ときめきメモリアル2

2頭身キャラのポリゴン化についての批評 2000_09_20

 

今更のように『ときめきメモリアル2』をプレイしはじめた。(以後『ときメモ2』)
まだ4廻り目の途中ということもあり、ゲームの感想については後日にしたい。(PS2を買うまでPSのゲームはやらないんじゃなかったのか?という話はまた別件で)

プレイしはじめて私が思ったのは、ゲームの内容についてではなく、2頭身キャラのポリゴン化についてだった。
私は『ときメモ2』が発売されてから、数多くの感想をあちらこちらで目にした。
私は、その多くにポリゴン化に関する記述があることに、しかもそのほとんどが否定的な見解だった事に、強い興味を持っていたのである。
そんなに重要なことなんだろうか?と不思議な気がしたから。
実際にプレイしてみると、全然なんてことないのである。
ゲームの本質部分にはまるで関係ない。
部分によっては、カットすら出来る。
ポリゴンにしたからといって必ずデータが増えるわけではないし、減る場合だってある。
なぜ多くの人がこれを問題にしようとしたのか?という疑問が沸いてきたのだ。

そして、相変わらず自分のプレイの中に原因を見つけた。
私はプレイ開始当初、どうも『ときメモ2』は「ときメモ」じゃあないような気がして、何が違うのかなあ、と考えていたのである。(今は評価したい気持ちが強いのだが)
むしろ私はキャラクターにその責を探していた。
しかし、たまたまキャラクターにそれが向かわなかった多くの人たちが、見るからに異なっている2頭身キャラをやり玉に挙げたのではないか、という気がしてきている。
原稿用紙に10枚に『ときメモ2』を書けといわれたら、当然ポリゴン化についてもふれるはずけど、3行しか書かないのに敢えてふれる必要はあるまいと思うのだ。

結局のところ、『ときめきメモリアル』というゲームは「ときメモ」ではありえず、『ときめきメモリアル』を含めたたくさんの関連作品と過ごしてきた日々が「ときメモ」なのである。
『ときめきメモリアル』の続編として登場した『ときメモ2』もまたしかり。
違って当たり前なのだ。
残念ながら『ときメモ2』が「ときメモ2」になる日は来ないかも知れないのだけど・・。(また次回)



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