後日話

後日話

 



変わらぬ日々 2008_02_04


母が死んでもう2ヶ月以上が過ぎた。
50日祭が終わってもう当面実家へ戻る用事もない。
相続の手続きもあらかた終わった。
父の容態が悪く、時折兄からお前も面倒見に帰ってこい、と愚痴の電話が掛かってくるが、そこは東京にいる有り難さである。
電車賃払ってまで行くこと無いだろ、といってやんわり断っている。
それを除けば、私の上には以前と同じ毎日が訪れるるようになった。

夜寝ようと布団に入って、ふと思うときがある。
母が死んだというのは何かの間違いじゃないのか。
私が寝ぼけていたのではないか、と。
だって、母が今も実家で父を介護しながら生きていたとしても、私の毎日は何も変わらないんだから。
別に母がいま生きていたってイイじゃないか、と思うのである。
そんなことあるわけがないのだが。

もっとも、変わらない毎日の中にもかすかに変化の兆しはある。
洗濯をしていて、それに気がついた。
バスタオルが傷んできているのである。

私はバスタオルを買ったことがない。
いつも実家からもらっていたからだ。
田舎に住んでいると、モノをもらったりあげたりということが多いので、自然とバスタオルのようなものが実家には溜め込まれていたのである。
この17年、私はそれをもらって生活していた。

バスタオルは繰り返し洗濯していると、そのうち雑巾のように臭くなる。
繊維が腐ってくるんだろうな。
消臭剤入りの柔軟剤を入れて洗濯しても無駄である。
洗い上がったタオルを洗濯機から取り出して私は、新しいバスタオルが必要だと思った。
そして、それをくれる人がもういないのだ、と気付くのである。

私はバスタオルを買わなければならないだろう。
それが変化と言えば、私に訪れた一つの変化である。





後悔先に立たず 2009_02_16


父方の叔母から餅が送られてきた。
量にして3Kgぐらいだろうか。
一月ほど前にも送られてきたので、今回が2度目のことである。
この叔母は今まで話に登場したことはない。
しかし、少しだけ関係のある話も書いた。
実家に戻った母を見舞いにやってくる人々が色々食べ物を持ってくる件である。

この叔母は料理が得意で昔から自宅でパンを焼いていた。
今もそれは続いており、母を見舞いに来る度にゴマ入りパンを持ってきたのである。
しかし、母はほとんど食べることが出来ないし、私は自分で決めたモノ以外を食べるのが大嫌いであった。
結局ほとんど食べることなく、近所に住む父方の従兄弟の嫁さんにもらってもらうことになる。
「ありがとうございます」、と言ってもらって、「ホントにごめんね」といって食べて貰うのであった。
そこは昔の人なので捨てる事は出来ない。

こんなバカげた話はない。
なぜ残り少ない命をつまらないやり取りに消費しなければならないのか。
私は頭に来て、母に「これ以上貰うな」ときつく言いつけた。
が、持ってくるモノを拒むことは出来ず、母は貰った。
貰った後に申し訳なさそうにしている母を私は今も思い出すのである。

いま私が目の前にしている餅は紛れもなく善意によって届けられたモノである。
五十日祭のときに、市販の餅はツルツルしてて不味い、と私が言ったことを思い出して叔母は送ってくれたのだ。
母を失った私を心配してくれているのであろう。
実際食べてみても、市販の餅より旨かった。
大変ありがいたことである。
カーボダイエットしている身には目に退くな食べ物ではあるが。

しかし、このまま貰い続けるわけにも行かない。
餅米だってそれなりにお金が掛かってる。
余った餅米だから、などという口上をそのまま受け取るわけにはいかないのだ。
そのうちこちらからも何か送り返さなければならなくなるだろう。
送り返してしまったが最後、このやり取りは叔母が死ぬまで続くに違いない。
私はそんな不毛なやり取りのために神経をすり減らすのは御免被りたいのである。
とはいえ、なんと言って断ったらいいのか?
これは難しい話だ。
向こうは圧倒的な善意だからな。

ここに至って、私は貰うなと母に口うるさく言ったことを後悔している。
どうせ死ぬんだから、つまらないやり取りなど止めてしまえ、と思っていたが、どうせ死ぬんだからこそ気持ちよく貰わせてやればよかった。
貰うなと言われても困っただろうな。
ホントに申し訳ないことをした。





汚いタマゴ 2009_05_07


ゴールデンウィークがあっという間に去っていった。
思えば、昨年のゴールデンウィークに母は胃の全摘手術を行い、ゴールデンウィークが終わる頃には歩いていた。
その母も今は亡い。
本当に時間が経つのは早いものである。

このGW中、テレビの位置を変えた以外はほとんど何もしなかったが、部屋にずっといたから、食事を作る機会がいつもの2倍あったわけである。
昼夜2回自炊するからね。
しかし、私の食のレパートリーはきわめて貧弱だ。
ほとんど毎日同じものを食べる結果となる。
私はカレーチャーハンばかり食べていた。
こんにゃくライスをご飯に混ぜているので、普通のチャーハンよりカレーチャーハンの方が食べやすいのである。

カレーチャーハンを作ると、私はいつも母を思い出す。
母はよくカレーチャーハンを作った。
特別得意料理だったわけではない。
好き嫌いの激しい私が辛うじて食べるから作っていたように記憶している。

私が思い出すのは、カレーチャーハンをフライパンの端に寄せて、空けたスペースでタマゴを炒っている姿である。
前もってスクランブルエッグを作っておいたり、カレーチャーハンを皿に出してから作ることはなかった。
これが私には気に入らなかった。
タマゴがカレールーと混ざって色が汚くなるし、タマゴの中にご飯粒がどうしても入ってしまう。
私はよく母に文句を言ったものだ。
タマゴは別に作って、後から混ぜろ!と。
あんたの料理に対するそういう態度があかんねん、と言って実家にいた時分の私はよく母を責めたものである。

しかし今、自分でカレーチャーハンを作っていると、母と同じことをやっていることに気付く。
タマゴはいつもカレーチャーハンが入ったままのフライパンの端っこでスクランブルされるのだ。
どうせ食べるの自分だけなんだから、かまわないと思っているのである。
だったら、母が同じようにやることも別に攻めるようなことじゃなかったな。
どうせ食べるのは私だけなんから。
同じことじゃないか。
18時30分に仕事から帰ってきて、19時までに夕食を作り終える母に、あんまり無理を言うべきじゃなかったな、と今になって後悔している。
母が亡くなって半年経っても、そんなことばっかりだよ。


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