どこでもいっしょ レッツ学校!

早く人間になりたい 2008_06_09

 

「どこでもいっしょ」シリーズのトロは人間になりたい猫である。
トロ自体はゲームを離れて単体でも活躍しているので、私も何となく知ってはいたのだが、人間になりたいという設定は『どこでもいっしょ レッツ学校!』をプレイしてはじめて知った。
人間になりたいって、ちょっと面白い設定である。
なんで人間になりたいのか?

人間になりたい、といえば、本家本元は「早く人間になりたい」でおなじみの「妖怪人間ベム」である。
私が子供の時分、東海地方では夏休みになる度に「妖怪人間ベム」を再放送していて、何回も観たものである。
あれになんで「人間になりたい」という設定が入っているかというと、おそらく悪い奴らをやっつける理由が欲しいからなんだろう。
なぜ善行を積むと人間になれるのか今をもって分からないのだが、あれは存外深いものをもっていそうである。
人間の疎外感を妖怪人間に投影し、疎外感に藻掻く人間を表現していたのかもしれんなあ。
みんなといっしょになりたい、という人間の根源的な欲求を「早く人間になりたい」という言葉が端的に表現していたのだろう。

じゃあ、トロの場合は一体どうなのか?
私は今までのシリーズを知らないので、適当に推測しているだけなのだが、おそらく言葉を勉強する動機付けが必要だからだろう。
プレイヤーが入力した言葉を大雑把に分類して、適当につなげて文章を作ると思いがけず面白い文面になることがある。
言葉と言葉の関係から自動で文章を作るAIをゲームに導入しようということが、人間になりたい猫を生んだのだろう。

もっとも『どこでもいっしょ レッツ学校!』をプレイした限りでは、もはやAIは最重要ファクターとは言えなくなっているようだ。
というのも、このゲームの面白さの中心はトロをはじめとするポケピ達の掛け合いにあるのであり、それはAIによって導き出されたものではなく、人間が一つ一つ考えたものだからである。
AIを使うことは、もはや作品の成立要件では無くなっているのだろう。
実際問題として『まいにちいっしょ』なんかではAIなんかまるで使ってないからな。

トロがゲームを離れて活躍するようになった今となっては、人間になりたいという設定はもはや単なるトロのキャラ付けに過ぎない。
人間になりたいと思う猫はプレイヤーを慕うのである。
慕われて、そう悪い気はしないよな。


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