参った・・・。 『ときめきメモリアル3』は恐るべき魅力を秘めたギャルゲーであった。 その魅力の源は3Dである。 ギャルゲーの世界でこれほど嫌忌されるものも他にないはずだったのに。 私は完璧に心を持っていかれてしまった。 本来、「3Dで描く」ということは省エネの意味合いが強かった。 いったんモデリングしてしまえば、あらゆる方向から見た画像を生成する事が出来るのである。 ところが、これがゲームに導入されるにあたって、別の要素が持ち込まれてしまったのだ。 それは「リアル感」という奴である。 3Dで描くとなんとなくリアルっぽいということで、多くのゲームが、一枚絵なのにわざわざモデリングして描いてみせた。 PSやSSの性能がおっつかなくて、プリレンダリングを使用せざるを得ないという事情もあったろう。 実に無駄な労力であった。 それが『ときめきメモリアル3』になって事態は急変したのだ。 このゲームのキャラは3Dなのである。 これはおそらく省エネ的発想だろう。 モーション描画・拡大縮小・着せ替えを最小の労力で実現しようというのが、トゥーンレンダリングという技術なんだと想像する。(前もって一部分につき2色を指定しておいて、光源計算の結果をしきい値で分けているのか?) ところが、である。 これが思わぬ副作用をもたらした。(と私は思う) 奥行きの表現。 まさか、これほどキャラクターを魅力的に表現できるとは・・・。 パッケージの絵を見るとえらく活力のないキャラに見えるかもしれないが、これが動いているところを見ると全く異なった印象を受ける。 「えへっ」と言いながら体を後ろに反らしたり、「そう?」と言いながら腰を少し曲げて顔を前に出したりする動作。 このなんと魅力的なことか。 恐らく30フレームで動いているんだと思うけど、これと同じ事をアニメーターにやらせるとしたら、いったいどれほどの労力を費やさせることになるのか想像も出来ない。 しかも、立ち位置は奥行き方向にも自由である。 そして思い切ったことには、リアル感を完全に切り捨てて見せた。 これは正解。 「ときメモ」にリアル感なんざいらないのである。 なぜならば、プレイヤーがときめくキャラクターというのは、目の前に見えているキャラクターではなく、自分の中に描かれたキャラクターなのだから。 3Dに求められるのは、そのきっかけだけである。 私は『ときめきメモリアル3』というゲームの魅力がどこにあるのか考えてみたのだが、どうしても「絵」だ!という結論に辿り着かざる得なかった。 確かにその他の要素も『3』になることで洗練されているようには思えた。 ミニゲームも、新しく導入された趣味コマンドも悪くない。 それでも、この3Dキャラほどの衝撃はどこからも感じられないのである。 今ときめきは3D! 紛れもなく3Dなのである。 私は全面的に支持する。 |