マジカルバケーション_2

かなり悟っている 2001_01_01

 

「私はかなり悟っている」
などと口に出す輩は、絶対に悟っていない。
悟ってしまうと、悟っているということ自体に意味がなくなるからである。

しかし、「かなり悟っている」様な文章を書くことは何故か楽しいものである。
偉くなったような気がするからだろうか?
少なくとも私は大好きなのだ。

私は『マジカルバケーション』のテキストに打ちのめされていた。
マジでパンチが効いたテキストだったのである。
特に村の住人の話がやたらと面白くて、全員一人残さず話を聞いた。(見つけてないのがいるかもしれないが)
村人に話を聞くのがこんなに面白かったのは、いつ以来なのか、ちょっと記憶にない。
このHPに書き始めてからは初めてのことではないだろうか。

文章のパンチが効いている、というのはGBAの表示画面が狭い事と関連がある。
『逆転裁判』なんかもパンチが効いた文章だった。
読みにくいから長い文章は厳禁なのであろう、GBAでは。

短いセリフで15人ものキャラを立たせていく。
村人の短いセリフでゲームの世界を説明させていく。
この行為が逆にプレイヤーの中の言葉のイメージと結びついて、物語をプレイヤー一人一人のものに変えていくのだ。
この『マジカルバケーション』というゲームには、いろいろな感情が込められているが、そのどの部分を引き出していくかはプレイヤーの感じ方次第であると私は思った。

ちなみに私は「かなり悟っている」と語る壺に出会ったとき、自分のことをいわれているような気がして、かなりショックを受けたりした。
また、「壺の中の空間は私ではないけれど、その空間がなければ壺ではないから、やっぱり壺の中身も私なのかしら」などと語る壺の言葉に真実を感じた。
それはもちろん私の物語である。

GBAの小さな画面の中にでも、私の世界を作ることが出来る。
むしろ現状ではGBAだからこそなのかもしれない。
私はGBAに惹かれていく自分に気づかずにはいられないのである。

ああ、素晴らしきかなゲームボーイアドバンス!
いま君がナンバーワン!


戻る