いらだち

いらだち '99_01_21

 

『ぷちっ』と、何かが切れるのを感じた。
その場に私は倒れ込んだ。

この頃、いや、ずっと前からかもしれないが、苛立ちを感じていた。
それは「漠然とした」という形容を充てることもできるし、あるいは、極めて
「具体的な」と、形容することも可能であるように思える。

一個の人間として、自分に自信を持つことなど出来るはずもなかった。
いっぱしの給料をもらっていても、なにもする事が出来ない。
ただのうのうと生きているだけ。
確かに、ただひたすら「生きる」ということだけが、人生なのだと思う。
だが、やはり、自分の存在価値を見いださなければ、生きるということは辛い
ことなんだ。

何かを変えたかった。
そう、何かを。

かつて、人生の辛い時期があった。
生きることが苦しかった。
不安だった。

そのとき私を支えたのは、トレーニングだった。
ある種のコンプレックスでもあった脆弱な肉体を改造することで、その不安か
ら抜け出せるような気がしていたのかもしれない。
そして、私はその時期を乗り切った。
私はかつてのことを思いだし、トレーニングを始めてみようか、と思い立った。

いつだって太陽は輝いている。
誰もいない屋上で走ってみると、意外にも足は衰えていないように思えた。
私は10メートルダッシュを繰り返した。
学生時代にやっていたラグビーのワンシーンをイメージして、誰よりも早くタ
ックルするんだ、と言い聞かせて。
そのとき、私は言い知れぬ感動に浸っていたのだ。

トレーニングを始めて3日目のこと。
ダッシュしてみると、体に切れがないのがよくわかった。
スピードが出ない。
疲れていることは明らかだった。
あるいはそれが『老い』というものなのかもしれない。

それでも走りたかった。
もっと速く、誰よりも速く・・・。

何本めかのダッシュの時、右のふくらはぎで何かが切れた。
『ぷちっ』、そのあとに『ぷるるん』と震えているかのように感じた。
はじめは、さほど痛くなかったが、次第に痛みは増してくる。
私は仰向けに寝転がり、右足を壁に立てかけた。
内出血を抑えるには、足をあげた方が良かろう、と思ったのだ。

「なんてことだ、ばかやろう!
 こんな程度のことでっ。」
私は自分の足をののしりながら、地面をたたいた。
残された最後の希望まで奪われてしまうのか?
あんまりじゃないかっ!
これからどうすればいいんだ、私はっ。




そのまま、どれほどの時間、そこに寝転がっていたのだろう。
誰も屋上に姿を見せることはなかった。

私は一人で階段を下りてゆかねばならない。
筋肉は切れていない、筋膜が切れただけさ、と思うことにした。
見た目には何の怪我もない右ふくらはぎは、まるで自由にならなかったが、
いつまでもここにいるわけにはいかないのだ。

北風から守るかのように、太陽は私を照らし続けていた。