ボイド・テラリウム、NS版

なんのために潜るのか 2020_02_13

 

ローグライクなゲームって、やればやったで面白い。
おそらく既にお手本がイッパイあるからだろう。
極端な話、そこそこなものなら誰でも作れるはず。
実際に私が経験した中でも、作りの安いギャルゲーなのに、まあまあ遊べたやつもあった。
反面、新しいローグライクなゲームをやる意味は無いとも言える。
今までやってきたモノと大して変わらないわけだから。
それこそ名作の呼び声高い『女剣士アスカ見参!』でもやり続ければいいわけです、やりたければ。
にもかかわらず、敢えて新しいゲームをやるというのであれば、そこには何か目的が必要だろう。
ポケモンの世界を救うのか、エロ画像を見たいのか、何かしらの目的がね。

そういう意味では、俄然やる気になる設定だった、『ボイド・テラリウム』は。
突如自我に目覚めたロボットが、汚染の進んだ世界で人類最後の少女を生き延びさせる、という設定がいいじゃない。
なにもやりたいゲームがない現状で、これならやってもいいかな、と思えた。
いかにも安い作りではあるものの、ローグライクであれば、そこそこ遊べるであろうと期待は出来るし。

やってみたら、やはりそこそこは遊べる。
ローグライクとして出来が凄くいいかどうかは、私には判定できない。
もうホントにそこそこ遊べるというだけ。
特徴的なのは、死ぬと自分自身がスクラップ扱いになって、リサイクルシステムによってキャンプまで戻されること。
アイテム類は全て持ったまま。
だから、死んでもイイ、というか死ぬことが予定されているところが特徴的。
それによって、最近のよくあるローグライクなゲームよりはきつめのバランス取りになっている。
私が下手なだけかもしれないが、割と歯ごたえはあった。
序盤が一番キツくて、リセットされないオプションを積み重ねることによって、徐々に楽になっていくのも好感触だったな。
やればいつかはクリア出来るであろうと思えるから。

それでも結局のところは、トリコと名付けられた少女を守るという目的が全てだったとは思う。
すぐにお腹を減らすし、糞はまき散らすし、しょっちゅう病気にはかかるし、手間がかかってしょうがない。
でもそれが生きがい。
自分はなんの目的もないロボットに過ぎないわけだから。
唯一語り合えるファクトリーAIとの共通の目的でもあるわけだし。

これは設定の勝利だよ。
値段の割に見るからに安っぽいこのゲームを最後までやり遂げられた理由は、そこ以外に見出せない。
リセットを使わなければ、難易度は結構高いと思うのだが、それでもやったもんね、エンディングを2つ見るまで。
今回のプレイで、ローグライクなゲームは何のために潜るのか、という一点に尽きると確信できたな。


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