The Last of Us Part II_3

平等すぎるのも不自然 2020_07_12

 

実はまだ書きたい話があるんだ、『The Last of Us Part II』。
ちょっと迷ったんだけど。
というのは、いわゆるポリコレに属する話になってしまうのである。
ゲームの世界におけるポリコレ批判って大抵アホっぽいでしょ。
あいつらの仲間になりたくないとも思ったのだが、実際に感じてしまったものは仕方ないかと思い直した。
恥ずかしいけど書くよ。


一番最初に、寝坊したエリーを起こしに来た男性がいきなりアジア系だった。
目元の感じからすると、おそらく韓国系かな。
その次に登場する、後にエリーと恋人関係になる女性はおそらくインド系だろう。
韓国系もインド系も移民の中では多い方だけれども、それでもアメリカの最大勢力はヒスパニックだからね、現在。
意図的に少数派を起用してきた感は最初からあった。

私はレズに関してはそれほど問題だと思っていない。
むしろストーリー上リーズナブルな関係だろう。
というのも、エリーより体力やスキルが高い人がいると、エリーが主役として動きにくいから。
しかし、チュートリアルや演出の面からパートナーは欲しい。
そうなると女性の方が都合が良いし、危険な旅に出るんだから、動機として恋人関係は必要になるであろう。
さらに好都合なことに、将来失う予定の子供まで産んでくれるのである。
エリーは産めないからね、ストーリー上。
だから、女性とおつきあいすることは別に不思議ではない。

私が一番最初に気になったのは性差がないこと。
エリー達が属しているコミュニティでは男女の区別なく偵察義務?があるらしく、女性でも平気でステルスキルをこなしていく。
そこにちょっと引っ掛かったのだが、その後もずっとこの感覚は続く。
アビーの側のコミュニティでも女性だからといって、差別されたり、あるいは戦闘を免除されたりといったことはないようだ。
人種差別もなさそうだし、既存宗教も出てこない。
女性を性奴隷にするような連中も出てこない。
そこはかとないリベラル感が漂ってるんだよね、この世界には。

でも、そんなことあるかな?
ゾンビが徘徊しているような世界では、男尊女卑というか、父権的な思想を持つ連中が幅をきかせそうな気がする。
今の社会において理想的には男女差がない方がイイという主張がまかり通るのは、今が平和で安定しているからだろう。
荒廃した世界では男女差がある方が普通なんじゃないか。
このゲームの世界観は酷く不自然に私には思えた。

それがずっと気になっていたのはアビーのステルスキルのせいでもあった。
アビーはチョークスリーパーでステルスキルするんだよね、ちょっと無理があると思うけど。
首を絞めるときにカメラ側に敵兵の顔が寄るから、顔がよく見えちゃうんだ。
首を絞められてちょっとむくんだ女性の顔が。
その度に女性兵士多すぎだろってつぶやいていたよ、私は。
ほぼ半分女性なんだもん。
父権的な社会を築いていると思われる新興宗教の集団でも、やはり兵士の半分ぐらいは女性だったんじゃないか。
おそらく平等であるからにはメリットだけでなくデメリットも平等であるべきだと思ったんだろうね、ディレクターかシナリオライターか誰だか知らんけれども。

でも、平等すぎるのも不自然だと考えるべきだったんじゃないかな。
だって、自然状態では平等にはならないでしょ。
人間であれ、どんな生物であれ。


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