慟哭そして・・・

古すぎる理論 2001_10_14

 

久々にSSのゲームをプレイした。
私が最後にクリアしたSS作品は『カルドセプト』になるはずだったのだが、どういう訳か『慟哭そして・・・』になってしまいそうな気配である。
これもエロゲーマーの業深き故であろうか。(この作品はSSの年齢制限18才以上レーティング、1998)

なぜ今頃、こんな古いゲームをやっているのかというと、DCの『火焔聖母』がなかなか面白かったので、横田守つながりでやってみたくなったからだ。
この「横田守」という人は、エロゲーの世界では有名なキャラクターデザイナーである。
また、どうもゲームにも口を出しているらしく、彼の携わった作品には難しいものが多い。
エロであろうと、あくまでもゲームだ!という立場をとっているのだろう。

私はこれから書くことのために、ギャルゲーとエロゲーの違いを書かなければならない。
エロゲーはギャルゲーに包含される。
ギャルゲーの一分野がエロゲーなのだと解しても良い。
一つ違いがあるのは、ギャルゲーはその負荷そのものに面白さがなくてはならないが、エロゲーの場合は必ずしもそうではない、ということである。
エロゲーの場合は、エロを餌にして負荷をかけることが許されるのだ。
負荷を何に対してかけるのか?を決めるのは制作者の方なので、プレイヤー側で「このゲームは素晴らしいのでエロゲーではない」とか「エロく感じないからエロゲーじゃない」などと主張しても意味のないことである。
つまり、18禁レート売られているものは、制作者がそのつもりで創ったということなので、ほぼ全てエロゲーだと断じて構わないのだ。

しかし、SSの18禁レートというのは、PCと違って性描写が禁じられている。
おそらく『慟哭そして・・』はギャルゲーなんだろうな、と思って私はプレイを進めた。

ところがやってみると、これは明らかにエロゲーの構成であった。
謎解きは確かに面白いのだが、謎解きというものは一回解いたらそれまでである。
繰り返しやらされたら、単なる手間に過ぎない。
また、どの女の子を狙っていくかの分岐に、キャラをイメージさせる要素がない。
ということは、この繰り返しプレイはギャルゲーとしてのバランスを欠いている。

エンディングまでやってみると、なるほどこれはエロゲーであった。
性描写がなくても、やっぱりエロゲーなのである。
SSの18禁レートという玉虫色ゾーンでだからこそ、なしえたと言えるのかもしれない。
これはこれで高い評価を与えて良いと思う。

実を言えば、私の負荷理論はエロゲーには適用できなくなっている。
古すぎるのだ。
単位エロ当たりにかけられる負荷の量が極端に小さくなってしまった今、エロゲーを負荷で捉えることはおそらく正しくないだろう。
幸いにして、『慟哭そして・・』は3年も前のゲームである。
とはいえ、3年前でも既にエロを餌にするには、余りにも高い難易度だったろう。
だからこそ、SSの18禁レートにスライドしてきたに違いあるまい。
そしてそれは、エロとはいえどゲームたらん!と欲した人達の足跡でもあったろう。



<余談 2001_10_20>

「横田守」の作品では、マップ上を移動させるものが多い。
移動という負荷自体は決して面白いわけではないので、不思議で仕方がない。
移動することではなく、むしろ場面を切り替えることに意味がある。
必ずしもマップ上を移動する必要はないのだが。
横田氏がゲームに口を出している、という確証は持っていないのだが、どうも同じ人が同じように考え違いしているように思えてならない。


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