Wii Music

Wii Musicの憂鬱 2008_10_01

 

『Wii Music』の発売日が近づいてきた。
一応どんなゲームなのかを知る必要があるので予約はした。
しかし、『Wii Music』を面白く感じるかどうか、私はとても心配している。
どんなゲームか知らないのに書いていいのかとも思うのだが、やはり先に書いておいた方がいいであろう。
いいわけは機先を制した方がいい。
ただし、このいいわけを書くためには、『Wii Music』以外のところからはじめる必要がある。
『ギターヒーロー3』の話からこの文章は始まるのである。


私はこのところ、ずっと『ギターヒーロー3』で遊んでいる。
実をいうと、今年一番長い時間遊んでいるのは『ギターヒーロー3』なのである。
止めようと思っていたのだが、なかなか止められない。
特別やり込もうと思っているわけではないのに。
ノーマルレベルでただ何気なくプレイしているだけなのである。
しかし、これが気持ちいい。
なにせ1970年ぐらいからのヒットソングをこれでもかというぐらい詰め込んであるから、聞いているだけでも気持ちいいのである。
曲数が多いからなかなか飽きないな。
プレイしていたら、どの曲も凄くいい曲のような気がしてきた。

ところで、この『ギターヒーロー3』は非常に操作が難しい。
操作がギターを弾く動作に近いため、左指の使い方などは慣れていない人には極めて困難であろう。
私も相当苦労したし、今も思うようには指を動かすことができない。
難しいということは、それを乗り越えることによって大きな喜びを得られるであろうと期待はできる。

しかし一方でこれは非難されうるゲームでもある。
なぜならば、自分のプレイが演奏に厳密には反映されないからである。
はじめからパーフェクトの演奏が録音されていて、ある範囲のタイミングで入力するとその音が出てくるだけなのだ。
プレイヤーの耳から入ってくる音を気持ちいいものにすると、プレイヤーのクリエイティビティが落ちる。
要するにトレードオフなのだ。
そこは作り手の判断として、とにかく原曲であるところの気持ちいい音が耳から入ってくることが優先されているわけである。
その判断を私は正しいと思うし、それは海外での売上が証明しているだろう。

ただし、褒めやすいゲームかいうと、褒めやすくはない。
乗り越える負荷に対して喜びの増幅度が大きいタイプのゲームなのだ。(乗り越える負荷が大きくて、かつ増幅率が大きいんだから尚更素晴らしいとも言えるけど)
硬派なゲーマーの立場でいうと、増幅率は小さいのに喜びの総量が大きいゲームの方が褒めやすい。
増幅率が小さいということは、それだけ喜びに対してプレイヤーの寄与分が大きいからである。

ここで、『Wii Music』にも同様の考え方を当てはめてみよう。
今私が知っている情報によると、演奏する負荷は凄く小さいようである。
自分の好きなタイミングでリモコンを振るだけでいいらしい。
おそらくバイオリン玩具の『evio』に近い感覚だろう。
これは乗り越える負荷が小さいことを意味しているが、同時に同一性の高さからある程度の喜びの増幅率を伴っているだろうとも予測できる。
一方で耳から入ってくる音はそれほど期待できない。
そもそも自分な好きな曲が入っているわけでもないし、自分のへたくそな演奏が耳から入ってきてもさほど喜びは増幅されないだろう。
しかし、クリエイティビティは発揮できるゲームである。
このゲームを面白いと感じたならば、それは自分の創造性による部分が大きいと予想できる。

とすると、これは褒めないわけにはいかないよな。
だって、面白くないと書くと、それは即ち自分にクリエイティビティがないのだと主張していることに他ならないのだから。
でも、そんなこと書きたくないでしょ。
つまりこのゲームは、書くならば褒めるしかないのである。
私は自分に音楽の才能が欠片もないことをよく知っているので、おそらくこのゲームをプレイしても面白く感じないだろう。
私がこれほど長々と書いてきたのは要するに、これは困った、という話である。

もう買う前から憂鬱になってしまった。
発売日来るなよ。
エポックメイキングな作品なので買わないわけにはいかないけど、私はこのゲームについて何も書けないかもしれないのだ。
何も書かなかったら、そのときは察していただきたいものである。


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