昔、『シェンムー』にQTEシステムってのがあった。 といっても、別にセガが開発したわけでも何でもなく、元を正せば『タイムギャル』に代表されるLDゲームが元祖だと思われる。 はじめからムービーを用意しておいて、入力に応じて出力映像を変えていく手法。 あれ、大昔はあこがれの対象だったんだよね。 テレビクオリティのアニメーションがゲームで出力されるなんて、当時はちょっと考えられなかった。 おまけに高かったしな。 私の周りじゃ誰も持ってなかったよ。 8ビットパソコンはクラスに一人や二人必ず持ってるヤツがいたけど、MSX+LDを持ってるヤツはいなかった。 でも、それって30年前の話だからね。 『シェンムー』の頃ですら手法として間違っていたと思われるのに、未だに似たようなことやってるゲームが存在することがむしろ不思議だと言うべきかもしれない。 今時ムービー見てもうれしくないのに・・・。 実際QTEって、あんまり評判良くないんだよね、少なくともネット上では。 日本のゲームが停滞しているうちに、気がつけばいつの間にか、ごまかしの技術でもずいぶん差をつけられちゃった。 そんな思いを抱かせずにはおかないのが『アンチャーテッド -砂漠に眠るアトランティス-』だった。 プレイしてみて、気づかないわけにはいかなかった。 中間があるんだよね、QTEとアクションの。 日本のゲームってムービー、QTE、アクションに分かれていて、QTEとアクションの間が無いの。 ところが、『砂漠に眠るアトランティス』なんかだと、QTE寄りなんだけどプレイヤーの入力余地を広めにとってプレイしてる感を高めるシーンとか、アクション寄りなんだけど、さりげなく行動範囲を狭めて美しいシーンを演出して見せたりするんだよね。 QTEとアクションの中間があるの。 それも、QTEとアクションの間を連続的に行きつ戻りつしながら物語が進むようになっている。 それはつまり、プレイヤーの自分でプレイしている感から得られる満足と映像的満足が最大になるようにその都度調整してるってことだ。 すごく手間がかかってる。 さらに必ずしもゲームを重視してないところもうまい。 QTEで入力に失敗して、同じシーンを何回も見させられるのとか、いい加減にしてほしい、っていうプレイヤーの気持ちもよくわかっている。 なまじっかゲームを入れようとしてプレイヤーの不興を買うことってよくあるんだ。 ボタン押しのタイミングにゲームを入れないで、行為の同一性を重視したシーンも多く見られた。 あらゆる意味において、ごまかしのテクニックとしてはかなり先に進んでいる印象だな。 たまたま『FF13-2』をやり始めたら、未だにQTEみたいなことをやっていて驚いた。 演出としてはやや「アンチャーテッド」的な手法を取り入れてはいる。 ただ、程度としてはだいぶ下だな。 シーンは分岐するんだけど、ワンシーンの中でのプレイヤーに対する許容幅がきわめて小さいし、ゼロではないがシンクロや同一性の観点も弱い。 きっちり絵を創りたいからこうなるのかな。 日本のごまかし技術の総本山というべきスクウェアエニックスのFF最新作がこれでは、日本のゲームの未来に不安は感じる。 まあ、所詮ごまかしだから、どうでもいいといえば、どうでもいいんだけど。 <後日談 2012_01_08> 『FF13-2』を最後の方まで進めていったら、プレイヤーの入力を許しながら映像を作る意識がかなりあることに気づかされた。 RPGという形態をとっている割にはむしろ良くやっている方か、と考え直した。 周回遅れではあるけれども、そんなに悪くはないな。 |