アンドロイドや人工知能を扱った創作物が世の中に溢れている。 ホントにもう飽き飽きするぐらい。 しかし、現実世界にはまだ人間と同じように考えられるアンドロイドの類いは存在しないわけで、そこにある問題意識は大抵人間についてのものである。 だから、「=人間」で考えれば、ストーリーを理解するのは難しくない。 ただし、そう割り切って考えてしまうと、物語の振り幅は小さくなってしまうよね。 どれほど複雑な舞台設定を持ち込もうが、「=人間」と考えれば、結論は自ずと決まってくるから。 『ニーア オートマタ』の一周目の中盤あたりで、これを納得のいく結末にするのは難しいだろうな、と私は思った。 しかし、最終的にはそれなりに納得したのである。 どうして納得できたのか、ということについてこれから書きたい。 当然、あれもこれも書いてしまうので、これからプレイするつもりのある方は読み進めないで下さい。 この『ニーア オートマタ』は最低3周やらないとトゥルーエンドに到達できない。 厳密に言うと、毎回内容が違うので「周」ではないし、チャプターセレクトを使ってもう一回エンディングを見なければならないのだが。 しかし、一周目の中盤あたりに、今後の展開が予想できる重要なイベントが設定されていた。 人類を月へ追いやったはずの宇宙人が既に全滅していたと判明するのである。 この段階で、人類も既に滅亡している、と予想できた。 そうじゃないと話が成立しないからな。 思い返してみると、やたらと「人類のために」を強調していたのが不自然だったし。 となると、主のいないアンドロイドと機械生命体が戦っているわけで、どう足掻いても不毛な結末になることは想像に難くなかった。 それでいて、結論はまあ大体決まってるんだよ。 アンドロイドだろうが、機械生命体だろうが、生きているなら生き続けねばならないだろう。 この予想から大きく外れるとおそらく納得いかない結末になるだろうし、予想通りだとつまらないし、これはラストが難しいお話だな、というのが、この段階での私の感想であった。 その後どんどんプレイを進めていくと、まあ、悲しい結末を向かえることになる。 人間の弱さや愚かさをアンドロイドや機械生命体に託して描いていった。 一見救いがないかのように見せて、最後の最後に少しだけ希望を残したあたりは悪くなかったな。 人間いきなり正解は選べない。 我々は愚かな人類の歴史を知っているけれども、知らなければ、あるいは忘れてしまえば、また同じ過ちを犯しても不思議じゃないからね。 いきなり許し合えたら、それはそれで説得力がないだろう。 それ以上に3周目の意外感も良かった。 このゲームは操作キャラが変わるので、プレイヤーとの同一性がないように思わされてたんだ。 ところが、実はいつも主人公の近くで浮遊している支援ロボがプレイヤー視点だったってのは見落としてたな。 それに気付いていなかったせいで、最後に納得できてしまったところはある。 彼らの選択が私の選択だとすれば納得せざるを得ないね。 あれで私はこの『ニーア オートマタ』を認めることが出来た。 |