読み終えた皆さんへ

<読み終えた皆さんへ 2009_01_12>

 



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この稿は母の葬式が終わって少し落ち着いた12月1日から書き始めて、翌年1月3日までかかって書かれたものです。
1月11日の納骨祭までに何とか仕上げたいと思い加筆・修正し、ついにあと書きにあたるのこの文章を書くに至りました。

母の葬式後、実家へ帰ってきたのは今回で二度目になります。
神様の部屋には母の遺影が飾られ、私はその遺影に向かって話しかけています。
まさか自分にこういう事が出来るとは・・・。
最初は恥ずかしかったのですが、今ではやや慣れました。

念のために書いておきますが、このお話は母の闘病記ではありません。
母の闘病記を書く資格を有しているのはすべての面倒をみた兄だけです。
私が書いたのは私自身の話。
母の死に直面して、私が何を思い、何をしたか、です。

この話を私はかなり早い段階で書かなければならないと感じていました。
それは私が孤独を愛する人間だったからです。

私は両親や兄が東京へ出てきて泊めて欲しいと頼まれても、泊めたことは一度もありません。
実家に帰ってきても、親と同じ部屋には滅多にいませんでした。
私は長い時間、人と同じ空間にいるのがイヤのなのです。
これは子供の頃からそうでした。
理由を付けることはいくらでも出来るでしょうが、生まれついてそういう人間なのだ、と私は思っています。

しかし、母の面倒を見ようと思えば、当然独りではいられない。
当たり前だが、母がいる。
母の病状を聞いたり、介護の相談をするには兄と話さなければならなかった。
母を喜ばせるためには、母方の叔父・叔母達と付き合わなければならなかったし、母の面子を守るためには父方の叔父達とも会わねばならなかった。
そして、それは自分が思っていたほど苦しいことではなかった。
時には楽しく感じることすらあった。

私はそのことをどうしても書いておかなければならないと思っていました。
なぜならば、それは母が最後に教えてくれたことだったからです。



<更新履歴> 2009_02_04 「番外編:変わらぬ日々」を追加した。


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