ドラゴンクエスト8 空と海と大地と呪われし姫君

もっとゲームすれ 2005_03_07-08

 

私はファミコン全盛期を知らない。
当時パソコンゲーマーだった、私は。
だから「ドラクエ」などといわれても、特別の感慨はない。
これは余計な話だが、当時のパソコンゲーマーの感覚だと、「ドラクエ」なんて「ウルティマ」のバッタもんでしょ?みたいな感じだった。
当時のパソコンゲーマーには妙な優越感があったのである。
まあ、今でもビデオカード2枚差しで洋ゲーやってるような人たちは同じかもしれないな。

それはともかく、私がプレイしたことがあるのはSFC時代の『5』のみなのである。
『7』は45分で挫折したので、プレイしたうちに入らないだろう。
今回、ちょっとだけスケジュールに余裕が出来て『ドラゴンクエスト8 空と海と大地と呪われし姫君』をプレイし始めたんだけど、ファミコン全盛期を知らない人間の疎外感みたいなものを私は味わっている。

『8』をプレイし始めて驚いた。
単位時間あたりの喜び量が小さい。
私の知っている今時のゲームと『8』は全く違っていた。
こんなのはあり得ない。
最初のダンジョンを終えるまでに2時間かかるなんてあり得ないのだ。

いきなり導入のイベントもそこそこに、広〜い街の中を探索させられてゲンナリ。
その後、最初のダンジョンに向かうわけだが、明らかに経験値稼ぎしないとクリアできないバランス取りになっている。
ところが、キャラは「じゅもん」も「とくぎ」も習得していないので、外でモンスターとエンカウントして、「こうげき」して体力が減ったら街に戻る、を繰り返すしかない。
喜び密度、メチャ薄っ!

この段階ではプレイヤーの出来ることは限られているので、創り手としてはプレイヤーの状況を100%把握できているはずである。
だから、これは敢えてやっているんだな。
この状況を改善することは非常にたやすいことのはずだ。

私の感覚でいうと、こんなのは今時あり得ない。
今回は多少なりともお金を出しているから我慢したけど、『7』の時みたいに借りてたら絶対投げ出していたと思う。
ところが、どうも大半のプレイヤーはこれを受け入れているらしい。
おそらく「ドラクエはこういうもんだ」という合意があるんだろう、創り手と遊び手の間に。
で、普通のゲームだったら改善するところを敢えて改善しない。(「改善」ではない、と主張する人がいるかもしれないが)
この「ドラクエはこういうもんだ」という気分の共有感が気持ちいいんじゃないか。
しかし、私はそんな気分は共有できないんだ。
だから私は阻害されているような気がするのである。

別に「ドラクエ」をプレイするな、というつもりはない。
序盤のつまらないゲームを創るな、とも言わない。
大いに結構。
「ドラクエ」やるがいいさ。
だが、そのかわり、他のゲームもやれ!と私は言いたい。
これが出来るんだったら、大概のゲームは出来るぜ。
世の中には他に面白いゲームがいっぱいある。
もっとゲームすれ。



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