PS3時代から「トリコ」と呼ばれるゲームが開発されていたことは、私も知っていた。 『ICO』とか『ワンダと巨像』なんかと同じ人が開発してるらしく、それなりに期待されていたことも。 なんだかんだで10年経ってやっと発売されたんだね、『人喰いの大鷲トリコ』。 それもPS4で。 これは一応やっておくべきゲームではあった。 もっとも、私は『ワンダと巨像』が大っ嫌いだったので、特に期待していたわけではないのだが。 やり始めて最初に思ったのは、トリコがキモイということ。 挙動は猫みたいなんだが、顔は犬?、体毛はダチョウ?、足は鳥っぽい4本足で、しっぽはライオンかな? なんだか鵺にインスパイアされたのかと思うような生物だった。 涙でマスカラが流れ落ちたかのような目元が超キモイ。 ゲーム自体もやってみると、酷く平凡であることに驚かされる。 何のことはない、トリコは生きた万能工具みたいなものであった。 時に梯子であり、時に乗り物であり、時に爆弾にもなる。 そう思ってこのゲームを俯瞰すれば、これはよくあるステージクリア型の脱出ゲームだと言っても差し支えなかろう。 こんなものに、一体なぜ10年もかかったのか、不思議でしょうがなかった。 だって、トリコのモーションやAIはPS3でも余裕でこなせるはずだから、おそらく見栄えだけでしょ、問題になるのは。 そんなもん、少しディテールを落としてやれば、いくらでもなんとかなるじゃん。 一体何に引っ掛かっていたのか、序盤では全くわからなかった。 最初は手触りも悪いんだよね。 主人公の動作が気持ち悪いの。 障害物にぶつかったときとか、落ちそうになったときなどの余計な挙動が鬱陶しい。 一番腹が立つのは、倒れて起き上がるときに、もう一回尻餅をついてから起き上がるヤツ。 意図しない勝手な動作を入れられると私はイライラしちゃう。 『ワンダと巨像』の巨像を登ってるときに勝手に手が離れる動作が私は大っ嫌いだったけど、如何にも同じ人が作りましたって感じで、なおいっそう腹が立つ。 とにかく序盤は極めて悪い印象だった。 それが変わってきたのは、だんだんトリコを誘導するコツが分かってきたからなのかな。 トリコからいったん降りて、反対側まで誘導してからジャンプさせる、なんてのが分かってくると大分楽になる。 言うことをきいてくれるようになれば、それなりにトリコも可愛く感じられるようになった。 そして演出として上手いと思ったのが、ノーヒントでプレイヤーがトリコに向かってジャンプするように仕向けるあたり。 プレイヤー側からジャンプさせるのがキモだな。 トリコを信用している自分を感じさせているのだ。 これを経験すると、なんだかトリコとの間に絆が芽生えたような気がしてくる。 こうなってくると、ゲームもずっと面白くなった。 最終的には凄くいいゲームだったって印象が残ったな。 最後の最後にあれがあれで凄く良かったと思ったけど、そう感じたということは、私がトリコのことを好きになっていたってことだろう。 考えてみると、このゲームのキモは、トリコに思い入れを持てるかどうか、に尽きる。 トリコに思い入れを持つことが出来てこそ、単なる脱出ゲームが冒険譚に変わるのである。 とすれば、トリコにリアリティを感じられるほど描き込めるようになるまでは発売できない、という判断があったのかもしれない。 もしそうなら、おそらくそれは正解だと思うな。 たとえ10年かかっても、その間にSCEが消滅してもね。 ビジネスとして正解かどうかは分からないが、クリエイターとしては正しいはずだし、なにより我々遊ぶ側にとっても。 |