治してもらえない疣痔

治してもらえない疣痔



コラムを書かなかった理由 2018_09_11


このところ、コラムを全く書いていなかった。
書くべきことはいくつもあったんだよ。
7月の大雨では初めて避難勧告が出たし、その後にやってきた虫すら見かけなくなるほどの猛暑があり、さらに先日の台風では隣の瓦が飛んできた。
それでも私は何も書きたいと思わなかったのである。
なぜならば、私の心はあるひとつの事柄に支配されていたからだ。
書くならそれについて書くより他にないが、それも書けない。
なぜならば、それがいつまで経っても解決しなかったからである。
その事柄とは「痔」、それも「疣痔」。
もはやこれをコラムの範疇で書く事は出来ない。
当時を思い返して、つらつらと書いていきたいのである。
当然のことながら、この話には汚い内容が含まれるので、イヤな方は読み進めないで。


話は7月の頭まで遡る。
前々から排便時に何か引っ掛かるモノがあるような気はしてはいたんだ。
ひょっとしたら疣痔かもなーぐらいの感覚。
日本人には自覚症状のない疣痔持ちが一杯いるらしいから、私もそのひとりなのかと。
それでも特に痛くはなかったので、私は放置していた。
しかしその日、勢いよく排便すると、明らかに切れたような感覚があった。
あからさまに痛いのだ。
疣痔が引っぱられて裂けたのかな、という印象。
歳を取るとキズが治りにくくなるから、これはやっかいな事になった、という程度の認識であった、その時は。
私はすぐに便を流してしまうので、実際に血が出ていたのかどうかも、この時点では確認していないし、結局最後まで確認出来なかった。




病院には行きたくない 2018_09_14


明らかに肛門が痛い。
痛みの位置を探ってみると、肛門の内側左に患部があるように感じられた。
はじめは、そのうち自然に治るかもしれない、とも思ったんだ。
しかし、二日三日と過ぎても痛みは消えない。
日を追うごとに便をするのが怖くなってきた。
かといってマメに出さないと便が大きくなって、却って痛みは増す。
もう医者に診てもらうしかない状況である。

それでもやっぱり行きたくなかった。
行きたくない理由は山ほど思いつくのである。
まずどこで診てもらえるのか分からない。
前もって下剤を飲むなどの準備が必要なのか分からない。
予約が必要なのかどうか分からない。
仮に医者に辿り着いたとしてもしても、まだ不安がある。
医者や看護婦に肛門を診られるのはイヤだ、とか。
肛門内を触診されたときに出ちゃったらどうしよう、とか。
便を自分で見ていない事について医者に怒られるのではないか、とか。
ネットで調べればこれらは全て解決すると分かっていたが、調べてしまったらもう行くしかないので、調べたくないという気持ちである。
とりあえずは、市販の座薬を使って凌ぐ事にした。
座薬を使えば多少は楽になる。

最終的に病院に行く気になったのは、ガンかもしれないと思ったからだった。
7月8日だったかな。
急に、今まで痔だと思ってたけど、ひょっとして直腸ガンだったらどうするんだ?という心配が頭をもたげてきたのである。
心配し始めたら、もう居ても立っても居られない。
即座に痔の治療をしてくれる病院を検索した。
田舎とはいってもそれなりに人口の多い地域なのだが、意外と近いところに肛門科は見つからなかったな。
仕方がないので2.5Kmほど離れた医院を私は選んだ。
調べた感じでは、前もって何か準備する必要はなさそうだった。
とりあえずは予約を入れるだけ。
この日は日曜日だったので、明日朝一番で電話をかけることにした。

翌朝、私は早速予約の電話を入れた。
いつにするかと聞かれたので、私は翌日の夕方を希望した。
その日に予約する事も出来たんだ。
でも、やっぱり行きたくなかったんだな。
一日でも先延ばしにしたくて、翌日にしてしまった。
この判断が後々まで尾を引く事になるとは、この時点の私には知るよしもなかった。



まさかの展開 2018_09_20


翌日、勇気を振り絞って私は病院に向かった。
忘れもしない7月10日の事である。

院内に入ると、もう一見して不自然であった。
受付ブースの中では、受付嬢らしきオバチャンが二人して忙しなく電話をかけていた。
その後ろや通路ではナースらしき女性達数人が立ち話をしており、患者の待合室には誰ひとり居ない。
何かがおかしかった。

