Ghost of Yōtei_2

似非ヒューマニズム 2025_11_24



それにしてもソニーの大作ゲームは人をたくさん殺すね。
ソニーに限らず、大作洋ゲー全般に言えることかもしれないが。
何かしら得をするからゲームをプレイするのだ、という立場に立てば、殺すことに価値を感じる人が多いのだろう、という結論になる。
しかし、この歳になると人を殺しても全然嬉しくないね。
もうウンザリだよ。
それに、人をたくさん殺すとストーリー上の展開がおかしく感じられるんだ。
命の価値に整合が取れなくなるの。
この『Ghost of Yōtei』も酷かった。

ゲームに関しては特に書きたいことはない。
まずまずよく出来ていて、エンディングまで詰まることなくプレイできた。
私が文句を言いたいのはお話の方。

中盤過ぎあたりになって、姪が出てきたところから嫌な予感はしてたんだよ。
姪という守るべき存在が出来て、主人公の気持ちに変化が出てくるのである。
最終的にちょっとヒューマニズムを織り込んだような展開になるのだ。

しかしさ、お前めっちゃ殺してきたやん。
そんな言い分、許されるの?って私は思うね。
おっとうとおっかあを殺されたと言うけど、お前が殺してきた雑魚にも家族はおるはずなんやで!っていう話ですよ。
あまつさえ、そのまま姪と蝦夷地で暮らそうとか正気じゃない。
お前に復讐しようとしてる雑魚の家族がいっぱい、そこら中にいるだろ。
アホかよ、と私は突っ込まずにはいられないのである。

こんなに人を殺しておいて、ストーリーの中核にヒューマニズムを入れようという魂胆が私は許せないよ。
人をバンバン殺すなら、もっとドライな世界にしないとね。
そうじゃないと整合が取れないでしょ。


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