「私はかなり悟っている」 などと口に出す輩は、絶対に悟っていない。 悟ってしまうと、悟っているということ自体に意味がなくなるからである。 しかし、「かなり悟っている」様な文章を書くことは何故か楽しいものである。 偉くなったような気がするからだろうか? 少なくとも私は大好きなのだ。 私は『マジカルバケーション』のテキストに打ちのめされていた。 マジでパンチが効いたテキストだったのである。 特に村の住人の話がやたらと面白くて、全員一人残さず話を聞いた。(見つけてないのがいるかもしれないが) 村人に話を聞くのがこんなに面白かったのは、いつ以来なのか、ちょっと記憶にない。 このHPに書き始めてからは初めてのことではないだろうか。 文章のパンチが効いている、というのはGBAの表示画面が狭い事と関連がある。 『逆転裁判』なんかもパンチが効いた文章だった。 読みにくいから長い文章は厳禁なのであろう、GBAでは。 短いセリフで15人ものキャラを立たせていく。 村人の短いセリフでゲームの世界を説明させていく。 この行為が逆にプレイヤーの中の言葉のイメージと結びついて、物語をプレイヤー一人一人のものに変えていくのだ。 この『マジカルバケーション』というゲームには、いろいろな感情が込められているが、そのどの部分を引き出していくかはプレイヤーの感じ方次第であると私は思った。 ちなみに私は「かなり悟っている」と語る壺に出会ったとき、自分のことをいわれているような気がして、かなりショックを受けたりした。 また、「壺の中の空間は私ではないけれど、その空間がなければ壺ではないから、やっぱり壺の中身も私なのかしら」などと語る壺の言葉に真実を感じた。 それはもちろん私の物語である。 GBAの小さな画面の中にでも、私の世界を作ることが出来る。 むしろ現状ではGBAだからこそなのかもしれない。 私はGBAに惹かれていく自分に気づかずにはいられないのである。 ああ、素晴らしきかなゲームボーイアドバンス! いま君がナンバーワン! |