<H3><center>旅立ちの詩

幕引きはこの手で '99_04_16



幕引きはこの手でやりたい。
いつか来る終わりなら、この手できちっとケリを付けたい。
誰かに委ねるわけには行かないんだ、そんな気持ちを感じた。
それは立場は違えど、かつて私も感じたことのある気持ちだ。

「ときめきメモリアル ドラマシリーズ 〜旅立ちの詩〜」。
この「ときメモ」のキャラを用いたドラマシリーズの第3弾は、特別な役割を背負って作られたように思う。
おそらくその役割は『卒業』だろう。
2回目のプレイを終えて、それを確信した。
どんなことにも終わりがあるように、「ときメモ」にも終わりがあり、また終わらなくてはならない。

それは、「ときめきの放課後」の時にも感じていたし、そう書いた。
だが、本当のことをいえば、私は終わって欲しくなかった。
永遠に続いて欲しかった。
いつまで経っても発表されない「ときメモ2」のキャラクターが、前作を引き継いでくれることを祈るような気持ちで待っていたんだ。

実際、キャラクターを代えることにどれほどの意味があるだろう?
私は「トゥルーラブストーリー2」をやっていて思った。
キャラクターは代わっても、やっぱり中身は同じなんだ。(面白いんだけど)
必ずしも、キャラクターを代えることが、プレイヤーに新鮮さを与えるわけではないはずだ、と。
そして、多くの『まずまずの出来』のギャルゲーが乱発される中で、「ときメモ」が「ときメモ」である唯一のよりどころはキャラクター以外の何ものでもない、という思いが私をとらえて放さなかった。

しかし、プレイを進めていくうち、終わりへと向かっていく「ときメモ」を、そこかしこに見つけざる得なかったのだ。
はじめに気がついたのは、落ち着きすぎている詩織ちゃんの声だった。
出来過ぎ君的な詩織ちゃんとはいえ、やはりそこには18歳の躍動感が求められる。
ただ一人詩織ちゃんに限らず、声優さんにも限界が来ているように感じた。

そしてそれ以上に、終わりへと向かっていると感じたのは、今まで光が当たらなかったキャラクターにイベントをふり充ててあった点だ。
特に損な役回りを押しつけられてきたキャラクターは、丹念に描かれているように感じた。
やり残して置くわけには行かない、という思いだったろう。
それは「ときメモ」への愛であり、プレイヤーへの最後のプレゼントだ。

もともと、「ときメモ」はディフォルメによって成立していた。
各キャラクターに与えられた特徴を、断片的にプレイヤーに示していたに過ぎない。
しかし、移植を重ね、関連作品を制作する事によって、次第にキャラクターは息吹を吹き込まれていった。
そして今ここにたどり着いた。
描き切ったと言っていいんじゃないだろうか。
名残は惜しいけれど、ここで終わるべきだ。

誰かに終わらされるんじゃない。
この幕は自分で引くんだ。
エンディングテロップ中に、卒業証書を持って現れるキャラクター達がそういっているような気がした。



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