夏休みの課題で、「Treasure Island」の翻訳をやろうとしたことがある。 中学2年生の時だったろうか。 「Treasure Island」が課題図書に指定されていたのである。 もっともあくまで「やろうとした」だけであり、私は訳していない。 夏休みが明ける直前まで全く手をつけずに遊んでいた私は、兄に泣きついたのだ。 なんと私は丸々一冊兄に訳させたのである。(指定図書になっているのは一部分だけだったかもしれない) 如何に中学2年生向けとはいえ、兄貴凄いな! すっかり忘れていたが、今になって感動した。 ありがとう。 いじめられたことばかり覚えているのだが、どうも世話になったことも多かったようである。 ちなみに今ではネットで全訳を公開している方がいるようで、夏休みの課題もノープロブレムとなっている。 ホントにいい時代になった。 翻訳してくれる兄を持たない子供にも世の中は優しく出来ているのである。 学校の先生は知っているのだろうか? しかしまあ、今改めて思うと、「treasure Island」、つまり「宝島」ってのはいかにもチンケな感じがする。 徳川の埋蔵金探すのと、同レベルだよな。 私は文学としての素晴らしさは全く知らないので(書き写しただけだから内容は全然覚えてない)、あくまで印象の話である。 大昔は冒険する動機付けとして、お宝ってのが一番直接的だったのかもしれないな。 今の私たちはいろいろモノを知ってしまったのでお宝を探すよりも、世界を救うとか、大切な人を救うとかの方が動機付けとしては優位である。 「お宝探し」は動機付けとして相当弱い感じがするね。 そんなこのご時世に『宝島Z』なんていう名前のゲームが発売された。 私の感覚では自殺行為である。 宝島って・・・・。 あり得ないだろ。 そんなもんにお金払う気になるかい? ところが、これは凄いゲームだった。 これは書くなら今しかない。 書いたもん勝ちだ。 当然ながら売れ行きがあまりよくないらしいので、時間が経つと書けば書くほど嘘になっていくだろう。 でも、もったいないから早くクリアしたくない。 これは弱ったな。 とりあえず予告だけ書いておく。 ・コマンド入力型アドベンチャーの復権なるか ・オバチャンは女神 ・一石二鳥 プレイを勧めていくと、印象変わるかもしれないけど。 |