もっと意外な事を喋れよ、と私はいつも思う。 読むだけとはいえ、こっちもゲームをしているわけだから、次に何が来るのか予想しながら読んでいるわけです。 予想通りのものが来たら面白くないじゃん。 かといって、まるで納得できない話をされても困る。 気むずかしいもんです。 こちとら創作物に対して、もう擦れっ枯らしになってますからね。 そんな私が、これは凄いと思ったのが『undertale』。 通常エンドの後、もう一回最初からやり直してトゥルーエンドに辿り着けず、ラスト直前から必須イベントをこなしに戻って、ようやく終わった。 ここまでやったんだから、もちろん面白かったのである。 エンディングの余韻に浸りながら、このゲームの何が素晴らしかったのか、を私は考えていた。 『undertale』はかなり有名なゲームらしいので、内容の説明はしない。 なんといってもテキストが面白かった。 というのも、登場するキャラクター達は私の想像してない事を喋るのである。 これは新鮮だったな。 その理由を考えると、彼らが自分の喋りたい事を喋っているのだと気付く。 ストーリー進行上、プレイヤーに対して与えたい情報を喋るんですよ、普通のNPCは。 でもそうじゃないんだ。 私が知りたい事ではなく、彼らが喋りたい事を喋る。 ある意味ちょっと、昔の須田剛一っぽい感じもしたな、ベクトルは真逆だが。 それでいながら、喋る事それぞれはまあまあ分かるんだな、これが。 一見ぶっ飛んでいるようで、実はそうでもない。 なるほど、と私には思えた。 外人さんが創ったとは思えないほどセンスが日本人っぽい・・・というか、日本のサブカルチャーに対する造詣が深いのだろうという印象はあったな。 翻訳が上手いのかもしれないが。 そして、そこに拙いけれども味のあるドット絵と何を演出したいのか分かりやすいBGMが加わる事で、こっち側の想像力が刺激されちゃうんだ。 もの凄く心を揺さぶられた。 久々に最後、泣けたなあ。 このキャラクター達に接したら、どうしたって彼らを生かしてやらなきゃならないという気持ちになるよ。 誰ひとり殺しちゃいけないというのも腑に落ちた。 人間より弱くて且つ気のいいモンスター達を殺して脱出するわけにはいかないからね。 ゲームの狙いとキャラクターが合致しているんだ。 これを個人レベルで創ったってのはちょっと信じられないぐらい。 だってSFC時代だって、これほどの作品を創れたメーカーはいなかったわけだからね、私が知る限り。 個人の割に頑張った、とかいうレベルの話じゃない。 相対的に素晴らしいのではなく、絶対的に素晴らしいんだよ。 このゲームはいつやっても色あせる事がないはず。 これはやっておいて良かった。 <訂正 2018_02_12> そういえば、『OPUS-地球計画』の時も泣けたか。 「久々に最後、泣けたなあ。」の件は嘘だな。 |