都市伝説解体センター、STEAM版

トリックか、SPECか 2025_02_17



佐久間宣行のYoutube番組の中で、「全領域異常解決室」というドラマの話をしていた。
このドラマを説明するときに、トリックか、SPECか、というような説明があって、なるほど分かり易いなと思った。
超常現象を装っているけど全部トリックのドラマ「トリック」と、本当に超能力を持った犯罪者と相対するドラマ「SPEC」。
トリック系とかSPEC寄りといった表現をすれば、作品の性質を簡単に説明することができる。
視聴者がこの二作を知っていれば、の話だが。

ところで、これから『都市伝説解体センター』の話を書く。
これは凄いゲームでした。
体験版で期待が高まっていたけども、その期待をはるかに超えてきたね。
アドベンチャーゲームの世界にまた一つ金字塔が打ち立てられた、といったところ。
あまりにも素晴らしくて、どこまで書いていいのか迷っている。
発売されたばかりだし。
そこで、まずどうでもイイことから書くことにした。
どうでもイイことだけれども、それでもプレイする前に読むことはお勧めしません。


このゲーム、ドットが酷く荒い。
そこまで荒くなくてもイイだろっていうぐらい荒い。
荒いドットで頑張って描いているんだけど、こんなに頑張って描くなら解像度もっと上げればいいじゃん!と最初は思ったな。

もちろん、ドットの荒さが味になっている側面はある。
画から得られる情報が少ないということは、それだけプレイヤーの寄与分が大きく感じられる、という側面もあるだろう。
でもそれだけじゃなく、実用的な意味があることに気づいた。

このゲームでは、トリックかSPECか、が一番の注目点。
狭義の意味でいうとゲームとしては大したことないので、もうホント、そこに意識が集中するといっても過言ではない。
しかし、もし仮に解像度がもっと高かったら、困ったことが起こるはず。
創り手が事実ではない画でミスリードするような格好になってしまうのだ。
つまり解像度が高いと、嘘をつくことになるのである。
しかしながら、最初から全部荒い画にしておけば、念視の能力を持つ主人公に見えている像を曖昧なまま伝えることが出来るのだ。
プレイヤーは勝手にそれを解釈する。

これは最後の最後にも効いてくる。
最後の納得感に。
マジかよっていう最後の展開に、荒い画像が説得力を与えてくれるのである。
そう言われればそうか、と。
画が荒いから許されることってあるんだよ。


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