いろづきチンクルの恋のバルーントリップ

真の主役は 2009_09_15

 

主人公は絶対に喋らない、というポリシーを持ったゲームは今でも存在する。
プレイヤー=主人公という建前は崩せない、と考えるクリエイターも多いのだろう。
しかし、主人公が喋らないのであれば、誰かが喋らなければならない。
だって、いまどういう状況なのか、次に何をするのか、をプレイヤーに説明する必要があるから。
仲間がいれば大抵は仲間が喋るだろう。
ドラクエ9なんかだと、仲間すら喋らないから、コギャル妖精が必要だったわけである。

ところで、『いろづきチンクルの恋のバルーントリップ』がようやく終わった。
相変わらず酷く時間のかかるゲームだったな。
一応、一人だけハッピーエンドを観て、もういいかと思っているところである。
エンディングのキャラを入れ替えたところで、それほど嬉しくないだろう。

このゲームの主人公チンクルは、基本的には喋らない。
奇声を上げたり、表情を変えたりはするけど。
当然喋らないので、代わりに仲間が喋る事になる。
仲間が脇役だからこそ喋るわけだ。
しかし、真の主役はこいつ等じゃないか、と私は思っている。

ゲーム中盤ぐらいから、このゲームの主役はチンクルではないような気が私はしていた。
エンディングまでやってもこの印象は変わらない。
チンクルは割とどうでもいいな。
絵面が気持ち悪いだけで、キャラはよく分からない。
核である「色づき」の部分も、単なる時間稼ぎに使われているだけのように思える。
女の子の攻略とか、結局お金を稼がせるために存在するだけなんだよ。
その意味では「ルッピーランド」と共通するところはある。

このゲームで私が一番気に入ったのはその仲間たち。
わらっ子とブリキとライオン。
この3人は謎解きをする上で動詞の役割を果たすアイコンでもある。
あいつ等が私にとってはこのゲームの全てだった。

基本的に3人とも純真なキャラである。
子供のわらっ子はアホの純真さを、高性能なブリキは創られたばかりの純真さを、怪力をもつライオンは自分の力を信じない純真さを持っている。
一見ふざけた世界観でありながら、このキャラ達は意外と活きるな。
やることにいちいち可笑しさがありながら、それでいて驚くほど誠実に問題を解決していく。
この3人、私は大好き。
最後なんか不覚にもちょっと涙でちゃったもんな。
結局こいつらがこの話の中心になっているのではないか。

マップを移動したり、ページ(時間)を移動したり、お金を稼いだりで、時間ばっかり使わされて、なんだかこのゲームのおもしろさを書く気にはならないのだが、何とかあの3人の話だけは書いておきたい。
そんな気にさせるキャラ達だった。


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