ファイナルファンタジー]

どっちでもいい  2001_11_23

 

「夢でも夢でなくてもどっちでもいいんだ!」
と、『ファイナルファンタジー]』の主人公HIV(ティーダ)は言った。(正確なセリフではない)
私にはその言葉に大変素晴らしい示唆が込められているように思えた。
正直、ゲームがここまでの言葉を語れるようになるとは思いも寄らなかった。
驚愕である。

私達は中国の有名な詩人の詩を習ったはずである。
残念なことに誰だったか覚えていないし、正確な内容も覚えていない。
調べてもいいのだが、適当に書いちゃうと、こんな様な詩だったと思う。
「昼寝をしていて蝶になった夢を見た。
 蝶になって骸骨の周りを飛んだ。
 しかし、本当に私が夢の中で蝶になったのか?
 ひょっとしたら、蝶が見ている夢が私なのではないか?」
人間というのは、大昔から悩める生き物だったようである。

しかし、デジタル社会に生まれた私なんかになると、ちょっと考えることが違う。
私は、自分もこの世界も実はコンピューターのシミュレーションなんじゃないか、と思ったりするわけである。
自然物理の法則が「自然」に成り立っている、なんて誰に言い切れよう。
何者かのコンピューターみたいなものの中で、世界を創ってシミュレーションしていたとしても、不思議でもなんでもないのである。(そういう意味では神がいたとしても不思議ではない)
私達の世界は実にあやふやなものなのだ。
そしてそれは、どっちでもいいことである。
この世界がシミュレーションの中であろうとなかろうと。
私達は今こうして生きているのである。
たとえ今この瞬間にコンピューターの電源が抜かれんとしていたとしても、私達は次の瞬間を生きるつもりで今を生きるのである。

果たして主人公の言葉はシナリオライターの意図したものか、そうではないのか。
それは定かでないが、これもまた、どちらでもいいことである。
その言葉を受け取るのは、誰あらん私なのだから。


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