かつて私は疑いをかけた。 『加奈〜いもうと〜』を書いた山田一氏の才能に。 一本だけでは才能を証明したことにはならない。 複数本書いてこそ本物の証だ。 だが、彼はいま見事なまでにその才能を証明して見せたのである。 その作品は『家族計画』。 特筆すべきその構想力は、私の知る限り他を圧倒していた。 『家族計画』は、住処のない者共が疑似家族を構成することによって奏でるホームコメディを基調としたエロゲーである。 私はそのテキストを読みながら、さすがだと思う反面、「ああ、割り切っちゃったんですね」という印象を持つことになった。 非常に良くある手法だったのである。 画面効果を計算に入れてテキストを書く。 エロゲーの世界では、というか、ゲームの世界では当たり前の話である。 『家族計画』はコメディということもあって、テンポアップが要求されるので尚更それは必要であった。 結果として描写が弱くなる。 寺内貫太郎一家的な親子ゲンカシーンなんかは、その最たるものである。 だが、『加奈〜いもうと〜』はそうではないだろう。 あれの絵は後づけのはずだ。 テキストだけ切り離しても十分通用する文面になっている。 そもそもゲーム自体、画面全体に字が表示されるタイプで、絵はあまり情報を持っていないのだ。 結局『家族計画』をプレイし終えても、私の印象は変わらなかった。 これは全く私の想像にすぎないが、山田一氏はどうも吹っ切ったように思える。 エロゲーの物書きとして、少なくとも、ディスプレイ上の物書きとして生きていくことに対する迷いを。 それは私にとって大変喜ばしいことである。 しかし一方では大変残念なことでもある。 彼の才能を留め置くには、このステージは狭すぎるのだ。 私は彼をエロゲーの呪縛から解き放ってあげたい。 <言い訳> 私は山田一氏がどんなコメントを出しているか全く知りません。 よって上に書いてあることは、私の印象に過ぎませんので、あしからず。 これを書いて良いのかどうか結構迷って、『加奈〜いもうと〜』を読み直したりもしたんですが、結果としては自分の直感を信じました。 |