主人公は絶対に喋らない、というポリシーを持ったゲームは今でも存在する。 プレイヤー=主人公という建前は崩せない、と考えるクリエイターも多いのだろう。 しかし、主人公が喋らないのであれば、誰かが喋らなければならない。 だって、いまどういう状況なのか、次に何をするのか、をプレイヤーに説明する必要があるから。 仲間がいれば大抵は仲間が喋るだろう。 ドラクエ9なんかだと、仲間すら喋らないから、コギャル妖精が必要だったわけである。 ところで、『いろづきチンクルの恋のバルーントリップ』がようやく終わった。 相変わらず酷く時間のかかるゲームだったな。 一応、一人だけハッピーエンドを観て、もういいかと思っているところである。 エンディングのキャラを入れ替えたところで、それほど嬉しくないだろう。 このゲームの主人公チンクルは、基本的には喋らない。 奇声を上げたり、表情を変えたりはするけど。 当然喋らないので、代わりに仲間が喋る事になる。 仲間が脇役だからこそ喋るわけだ。 しかし、真の主役はこいつ等じゃないか、と私は思っている。 ゲーム中盤ぐらいから、このゲームの主役はチンクルではないような気が私はしていた。 エンディングまでやってもこの印象は変わらない。 チンクルは割とどうでもいいな。 絵面が気持ち悪いだけで、キャラはよく分からない。 核である「色づき」の部分も、単なる時間稼ぎに使われているだけのように思える。 女の子の攻略とか、結局お金を稼がせるために存在するだけなんだよ。 その意味では「ルッピーランド」と共通するところはある。 このゲームで私が一番気に入ったのはその仲間たち。 わらっ子とブリキとライオン。 この3人は謎解きをする上で動詞の役割を果たすアイコンでもある。 あいつ等が私にとってはこのゲームの全てだった。 基本的に3人とも純真なキャラである。 子供のわらっ子はアホの純真さを、高性能なブリキは創られたばかりの純真さを、怪力をもつライオンは自分の力を信じない純真さを持っている。 一見ふざけた世界観でありながら、このキャラ達は意外と活きるな。 やることにいちいち可笑しさがありながら、それでいて驚くほど誠実に問題を解決していく。 この3人、私は大好き。 最後なんか不覚にもちょっと涙でちゃったもんな。 結局こいつらがこの話の中心になっているのではないか。 マップを移動したり、ページ(時間)を移動したり、お金を稼いだりで、時間ばっかり使わされて、なんだかこのゲームのおもしろさを書く気にはならないのだが、何とかあの3人の話だけは書いておきたい。 そんな気にさせるキャラ達だった。 |