ゆめりあ

目を見ること 2003_09_21

 

『ゆめりあ』が終わった。
このギャルゲーについて私が書くべきことを探してみると、どうも一つしかないように思える。
それは目を見ること。
おそらく、それがブラウン管の向こうの世界とプレイヤーをつなぐのだろう。


『ゆめりあ』というゲームは、ナムコがギャルゲーに進出するということで、ちょっと話題になった作品である。
私もそのうちやってみようとは思っていた。
ナムコの決算報告によると、初期出荷は3万3千本だったそうで、そんなにたくさん売れたわけではないようだが。

いつものように内容の説明をするつもりはないのだが、ちょっとだけ書いておくと、深夜にやっているアニメみたいなものだ、ということになるのかもしれない。
深夜アニメをほとんど見たことがないので、想像にすぎないのだが。
モテモテの主人公を中心にして、周りの何人かいる女の子がなんやかんやとドタバタするわけである。
女の子たちに独占欲がなくて、お互いがお互いを思いやっている、すごくソフトな世界なのだ。
ユルユルの甘々。
すごく居心地の良い世界だと思った。
だから全員クリアするところまでプレイできたわけである。
プレイタイムの半分近くを占める戦闘シーンは相当ひどいけど、この際見なかったことにしておこう。

一つ気が付くことあって、それを書いておきたい。
それは、この『ゆめりあ』っていう作品は「ときメモ」なんかとは全然違う、ということ。
自分の中に独自のキャラクターが形成されていくという感覚がなかった。
キャラクターの断片に自分で肉付けをしていく、という要素は全くないのである。
これはブラウン管の向こうにある世界なんだ。

そうすると、このゲームを楽しむためには、ブラウン管の向こうと自分をつないでいかなきゃならない。
自分の中に、この世界はないんだから。
それをなさしめるが「目」だと思った。

このゲームのキャラクターの目は話す人の方を向いている。
首をぶんぶんっと振ったときなどは、目が常にプレイヤーの方向に追従しているのに気が付くはずである。
基本的なゲーム進行は、主人公を扇の要にしてキャラクターが並んでいる状態でのトークになるので、これは非常に重要なファクターだ。
女の子たちの大きくてキラキラ光る目をじっと見ていると、恥ずかしくなってくる。
これはイイなと思った。
こういう木っ端恥ずかしいのイイな。

『ゆめりあ』をやるときは、モニタの正面でキャラの目を見つめてプレイする。
それがこのゲームを楽しむ秘訣なんじゃないか。
どうせやるなら楽しくないとね。





<ところで>
髪の赤いキャラを見ると、メインヒロインのような気がするのは何故なんだろう?
謎なのだ。


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