should を使ってる場合は『これからそうなる流れでまだ実際には起こってない。でもどうやらそうなる流れだ』という感じで、使ってないほう、つまり下の方の文は現在形だから『事実形』、つまり『事実としてやる』という現実の出来事をあらわしてるわけだね。」
「ふ〜ん。」
「日本語でも『ヤツがそうするんなら、いいことだね。』という時、そこには『実際にやってるかどうかは知らないけれど、でもやりそうなんじゃない?今のあんたの話を聞いてると、とにかくやるって話なんでしょ?』という should の『流れ』の感覚があるんだよね。」
「感情の should 、主観の should ね。とにかく、『まっすぐな流れ』か。」

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助動詞 shall と should :著作・時吉秀弥
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