なんだか分からないが凄い安心感だ。 どっかの保険のCMを思い出してしまう。 絶対シュートは入らない。 いや、CMの話じゃなかった。 『NINJA GAIDEN Σ2』の話。 これは絶対にクリア出来そうな気がする。 「これ無理じゃね?」みたいな感覚は一度もなかったし、この先倒せない敵が出てくるとも思えなかった。 最後の最後まで。 この安心感は一体何なのか? なんだか影の薄い作品だったな、『NINJA GAIDEN Σ2』は。 360版のスクリーンショットが公開されたときはそれなりに話題になったのだが、PS3版の頃にはもはや旬も過ぎていたようである。 残虐表現が控えめになってるせいもあるかもしれない。 開発者がやらかしたセクハラとか裁判沙汰の方がよっぽど印象に残ってる。 そのうちやろうと思っていたのに、すっかり忘れていたゲームのひとつだった。 やってみたら、よくあるアクションゲームの一つに過ぎない、という印象だった。 安心感はあるから、最後までプレイは出来るんだけど。 それがどうしてなのかを私はこのところ考えていた。 よくある、んだから、もうちょっと一般的に拡張して考えた方が良いのかもしれない。 おそらく・・・、ゲームが3Dになったり、映像が派手になったことで、逆にゲームに対する理解が深まりにくくなっているんじゃないかな。 敵の攻撃モーションがよくわからなかったり、複数の敵が画面の中に収まりきっていなかったり、自分が攻撃したあといつまで硬化時間が続くのか見当がつかなかったりすることが往々にしてある。 要するにゲームのルールが見えにくくなっているのだ。 で多くの場合、プレイヤーはメンド臭いから、それを理解すべく努力はしない。 創り手もプレイヤーは努力しないだろうと思っている。 だから、ある程度プレイヤーは攻撃を受ける、という前提でバランス取りをすることになるんだろう。 この時点でどのぐらいのライフが残っていて、回復アイテムはこれぐらい持っているだろう、と推定すれば、自ずと与えても構わないダメージ量が逆算出来ちゃうんじゃないか。 だったら、それ以上削らなければいい。 だから、普通にやってりゃ、絶対死なない。 とても安心だ。 でも、本来はゲームに対する理解を深められるように誘導してやらないといけないよな。 たぶん日本向けに難易度少し落としてきてると思うけど、難易度を落とさなくても理解を深めさせることにより、相対的に難易度は下がるだろう。 例えば『ヘブンリーソード』なんかだと、敵は攻撃するとき光る。 しかもガード可の場合と不可の場合で色が違う。 色だけ見てれば良いんだよ、って教えてやれば、少々難しくたって何とかするよ、プレイヤーは。 もちろん、色変えるだけが解決策じゃない。 初見では技の出始めにスローをかけてあげるとか、攻撃する前にわかりやすい予備動作をつけるとか、そりゃ色々あるでしょ。 こうしたら、こうなりますよって教えてあげないと。 創り手はもうちょっとプレイヤーに理解を深めさせる努力をすべきなんじゃないか。 理解を深めさせる努力をしないで難易度を下げるだけってんじゃ、単なる手抜きといわれても仕方ない。 乗り越える壁はある程度高くないとな。 例えば、実際に目の前にある壁を乗り越えるときのことを考えてみようよ。 すごーく高いけど、段差があって、足をかければ登れるようになってる壁を。 てっぺんまで行って反対側へ飛び降り、振り返るとそこに高い壁があったら、「うわ、こんなに高い壁乗り越えたのか」って感動するじゃない。 初めから跨いで越せるような壁よりは、ずっと。 だから足場を作ってやるのが創り手の仕事なんじゃないか。 そこにお金払ってるわけでしょ。 FFみたいな立ち位置のゲームなら、安心感は大いに結構。 そうあるべき。 でも、「NINJA GAIDEN」なんかはおそらく違うんじゃないかな。 |