初めて来たのにこれでは、否が応でも不安は高まる。
しかし来ちゃった以上、とりあえずは受付に行くしかなかろう。
私が受付嬢に、予約した某です、と告げると驚きの答えが返ってきた。
先生が倒れた、というのである。

火曜日は、予約患者の大腸内視鏡を済ませてから一般外来をやる予定だったそうなのだが、内視鏡をやってるときに先生が倒れてしまったらしいのだ。
担ぎ込まれた救急病院からはまだなにも連絡が来ておらず、病院側もまだ状況が分からないという。
とりあえず今日の診察は無理なので、今日のところはお帰り下さい、詳細が判明次第ご連絡します、との事だった。
私は帰るより他にどうしようもなかったのである。

まさかこんな事が起こるとは。
予約を月曜に入れれば良かった、と後悔する事になった。
なんで翌日にしちゃったんだろ。
何事も先延ばしはダメなんだな。
二日後、病院から電話がかかってきて、代診の先生が来て病院は再開したが、痔はその先生の専門外だから診られない、と言われてしまった。
じゃあ他を当たってみます、と答えて私は電話を切った。
診られないものは仕方ないわな。

これは弱った事になった、と思いつつ、このときの私にはまた別の思いも生まれていたのである。
別に医者に行かなくてもいっか、と。



治ったのかも 2018_09_25


診察を受けられなかった日から2日も過ぎると、私はもうすっかり病院に行く気をなくしていた。
というのも、全然痛くなかったからである。
おそらく座薬のおかげであったろう。
消炎剤やら鎮痛剤やらが入っているし、なにより便が緩くなる。

しかも、この頃から猛暑が始まっていた。
メチャメチャ暑い。
朝の8時で30℃を超えて、お昼あたりから数時間40℃近い温度が続き、20時でも35℃を超える日がずっと続いた。
7月は日が長いから気温が全然落ちないんだ。
とてもじゃないけど病院まで行く気にはならなかったね。
行くにしても少し気温が下がってからにするか、などと思っているうちに時間は過ぎていった。
この猛暑は実に一ヶ月半も続いたのである。
7月頭の大雨以来ずっと雨が降らなかった。

余談だが、今年の猛暑は結果的に多くの人の命を奪う事になるかもしれない。
直接熱中症になるだけでなく、暑いから病院に行かなかった人も多いのではないか。
重病を夏バテだと思い込んだ人もいたかも。
そのせいで病気の発見が遅れ、手遅れになる、なんてケースがいま正に発現しているかもしれない。

それはともかく、7月中に市販の座薬を使い切ってしまってもなお、私は病院に行く気にならなかった。
座薬を使い続けると腸内バランスが狂うらしくて、使うのを止めてからもずっと軟便が続いていたからである。
全然痛くない。
もう治っちゃったのかも、と私は思い始めていた。
この時点では疣痔だと判明していないので、切れ痔が治る事はあり得ると私は都合良く考えたのである。
しかしながら、そうは問屋が卸さない。
徐々にだが確実に、排便の痛みに怯える日は近づいていたのである。



きっかけはニンニクの芽 2018_09_29


8月に入ると便は少しずつ堅さを取り戻していった。
それと共に排便時に引っかかりを感じるようにもなった。
しかし痛くはない。
考えようによっては初期状態に戻っただけであり、それほど私は気にしなかった。
それが変わったのはある食事をしてからの事である。

あれはお盆を過ぎたあたりだったか。
行きつけの台湾料理屋でニンニクの芽の炒め物をしこたま食べた。
ニンニクの芽って食物繊維の塊みたいなものだから、よく噛んで食べたつもりではあったんだよ。
それでも30時間後には太くて固い便が出てしまったのである。
これが痛かった。
メチャクチャ痛かった。
排便後もしばらくジンジンする痛みが続いたのである。

この日を境にして、また排便に恐怖を感じるようになった。
固い便でなくても痛みを感じるようになったからである。
しかも、排便後も痛みが続く。
座っているだけでもなんだか痛い気がするのだ。

