押忍!闘え!応援団_7

苦手な話2 2005_08_23

 

どうにも『パワプロ12』が進まない。
ついつい『押忍!闘え!応援団』に手が伸びてしまうのだ。
これはいままで私が書いてきた、やり込んだゲームは楽だ、的な感覚とは少し違うような気がしている。
このことを説明するためには、また苦手な領域に立ち入らなければならない。

私はプレイした当初、『押忍!闘え!応援団』の素晴らしさは応援団の負荷をリズムゲームに置き換えた着眼にあるんだろう、と思っていた。
だって、感動できるんだもん。
最終ステージなんかは、「フレーフレー地球!!」のところで、何回やっても涙が溢れてきた。

ところが、この「何回やっても」というのには嘘が含まれている。
50回ぐらいまでは確かにジワッと来る。
だが、100回200回やってるとさすがにジワッとも来なくなるのだ。
人間は感動することにすら慣れる。
つまりこのゲームが応援団であることの喜びは、時間と共に減少してくるのである。
だから、このままでは自分がプレイし続けていることを説明できない。
出来ないからには何か理由を付けなければ。

このゲームには、心地いいな、という感覚がある。
理解度が上がることによってラクになるだけじゃない。
おそらくそれが私がプレイし続けている理由であり、その原因は音楽にあるだろう。

これは応援団であることを活かしたとも言えるんけど、このゲームの入力音は一定ではない。
笛と太鼓とシンバル(?)の組み合わせになっていて、プレイヤーはただポイントをタイミング良くタッチしていくだけなのに、アンサンブルみたいになっているんだな。
この・・・なんて言う単語を使ったらいいのか、編曲というのか、アレンジメントというのか、その手のたぐいの言葉で表現される行為が旨いんじゃないか。
応援した際に表現される曲の出来がイイから、何回でもプレイしたくなるだろう、と私は思い直しはじめている。
うまく応援すると曲としても気持ちいいんだ。
その他のリズムゲームにおける標準的なレベルを私は知らないし、評価する能力もないので、『押忍!闘え!応援団』だけが特別素晴らしいのかどうかはよくわらないのだが。

ただ、曲がイイ、なんてのは個人的な感覚の問題で、ゲームの構成がどうのこうのっていうのとはわけが違う。
この話で読む人を納得させられるのかは私も自信がないところである。
実際私も「狙い撃ち」とか「ガッツだぜ」とか、あんまりやりたいと思わないしね。
結局好き嫌いの話になっちゃうんだろうな。



<追加 2005_08_26>
「押忍!」とかストーリー中の効果音とかも、もはや曲の一部になってるような気がするな。
「押忍!」の入るタイミング大好き。


<後日談 2005_09_11>
ごめん、嘘ついた。
少し時間を空けてプレイすると、やっぱジワッと来るわ。



戻る