胞姫(よなひめ)神社

胞姫神社は・・・よく見えない国道8号線胎姫大橋と上輪大橋の境目にある山・・・ここに胞姫神社がある。(ちなみに大風が吹くと米山大橋と共にこれらの橋は通行止めになる)
かつて源義経が奥州へと逃れる際、旅を共にしていた側室(一体誰だ?静御前ではない)が急に産気づき、このあたりで出産した。男の子だった。一行は無事の出産に喜び、その臍の緒をこの地に奉ったという・・・これが胎姫(よなひめ)神社の始まりである。
現在は安産の神様として、地元周辺の夫婦らが良く参拝にくる。
・・・毎日この道を通っているhorakaは、その風景を良く目にするのである(笑)












亀若丸・・というのか?橋の下の旧道にはこんな表示が建っている。
亀若丸・・・という名前のお子さまらしいが・・・
詳しい歴史は知らないhorakaである。
義経の側室といえば静御前。
静御前とは奈良の吉野で別れたはずだし・・・
田舎の歴史は、都会(?)の歴史に押し流されてしまっていて、実際のところは解らないものだ。
こーゆー歴史を学校で教えてくれれば、興味あるのになぁ。




















義経の側室が産気づいた時、近場に水がなかったので、弁慶は祈りを込めてとある場所を錫杖でドンと突いた。
するとそこから見る間に水が湧き、赤子はその水で湧かした産湯につかったという・・・

弁慶の力水 現在の様子今でも一応、湧いている

上輪大橋の袂にある上輪新田という部落内に、その湧き水は残っている。
民家の並びにあり、目立たない。
写真の通り、明治天皇がここでその水を頂いたらしい(いちいちそんな石碑を建てるところが・・・)
現在も水は湧いているが、利用者がいないためか量が少ない。
季節を問わずに湧いている・・・とも言えない(笑)乾燥期には少ないようだ。

昼尚暗い境内・・・逆光だから(^-^;;ここが胞姫神社の境内・本堂。

・・・昔horakaが母と妹とこの神社をひやかしに(要はただの見学)に来たところ、罰が当たったのかお参りのため妹が鳴らした鐘が・・・降ってきた>妹の頭に。
以来、私と妹には、全く関わりのない神社となってしまった(子宝とかね 大笑)
普段は無人のお社です。
柿崎町に住んでる宮司が、時々やって来てるようです。
昔は橋の下の上輪部落から、長い階段を上って参拝してましたが、現在はすぐ傍の国道8号から楽に歩けます(駐車場あり)


















臍の緒を埋めたとされる祠そして、その境内から登ること約20メートル。
臍の緒を埋めたという祠があります。
一応道はあるらしいのですが、現在は荒れまくっていて、とても妊産婦には無理です。
horakaはトレッキングシューズで息も絶え絶えにやっとたどり着きました。
興味と体力のある方はどうぞ。
お堂の裏手から登れます(^-^;;
子宝・安産の方はどう効果があるのか、horakaには解りません。
ご意見・ご感想を何方か教えて下さいませ。

ただ、このような土地にも、源義経にまつわる伝説が生きていることを、嬉しく思うのです。















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