やむを得ずまた市販の座薬を買ってきた。
ところが、座薬を使ってもあまり痛みが軽減されない。
前より悪化しているのではないか、と心配になってきた。

そんな折、兄の幼なじみが食道ガンで亡くなった、なんて情報が入ってくる。
私も面識のある人ですよ。
これはイヤな情報だったな。
食道ガンってあまり痛くなくて、食べ物が引っ掛かるような感覚を覚えて医者に行くと手遅れ、みたいな事がよくあるらしい。
まさか私も直腸ガンで、もう手遅れなのでは・・・。
否が応でも恐怖は高まってくる。

死への恐怖に耐えきれず、ついに病院へ行くと決意したのは8月26日、日曜日の事であった。
もう暑いとか遠いとか言ってはいられない。
母も看取ってもらった地元の中核病院に行く。
今度は明日月曜日に行く、と固く心に誓って私は眠りについた。
7月10日に見つけてもらえれば、もう少し長生きできたのに・・・これも運命か・・・、と病床でつぶやく自分を想像しながら。



触診は痛すぎる 2018_10_05


翌朝、私は予定通り病院に向かった。
この病院は大きいだけあって、予約は必要ないが、午前中しか診察してもらえないのである。(午後は予約患者だけ、それもおそらく重病の)
初診受付で書類を受け取り、大腸肛門外科の受付に向かうと、その前に設置された待合室を見て驚く。
もう50人ぐらい座っているのだ。
隣り合わずに座れる場所は既になく、私は立ったまま問診票に記載を済ませた。
一体どれだけ待たされるのかと心配になったが、実は大したことはない。
内科と外科、両方の患者が一カ所に集まっていて、お医者さんは6人いるから、割と早く自分の番が回ってくるのである。
自分の名前が呼ばれると、私は診察室に入った。

担当のお医者さんは五十超えの男性だった。
事前に調べておいたところによれば、大腸肛門科のトップの人である。
まずまず安心感はあった。

医者が倒れて7月に診察を受けられなかった事も含め、これまでの経緯を事細かに私は伝えた。
更に、今日の便に出血は見られなかったが、今までは全く見ていなかった、とも私は告白した。
これが一番の心配事で、怒られるんじゃないかと私は怯えていたのである。
この歳になって他人(ひと)に怒られるのはイヤなんだよ。
しかし、このお医者さんは全く怒る気配を見せなかったな。
この程度の事はよくあるのだろう。
この点に関しては安心した。

一通り問診が終わると、いよいよ触診である。
ベッドに横向きに寝て、膝を抱えるように背を丸めてくれ、と看護婦に指示された。
もちろんズボンは下ろして。
その後、「じゃあ、入れますよ」という担当医の声が聞こえたかと思ったら、何かが肛門の中に入ってきた。
後ろ向いているから分からないのだが、おそらく手袋にワセリンを塗った状態の指が肛門に分け入ってきたのだろう。
横向いた状態だと肛門があまり開かないらしく、かなりぐいぐい割り込んでくる。
そして、その指をグリングリン回すのだ。

これは痛かった。
思わず「イタタタタ」と叫んでしまった。
外まで聞こえたんじゃないかな。
指による陵辱が終わったと思ったら、今度は「次は機械入りますよ」と言う声と共に、何やら指よりは細いものが進入してきた。
見えないのだが、どうもカメラのようなものらしい。
またこれもグリングリン回しながら入ってくる。
指ほどではないにせよ、やっぱり痛かったな。
その後、看護婦さん?が肛門の周りを消毒薬のついたガーゼのようなものでベロンとひと拭いして、触診は終了と相成った。

触診自体はホンの1〜2分だと思われるが、痛くて私はもうなにも考えられなくなっていた。
担当医の「右に進行度2の疣痔が一つ、左に進行度2と3の間ぐらいの疣痔が二つありますね」という言葉に、ガンじゃなくて良かったな、と私は思うだけ。
右にもあるの?とか、3つもあるの?とか、驚くべきところはあったはずなのだが。
続けて「とりあえず、のみ薬と座薬を出しておきますので、様子を見ましょうか」と話すお医者さんの言葉に、私はただうなずくだけだったのである。
だって、座ってても肛門がジンジン痛いんだもん。
このときは、早く帰って座薬を入れたい、荒ぶる肛門を鎮めたい、という一心であった。
後から考えると、このとき質問すべき事があったのだが、なにも質問する事なく私は退室した。



薬で治るのか? 2018_10_10


診察が終了しても、すぐには帰れない。
待合室で処方箋と会計書類が出来上がるのを待つ事になる。
もちろんそこで座っている間にも、肛門はジンジン荒ぶり続けていた。
私は大きな体を小さくして、ただただ耐えるしかなかったのである。

会計を済ませても、まだ帰れない。
病院のすぐ外にある薬局で薬を受け取らなければならないのだ。
この日出された薬は飲み薬が2種類に、座薬が一種類。
飲み薬は便を軟らかくする(かさを増やす)薬と腸の蠕動を促す薬で、直接患部に働くものではない。
患部に直接効果があるのは座薬の方だけである。
2週間分なので、結構な量の薬をもらって私は家路についた。
肛門を刺激しないように、尻を浮かせて自転車を漕ぎながら。

家に戻ると私はすぐに座薬を使った。
しかし、すぐには痛みが治まらない。
落ち着いたのは翌日の事だったかな。

改めてお医者さんの説明を思い出してみると、進行度2と3の間ってのが気に掛かるところであった。
私だってある程度下調べをした上で病院に行ったのだ。
進行度2までは投薬で改善するが、3まで行くと外科手術が必要と書かれた記事を既に読んでいたのである。
進行度2と3の間って薬で治るのか?
治らないなら様子を見ても意味がなかろう。
そこんところをお医者さんに聞くべきだったと後悔した。

しかし、後悔しても仕方がない。
予約は2週間後に入っているのだ。
とりあえずは薬を使って日々をやり過ごすより他になかった。
幸いなことに、三日もすると痛みは完全に引いてしまい、割と穏やかな日々が過ぎていったな。

ただ、一週間もするとお腹が痛くなってきた。
座薬を使い続けると、お腹が痛くなってくるんだよ。
市販薬を使っているときでもそうだった。
痛み止めの成分が入ってるせいなのか、腸内バランスが崩れるせいなのか、よく分からないのだが。
いつまでも薬を使い続けるわけには行かない。
根本的に治してもらわなければ。
私は手術すらも覚悟し始めていた。



スッキリしない結末 2018_10_15

2週間後、私はまた病院に向かった。
今度は予約が入っていたせいか、ほとんど待たされる事なく診察を受ける事が出来た。
しかし、もちろん私はビビっていたのである。
また肛門を陵辱されるのであろう、と。

ところが、お医者さんは触診を行わなかった。
私が痛みは無い旨を伝えると、それ以上は病状に興味を示さなかったのだ。
お医者さんは問診もそこそこに、「またお薬を出すから、様子を見てはいかがですか?」と勧めてきたのであった。
お腹が痛くなったから座薬を使う回数を減らした、という私の申告に対して、座薬から注入軟膏に薬を変更しただけ。(痛み止めの成分が入ってないらしい)
もう次回の予約も必要ないとのこと。

いや、ちょっと待って欲しい、と私は食い下がった。
進行度2と3の間って薬で治るんですか?と問うと、治るとも治らないともハッキリ言ってくれない。
私はもういっそのこと、手術でも何でもしてスッキリしたかったので、手術しましょうか?と言ってもらえるようにいろいろ水を向けてみた。
しかしそれでも、「様子を見てはいかかですか?」の一点張りであった。

推測するに、この程度でいちいち手術していては切りがないのであろう。
疣痔持ちは世の中に一杯いるらしいし、痛くなければ疣痔があっても別に構わないということなのか。
よほど酷くなればまた考えよう、という事のようであった。

結局、この日は4週間分もの薬をもらって帰ってきた。
4週間分も出すって事は、当分来なくていいと医者が思っている証拠であろう。
注入軟膏がかさばるので、ちょっと見た事がないほどの薬の量だった。
家まで持って帰るのも、ちょっと恥ずかしかったよ。
その薬を飲み、あるいは肛門に注入して、私は4週間を過ごしたのである。

薬を使い終えた現在、特に痛みは無い。
病院にも通っていない。
しかし、徐々に便は堅さを取り戻しつつあり、やはり恐怖はある。
また痛くなってくるのではないか、と。
どうにもスッキリしない結末であった。

おわり



<後日談 2018_11_07>
薬が切れて2週間もすると、やはり痛みがぶり返してきた。
仕方がなく、また医者に通う事に。
通ったところで薬をもらうだけなのだが。
今度は8週間分の薬を処方された。
疣痔がすぐに治るはずはないので、ずっと薬を飲み続ける事になりそうだ。


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